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百年泥 単行本 – 2018/1/24
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- 本の長さ125ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2018/1/24
- ISBN-104103515317
- ISBN-13978-4103515319
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商品の説明
メディア掲載レビューほか
川底に沈殿した混沌
芥川賞を受賞した石井遊佳『百年泥』の語り部は、多重債務返済のため、南インドのチェンナイで日本語教師として働く女性。彼女が現地に暮らしてほどなく100年に一度の洪水が襲い、アダイヤール川が氾濫して川底にあった100年分の泥が流出する。
洪水後、大河にかかる橋の端から端までつもった泥の山は強烈な異臭を放つが、集まってきた地元の人々は、そこから行方不明者や故人を引きずり出し、何事もなかったように会話をはじめる。他にも、ウイスキーボトルや人魚のミイラや大阪万博の記念コインなど雑多な品々も出てきて、そのたびに語り部の記憶とともに、教え子の過去やインドの因習の内実まで明らかになっていく。空には、天使のような翼をつけて移動する者たちまで登場する。
過去と現在、生者と死者、現実と幻想……一世紀もの時間をかけて溜まった泥の中ではすべて溶けあって存在し、時にこうして揃って現れては混沌とした世界を現出する。インドという舞台を活かしたマジックリアリズムといえばそのとおりだが、読後の私は、これは仏教的な思想を反映した物語と感じた。
冗舌な文体が醸し出すあっけらかんとした混沌は、彼我の違いを超えて流れていく私たちの人生、あるいは命を描いた結果なのだろう。それはまさに川の流れに違いなく、その底に沈殿した泥には現在に隠れた過去も、生者と交わった死者も、達成されなかった希望も眠っている。
鴨長明が「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と書いた川の底には、どんな泥が溜まっていただろうか。ついそんなことまで想わせる快作。
評者:長薗安浩
(週刊朝日 掲載)登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2018/1/24)
- 発売日 : 2018/1/24
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 125ページ
- ISBN-10 : 4103515317
- ISBN-13 : 978-4103515319
- Amazon 売れ筋ランキング: - 414,533位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 69,565位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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川に還った今は亡き人達も、この洪水の混沌とした泥の中から思い出となって蘇る。その一時すら一瞬で、また全ては日常の混沌へ還る。そう、インドは混沌なのだ。
なおこの作品は
【第49回(2017年)新潮新人賞】
【第158回(2017年下半期)芥川龍之介賞】
受賞作
作品はマジックリアリズムの旗手とされるガルシア=マルケスが残した代表作『百年の孤独』を想起させる。コピーライターは、この作品がマジックリアリズムの系譜に連なると同時にこれまでの文学にはない清新さも兼ね備えている点をPRしたかったのだろう。
百年に一度という大洪水によりインド南部の大都市チェンナイを覆った泥の中からは、いろいろなものが出てくる。たとえば、<EXPO'70>―という刻印のあるメモリアルコイン。元をたどればインド好きの日本人旅行者のリュックから盗賊が失敬したものということになっている。
コインのほかにもガラスケースに入った人魚のミイラが出てくる。大阪万博のコインはリアルなモノに違いないが、人魚のミイラはフェイクと考えるのが普通だ。しかし、この小説の主人公は「私の母親が人魚だったのだ」と語り、あたかも人魚がリアルな存在だと主張しているようでもある。
ともあれ、世紀の堆積物は多様性に満ちている。出土するのはモノだけではない。人間まで飛び出してくる。5歳ぐらいの男の子とか身長190センチ以上の長身の若い男とか。しかも、泥から出てきて息を吹き返す。この小説がマジックリアリズムにジャンル分けされる所以である。
マジックリアリズム(=magic realism) という語結合は、公然の秘密(=open secret)のような表現と同様の、一種の矛盾語法かと一瞬勘違いしそうになった。このような修辞的語法は一見相反する修飾語と被修飾語が逆に強く結びつくことで印象的な効果を生む。だから、ストーリーの荒唐無稽ぶりが目立つ文学作品に対しても、そのような修辞的表現を奉るほかないのか、と。
しかし、『百年泥』は要するにファンタジーである。
ボルヘスやガルシア=マルケスのおかけでマジックリアリズムは中南米の十八番というイメージが強いかもしれない。が、実際のところ古今東西の小説に見受けられる手法である。たとえば、鼻が独り歩きを始める物語『鼻』(ゴーゴリ作)を挙げるだけでも十分だろう。魔術的かつリアルな描写によって奇想天外のストーリーを紡ぎ出すゴーゴリはロシア語で作品を書くウクライナ人だ。
いや、わざわざゴーゴリを持ち出すまでもなく、魔術性の系譜は日本の昔話の中にも見られる。『竹取物語』や『桃太郎』は、そもそも人々の間で語られ始めた大昔には「けったい」かつ「荒唐無稽」の物語であったかもしれない。それこそ何百年にもわたり伝承され続けてきた結果、出色のファンタジーに結晶したと考えられる。
さて、ファンタジーである『百年泥』は『人魚姫』というファンタジーを内包している。未読の方の楽しみを奪ってはいけないので詳述は避けるが、芥川賞作家石井遊佳はインドと日本を舞台に児童文学の巨匠アンデルセンと見事なファンタジーの競演をした。
いうまでもなく筆者は『百年泥』を読み終えた後、ただちに『人魚姫』を手に取った。人魚伝説のストーリーはおぼろげながら記憶にあったが、完読したのはこれが初めてのような気がする。
インドのチェンナイで日本語教師をしている女性が主人公の物語。でも海外生活の日常を描く・・といったものではなく、チェンナイの話から、主人公の日本での過去の話や、生徒のインド人のこれまでの人生の話が交錯していく、不思議な雰囲気の内容でした。思わず吹き出してしまう日本語教育の場でありがちなやり取りがあるかと思えば、少しシュールな、これはどういうことなのかと戸惑わされる場面があったり。イメージの洪水の中を漂っていたような読後感がありました。
すべてを理解し納得しながら読み進めたいタイプの人には、この物語は受けつけられないかもしれません。
あんまり考えすぎずに不思議な展開を受け入れられる人なら楽しめると思います。
自分は後者のタイプなので、また読み返して、じっくり味わってみたくなる不思議な魅力を感じました。