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けい子ちゃんのゆかた 単行本 – 2005/4/27
庄野 潤三
(著)
- 本の長さ205ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2005/4/27
- ISBN-104103106123
- ISBN-13978-4103106128
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2005/4/27)
- 発売日 : 2005/4/27
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 205ページ
- ISBN-10 : 4103106123
- ISBN-13 : 978-4103106128
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,308,454位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 30,475位日本文学
- - 35,698位エッセー・随筆 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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(1921-2009)1921(大正10)年、大阪府生れ。
九州帝大を2年で終え、海軍に入る。戦後、教職を経て朝日放送に勤め、小説を書き始める。1954(昭和29)年、「プールサイド小景」で芥川賞受賞。平穏な日常の危うさを描き、「第三の新人」の一人として活躍する。1960年の「静物」で新潮社文学賞、1965年の「夕べの雲」で読売文学賞、1972年の「明夫と良二」で赤い鳥文学賞、毎日出版文化賞を受賞。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2016年12月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
庄野さんの作品はなかなか書店で見かけないのが残念です。庭のつるばら、ピアノの音、の後にこちらを購入しました。順番は前後しますが、どこから読んでも平和で美しい庄野ワールドは癒しです。これからも地道に増やして読んでいこうと思います。
2019年1月17日に日本でレビュー済み
同じことが何回も何回も書かれている。ひどい所では同じ章の中に重複したエピソードが入っている。この著者には素晴らしい作品もあるのだが、この時期にはもう呆けてしまって、思考が緩くなっていたのだろう。こんなものをそのまま本にしてしまった編集者、出版社はどう考えていたのだろうか。衰えも楽しめということなのか、だとしたらひどい話だ。
2014年12月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
JALの機内誌で紹介されていて興味が湧いたのですが、想像していたものと、ちょっと世界観というか時間の流れ方というか・・しっくりこなかった。最後まで読み切れませんでした。
2005年7月28日に日本でレビュー済み
庄野潤三氏の「山の上」での夫婦二人の、晩年の暮らしを描いた連作の十作目です。新しい1冊を手にするとほっとして、1年が巡ったのだという気持ちになります。
文壇の匂いの色濃く残る作家の一人である庄野さんですが、その文体はあくまでも淡々と清き水の流れるが如く気負いなく、心洗われるような気がします。
庄野さん自身、ストーリーのあるものは好きではないとある作品で書かれていますが、この十年の作品は全くその通り日々の雑感、心の機微などを自在に書いています。
初めて読まれる方は、なぜ同様のことばかり書くのか?とじれったく思うかもしれません。でも、そこには庄野さんと御夫人の守るべき生活や信条や楽しみが、一度ずつ新しい「ただ一度」であることが読むにつれて窺えるはずです。
だって、タイトルにもなっている「けい子ちゃん」が、もう小学校5年生にもなっているなんて!ひ孫さんがもう一人生まれたなんて!……。
ゆったりとした日々にも変化は刻々と訪れ、時は容赦なく流れていくのです。
庄野さんが、繰り返し描く日常は、新しい「今日」として認識されていることが理解できます。
そして、卑近な事柄で申し訳ないけれど、氏の作品を読むたびに「親とは何と有難いもの。いつまでたってもちょっと甘えたいな。」と思わせてもらっています。
庄野さん夫婦の、それぞれ独立して家庭を営んでいる子ども達への接し方、また、子どもたちの家庭からの応え方。これは本当に、子を持ってみて分かることですが、“教育”“しつけ”の受け継がれ方を彷彿とさせられます。
自分を貫くことと常識的な境界線が見事に一致していて、読む者に安堵を与えてくれる作品です。
庄野さん、今日も庭の鳥やハーモニカや散歩を、楽しまれているでしょうか。
文壇の匂いの色濃く残る作家の一人である庄野さんですが、その文体はあくまでも淡々と清き水の流れるが如く気負いなく、心洗われるような気がします。
庄野さん自身、ストーリーのあるものは好きではないとある作品で書かれていますが、この十年の作品は全くその通り日々の雑感、心の機微などを自在に書いています。
初めて読まれる方は、なぜ同様のことばかり書くのか?とじれったく思うかもしれません。でも、そこには庄野さんと御夫人の守るべき生活や信条や楽しみが、一度ずつ新しい「ただ一度」であることが読むにつれて窺えるはずです。
だって、タイトルにもなっている「けい子ちゃん」が、もう小学校5年生にもなっているなんて!ひ孫さんがもう一人生まれたなんて!……。
ゆったりとした日々にも変化は刻々と訪れ、時は容赦なく流れていくのです。
庄野さんが、繰り返し描く日常は、新しい「今日」として認識されていることが理解できます。
そして、卑近な事柄で申し訳ないけれど、氏の作品を読むたびに「親とは何と有難いもの。いつまでたってもちょっと甘えたいな。」と思わせてもらっています。
庄野さん夫婦の、それぞれ独立して家庭を営んでいる子ども達への接し方、また、子どもたちの家庭からの応え方。これは本当に、子を持ってみて分かることですが、“教育”“しつけ”の受け継がれ方を彷彿とさせられます。
自分を貫くことと常識的な境界線が見事に一致していて、読む者に安堵を与えてくれる作品です。
庄野さん、今日も庭の鳥やハーモニカや散歩を、楽しまれているでしょうか。
2006年2月2日に日本でレビュー済み
最初は、この作品の中に流れる時間の流れについていけませんでした。
ゆっくりすぎるというのでしょうか。
でも、しばらく読んでいくと徐々に慣れ、やがてその”ゆったり”さが
心地よくなってきます。
また、ご近所さんや家族との交流は、私のまわりでは今ではあまり見られな
くなった風景でとても懐かしさを感じました。
同じ話が何回か出てくるところも初めは”?”って思ってしまったけれど
途中からは、その分、先が読めて親しみが湧きます。何かの折に家族から
お礼の手紙が届くところなどは「あー、そろそろ手紙が届く頃かな」とか。
忙しい日常の中で、一息つくことができました。
ゆっくりすぎるというのでしょうか。
でも、しばらく読んでいくと徐々に慣れ、やがてその”ゆったり”さが
心地よくなってきます。
また、ご近所さんや家族との交流は、私のまわりでは今ではあまり見られな
くなった風景でとても懐かしさを感じました。
同じ話が何回か出てくるところも初めは”?”って思ってしまったけれど
途中からは、その分、先が読めて親しみが湧きます。何かの折に家族から
お礼の手紙が届くところなどは「あー、そろそろ手紙が届く頃かな」とか。
忙しい日常の中で、一息つくことができました。