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ローマ人の物語 (14) キリストの勝利 単行本 – 2005/12/27
塩野 七生
(著)
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- 本の長さ320ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2005/12/27
- ISBN-104103096233
- ISBN-13978-4103096238
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2005/12/27)
- 発売日 : 2005/12/27
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 320ページ
- ISBN-10 : 4103096233
- ISBN-13 : 978-4103096238
- Amazon 売れ筋ランキング: - 124,946位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 43位古代ローマ史
- - 139位キリスト教入門
- - 211位キリスト教一般関連書籍
- カスタマーレビュー:
著者について
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1937年7月7日、東京生れ。
学習院大学文学部哲学科卒業後、イタリアに遊学。1968年に執筆活動を開始し、「ルネサンスの女たち」を「中央公論」誌に発表。初めての書下ろし長編『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』により1970年度毎日出版文化賞を受賞。この年からイタリアに住む。
1982年、『海の都の物語』によりサントリー学芸賞。1983年、菊池寛賞。1992年より、ローマ帝国興亡の歴史を描く「ローマ人の物語」にとりくむ(2006年に完結)。1993年、『ローマ人の物語I』により新潮学芸賞。1999年、司馬遼太郎賞。2002年、イタリア政府より国家功労勲章を授与される。2007年、文化功労者に選ばれる。2008-2009年、『ローマ亡き後の地中海世界』(上・下)を刊行。
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2018年8月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
多神教のローマ帝国が、一神教によって、180度反転する。宗教を国の基本に据えようとする時、国の強さを人間の強さだけで表現する場合、滅びに至る。多神教は、それぞれに個人の自由が利く。しかし、一神教では人間以上の力を基本とすることで、人間は弱い者という自覚を持たせる。人間の持つエゴは、より大きな力による支配を感じ取ることが重要であり、人間が神になろうとする想いや、具体的な戦いをいどむことから謙遜になることを知らなければならない。その様な意味で、本書はローマ帝国の変貌を知ると同時に、人間としてのあり方、人間の持つ愚かさや限界を知ることが出来る。
2018年9月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
塩野氏の「ローマ人の物語」第14巻。コンスタンティヌス大帝の死後もキリスト教勢力は拡大を続け、ついには皇帝の権威さえも越える存在となっていく。本書では主にコンスタンティウス、ユリアヌス、テオドシウスの各皇帝の治世を描くが、キリスト教に対する各々のスタンスの違いが帝国の行く末を決定付け、そして中世ヨーロッパに特徴的なキリスト教権力の端緒が早くもこの時代に現れてくる点が、本書の読みどころである。
コンスタンティヌス大帝の死後、親族の粛清や身内間の争いに乗じ、コンスタンティウスが帝国の唯一の支配者となる。コンスタンティウスは教会関係者の免税対象を広げる等、父大帝同様にキリスト教の優遇策を進めていく。一方、副帝として起用したガルスの処刑やマグネンティウス反乱に際する兵士の大量虐殺などの行為は、自らの首を締める帝国統治の弊害となっていくのだ。
コンスタンティウスから副帝に任命されたユリアヌスは、ガリアの再興、税徴収の適正化、蛮族への積極攻撃による防衛線再現など、期待以上の高い成果を出す。更に皇帝となってからは、帝国の歳出削減などの改革を実施すると共に、キリスト教勢力の拡大を防ぐべくローマ古来の宗教の復活を試みる。
ユリアヌスの死後は、彼が皇帝になる以前の状態に戻されていく。この後のローマ帝国について本書では、皇帝ではなく司教アンブロシウスを主人公に登場させ、ローマ帝国のキリスト教化を描く。このアンブロシウスこそが、その後のキリスト教教会における躍進の基礎固めをした人物なのだ。
テッサロニケで起こった事件に際し、テオドシウス帝に対するアンブロシウスの謝罪要求は、皇帝権に対するキリスト教会の優位を明確にした象徴的な出来事と言え、後の1077年に起こる「カノッサの屈辱」そのものと言える。キリスト教と世俗の権力の関係を実に正確に把握していたアンブロシウスに対し、見事なまでの洞察と著者は評するのだ。その後テオドシウス帝の下でキリスト教はとうとう国教化され、これ以後ローマ古来の宗教は異教として禁止されることになる。
信仰に対する多用な価値観こそが、それまで帝国が発展してきたの理由の一つだったはずである。だから、キリスト教国教化によりローマ古来の宗教が完全に否定された出来事は、ローマ帝国そのものの終焉を示していると言えよう。アンブロシウスと論戦して敗れた、シンマクスという首都長官の石碑が現代に残っている。著者はその石碑に手を触れ、キリスト教の勝利がもたらしたローマ帝国の終わりを、本書の最後でとても詩人的に語っている。なんとも印象的なワンシーンである。
コンスタンティヌス大帝の死後、親族の粛清や身内間の争いに乗じ、コンスタンティウスが帝国の唯一の支配者となる。コンスタンティウスは教会関係者の免税対象を広げる等、父大帝同様にキリスト教の優遇策を進めていく。一方、副帝として起用したガルスの処刑やマグネンティウス反乱に際する兵士の大量虐殺などの行為は、自らの首を締める帝国統治の弊害となっていくのだ。
コンスタンティウスから副帝に任命されたユリアヌスは、ガリアの再興、税徴収の適正化、蛮族への積極攻撃による防衛線再現など、期待以上の高い成果を出す。更に皇帝となってからは、帝国の歳出削減などの改革を実施すると共に、キリスト教勢力の拡大を防ぐべくローマ古来の宗教の復活を試みる。
ユリアヌスの死後は、彼が皇帝になる以前の状態に戻されていく。この後のローマ帝国について本書では、皇帝ではなく司教アンブロシウスを主人公に登場させ、ローマ帝国のキリスト教化を描く。このアンブロシウスこそが、その後のキリスト教教会における躍進の基礎固めをした人物なのだ。
テッサロニケで起こった事件に際し、テオドシウス帝に対するアンブロシウスの謝罪要求は、皇帝権に対するキリスト教会の優位を明確にした象徴的な出来事と言え、後の1077年に起こる「カノッサの屈辱」そのものと言える。キリスト教と世俗の権力の関係を実に正確に把握していたアンブロシウスに対し、見事なまでの洞察と著者は評するのだ。その後テオドシウス帝の下でキリスト教はとうとう国教化され、これ以後ローマ古来の宗教は異教として禁止されることになる。
信仰に対する多用な価値観こそが、それまで帝国が発展してきたの理由の一つだったはずである。だから、キリスト教国教化によりローマ古来の宗教が完全に否定された出来事は、ローマ帝国そのものの終焉を示していると言えよう。アンブロシウスと論戦して敗れた、シンマクスという首都長官の石碑が現代に残っている。著者はその石碑に手を触れ、キリスト教の勝利がもたらしたローマ帝国の終わりを、本書の最後でとても詩人的に語っている。なんとも印象的なワンシーンである。
2006年1月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ローマの神々は寛容な態度で人間と接してきた。しかしキリスト教の神は強制する神であり、皇帝の上に司教という絶対者を置いてローマを支配しようとする。
遂にローマは東西に別れ、崩壊への道を邁進し始めた。大きな戦いはないのかもしれないが、人々の心は大きく変化した時代が描かれている。
遂にローマは東西に別れ、崩壊への道を邁進し始めた。大きな戦いはないのかもしれないが、人々の心は大きく変化した時代が描かれている。
2016年1月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者の「あ~」とか「なんかなあ~」というため息が聞こえてきそうな本である。長年かけて描いてきたローマ帝国が、キリスト教によって内部から溶解していく様は、書いていてもつらかったはずで筆の乗りも悪い。著者は本の表紙の写真にはユリアヌスを使いたかっただろうが、「キリストの勝利」とタイトルをつけたなら、やはり「司教アンブロシウス」を載せざるを得なかったろう。もしもユリアヌスの治世が19ヶ月ではなくて19年だったら、と未練っぽく書くのも、最後は孤立してだまし討ちにあって死んだような彼への惜別の思いからだろう。
2012年8月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
コンスタンティウス帝は前帝に引き続きキリスト教を様々な形で優遇したため、
脱税目的で地方有力者がこぞって改宗するなど、不純な形で布教が進んだ。
次のユリアヌス帝は、親を前帝に殺され長く幽閉生活を送っていて
皮肉にもギリシャ哲学を愛する学徒として成長していた。
彼は帝位に就くや、肥大化した皇宮のリストラを断行し宦官を追放した。
そしてキリスト教の優遇を止めて、他の宗教への尊重を回復させた。
このことが後世に彼が「背教者」として批判される所以となる。
このキリスト教に対する姿勢が背反する二皇帝の業績や人間性が、
キリスト教史観から離れた客観的な視点から細かく紹介されている。
次のテオドシウス帝は再び優遇策を強め、在位中に洗礼を受けたため
王権神授説的な立場から司教が政治に干渉する端緒を与えてしまう。
司教は抗議を無視した皇帝の教会への出入りを禁止し、
皇帝は質素な身なりで過ちを認めて許しを乞いひざまづくしかなかった。
まさに「カノッサの屈辱」に似た光景が現れたのである。
ローマ皇帝に対するキリスト教の優位が示された「勝利の瞬間」であった。
脱税目的で地方有力者がこぞって改宗するなど、不純な形で布教が進んだ。
次のユリアヌス帝は、親を前帝に殺され長く幽閉生活を送っていて
皮肉にもギリシャ哲学を愛する学徒として成長していた。
彼は帝位に就くや、肥大化した皇宮のリストラを断行し宦官を追放した。
そしてキリスト教の優遇を止めて、他の宗教への尊重を回復させた。
このことが後世に彼が「背教者」として批判される所以となる。
このキリスト教に対する姿勢が背反する二皇帝の業績や人間性が、
キリスト教史観から離れた客観的な視点から細かく紹介されている。
次のテオドシウス帝は再び優遇策を強め、在位中に洗礼を受けたため
王権神授説的な立場から司教が政治に干渉する端緒を与えてしまう。
司教は抗議を無視した皇帝の教会への出入りを禁止し、
皇帝は質素な身なりで過ちを認めて許しを乞いひざまづくしかなかった。
まさに「カノッサの屈辱」に似た光景が現れたのである。
ローマ皇帝に対するキリスト教の優位が示された「勝利の瞬間」であった。
2022年9月9日に日本でレビュー済み
陰惨な描写では「ローマ人の物語」中、随一ではないかと思う。
塩野七生は、じつは、人間性をすべてはぎ取った所では、サディズムの文学者であると思っている。それは例えば「愛の年代記」のなかで「妻を寝取られた騎士が、寝とった少年を吊るし首にし、妻の歯をすべて抜き取って生きたまま壁に塗り込め、自らは失踪する」というような、一切の情感も優しさも失った地獄の精神に陥ったとき、彼女は20世紀日本文学の告白体的私小説のような個人感情をもとから排除し、処女作からして「ルネサンスの女たち」のなかでも政治的なイザベラ・デステの政治的生涯のデッサンから始めただけに、社会的に情愛も寛大さもない世界となった4世紀ローマでは、彼女が同意も好感も持てず、彼女が内心では見放した世界を、逆に一切の共感も持てない世界として無機質に陰惨に描く。
そうなると彼女はサディズムの作家としての側面を露にする。
この14巻で扱われるのはコンスタンティウス2世、ユリアヌス、アンブロシウス、そしてテオドシウスになる。この巻を読んで、結局は欧州がキリスト教社会になり、また、その後の結果としてイスラムも生じる原因になったのはコンスタンティウス2世ではないか、という思いを強くした。
コンスタンティヌス一人の改革だけでは一時の変化に終わり、定着はしなかったように思えるのである。コンスタンティヌスの30年のあと、コンスタンティウス2世が着実に25年を積み上げたからこそ、ローマ帝国のキリスト教国化も確定したと思えるのだ。
いわば彼は、アウグストゥスの帝政を定着させたティベリウスに似た役割を果たしたように思う。
それにしてもコンスタンティウス2世の性格は陰惨かつ閉鎖的で、前後500年に渡る歴代皇帝を見ても、これほど共感できない皇帝政治家はない。彼が早めに暗殺されなかった事は、ローマにとっても、以後の世界にとっても悲劇だった。
塩野七生が共感を抱きそうなユリアヌスだが、彼はいくつかの失策を犯しており、やはり長期政権は難しかったのではないかと思える。それにしても、1巻の伝ブルートゥス像から、スキピオ、カエサル、アグリッピーナ、ウェスパシアヌス、トラヤヌスなどを経て13巻のディオクレティアヌス・コンスタンティヌスまで表紙を飾ってきた個人たちのなかで、最後に個人としての表紙を飾ったのが、ユリアヌスではなく、よりにもよって聖アンブロシウスだったことは驚愕した。
それによって、時代変化をさりげなく示しているかのようだった。
このキリスト教の司教は興味深いが、テオドシウスを屈服させたことで、キリスト教のローマ帝国への勝利をシンボライズし、教会による帝国への寄生を確定させたこと以上の功績があるようには思われない。
軍功や経済成長、安全保障よりも宗教的信仰が優先される国家になった意味で、ローマは破壊されたことがよくわかる展開であり、これがコンスタンティヌスの没後60年、世界帝国の変容が、昭和時代と同じ程度の時間で達成されたことに驚きを禁じ得ない。
読後感は苦々しいもので、ローマの精神構造は失われにけり、という気分で巻を閉じた。歴史展開はよく理解できたが、これほど暗鬱な形でローマン・スピリットが毀損されることは、諸行無常とはいえローマも落ちたものである。
この後、最終巻「ローマ世界の終焉」となるが、実際にはその内面はすでに崩落していたように思われる。そのような読後感を持たせる終末期の日々の展開だった。
ところで、モザイク画という二次元画像になると、三次元の彫像では見事な再現を示しているローマ美術が、いきなり日本の漫画よりも稚拙で粗削りな空間把握になることに、事物の再現における三次元(立体彫刻)と二次元(平面画像)の能力の違いに気づかされ、面白く思った。
二次元の平面画像における三次元の再現では、日本の漫画や浮世絵の方が巧緻ではなかろうか。この意味でも、4世紀のローマの技術の退化というか変質というか、幼稚化と言ってよいかもしれない衰退を感じざるを得なかった。
よく考えれば、15巻がもはや個人の肖像を出す事さえもできなかったのは、時代をシンボライズするに足る個人を再現するだけの造形能力を失った事の、端的な表明だったのかもしれない。その意味でも「終焉」なのだろう。
塩野七生は、じつは、人間性をすべてはぎ取った所では、サディズムの文学者であると思っている。それは例えば「愛の年代記」のなかで「妻を寝取られた騎士が、寝とった少年を吊るし首にし、妻の歯をすべて抜き取って生きたまま壁に塗り込め、自らは失踪する」というような、一切の情感も優しさも失った地獄の精神に陥ったとき、彼女は20世紀日本文学の告白体的私小説のような個人感情をもとから排除し、処女作からして「ルネサンスの女たち」のなかでも政治的なイザベラ・デステの政治的生涯のデッサンから始めただけに、社会的に情愛も寛大さもない世界となった4世紀ローマでは、彼女が同意も好感も持てず、彼女が内心では見放した世界を、逆に一切の共感も持てない世界として無機質に陰惨に描く。
そうなると彼女はサディズムの作家としての側面を露にする。
この14巻で扱われるのはコンスタンティウス2世、ユリアヌス、アンブロシウス、そしてテオドシウスになる。この巻を読んで、結局は欧州がキリスト教社会になり、また、その後の結果としてイスラムも生じる原因になったのはコンスタンティウス2世ではないか、という思いを強くした。
コンスタンティヌス一人の改革だけでは一時の変化に終わり、定着はしなかったように思えるのである。コンスタンティヌスの30年のあと、コンスタンティウス2世が着実に25年を積み上げたからこそ、ローマ帝国のキリスト教国化も確定したと思えるのだ。
いわば彼は、アウグストゥスの帝政を定着させたティベリウスに似た役割を果たしたように思う。
それにしてもコンスタンティウス2世の性格は陰惨かつ閉鎖的で、前後500年に渡る歴代皇帝を見ても、これほど共感できない皇帝政治家はない。彼が早めに暗殺されなかった事は、ローマにとっても、以後の世界にとっても悲劇だった。
塩野七生が共感を抱きそうなユリアヌスだが、彼はいくつかの失策を犯しており、やはり長期政権は難しかったのではないかと思える。それにしても、1巻の伝ブルートゥス像から、スキピオ、カエサル、アグリッピーナ、ウェスパシアヌス、トラヤヌスなどを経て13巻のディオクレティアヌス・コンスタンティヌスまで表紙を飾ってきた個人たちのなかで、最後に個人としての表紙を飾ったのが、ユリアヌスではなく、よりにもよって聖アンブロシウスだったことは驚愕した。
それによって、時代変化をさりげなく示しているかのようだった。
このキリスト教の司教は興味深いが、テオドシウスを屈服させたことで、キリスト教のローマ帝国への勝利をシンボライズし、教会による帝国への寄生を確定させたこと以上の功績があるようには思われない。
軍功や経済成長、安全保障よりも宗教的信仰が優先される国家になった意味で、ローマは破壊されたことがよくわかる展開であり、これがコンスタンティヌスの没後60年、世界帝国の変容が、昭和時代と同じ程度の時間で達成されたことに驚きを禁じ得ない。
読後感は苦々しいもので、ローマの精神構造は失われにけり、という気分で巻を閉じた。歴史展開はよく理解できたが、これほど暗鬱な形でローマン・スピリットが毀損されることは、諸行無常とはいえローマも落ちたものである。
この後、最終巻「ローマ世界の終焉」となるが、実際にはその内面はすでに崩落していたように思われる。そのような読後感を持たせる終末期の日々の展開だった。
ところで、モザイク画という二次元画像になると、三次元の彫像では見事な再現を示しているローマ美術が、いきなり日本の漫画よりも稚拙で粗削りな空間把握になることに、事物の再現における三次元(立体彫刻)と二次元(平面画像)の能力の違いに気づかされ、面白く思った。
二次元の平面画像における三次元の再現では、日本の漫画や浮世絵の方が巧緻ではなかろうか。この意味でも、4世紀のローマの技術の退化というか変質というか、幼稚化と言ってよいかもしれない衰退を感じざるを得なかった。
よく考えれば、15巻がもはや個人の肖像を出す事さえもできなかったのは、時代をシンボライズするに足る個人を再現するだけの造形能力を失った事の、端的な表明だったのかもしれない。その意味でも「終焉」なのだろう。
2013年5月7日に日本でレビュー済み
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アポロドシウスなどという三位一体派が勝利したのはローマ皇帝の座を
保障する力を皇帝が認知したからでしょう。
父は最後にキリスト教を信じたそうですが、私は認めません。
一神教は、人類にとっての邪教でしかないと信じます。
保障する力を皇帝が認知したからでしょう。
父は最後にキリスト教を信じたそうですが、私は認めません。
一神教は、人類にとっての邪教でしかないと信じます。