故・宮脇俊三先生の不朽の名作「最長片道切符の旅」(以下「片道切符の旅」という。)の取材ノートが1冊の本になった!そのこと自体大いに感嘆していいことだが,その内容も精緻にわたり,「片道切符の旅」と共に読み比べると,この長い旅で宮脇先生が見たこと聞いたこと食べたこと,そして感じたことが詳細に理解できる。
他の著書で「メモをとらなければならないようなことは書くに値しないこと。」と述べていた宮脇先生が,処女作「時刻表2万キロ」を世に送り出した後に第2作目として「片道切符」を執筆するために人知れず懸命に努力していたことがうかがわれ,その真摯な姿勢にはいまさらながら頭の下がる思いがする。
特に印象に残ったのは,車窓風景もさることながら,夜の街に繰り出して食べた酒肴のあれこれやビジネスホテルで下着類を洗濯したのに乾きが悪くて困っていること,夜に何度も目を覚ますことなど。そうした何気ない一つ一つから,宮脇先生の人柄がしのばれるようで興味深かった。
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「最長片道切符の旅」取材ノート 単行本 – 2008/4/1
宮脇 俊三
(著)
「いつまでも乗っていたい。」
あの名作の取材メモを宮脇家で発見。いま蘇る伝説の旅の臨場感!
あの名作の取材メモを宮脇家で発見。いま蘇る伝説の旅の臨場感!
- 本の長さ318ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2008/4/1
- ISBN-104103335106
- ISBN-13978-4103335108
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商品の説明
出版社からのコメント
車内での見聞、車窓からの風景などが鮮やかに蘇り、ホームシックの念、食への誘惑など、本編とは一味も二味もちがう著者の本音が垣間見える。取材ノート11冊、著者自ら描いた34日分の手書きの地図とも本邦初公開。
著者について
1926(大正15)年、埼玉県に生れる。東京大学西洋史学科卒業後、中央公論社に入社。「日本の歴史」「世界の歴史」シリーズ、中公新書の創刊等を手掛ける。出版部長、中央公論編集長等を経て、1978年退社。同年刊行の国鉄全線完乗記『時刻表2万キロ』で日本ノンフィクション賞を受賞する。『最長片道切符の旅』『時刻表昭和史』『中国火車旅行』等で文芸の一ジャンルとしての鉄道紀行文学を確立した。『古代史紀行』等の歴史紀行、泉鏡花文学賞を受けた小説集『殺意の風景』がある。1999年、菊池寛賞を受賞。2003年2月26日、病没。『宮脇俊三鉄道紀行全集』全六巻(角川書店)がある。
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2008/4/1)
- 発売日 : 2008/4/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 318ページ
- ISBN-10 : 4103335106
- ISBN-13 : 978-4103335108
- Amazon 売れ筋ランキング: - 182,003位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2012年1月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
昔(1980-90)、国鉄でチャレンジ二万キロキャンペーンがあり実際に応募することはなかったが
踏破路線は小冊子の路線を赤鉛筆で塗っていた
7年ほど前、ふとその小冊子の存在を思い出し実家から持ち帰った
そのころNHKBSで「列島縦断12000キロの旅 最長片道切符で行く42日」が放送されており
羨ましく思ったものだ
当時から国鉄時代の最長片道切符で旅行した著者がいることは知ってはいたが別段それ以上の興味はなかった
今回ふとAMAZONで宮脇作品をみつけ「最長片道切符の旅取材ノート」「時刻表二万キロ」「最長片道切符の旅」(いずれも古本)を購入し
その順番で本が届いたので、それぞれを並行して読み始めることとなった
取材ノートからいったいどんな本篇が生み出されるのであろうかという興味深さはあった
欄外に脚注している原武史というやつがいて若干うるさいが、あくまで欄外であるので気にしないほうがよい
いまやJRとなって赤字路線の廃線が多くなり同じルートを取ることはできないが
チャレンジ二万キロの路線を赤く塗っていことには変わりない
廃線はサイクリングロードのなっていたりする場合もあり、改めて訪れてみるのもおもしろそうである
踏破路線は小冊子の路線を赤鉛筆で塗っていた
7年ほど前、ふとその小冊子の存在を思い出し実家から持ち帰った
そのころNHKBSで「列島縦断12000キロの旅 最長片道切符で行く42日」が放送されており
羨ましく思ったものだ
当時から国鉄時代の最長片道切符で旅行した著者がいることは知ってはいたが別段それ以上の興味はなかった
今回ふとAMAZONで宮脇作品をみつけ「最長片道切符の旅取材ノート」「時刻表二万キロ」「最長片道切符の旅」(いずれも古本)を購入し
その順番で本が届いたので、それぞれを並行して読み始めることとなった
取材ノートからいったいどんな本篇が生み出されるのであろうかという興味深さはあった
欄外に脚注している原武史というやつがいて若干うるさいが、あくまで欄外であるので気にしないほうがよい
いまやJRとなって赤字路線の廃線が多くなり同じルートを取ることはできないが
チャレンジ二万キロの路線を赤く塗っていことには変わりない
廃線はサイクリングロードのなっていたりする場合もあり、改めて訪れてみるのもおもしろそうである
2008年5月7日に日本でレビュー済み
「最長片道切符の旅」の取材ノートが出版された。
現在の鉄道ブームにあやかろうという出版社の魂胆も見え隠れするが、
まずは貴重な資料を出版してくれて感謝。
想像していたのは、
もっと荒削りな混沌であったが
意外なことに完成度が高い。
取材のまとめというより、本作自体が紀行文になっている。
ノートのレイアウトも記されていたが、それがきっちりしている。
几帳面な方だと感じた。
旅の風景、人々の表情、疑問点などを簡潔にまとめている。
旅のスケッチ。
本編を読まれた方は楽しめます。
久しぶりに「最長片道切符の旅」を探しました。
現在の鉄道ブームにあやかろうという出版社の魂胆も見え隠れするが、
まずは貴重な資料を出版してくれて感謝。
想像していたのは、
もっと荒削りな混沌であったが
意外なことに完成度が高い。
取材のまとめというより、本作自体が紀行文になっている。
ノートのレイアウトも記されていたが、それがきっちりしている。
几帳面な方だと感じた。
旅の風景、人々の表情、疑問点などを簡潔にまとめている。
旅のスケッチ。
本編を読まれた方は楽しめます。
久しぶりに「最長片道切符の旅」を探しました。
2008年12月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
書き終ってから気付いた、明日は宮脇氏が枕崎にゴールしてからちょうど30年。
あの『最長片道切符の旅』が34日間=全34回のドラマだったとすれば、これはそのドラマのシナリオ集ということになろう。少なくとも映像作品に対するシナリオ出版物のような資料的としての価値がある。それだけでも充分なはずである。
ところがこの本、原武史氏の脚注が非常に評価に困る存在となっている。例えばある街に「古い粗末な建物多く」という評価をしている箇所へ「これは私の印象とは異なる」などという脚注をつけられても、読む方は面白くもなければ興味も湧かない。列車内の音に例えるなら、ジョイント音や汽笛、踏切の音などではなく、せっかくの片側2ドア客車列車、その上わりとすいているのに、数ボックス先で携帯いじっているねえちゃんが使っているヘッドホンステレオの音がここまで流れてきてシャカシャカシャカシャカあーうるさい、という様相である。しかも身延線の線路付け替えのこととか、今はなくなった滋賀県北部の交流電化区間についてなど、解説を入れて欲しいと思う箇所にはどういうわけか脚注がない。こちらは例えるなら、ロングレールでジョイント音も止んだのかな?と思ったら、実は列車が止まってましたという様相である。せっかくだから、思いつきのような脚注はやめて、しっかり「解説」をまとめてほしかったところ。マニア糾弾(笑)とか、結構いいこと言っている個所もあるのだから。
ただ、表紙に『〜旅』同様の柳原良平氏のイラストが登場しているのはうれしかった。
あれこれと足して引いてこの評価。
ところで、『時刻表2万キロ』についても、かなり後になってからであるが、執筆のキッカケを述べた文章の中で「備忘録は完備していた」というような一文を目にした記憶がある。是非続けて「『時刻表2万キロ』執筆ノート」(仮 笑)も出版してもらいたいところ。
あの『最長片道切符の旅』が34日間=全34回のドラマだったとすれば、これはそのドラマのシナリオ集ということになろう。少なくとも映像作品に対するシナリオ出版物のような資料的としての価値がある。それだけでも充分なはずである。
ところがこの本、原武史氏の脚注が非常に評価に困る存在となっている。例えばある街に「古い粗末な建物多く」という評価をしている箇所へ「これは私の印象とは異なる」などという脚注をつけられても、読む方は面白くもなければ興味も湧かない。列車内の音に例えるなら、ジョイント音や汽笛、踏切の音などではなく、せっかくの片側2ドア客車列車、その上わりとすいているのに、数ボックス先で携帯いじっているねえちゃんが使っているヘッドホンステレオの音がここまで流れてきてシャカシャカシャカシャカあーうるさい、という様相である。しかも身延線の線路付け替えのこととか、今はなくなった滋賀県北部の交流電化区間についてなど、解説を入れて欲しいと思う箇所にはどういうわけか脚注がない。こちらは例えるなら、ロングレールでジョイント音も止んだのかな?と思ったら、実は列車が止まってましたという様相である。せっかくだから、思いつきのような脚注はやめて、しっかり「解説」をまとめてほしかったところ。マニア糾弾(笑)とか、結構いいこと言っている個所もあるのだから。
ただ、表紙に『〜旅』同様の柳原良平氏のイラストが登場しているのはうれしかった。
あれこれと足して引いてこの評価。
ところで、『時刻表2万キロ』についても、かなり後になってからであるが、執筆のキッカケを述べた文章の中で「備忘録は完備していた」というような一文を目にした記憶がある。是非続けて「『時刻表2万キロ』執筆ノート」(仮 笑)も出版してもらいたいところ。
2010年8月13日に日本でレビュー済み
鉄道紀行ものとしてはベストセラーといっても過言ではない「最長片道切符の旅」。2004年に某放送局の企画の原材としてもとりあげられ、以前に購入したハードカバーを書棚から取り出した人も多かったと思う。本著は、その取材ノートの公開である。宮脇俊三作となっているが、本著刊行時点では作者は故人となっており、宮脇作品のファンで、自ら鉄道関係の著作もある原武史先生が案内役という形をとっている。
原先生の脚注は必要ないという人もいる。だが、この取材ノートこそが、原稿用紙と宮脇先生の脳みそとの架け橋なのだ。取材ノートを基に、旅がどういう状況だったのかを宮脇先生の頭の中のスクリーンに映し出す必要があり、宮脇先生にしかわからないような文言でも、宮脇先生には何のことなのかがわかるが、我々には意味がわからない表現も存在するため、原先生のような「案内役」がどうしても必要になる。それは出版社判断でそうしたものだろうと推察される。でもこの脚注、下の方に印刷されているんですよね。何かで隠す方法も考えらえるし、戦前の教科書よろしく、墨で塗りつぶすやり方も考えられよう。中古書店等で売ることを考えなければ、脚注部分を「裁断」する方法だって考えられる。脚注が必要なければ自分でどうにかしてください。確かに脚注がない版も出版しようと思えばできるだろう。ただ、一冊の本の出版にどれだけのカネがかかると思っているのか。電子書籍版だって、上の方の活字部分を拡大して、下の脚注部分を見えなくする方法だってあるのに。旅の始めの方にある、北海道を回り、青森で旅行を中断して、好摩からスタートする場面。花輪線の分岐駅である好摩へのアクセスについて。ノートには時刻しか書いていないのだが、脚注には「北星」(盛岡どまりの寝台列車)だの、「ゆうづる~号(号数失念。常磐線まわり青森行きの寝台列車)」といった記述があるのだが、それは無視してもいいのかな。
とまれ、旅が敢行された1978年当時と現在の鉄道地図は明らかに変わっており、旅の数年後には国鉄再建法が施行され、赤字ローカル線が廃止される憂き目となろうことなど、この取材ノート記録中(旅行中)の宮脇先生は知らない。まして、他界されるあたりには整備新幹線網が整備される辺りの頃で、先生はどのような思いで伸びる新幹線網と、うち捨てられていくローカル線を見つめていたことだったろうか。
ちなみに、文庫本として「最長片道切符の旅」も刊行されており、是非、本書とともに読み進めたい。
原先生の脚注は必要ないという人もいる。だが、この取材ノートこそが、原稿用紙と宮脇先生の脳みそとの架け橋なのだ。取材ノートを基に、旅がどういう状況だったのかを宮脇先生の頭の中のスクリーンに映し出す必要があり、宮脇先生にしかわからないような文言でも、宮脇先生には何のことなのかがわかるが、我々には意味がわからない表現も存在するため、原先生のような「案内役」がどうしても必要になる。それは出版社判断でそうしたものだろうと推察される。でもこの脚注、下の方に印刷されているんですよね。何かで隠す方法も考えらえるし、戦前の教科書よろしく、墨で塗りつぶすやり方も考えられよう。中古書店等で売ることを考えなければ、脚注部分を「裁断」する方法だって考えられる。脚注が必要なければ自分でどうにかしてください。確かに脚注がない版も出版しようと思えばできるだろう。ただ、一冊の本の出版にどれだけのカネがかかると思っているのか。電子書籍版だって、上の方の活字部分を拡大して、下の脚注部分を見えなくする方法だってあるのに。旅の始めの方にある、北海道を回り、青森で旅行を中断して、好摩からスタートする場面。花輪線の分岐駅である好摩へのアクセスについて。ノートには時刻しか書いていないのだが、脚注には「北星」(盛岡どまりの寝台列車)だの、「ゆうづる~号(号数失念。常磐線まわり青森行きの寝台列車)」といった記述があるのだが、それは無視してもいいのかな。
とまれ、旅が敢行された1978年当時と現在の鉄道地図は明らかに変わっており、旅の数年後には国鉄再建法が施行され、赤字ローカル線が廃止される憂き目となろうことなど、この取材ノート記録中(旅行中)の宮脇先生は知らない。まして、他界されるあたりには整備新幹線網が整備される辺りの頃で、先生はどのような思いで伸びる新幹線網と、うち捨てられていくローカル線を見つめていたことだったろうか。
ちなみに、文庫本として「最長片道切符の旅」も刊行されており、是非、本書とともに読み進めたい。
2012年11月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私は鉄道マニアではないので、今一つハマりませんでした。おそらくマニアにはたまらないんだろうな、と思います。
2011年12月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は、タイトルの通り、1979年に発売された宮脇俊三氏の「最長片道切符の旅」の取材ノートである。
貴重な記録なのだが、原武史氏の脚注がとても不快で、本書の評価を貶めている。
具体例をあげてみよう。
釧網本線を乗っているところで、「北海道で女性の2人づれが目立つ」、という取材ノートの脚注には、
『私が慶応高校に通っていたとき、先輩から女性をナンパしたいなら北海道のユースホステルで2人づれを狙え、学校名を明かせば必ず引っかかると言われたのを思い出す(実践はしなかったが)』
どう考えても脚注にふさわしい内容ではない。原武史氏が、個人的な自慢話を披歴したいがために脚注を使ったのだろう。
また、今はもう廃止された仁堀連絡船で、「いくら島が見えても退屈する」という取材ノートの脚注には、
『生まれも育ちも東京の私は、逆に太平洋のような島のない海を見慣れていたため、瀬戸内海のような海を渡る船に乗っても退屈しない。山陰本線よりは山陽本線の車窓にひかれるゆえんである。』
「ゆえん」ときた。まるで読者が、原武史氏が山陽本線の車窓にひかれる理由を知りたがっているような書きぶりに、不快を通り越して、思わず苦笑してしまう。
ここにあげたのはほんの一例で、309ページの本文中、脚注と称して、作品とは全く関係のない原武史氏の個人的な話が、うんざりするほどあるのだ。
読者は宮脇氏があの旅をどのように記録していたのかを一次資料で知ることを楽しみにしており、誰も、原武史氏の個人的な話など知りたいとは思わない。
まえがきに、宮脇氏の娘の灯子氏が文を寄せており、
『原武史先生が、鉄道への思い溢れる素晴らしい脚注をつけてくださった』
と書いているが、失礼ながら本当にそう思ったのだろうかと疑ってしまう。
宮脇氏の親族も編集者も自由にものを言えない何かが原武史氏にはあるのか、それとも周りが単に鈍感なのか。
いずれにしろ、貴重な記録が不快な脚注で汚されたことは残念でならない。
なお、今日は2011年12月4日(日)。
取材ノートでは、1978年12月4日(月)は、京都から倉吉までの旅。
「最長片道切符の旅」で出てくる「星の王子」さんと合流するのは翌日である。
そのこともちゃんと本書では書かれている。
貴重な記録なのだが、原武史氏の脚注がとても不快で、本書の評価を貶めている。
具体例をあげてみよう。
釧網本線を乗っているところで、「北海道で女性の2人づれが目立つ」、という取材ノートの脚注には、
『私が慶応高校に通っていたとき、先輩から女性をナンパしたいなら北海道のユースホステルで2人づれを狙え、学校名を明かせば必ず引っかかると言われたのを思い出す(実践はしなかったが)』
どう考えても脚注にふさわしい内容ではない。原武史氏が、個人的な自慢話を披歴したいがために脚注を使ったのだろう。
また、今はもう廃止された仁堀連絡船で、「いくら島が見えても退屈する」という取材ノートの脚注には、
『生まれも育ちも東京の私は、逆に太平洋のような島のない海を見慣れていたため、瀬戸内海のような海を渡る船に乗っても退屈しない。山陰本線よりは山陽本線の車窓にひかれるゆえんである。』
「ゆえん」ときた。まるで読者が、原武史氏が山陽本線の車窓にひかれる理由を知りたがっているような書きぶりに、不快を通り越して、思わず苦笑してしまう。
ここにあげたのはほんの一例で、309ページの本文中、脚注と称して、作品とは全く関係のない原武史氏の個人的な話が、うんざりするほどあるのだ。
読者は宮脇氏があの旅をどのように記録していたのかを一次資料で知ることを楽しみにしており、誰も、原武史氏の個人的な話など知りたいとは思わない。
まえがきに、宮脇氏の娘の灯子氏が文を寄せており、
『原武史先生が、鉄道への思い溢れる素晴らしい脚注をつけてくださった』
と書いているが、失礼ながら本当にそう思ったのだろうかと疑ってしまう。
宮脇氏の親族も編集者も自由にものを言えない何かが原武史氏にはあるのか、それとも周りが単に鈍感なのか。
いずれにしろ、貴重な記録が不快な脚注で汚されたことは残念でならない。
なお、今日は2011年12月4日(日)。
取材ノートでは、1978年12月4日(月)は、京都から倉吉までの旅。
「最長片道切符の旅」で出てくる「星の王子」さんと合流するのは翌日である。
そのこともちゃんと本書では書かれている。
2018年5月19日に日本でレビュー済み
他レビューにもある通り、原武史の「脚注」は不快そのものや。嫌悪感を抱く。吐き気を催す。脚注…ちうより、鉄オタ・キモ学者の独り言、頭のおかしいやつが街中でわめいてるのと同レベルに過ぎんが、ともかく原武史部分を抹殺した改訂版を即刻出してんか。