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建築家、走る 単行本 – 2013/2/28
隈 研吾
(著)
- 本の長さ222ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2013/2/28
- 寸法13.4 x 1.9 x 19.6 cm
- ISBN-104103335610
- ISBN-13978-4103335610
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2013/2/28)
- 発売日 : 2013/2/28
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 222ページ
- ISBN-10 : 4103335610
- ISBN-13 : 978-4103335610
- 寸法 : 13.4 x 1.9 x 19.6 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 492,218位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 133,311位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1954年、神奈川県横浜生まれ。1979年東京大学大学院建築学科修了。コロンビア大学客員研究員、慶應義塾大学教授を経て、2009年より東京大学教授(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『建築家、走る (ISBN-10: 4103335610)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年10月16日に日本でレビュー済み
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隈さんの心情がわかる本でした。この建物を設計したときにどんなことを考えていたのか、またはどんな状況でどんなことをしていたのかなど知ることができます。建築が好きで大学にも通ってる私にとってはとても面白い本でした。私と同じように建築が好きなのであれば楽しめると思います。
2014年7月3日に日本でレビュー済み
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「建築の危機を超えて」あたりまでは隈さんの文章は好きで読んでいたのですが、それ以降は先生の文章になってしまって、遠ざかっていました。ひさしぶり?にアイロニックな文体が復活していて興味深く読みました。また世の中を斬りまくってください。もうっちょっと毒が欲しかったので星四つにしました。
2019年2月8日に日本でレビュー済み
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隈研吾氏が過去~現在まで自身の設計した建築を語る内容。
成功談や整理された語り口でなく、失敗や苦しみ、苦労、酒を組み合わした人など、リアルにでてくる。
人に伝わる言葉に練られようとしている、生々しい言葉に、リアリティがあり、建築だけでなく、今の世の創造活動、前向きに仕事しようとする営みについて、示唆を受ける内容だった。
成功談や整理された語り口でなく、失敗や苦しみ、苦労、酒を組み合わした人など、リアルにでてくる。
人に伝わる言葉に練られようとしている、生々しい言葉に、リアリティがあり、建築だけでなく、今の世の創造活動、前向きに仕事しようとする営みについて、示唆を受ける内容だった。
2019年10月14日に日本でレビュー済み
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才能一つで世界を股にかけられる様子がおもしろい。日々違う国を渡り歩く生活が覗き見られてこちらも楽しい気分になるが、重圧、体力的にはとても厳しいものなのか。隈さんのお人柄や考えが伝わる良書でした。
2018年11月20日に日本でレビュー済み
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建築から社会が見えて、また隈研吾氏の人柄が素直に見える内容であっと言う間に引き込まれました。
2017年3月14日に日本でレビュー済み
隈さんの過去の業績を振り返りつつ、日本と世界の建築の過去と現在を俯瞰する本です。本人も言っているように独特の暗さやいじけた感じがあり、過去の偉大(と一般的に言われる)な建築家も結構辛辣に皮肉られています。
指摘は一々尤もで、読み物としてはこれでいいのですが、国立競技場の設計者に決まり、第4世代の建築家のトップに立つ人としてはこれでいいのかという疑問を感じます。いったい隈さんは建築の力を信じているのかいないのか?黒子に徹するのはいいのですが、ひたすら頭を低くして批判を避ける弱い日本の弱い建築家を自ら自認する姿勢は一抹の不安を感じます。
指摘は一々尤もで、読み物としてはこれでいいのですが、国立競技場の設計者に決まり、第4世代の建築家のトップに立つ人としてはこれでいいのかという疑問を感じます。いったい隈さんは建築の力を信じているのかいないのか?黒子に徹するのはいいのですが、ひたすら頭を低くして批判を避ける弱い日本の弱い建築家を自ら自認する姿勢は一抹の不安を感じます。
2014年5月28日に日本でレビュー済み
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隈研吾は嫌いであった。M2を知っていれば、多くの人には納得してもらえるだろう。『10宅論』などと現場もろくに知らず、何かを創出したわけでもない若造が口先で偉そうに語っている点でも嫌いであった(この点は本書で本人も認めている)。
本書を手にした理由は現在の世界における建築界のポジションとその影の駆動者は誰かという点にあった。現在でこそ日本から発信するものはいろいろ増えたが、こと建築に関しては風土との兼ね合いもあり、日本から大きく飛び出てはいないと言える(数寄屋造りぐらいか)。
いろいろ建築・建築家の本を読んでく中で建築家の生態も垣間見てきた。しかし、現在では全く変化してしまったことがわかった。もちろん、国内で閉じた仕事をしているなら別であるが。。。
発端は脱構造派の重鎮ゲーリーの20世紀の代表作。彼の美術館がビルバオの地を世界に知らしめた。この建築パワーが21世紀に入って政治経済の道具となる。最終的にはその背後にユダヤの金融資本に行きつく。如何に世界の金融がユダヤ人たちによって回されているかという証左だ(ただしユダヤ陰謀論を説いてるわけではない)。その手先として建築家が利用される。
似た事情は日本にもあった。異常そのものだったバブル時代、若造が事務所を開いてもすぐに仕事が来た。その恩恵に著者も預かるが、現在は世界からコンペ参加のオファーを受けて過酷な競走馬として走り回ることを余儀なくされている。本人が世界に出たがっている面も加わってはいるが、状況的にはそこに拒否とか選択の余地はない。でなければ、東京・北京・パリの計150名の所員を食べさせていくことなどできない。
150人を抱えた社長を想像してほしい。経営は容易でない。まして設計監理で食べていこうという数ではない。桁が違いすぎる。アトリエ事務所でこれだけの人員のところは世界でも数えるほどだろう。世界を飛び回っている一方で東大で教鞭も取っている。スーパーな建築家だ。
著者が飛びまわっている背景はこんなところだが、ほかに著者の幼少体験など、建築に傾く契機や「竹の家」「平成歌舞伎座」「石の美術館」などの仕事の裏話がある。それ自体はよくある裏話だが、これらの仕事を受ける、こなしていく過程における著者の思考には驚くばかりだ。バブル世代で生き残ったのが著者と妹島だけと言われるのがよくわかる。難局に対峙するとまず状況を捉え、建築史の中での位置づけ、世情での意義などを考え、進むべき方向や新たな指導原理を見出し動き出す。切れ者でなければこうはいかない。
逆に言うと、著者も還暦を迎えしばらくはまだ頑張れるだろうが、いずれは誰かに託さなければならない。そのとき、この150人もの大所帯を抱えながら、世界ブランドとして維持していけるだけの人材がはたしているのだろうかと。。。
読みながら感じたのは、いわゆる建築家には私大出身者が多いが、さすが東大出身者か格が違いすぎること。しかもタフ。肉体的にも精神的にも。ガラスでざっくり右手を切って2度も手術をするが、リハビリを自ら放棄し、却ってその不自由さを生き方の伴侶として活用しようとする精神力は普通持てない。彼が天才かどうかは別にしても常人でないことは明白(ただし、建築は現場が全てなんてもっと若い段階で気づくべき)。単なる150人の代表の器ではない。作品の多くは好きではないが、こういう人材を日本という国はもっと活用し、働きやすくするように国だけでなく庶民も努力と寛容が必要だと思われる。(著者も嘆いているとおり、公園とかで事故があるとすぐに騒ぎ立てたり、訴えたりで窮屈この上ない)
本書を手にした理由は現在の世界における建築界のポジションとその影の駆動者は誰かという点にあった。現在でこそ日本から発信するものはいろいろ増えたが、こと建築に関しては風土との兼ね合いもあり、日本から大きく飛び出てはいないと言える(数寄屋造りぐらいか)。
いろいろ建築・建築家の本を読んでく中で建築家の生態も垣間見てきた。しかし、現在では全く変化してしまったことがわかった。もちろん、国内で閉じた仕事をしているなら別であるが。。。
発端は脱構造派の重鎮ゲーリーの20世紀の代表作。彼の美術館がビルバオの地を世界に知らしめた。この建築パワーが21世紀に入って政治経済の道具となる。最終的にはその背後にユダヤの金融資本に行きつく。如何に世界の金融がユダヤ人たちによって回されているかという証左だ(ただしユダヤ陰謀論を説いてるわけではない)。その手先として建築家が利用される。
似た事情は日本にもあった。異常そのものだったバブル時代、若造が事務所を開いてもすぐに仕事が来た。その恩恵に著者も預かるが、現在は世界からコンペ参加のオファーを受けて過酷な競走馬として走り回ることを余儀なくされている。本人が世界に出たがっている面も加わってはいるが、状況的にはそこに拒否とか選択の余地はない。でなければ、東京・北京・パリの計150名の所員を食べさせていくことなどできない。
150人を抱えた社長を想像してほしい。経営は容易でない。まして設計監理で食べていこうという数ではない。桁が違いすぎる。アトリエ事務所でこれだけの人員のところは世界でも数えるほどだろう。世界を飛び回っている一方で東大で教鞭も取っている。スーパーな建築家だ。
著者が飛びまわっている背景はこんなところだが、ほかに著者の幼少体験など、建築に傾く契機や「竹の家」「平成歌舞伎座」「石の美術館」などの仕事の裏話がある。それ自体はよくある裏話だが、これらの仕事を受ける、こなしていく過程における著者の思考には驚くばかりだ。バブル世代で生き残ったのが著者と妹島だけと言われるのがよくわかる。難局に対峙するとまず状況を捉え、建築史の中での位置づけ、世情での意義などを考え、進むべき方向や新たな指導原理を見出し動き出す。切れ者でなければこうはいかない。
逆に言うと、著者も還暦を迎えしばらくはまだ頑張れるだろうが、いずれは誰かに託さなければならない。そのとき、この150人もの大所帯を抱えながら、世界ブランドとして維持していけるだけの人材がはたしているのだろうかと。。。
読みながら感じたのは、いわゆる建築家には私大出身者が多いが、さすが東大出身者か格が違いすぎること。しかもタフ。肉体的にも精神的にも。ガラスでざっくり右手を切って2度も手術をするが、リハビリを自ら放棄し、却ってその不自由さを生き方の伴侶として活用しようとする精神力は普通持てない。彼が天才かどうかは別にしても常人でないことは明白(ただし、建築は現場が全てなんてもっと若い段階で気づくべき)。単なる150人の代表の器ではない。作品の多くは好きではないが、こういう人材を日本という国はもっと活用し、働きやすくするように国だけでなく庶民も努力と寛容が必要だと思われる。(著者も嘆いているとおり、公園とかで事故があるとすぐに騒ぎ立てたり、訴えたりで窮屈この上ない)