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めくらやなぎと眠る女 単行本 – 2009/11/27
村上春樹
(著)
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購入オプションとあわせ買い
本邦初登場の「蟹」は、名作「野球場」に登場した作中小説を、実際の作品として書き上げた衝撃の掌篇!
ニューヨークで編集された英語版と同じ構成の自選短篇集。
ニューヨークで編集された英語版と同じ構成の自選短篇集。
- ISBN-104103534249
- ISBN-13978-4103534242
- 出版社新潮社
- 発売日2009/11/27
- 言語日本語
- 寸法12.4 x 2.8 x 18.8 cm
- 本の長さ500ページ
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対象商品: めくらやなぎと眠る女
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2009/11/27)
- 発売日 : 2009/11/27
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 500ページ
- ISBN-10 : 4103534249
- ISBN-13 : 978-4103534242
- 寸法 : 12.4 x 2.8 x 18.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 105,306位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 21,966位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1949(昭和24)年、京都府生れ。早稲田大学文学部卒業。
1979年、『風の歌を聴け』でデビュー、群像新人文学賞受賞。主著に『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(谷崎潤一郎賞受賞)、『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞)、『ノルウェイの森』、『アンダーグラウンド』、『スプートニクの恋人』、『神の子どもたちはみな踊る』、『海辺のカフカ』、『アフターダーク』など。『レイモンド・カーヴァー全集』、『心臓を貫かれて』、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』、『ロング・グッドバイ』など訳書も多数。
イメージ付きのレビュー
5 星
トェンティ・フォー ストーリーズ
村上春樹さんの短篇小説で、英訳されたものの中から村上さん自身が<海外の読者を対象として>選んだ24編が本書の元。第二短篇集です。「いくつかの作品に関しては大幅な書き直しをした」とのこと。例えば、本書の『めくらやなぎと、眠る女』は、「1983年書いた『めくらやなぎと眠る女』を、1996年に行った朗読会のために短く書き直したもの」十三年も前に書いたものに手を加え、短く書き直すとは、すごい!村上春樹さんの作品は、短篇から長篇が生まれる。短篇がさらに短く書き直される。ゴムのように伸び縮み自在で、変形も自在なのでしょう。どのようにも書ける村上さん。本書に収められた「カンガール日和」に題名が似た「カンガール通信」が、第一短篇集『The Elephant Vanishes(象の消滅)』の中に収められています。「カンガール日和」と「カンガール通信」は、まったく別の物語です。24編もの多数の異なる物語が集められているのに、第二短篇集として、ひとかたまりになると、村上春樹ワールドという「ひとつの総合されたイメージ」を浮かび上がらせます。不思議な世界です。それにしても、こんなにも多数、村上春樹さんの短篇小説が英訳されていたとは!本書が、<第二>短篇集であることにもビックリ。本書のタイトル『めくらやなぎと眠る女』の下には、日本語に対応する英語のように、小さな英文字でTWENTY-FOUR STORIESサリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』みたいですね。なぜ「24」なのだろう? 2ダースのつもり?Carver's Dozen の上をいく?「七番目の男」が選ばれているのも、うれしいです。The seventh man『第三の男』という、昔むかしの映画がありました。『六番目の男』というB級西部劇も昔あったみたいです。数字が、やたら気になって仕方ないんです。村上春樹さんの文学に心酔している副作用みたいです。「『七番目の男』はサーフィンに夢中になっていた時代に、波を眺めていて思いついて書いた作品だ」(15頁)怖いことを思いつくんですね、村上さんって。「七番目の男」は、台風の大波に友達がさらわれて死んだ話です。死んだ責任は自分にある、というトラウマに一生付きまとわれている男の話です。七番目に話し出した男の「右目のわきに、まるで細いナイフで突き刺したような小さな、しかし深い傷があった」(236頁)ひゃーっ。右目のわきって、急所ですよ。よく死ななかったものですね。この「七番目の男」という短篇小説は、身近に常に存在する<死>を暗示する寓話です。いつ、どこでも死ぬ可能性は潜んでいるという話です。友達「K」のように。「足もとに流れる深い川」のように。漫画(バンドデシネ)で、この「七番目の男」を読んで見て、不条理の<死>がいっそう怖くなりました。ビール片手に、村上春樹さんの『夢のサーフシティー』(1998年)でも読んで、気分転換します。《備考》「カンガルー日和」の英訳A perfect day for kangaroosカンガルーとその赤ちゃんを見るためにはうってつけの100パーセントの確率で晴れた日、という英訳です。おもしろくもなんともない英語ですね。話はそれますが、日本語の「日和る(ひよる)」って言葉は、昔、大学紛争のときに使われました。
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2024年2月26日に日本でレビュー済み
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図書館で借りて読んでいたが、読み返したいと思い購入した。思いがけず初版本が届き感動。状態も良い。長編作品が一つの絵画とすると、これらの短編集は大きな作品に取組む前のデッサンのようである。何度読んでもおもしろく、どこから読んでもよいので、旅のお供にお勧めである。
2023年4月22日に日本でレビュー済み
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他では読めない、「バースデイ・ガール」と「蟹」の2短編を読みたくて購入した。2作品とも面白かった。
他の作品は既読済みだったので、少し損な買い物だったが満足である。村上春樹の作品は全部読みたくなるので、村上中毒に陥っている1人なんだろうと感じた。
他の作品は既読済みだったので、少し損な買い物だったが満足である。村上春樹の作品は全部読みたくなるので、村上中毒に陥っている1人なんだろうと感じた。
2017年8月26日に日本でレビュー済み
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『みみずくは黄昏に飛びたつ』(書評済)を読んで著者の告白「登場人物の名前をつけられなかった」を知る。
それでは、いつからできるようになったのか?
本書の「蛍」(中央公論83年1月号初出)が参照点と考えて、確認のため購入した。
「蛍」を読むと確かに登場人物に名前はない。『ノルウェイの森』(87年9月出版、書評済)では次のように命名された。
僕→渡辺トオル
彼女→直子
仲の良い友人→キズキ
同居人→突撃隊
この間にミッシングリンクがあるはず。
それでは、いつからできるようになったのか?
本書の「蛍」(中央公論83年1月号初出)が参照点と考えて、確認のため購入した。
「蛍」を読むと確かに登場人物に名前はない。『ノルウェイの森』(87年9月出版、書評済)では次のように命名された。
僕→渡辺トオル
彼女→直子
仲の良い友人→キズキ
同居人→突撃隊
この間にミッシングリンクがあるはず。
2018年12月15日に日本でレビュー済み
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映画化された、ハナレイベイを予習として読むなら、東京奇譚もいいけど、この本がいいです。ベスト版なので、他の短編のクオリティも高いです。お勧め。
2013年12月13日に日本でレビュー済み
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まず装丁がお洒落ですね。村上春樹が描く男女関係は、大体どの作品においても肉体関係を結んだ後、軽く別れてしまうのではないかとの先入観を持っていましたが、そうではありませんでした(自分は、以前読んだ村上作品のそのような表現があまり好きになれなかったので)。僕もこの短篇コレクションの中から、幾つか好きな作品をみつけることができたので、皆様にもお勧め致します。
2018年6月27日に日本でレビュー済み
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村上春樹さんの作品はこれが初めてだったのですがとても読みやすい量と内容だったと思います。正直もっと読みたいと思ったのでもう一冊の方の短編集も買おうかと思っております
2023年11月4日に日本でレビュー済み
短編集『中国行きのスロウボート』『カンガルー日和』『蛍・納屋を焼く・その他の短編』『回転木馬のデッド・ヒート』『TVピープル』『レキシントンの幽霊』『東京奇譚集』と村上春樹編訳の『バースデイ・ストーリーズ』からの短編と書き下ろしの「人喰い猫」「蟹」との24編から成っている。
「イントロダクション」では、長編小説と短編小説とを交互に書いていったと述べるが、少なくない重要な彼の仕事である翻訳はどこに位置するのだろうか。それと彼はいつ読書をし、どのような基準で読む本を選ぶのだろうか、恐らく彼において職業的な基準というものがあるように思う。フィッツジェラルド、カーヴァー、チェーホフの名が挙げられるが、(既に指摘されたり訳書などもあるが)収録短編群にはサリンジャーやヴォネガットの影響や引用を感じる(例えば「A Perfect Day for Bananafish」など)。
簡潔な文体はアメリカの小説家を思わせるが、方法論としてはドストエフスキーや大江健三郎に通じるものがあるように思う。
名前も名乗られず職業も明かされない人物は、比較的非現実的存在だろう。
28、耳たぶ、名前、水(水たまり、井戸、海、雨、水路)
個人的には2〜3度読んだものが1/3ほど、その他は初めて読んだ。「蛍」や「めくらやなぎと、眠る女」は直子の物語と通じ、それを再読すると懐かしさと焦燥と気怠い無力感が思い起こされ夏の終わりのような気分になる。
或る種の逆説的な人物、すなわち諦めと倦怠感をもつ若者、あるいは能力を持つも孤独な成人、それに通じる状況として現実とそれに接続された非現実、語りにおいてはいくぶんポジティブな合理的実践的側面といくぶんネガティブな叙情的側面、それとは別にアナロジーを互いに持った併置する物語。書いてはみたが、これらのことはここでの短編群の特徴というにはあまりに抽象的にすぎる。
意味があるかわからないが、収録された短編群を分類してみる。
モラトリアムあるいは虚無的な(青春)物語
「めくらやなぎと、眠る女」「ニューヨーク炭鉱の悲劇」「飛行機」「我らの時代のフォークロア」「ハンティング・ナイフ」「人喰い猫」「スパゲティーの年に」「蟹」「ハナレイ・ベイ」「日々移動する腎臓のかたちをした石」
(モラトリアムと青春とは結びついている。)
日常のナンセンス
「カンガルー日和」「かいつぶり」「貧乏な叔母さんの話」「嘔吐1979」「とんがり焼の盛衰」「どこであれそれが見つかりそうな場所で」「品川猿」
孤独な家族の物語
「トニー滝谷」「氷男」「偶然の旅人」「ハナレイ・ベイ」「どこであれそれが見つかりそうな場所で」「品川猿」
ちょっとした怪異譚、怪談風の物語
「バースデイ・ガール」「鏡」「七番目の男」「蟹」
24の短編群は、様々なタイプの物語と様々な手法と様々な語り口と様々な人物とで造形されているが、それらの優劣や好悪はいかがであろうか? 勿論、ざっと挙げた上のカテゴリー間の配合によっても評価は連続した諸段階のいずれかに位置することがあり得るだろう。評価および解釈の多様性、その多様性のみならず余地の豊饒は文学的価値に結びつくかもしれない。それは同時代性とともに未来とも結びつくものだろう。過去との、特に間テクスト性といった点では、上にも述べたがフィッツジェラルド、カーヴァー、チェーホフ、大江健三郎の名前が登場し、しばしば政治の季節が背景として設定される。
個人的に最も惹かれたのは「偶然の旅人」だ。フィクションにおいて、夢と偶然(による邂逅、再会、発見)はしばしばチープな手段だと見做されるようだ(「どこであれそれが見つかりそうな場所で」は偶然による解決の否定を示すだろう)。語る手である作者とその知人との体験談を語るという枠が設けられ、「前置き」としての二つの手短な作者の体験が語られ、その後本編としての知人の体験談が語られる。それらは偶然を経験するエピソードの反復という構成を示している。知人の性的嗜好が伏線として提示され、二人の女性に関する似てはいるが裏切りと和解という対極のエピソードが鮮やかに語られる。女性たちをつなぐエピソードは偶然(あるいは虫の知らせか?)をいわば結び目とするのだが、それはなぜだか滑らかに結びついている(我々読者が夢見ているかもしれない読者の偶然の結びつき、というのもエピソード内で語られる。語り手の比喩として「クローゼット」「句読点」「鏡」が用いられており、それらには必然的な選択が窺われる。内部のエピソードとしてのピアノとカミングアウトもアナロジーを有する。そのように、この短編のなかに様々なエピソードと様々な語り方が織り込まれている)。また、この作品ではフランシス・プーランク(仏 1899-1963)への肯定的な言及が見られる。プーランクはユーモラスな軽妙洒脱なものとシリアスな内省的宗教的な作品との両極があり、それは村上春樹の作品群にも通じるかもしれない、軽妙な語り口や偏った嗜好や奇妙な動物や異邦人や異国や素性の知れない恋人や遠くの家族や死者、それらは対比的などこかに配置されている。
あんまり面白いので、英語訳を買ってしまった。ちなみに「医師の石の意志」は ‘ Maybe it just wants to rock her world. ’ となっている。
「イントロダクション」では、長編小説と短編小説とを交互に書いていったと述べるが、少なくない重要な彼の仕事である翻訳はどこに位置するのだろうか。それと彼はいつ読書をし、どのような基準で読む本を選ぶのだろうか、恐らく彼において職業的な基準というものがあるように思う。フィッツジェラルド、カーヴァー、チェーホフの名が挙げられるが、(既に指摘されたり訳書などもあるが)収録短編群にはサリンジャーやヴォネガットの影響や引用を感じる(例えば「A Perfect Day for Bananafish」など)。
簡潔な文体はアメリカの小説家を思わせるが、方法論としてはドストエフスキーや大江健三郎に通じるものがあるように思う。
名前も名乗られず職業も明かされない人物は、比較的非現実的存在だろう。
28、耳たぶ、名前、水(水たまり、井戸、海、雨、水路)
個人的には2〜3度読んだものが1/3ほど、その他は初めて読んだ。「蛍」や「めくらやなぎと、眠る女」は直子の物語と通じ、それを再読すると懐かしさと焦燥と気怠い無力感が思い起こされ夏の終わりのような気分になる。
或る種の逆説的な人物、すなわち諦めと倦怠感をもつ若者、あるいは能力を持つも孤独な成人、それに通じる状況として現実とそれに接続された非現実、語りにおいてはいくぶんポジティブな合理的実践的側面といくぶんネガティブな叙情的側面、それとは別にアナロジーを互いに持った併置する物語。書いてはみたが、これらのことはここでの短編群の特徴というにはあまりに抽象的にすぎる。
意味があるかわからないが、収録された短編群を分類してみる。
モラトリアムあるいは虚無的な(青春)物語
「めくらやなぎと、眠る女」「ニューヨーク炭鉱の悲劇」「飛行機」「我らの時代のフォークロア」「ハンティング・ナイフ」「人喰い猫」「スパゲティーの年に」「蟹」「ハナレイ・ベイ」「日々移動する腎臓のかたちをした石」
(モラトリアムと青春とは結びついている。)
日常のナンセンス
「カンガルー日和」「かいつぶり」「貧乏な叔母さんの話」「嘔吐1979」「とんがり焼の盛衰」「どこであれそれが見つかりそうな場所で」「品川猿」
孤独な家族の物語
「トニー滝谷」「氷男」「偶然の旅人」「ハナレイ・ベイ」「どこであれそれが見つかりそうな場所で」「品川猿」
ちょっとした怪異譚、怪談風の物語
「バースデイ・ガール」「鏡」「七番目の男」「蟹」
24の短編群は、様々なタイプの物語と様々な手法と様々な語り口と様々な人物とで造形されているが、それらの優劣や好悪はいかがであろうか? 勿論、ざっと挙げた上のカテゴリー間の配合によっても評価は連続した諸段階のいずれかに位置することがあり得るだろう。評価および解釈の多様性、その多様性のみならず余地の豊饒は文学的価値に結びつくかもしれない。それは同時代性とともに未来とも結びつくものだろう。過去との、特に間テクスト性といった点では、上にも述べたがフィッツジェラルド、カーヴァー、チェーホフ、大江健三郎の名前が登場し、しばしば政治の季節が背景として設定される。
個人的に最も惹かれたのは「偶然の旅人」だ。フィクションにおいて、夢と偶然(による邂逅、再会、発見)はしばしばチープな手段だと見做されるようだ(「どこであれそれが見つかりそうな場所で」は偶然による解決の否定を示すだろう)。語る手である作者とその知人との体験談を語るという枠が設けられ、「前置き」としての二つの手短な作者の体験が語られ、その後本編としての知人の体験談が語られる。それらは偶然を経験するエピソードの反復という構成を示している。知人の性的嗜好が伏線として提示され、二人の女性に関する似てはいるが裏切りと和解という対極のエピソードが鮮やかに語られる。女性たちをつなぐエピソードは偶然(あるいは虫の知らせか?)をいわば結び目とするのだが、それはなぜだか滑らかに結びついている(我々読者が夢見ているかもしれない読者の偶然の結びつき、というのもエピソード内で語られる。語り手の比喩として「クローゼット」「句読点」「鏡」が用いられており、それらには必然的な選択が窺われる。内部のエピソードとしてのピアノとカミングアウトもアナロジーを有する。そのように、この短編のなかに様々なエピソードと様々な語り方が織り込まれている)。また、この作品ではフランシス・プーランク(仏 1899-1963)への肯定的な言及が見られる。プーランクはユーモラスな軽妙洒脱なものとシリアスな内省的宗教的な作品との両極があり、それは村上春樹の作品群にも通じるかもしれない、軽妙な語り口や偏った嗜好や奇妙な動物や異邦人や異国や素性の知れない恋人や遠くの家族や死者、それらは対比的などこかに配置されている。
あんまり面白いので、英語訳を買ってしまった。ちなみに「医師の石の意志」は ‘ Maybe it just wants to rock her world. ’ となっている。
2020年5月1日に日本でレビュー済み
村上春樹さんの短篇小説で、英訳されたものの中から
村上さん自身が<海外の読者を対象として>選んだ24編が本書の元。
第二短篇集です。
「いくつかの作品に関しては大幅な書き直しをした」とのこと。
例えば、本書の『めくらやなぎと、眠る女』は、
「1983年書いた『めくらやなぎと眠る女』を、1996年に行った朗読会のために短く書き直したもの」
十三年も前に書いたものに手を加え、短く書き直すとは、すごい!
村上春樹さんの作品は、短篇から長篇が生まれる。
短篇がさらに短く書き直される。
ゴムのように伸び縮み自在で、変形も自在なのでしょう。
どのようにも書ける村上さん。
本書に収められた「カンガール日和」に題名が似た「カンガール通信」が、
第一短篇集『The Elephant Vanishes(象の消滅)』の中に収められています。
「カンガール日和」と「カンガール通信」は、まったく別の物語です。
24編もの多数の異なる物語が集められているのに、
第二短篇集として、ひとかたまりになると、
村上春樹ワールドという「ひとつの総合されたイメージ」を浮かび上がらせます。
不思議な世界です。
それにしても、こんなにも多数、村上春樹さんの短篇小説が英訳されていたとは!
本書が、<第二>短篇集であることにもビックリ。
本書のタイトル『めくらやなぎと眠る女』の下には、
日本語に対応する英語のように、小さな英文字で
TWENTY-FOUR STORIES
サリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』みたいですね。
なぜ「24」なのだろう? 2ダースのつもり?
Carver's Dozen の上をいく?
「七番目の男」が選ばれているのも、うれしいです。
The seventh man
『第三の男』という、昔むかしの映画がありました。
『六番目の男』というB級西部劇も昔あったみたいです。
数字が、やたら気になって仕方ないんです。
村上春樹さんの文学に心酔している副作用みたいです。
「『七番目の男』はサーフィンに夢中になっていた時代に、波を眺めていて思いついて書いた作品だ」(15頁)
怖いことを思いつくんですね、村上さんって。
「七番目の男」は、台風の大波に友達がさらわれて死んだ話です。
死んだ責任は自分にある、というトラウマに一生付きまとわれている男の話です。
七番目に話し出した男の「右目のわきに、まるで細いナイフで突き刺したような小さな、しかし深い傷があった」(236頁)
ひゃーっ。右目のわきって、急所ですよ。よく死ななかったものですね。
この「七番目の男」という短篇小説は、身近に常に存在する<死>を暗示する寓話です。
いつ、どこでも死ぬ可能性は潜んでいるという話です。友達「K」のように。
「足もとに流れる深い川」のように。
漫画(バンドデシネ)で、この「七番目の男」を読んで見て、
不条理の<死>がいっそう怖くなりました。
ビール片手に、
村上春樹さんの『夢のサーフシティー』(1998年)でも読んで、
気分転換します。
《備考》
「カンガルー日和」の英訳
A perfect day for kangaroos
カンガルーとその赤ちゃんを見るためにはうってつけの
100パーセントの確率で晴れた日、という英訳です。
おもしろくもなんともない英語ですね。
話はそれますが、
日本語の「日和る(ひよる)」って言葉は、昔、大学紛争のときに使われました。
村上さん自身が<海外の読者を対象として>選んだ24編が本書の元。
第二短篇集です。
「いくつかの作品に関しては大幅な書き直しをした」とのこと。
例えば、本書の『めくらやなぎと、眠る女』は、
「1983年書いた『めくらやなぎと眠る女』を、1996年に行った朗読会のために短く書き直したもの」
十三年も前に書いたものに手を加え、短く書き直すとは、すごい!
村上春樹さんの作品は、短篇から長篇が生まれる。
短篇がさらに短く書き直される。
ゴムのように伸び縮み自在で、変形も自在なのでしょう。
どのようにも書ける村上さん。
本書に収められた「カンガール日和」に題名が似た「カンガール通信」が、
第一短篇集『The Elephant Vanishes(象の消滅)』の中に収められています。
「カンガール日和」と「カンガール通信」は、まったく別の物語です。
24編もの多数の異なる物語が集められているのに、
第二短篇集として、ひとかたまりになると、
村上春樹ワールドという「ひとつの総合されたイメージ」を浮かび上がらせます。
不思議な世界です。
それにしても、こんなにも多数、村上春樹さんの短篇小説が英訳されていたとは!
本書が、<第二>短篇集であることにもビックリ。
本書のタイトル『めくらやなぎと眠る女』の下には、
日本語に対応する英語のように、小さな英文字で
TWENTY-FOUR STORIES
サリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』みたいですね。
なぜ「24」なのだろう? 2ダースのつもり?
Carver's Dozen の上をいく?
「七番目の男」が選ばれているのも、うれしいです。
The seventh man
『第三の男』という、昔むかしの映画がありました。
『六番目の男』というB級西部劇も昔あったみたいです。
数字が、やたら気になって仕方ないんです。
村上春樹さんの文学に心酔している副作用みたいです。
「『七番目の男』はサーフィンに夢中になっていた時代に、波を眺めていて思いついて書いた作品だ」(15頁)
怖いことを思いつくんですね、村上さんって。
「七番目の男」は、台風の大波に友達がさらわれて死んだ話です。
死んだ責任は自分にある、というトラウマに一生付きまとわれている男の話です。
七番目に話し出した男の「右目のわきに、まるで細いナイフで突き刺したような小さな、しかし深い傷があった」(236頁)
ひゃーっ。右目のわきって、急所ですよ。よく死ななかったものですね。
この「七番目の男」という短篇小説は、身近に常に存在する<死>を暗示する寓話です。
いつ、どこでも死ぬ可能性は潜んでいるという話です。友達「K」のように。
「足もとに流れる深い川」のように。
漫画(バンドデシネ)で、この「七番目の男」を読んで見て、
不条理の<死>がいっそう怖くなりました。
ビール片手に、
村上春樹さんの『夢のサーフシティー』(1998年)でも読んで、
気分転換します。
《備考》
「カンガルー日和」の英訳
A perfect day for kangaroos
カンガルーとその赤ちゃんを見るためにはうってつけの
100パーセントの確率で晴れた日、という英訳です。
おもしろくもなんともない英語ですね。
話はそれますが、
日本語の「日和る(ひよる)」って言葉は、昔、大学紛争のときに使われました。
村上春樹さんの短篇小説で、英訳されたものの中から
村上さん自身が<海外の読者を対象として>選んだ24編が本書の元。
第二短篇集です。
「いくつかの作品に関しては大幅な書き直しをした」とのこと。
例えば、本書の『めくらやなぎと、眠る女』は、
「1983年書いた『めくらやなぎと眠る女』を、1996年に行った朗読会のために短く書き直したもの」
十三年も前に書いたものに手を加え、短く書き直すとは、すごい!
村上春樹さんの作品は、短篇から長篇が生まれる。
短篇がさらに短く書き直される。
ゴムのように伸び縮み自在で、変形も自在なのでしょう。
どのようにも書ける村上さん。
本書に収められた「カンガール日和」に題名が似た「カンガール通信」が、
第一短篇集『The Elephant Vanishes(象の消滅)』の中に収められています。
「カンガール日和」と「カンガール通信」は、まったく別の物語です。
24編もの多数の異なる物語が集められているのに、
第二短篇集として、ひとかたまりになると、
村上春樹ワールドという「ひとつの総合されたイメージ」を浮かび上がらせます。
不思議な世界です。
それにしても、こんなにも多数、村上春樹さんの短篇小説が英訳されていたとは!
本書が、<第二>短篇集であることにもビックリ。
本書のタイトル『めくらやなぎと眠る女』の下には、
日本語に対応する英語のように、小さな英文字で
TWENTY-FOUR STORIES
サリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』みたいですね。
なぜ「24」なのだろう? 2ダースのつもり?
Carver's Dozen の上をいく?
「七番目の男」が選ばれているのも、うれしいです。
The seventh man
『第三の男』という、昔むかしの映画がありました。
『六番目の男』というB級西部劇も昔あったみたいです。
数字が、やたら気になって仕方ないんです。
村上春樹さんの文学に心酔している副作用みたいです。
「『七番目の男』はサーフィンに夢中になっていた時代に、波を眺めていて思いついて書いた作品だ」(15頁)
怖いことを思いつくんですね、村上さんって。
「七番目の男」は、台風の大波に友達がさらわれて死んだ話です。
死んだ責任は自分にある、というトラウマに一生付きまとわれている男の話です。
七番目に話し出した男の「右目のわきに、まるで細いナイフで突き刺したような小さな、しかし深い傷があった」(236頁)
ひゃーっ。右目のわきって、急所ですよ。よく死ななかったものですね。
この「七番目の男」という短篇小説は、身近に常に存在する<死>を暗示する寓話です。
いつ、どこでも死ぬ可能性は潜んでいるという話です。友達「K」のように。
「足もとに流れる深い川」のように。
漫画(バンドデシネ)で、この「七番目の男」を読んで見て、
不条理の<死>がいっそう怖くなりました。
ビール片手に、
村上春樹さんの『夢のサーフシティー』(1998年)でも読んで、
気分転換します。
《備考》
「カンガルー日和」の英訳
A perfect day for kangaroos
カンガルーとその赤ちゃんを見るためにはうってつけの
100パーセントの確率で晴れた日、という英訳です。
おもしろくもなんともない英語ですね。
話はそれますが、
日本語の「日和る(ひよる)」って言葉は、昔、大学紛争のときに使われました。
村上さん自身が<海外の読者を対象として>選んだ24編が本書の元。
第二短篇集です。
「いくつかの作品に関しては大幅な書き直しをした」とのこと。
例えば、本書の『めくらやなぎと、眠る女』は、
「1983年書いた『めくらやなぎと眠る女』を、1996年に行った朗読会のために短く書き直したもの」
十三年も前に書いたものに手を加え、短く書き直すとは、すごい!
村上春樹さんの作品は、短篇から長篇が生まれる。
短篇がさらに短く書き直される。
ゴムのように伸び縮み自在で、変形も自在なのでしょう。
どのようにも書ける村上さん。
本書に収められた「カンガール日和」に題名が似た「カンガール通信」が、
第一短篇集『The Elephant Vanishes(象の消滅)』の中に収められています。
「カンガール日和」と「カンガール通信」は、まったく別の物語です。
24編もの多数の異なる物語が集められているのに、
第二短篇集として、ひとかたまりになると、
村上春樹ワールドという「ひとつの総合されたイメージ」を浮かび上がらせます。
不思議な世界です。
それにしても、こんなにも多数、村上春樹さんの短篇小説が英訳されていたとは!
本書が、<第二>短篇集であることにもビックリ。
本書のタイトル『めくらやなぎと眠る女』の下には、
日本語に対応する英語のように、小さな英文字で
TWENTY-FOUR STORIES
サリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』みたいですね。
なぜ「24」なのだろう? 2ダースのつもり?
Carver's Dozen の上をいく?
「七番目の男」が選ばれているのも、うれしいです。
The seventh man
『第三の男』という、昔むかしの映画がありました。
『六番目の男』というB級西部劇も昔あったみたいです。
数字が、やたら気になって仕方ないんです。
村上春樹さんの文学に心酔している副作用みたいです。
「『七番目の男』はサーフィンに夢中になっていた時代に、波を眺めていて思いついて書いた作品だ」(15頁)
怖いことを思いつくんですね、村上さんって。
「七番目の男」は、台風の大波に友達がさらわれて死んだ話です。
死んだ責任は自分にある、というトラウマに一生付きまとわれている男の話です。
七番目に話し出した男の「右目のわきに、まるで細いナイフで突き刺したような小さな、しかし深い傷があった」(236頁)
ひゃーっ。右目のわきって、急所ですよ。よく死ななかったものですね。
この「七番目の男」という短篇小説は、身近に常に存在する<死>を暗示する寓話です。
いつ、どこでも死ぬ可能性は潜んでいるという話です。友達「K」のように。
「足もとに流れる深い川」のように。
漫画(バンドデシネ)で、この「七番目の男」を読んで見て、
不条理の<死>がいっそう怖くなりました。
ビール片手に、
村上春樹さんの『夢のサーフシティー』(1998年)でも読んで、
気分転換します。
《備考》
「カンガルー日和」の英訳
A perfect day for kangaroos
カンガルーとその赤ちゃんを見るためにはうってつけの
100パーセントの確率で晴れた日、という英訳です。
おもしろくもなんともない英語ですね。
話はそれますが、
日本語の「日和る(ひよる)」って言葉は、昔、大学紛争のときに使われました。
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他の国からのトップレビュー
Monso
5つ星のうち4.0
Some of the stories we love, some of them really drag and are a ...
2016年6月28日にアメリカ合衆国でレビュー済みAmazonで購入
Reading this in my Japanese book club. Some of the stories we love, some of them really drag and are a chore. He does have a great turn of phrase time to time. It would probably be a good exercise to try to translate bits from these, and compare them to an existing translation to see the difference and reflect on nuance and understanding.