SF作家であり俳優の筒井康隆さんが、『噂の真相』に約10年連載したエッセイ集。社会を揺るがす騒ぎになった「断筆宣言」をもって、この連載は終結する。
およそ30年前の世相をネタに書かれているのだが、筒井康隆さんの筆は、マスコミの報道姿勢を批判し、出版不況を憂う。まるで21世紀の今の社会を風刺しているかのようだ。さすがはSF作家だ。
愛煙家である筒井さんは、禁煙運動に疑問を呈する。「煙草というのは人間を情緒的にする偉大な発見であった。だが、それをよいことにして喫煙者いじめがどんどん進行すれば世の中はどうなるか」(196ページ)。「喫埋者に対してあれだけきびしく非難していながら、飲酒者に対して甘いのはなぜか」(198ページ)。
筒井さんは、いわゆるオタクに対して好意的である。
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件に際しては、「現実にいちばん影響をあたえ、現実がいちばん真似しやすい虚構とは何かといえば、それは言うまでもなくテレビ・ドラマ、特にホーム・ドラマである」「これらの虚構から悪影響を受けている人間の数の多さは、いうまでもなくアニメ・ファンの数の比ではないのである」(268ページ)。「自分の心や平凡人の中にひそむ悪を怖いと思わないからこそ、のっペらぼうで画一的な社会になり、ミヤザキが逮捕されたとなるとミヤザキのことが連日報道される」(264ページ)。
だが、政治家に対しては容赦ない。
リクルート事件に関わる国会証人喚問では、「リベート金額の非常識さを逆に証人から指摘されてととはを失い、笑い声や野次のため完全にうろがきてしまった。他の野党にも言えることだが、独自の調査をせず、新聞記事にばかり頼るからとういうことになる」(249ページ)「野党はもっと頭のいい悪人を質問者に立てなさい」(251ページ)
マスコミの姿勢に対しては、俄然、筆が鋭くなる――「田中角栄に端を発する、マスコミの、偉いひといじめ、強いひといびりである」(67ページ)、「差別をなくすための用語規制というのはその社会の文化的背景まで破壊するととになり、未開度が逆に進行するだけなのだ」(101ページ)、「マスコミだけでなく日本人全体に、いじめた側を制裁することによって何かが自分の身にはね返ってくるのを恐れる感情があるように思えてならない」(114ページ)、「泣いている遺族に向かって「今のご感想は」と訊ねる精神たるや、どのように荒廃した精神なのであろう」(224ページ)、「おれが言いたいのは「反権力」というジャーナリスティックな姿勢もまた「権力」であるというととだ」(259ページ)、
そして、1993年9月、「重ねて申しますが、是非ど理解戴きたいのは、てんかんを持つ人に運転をしてほしくないという小生の気持は、てんかん差別につながるものでは決してないということです。てんかんであった文豪ドストエフスキーは尊敬するが、彼の運転する草Kは乗りたくないし、運転してほしくないという、ただそれだけのことです」(425ページ)と書いた翌月、「あたしゃ、キれました。プッツンします」(429ページ)と「断筆宣言」する。
筒井さんは、最後に、「これは現在の『ことば狩り』『描写狩り』『表現狩り』が『小説狩り』に移行しつつある傾向を感じ取った一作家のささやかな抗議である。おわりに、強く言う。文化国家の、文化としての小説が、タブーなき言語の聖域となることを望んでやまぬことを」(432ページ)と締めくくった。
本文から一部引用しただけだが、どうだろうか。2017年の現代にも通用する省察ではないだろうか。
筒井さんは、時々、Twitterに投稿をしている。「俺が断筆宣言した頃と何も変わっちゃいねーな」と苦笑いしているにちがいない。
巻末に、『噂の真相』編集者の岡留安則さんによる、少し長めの解説が収録されている。
この中で、中野サンプラザにおける「筒井康隆断筆祭」のエピソードが書かれている。『噂の真相』の永久スポンサーで、このイベントに2千万円のカンパをしたビレッジセンター社長・中村満さんの話を耳にし、私はこの頃から同社のソフトウェア「VZエディタ」のユーザーとなった。この原稿も、後継ソフト「WZエディタ」で書いている。
肉筆だろうがワープロだろうが、書いた人の心が宿る文章は本物である――。
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笑犬樓よりの眺望 単行本 – 1994/5/1
筒井 康隆
(著)
- 本の長さ414ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日1994/5/1
- ISBN-104103145226
- ISBN-13978-4103145226
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
笑犬楼から見渡せば、世間はムカつくことばかり。突撃レポーターの無礼を語り、文芸の衰退を憂い、衆愚政治を笑い、憎っくきヤツらをまとめて串刺し。衝撃の断筆宣言まで収録したマスコミ時評101本。
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (1994/5/1)
- 発売日 : 1994/5/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 414ページ
- ISBN-10 : 4103145226
- ISBN-13 : 978-4103145226
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,173,191位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 17,057位近現代日本のエッセー・随筆
- - 104,236位ビジネス・経済 (本)
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著者について
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1934(昭和9)年、大阪市生れ。同志社大学卒。
1960年、弟3人とSF同人誌〈NULL〉を創刊。この雑誌が江戸川乱歩に認められ「お助け」が〈宝石〉に転載される。1965年、処女作品集『東海道戦争』を刊行。1981年、『虚人たち』で泉鏡花文学賞、1987年、『夢の木坂分岐点』で谷崎潤一郎賞、1989(平成元)年、「ヨッパ谷への降下」で川端康成文学賞、1992年、『朝のガスパール』で日本SF大賞をそれぞれ受賞。1997年、パゾリーニ賞受賞。他に『家族八景』『邪眼鳥』『敵』『銀齢の果て』『ダンシング・ヴァニティ』など著書多数。1996年12月、3年3カ月に及んだ断筆を解除。2000年、『わたしのグランパ』で読売文学賞を受賞。
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2011年1月29日に日本でレビュー済み
筒井康隆の「断筆宣言」に対しては、とにかく、いろいろ物議をかもし、毀誉褒貶が激しい。私は筒井氏を私淑しているが、この件については「いただけない」というのが本音である(ファシズム的な「言葉狩り」に対し一石を投じたことは、ひとつの功績として認められるべきだとは思うが…)。その「断筆宣言」がなされたのは、『噂の真相』に連載されていたこの『笑犬樓よりの眺望』においてである。
『笑犬樓よりの眺望』は、たいへん着眼点がユニークで、批判的精神旺盛であり、筒井氏一流の露悪的なところも散見され、でありながら極めて理知的で、非常に醒めたところもあるが、刺戟的で痛快な時事エセー集である。政治、社会世相を斬り、熱く文化を語り、マスコミ批判を展開し、作家として文壇のあり方を厳しく糾し、小説の衰退を憂いたりもする。テーマは多岐に及ぶ。
しかしこの本の肝(きも)は「断筆」に到る経緯(いきさつ)であろう。解説は『噂の真相』の篇集発行人・岡留安則氏によるものであるが、メディア史においてエポック・メイキングな事件である「筒井康隆断筆宣言」を、発行者の立場から冷静に語っている。これは実に興味深い。
エセーじたいはすこぶるおもしろい。流石は筒井康隆である。下手な学者、評論家よりも、純粋な文学者であるぶん暢(の)びやかであり、不羈奔放さが感じられ、たいへん爽快である。
しかし彼の変節を、読者はどのように捉えるのだろうか。「『軍事費用突出』抗議署名運動発起人辞退の弁」の章において、友人・大江健三郎から「中曽根(康弘。当時総理)のGNP一%突出についての抗議署名運動をするつもりであるが、その十数人の発起人のひとりにお前が加われ」(93頁)と「政治活動」を促された、と言っている。それに対し筒井氏は「甘いといわれようが、何と言われようが、おれは依然として署名運動よりも小説の方により大きな力があるという幻想を抱き続けている」(94頁)とし、「ご先祖様(=筒井順慶)に倣い日和(ひよ)らせていただきます」(95頁)と返答した。筒井氏は文学者は文学者然とすべきであると考え、それを「よし」とし、署名といった「政治活動」を拒んでいたのである。なのに、その数年後、「断筆」という「政治活動」に走っている。そしてまた数年後、作家活動を再開している。上で触れた大江健三郎、井上ひさし、(この二人とは政治的スタンスの方向性がま逆の)石原慎太郎といった、筒井氏懇意の文学者はおおっぴらに政治にコミットし続けていたが、筒井氏は彼らとは違い、基本的に、ノンポリであった。しかし「現在の『ことば狩り』『描写狩り』『表現狩り』が『小説狩り』に移行しつつある傾向を感じ取った一作家のささやかな抗議」(432頁)=「断筆」という、きわめて政治的色彩の濃ゆい行為に出た。賢明なる諸兄諸姉はこれどう思われるか。
『笑犬樓よりの眺望』は、たいへん着眼点がユニークで、批判的精神旺盛であり、筒井氏一流の露悪的なところも散見され、でありながら極めて理知的で、非常に醒めたところもあるが、刺戟的で痛快な時事エセー集である。政治、社会世相を斬り、熱く文化を語り、マスコミ批判を展開し、作家として文壇のあり方を厳しく糾し、小説の衰退を憂いたりもする。テーマは多岐に及ぶ。
しかしこの本の肝(きも)は「断筆」に到る経緯(いきさつ)であろう。解説は『噂の真相』の篇集発行人・岡留安則氏によるものであるが、メディア史においてエポック・メイキングな事件である「筒井康隆断筆宣言」を、発行者の立場から冷静に語っている。これは実に興味深い。
エセーじたいはすこぶるおもしろい。流石は筒井康隆である。下手な学者、評論家よりも、純粋な文学者であるぶん暢(の)びやかであり、不羈奔放さが感じられ、たいへん爽快である。
しかし彼の変節を、読者はどのように捉えるのだろうか。「『軍事費用突出』抗議署名運動発起人辞退の弁」の章において、友人・大江健三郎から「中曽根(康弘。当時総理)のGNP一%突出についての抗議署名運動をするつもりであるが、その十数人の発起人のひとりにお前が加われ」(93頁)と「政治活動」を促された、と言っている。それに対し筒井氏は「甘いといわれようが、何と言われようが、おれは依然として署名運動よりも小説の方により大きな力があるという幻想を抱き続けている」(94頁)とし、「ご先祖様(=筒井順慶)に倣い日和(ひよ)らせていただきます」(95頁)と返答した。筒井氏は文学者は文学者然とすべきであると考え、それを「よし」とし、署名といった「政治活動」を拒んでいたのである。なのに、その数年後、「断筆」という「政治活動」に走っている。そしてまた数年後、作家活動を再開している。上で触れた大江健三郎、井上ひさし、(この二人とは政治的スタンスの方向性がま逆の)石原慎太郎といった、筒井氏懇意の文学者はおおっぴらに政治にコミットし続けていたが、筒井氏は彼らとは違い、基本的に、ノンポリであった。しかし「現在の『ことば狩り』『描写狩り』『表現狩り』が『小説狩り』に移行しつつある傾向を感じ取った一作家のささやかな抗議」(432頁)=「断筆」という、きわめて政治的色彩の濃ゆい行為に出た。賢明なる諸兄諸姉はこれどう思われるか。
2003年6月9日に日本でレビュー済み
初出は雑誌「噂の真相」昭和59年5月号~平成5年10月号、単行本刊行は平成6年、文庫本発行は平成8年。エッセイ集。主語は「おれ」。強気や罵倒調の内容を書きたいときは見習いたい文体。自作に関する記述は「フェミニズム殺人事件」「大いなる助走」「パプリカ」「朝のガスパール」「無人警察」など。朝のガスパールの頃はパソコン通信だったり、パプリカで白髪になったなど悲喜こもごも。p292に1990年時点で「ドタバタには飽き飽きしている」とある。必読は「あたしゃ、キれました。プッツンします。」で始まる断筆宣言だろう。書かれたのが1993年、十年前なのだ。岡留安則の解説は1996年に書かれているが断筆当時の時代背景が出ていて補足資料としても読める。