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股間若衆: 男の裸は芸術か 単行本 – 2012/3/30

4.4 5つ星のうち4.4 21個の評価

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 新潮社 (2012/3/30)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2012/3/30
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 190ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4103321318
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4103321316
  • 寸法 ‏ : ‎ 13.8 x 1.9 x 19.7 cm
  • カスタマーレビュー:
    4.4 5つ星のうち4.4 21個の評価

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木下 直之
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カスタマーレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2017年5月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
アートは漫才以上
笑える笑える
美術をやっててもアート音痴ばっかりで
かく言う私だって怪しい あやしい
果たして リアルの方がいいのか
街中で 堂々と行進?
ヌードモデルは女の方が堂々としてると言った人に
女は隠れてるけど 男は隠れてないので恥ずかしいんやないかなあと答えたことがあったなあ
女子高の待合室にダビデの像が飾ってあったのは?
裸は美しい! 若者は裸で歩けと言ったら若い男前の美術講師はあんぐりしてたが 先生は裸で歩けますかと
言いたかったなあ
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2014年7月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
いやもう、素晴らしい美術論でした。
美術において女性のヌードは美しくて当たり前ですが、では男性は? 
街中にいきなり設置されている男性ヌードの彫刻っていったいどういう了見なのでしょう?
あんなモノ、公然と置いていいの? なんだか見てはいけないような…。
疑問に思ったことはあるのですが、訊いてはいけないことのように思っていたことが、おかげさまで納得。
真面目に語られているのですが、どうしても笑いがこみあげてきます。
写真多数なので、本を広げる場所は選ばないと。
14人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2014年4月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
意外と、面白く一気に読める本であろう。つまり、ある種の別の形の男性論! であろう。なかなか、ユニークな視点で見ていて面白い。
ありきたりの本に飽きた人には清涼飲料のようなもの
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2014年3月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
これほどの興味ある変わった視点(未だ誰もやらない分野)での観察眼が抜群であると同時に、超面白く興味本位に味わえた。この大先生、別視点からも、より面白い分野の開拓がありそうで楽しみ。無論、駄洒落ちょっぴり香辛料付きで。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2012年8月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
タイトルの駄洒落ぶり(「古今和歌集」にかけているんだそうです)とサブタイトル「男の裸は芸術か」のゆくえが気になって選んだ一冊。
著者は東大の文化資源学研究室の教授だそうです。
であるだけに、文章のはしばしに臭う「ちょっと洒落てみた感」は別にして、男性の裸体彫刻についてごくごく真面目にとりあげた本でありました。

もとは「芸術新潮」誌で連載された企画であったそうで、それらを章立てし、書き下ろしを(半分以上)加えた構成になっています。
第一章:股間若衆
第二章:新股間若衆
第三章:股間漏洩集
付録:股間巡礼

さてまずは「股間若衆」の定義。
条件1:男性の裸体彫刻であること。
条件2:屋外に設置されていること。
条件3:「若衆」にふさわしい年格好であること。
…かと思いました。

上記のような彫刻を駅のロータリーなどで見るにつけ、著者は不可思議の念にとらわれたのだと言います。
なぜ裸なのか?
なぜ男なのか?
いつからこうした彫像を衆人環視のなかに置く風潮が起こったのか?

著者の探求は日本の芸術振興の歴史をさかのぼり、裸体表現が芸術か?猥褻か?の騒動が巻き起こった、明治時代の文部省、官憲、芸術家、美術振興団体などの押したり引いたりの悶着をひもといてゆきます。

これらの流れで一番印象深かったのは、黒田清輝のエピソード。
フランスのサロンで受賞した作品を引っさげ、意気揚々と日本に凱旋したはずの若き黒田を襲ったのは、彼の裸婦像を布で隠す(腰巻きみたいに下半身だけ覆われてしまった)という当局の対応。
憤慨し、彼の信ずる道理を説いても、孤立無援のやるせなさ。
しかし彼はアウトローと化すことなく、ついには大勢に同化していったのでした。
だが後年、ふたたび裸体表現の問題が起こったとき、病んだ体に鞭打って東奔西走し、僅かな光明を見ながら亡くなったという話は、彼の悔いの大きさを物語っているようで、しんみりしてしまいました。

さて歴史をひもとくばかりでなく、著者は像の股間の表現についても詳細に分析し、北村西望のは「とろける股間」、朝倉文夫は「しっかりと表現」(がために、切りおとさせられたりの経緯もある)など、特有のカテゴライズで股間若衆をコレクションしているのもおもしろいと思います。

が、なんだか真面目なのかふざけているのか微妙でぬる〜い読み口にに少々飽ながら読んでいた終盤、最終章ともいえる位置づけに「薔薇族」と幻の三島由起夫写真集「男の死」が据えられておりました。

伊藤文学「薔薇族編集長」も引用されて、男性ヌード(生身の被写体)、同性愛者が求める男の裸について語られていきます。
そして三島の項。
彼の希求するものが理解されぬまま三島が世を去ったのち、男性ヌードの一般化が広まり始めたのだった。と本文が締めくくられていました。

他のレビュアーさんが以前おっしゃった「ノーベル文学賞をとったのが川端じゃなく三島だったら、彼は死ななかったかもしれない。」がふと思い出され、狂おしいほどに求めても得られなかった三島由起夫の無念の情が重くのしかかってきたような気持ちになり、存外重い読後感になってしまった今の状態が不可思議でしょうがない、キツネにつままれたような気分で本を置きました。

彫刻のみならず写真、裸形表現の一般化していく様子(男女とわず)、ヘア規制、など日本が裸をどう扱ってきたかの歴史を知る事ができる、なかなか勉強になった一冊でした。
しかし「股間若衆」「新股間若衆」などのネーミングセンス…AERA的というか…にややうんざりしてきて、正直ノリが合わなかった。
この方何冊か本を出しておられて、興味あるタイトルが並んでいるけれど、構成や文章表現が少々退屈に感じたので、しばらくはいいかな…と思いました。

なお、付け加えると…
男の裸は芸術か?についての答えは、やはり男性のもつ造形への賛美があるからこそ、彫刻が作られたと思います。
日本がお手本にした、古代ローマやミケランジェロの肉体美、そのどちらにも男色との関係が切りはなしがたく存在していると思います。
それを美しいと思い、好ましいと思うからこそ、その美を余さず現せたという局面もあるでしょう。

本書では日本の場合は、招聘した外国人教師により、それらがお手本とされたという言及に留まっているように思いましたが、男性裸像の在りようは、女性裸像に求める心地と少なからず通底するのではないか、それをハッキリ言っていいんじゃないのか、と思いました…(薔薇族まで話が及んだなら)。
素人のひとりよがりな呟きでした。
11人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2012年10月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
言葉の洒落と気持ちのシャレが実にいいバランスで発揮された、傑作であります。芸術とわいせつ云々という観点は、正直読む前から察しがつきますやね。そこにいたずらに論理の一貫性とか基準の明確さとかを求めず、作例を多数披露してその広く深い世界を我々に知らしめる、そういう方向性で作り上げたコンセプトの勝利でしょう。ただ、ヨーロッパの絵画彫刻の例はもう少し紹介してほしかったですし、東洋アートの例ももっと出してくれるとよかったな。「エロス」としての裸が過剰に溢れている現代において、肉体そのもの(そのまま)としての裸が、今後、衆目の前でどのように扱われてゆくことになるのか、なかなか興味は尽きません。快著、楽しみましょう。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2012年10月4日に日本でレビュー済み
 本コーナーのレビューを拝見して、読了しました。
 芸術新潮誌連載。
 主に我が国における男性をモデルとした彫刻の股間(性器)描写の歴史と各地に設置された彫刻のルポを掲載しています。
 
 芸術における性器描写は、明治開闢の頃から問題になっており、芸術家と官憲、一般市民との間でどう折り合いを付けてきたかを語っています。

 妥協の産物として生まれたツルペタや溶解した塊、腰巻、木の葉で隠す等の表現は現在観ると不自然かつ間が抜けており、一番自然なのは常態の股間をそのままの示す事、と改めて理解出来ました。
 慶応大学のキャンパスにはあるがままの自然な彫刻が多く設置されている様です。

 漫画ファンとして、漫画界の表現は本書で取り上げられた歴史を圧縮、ケレン味を増して辿ってきた事が解り、興味深かったです。
 流石に性器をオットセイで表現した彫刻は無かった模様です。

 著者は表題と、彫刻における曖昧な局部の表現を「曖昧もっこり」と名付けた事は会心だった御様子ですが、題名から想像されるほど下世話ではなく学術的で淡白な内容でした。

  本書では彫刻以外では、三島由紀夫氏やゲイ雑誌「薔薇族」における男性ヌード写真についても触れられています。
 公共の場の男性彫刻は男性ヌードに興味を感じない多数の方の目に晒されるのに比べ、ゲイ雑誌の男性ヌードは性的欲望を持った読者を対象としている「ポルノグラフィー」で有る事による表現の違いに、生々しく突っ込んで頂けるとより面白くなったのではないでしょうか。
12人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2012年8月29日に日本でレビュー済み
彫刻家って男ばっかりなのだと知ったとき
モデルが女ばかりな理由を知った気がした。
モデルを男にして、股間を曖昧にするのは
見たとき勝負しなければならないからではないだろうか。
小便小僧は小僧なので勝負の相手にはならないのである。

という内容ではありません。雰囲気は近い。
男性彫刻よりも男性ヌード写真掲載の話の方が
力が入っているように思う。そして、面白い。
ゲイ雑誌にはその手の写真が欠かせないのだ、という記述に
ああなるほどと納得。

クレヨンしんちゃんの妹のひまわりが
女のしんちゃんという位置づけらしく、男のグラビア写真を見て
ゲヘゲヘと笑っているがあれは間違っていると思う。
ハーレクインロマンスを読ませるべきである。
あれは女のポルノである。

この本的には、興福寺の龍燈鬼が素晴らしい作品として注目されるべきと思う。
ヒトでもないし、若くもないが。がっちり褌に包まれたあの股間!
オムツのようだと言う人もいるが、いいんだよ!
9人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート