村上春樹の作品には、100%の女、とか具体的数字が頻繁に出てくるので、
興味をそそられます。
その数字の「根拠」を調べるのがクセになってしまいました。
それで、今回は、南京事件の犠牲者数について調べました。
本書(第2部の81頁)に、南京虐殺事件の「中国人死者の数を
四十万人というものもいれば、十万人というものもいます」
と書かれていたからです。
調査の結果:
南京事件の犠牲者数 (その根拠)
40万人 (根拠不明)
30万人 (中国の南京大虐殺記念館)
20万人以上 (東京裁判での判決)
10万人以上 (東京裁判での松井大将への判定)
4.2万人 (1938年、中国共産軍の機関紙「抗敵報」)
最大4万人 (秦 郁彦氏)
4万人か (「読売新聞」2017年4月20日号)
さて、本書第2部に戻ります。
村上春樹の作品には、『海辺のカフカ』など、カフカが頻繁に出てきます。
「子供がないまま死ぬのは怖ろしい」(ナポレオン)
この言葉は、カフカが恋人宛てに書いた手紙(ラブレター)からの引用です。
本書にはありませんが、カフカを調べていて見つけました。
カフカは、ナポレオンの言葉まで持ち出しておきながら、
子供は持たない、と新年に向けて恋人に宣言したんだそうです。
子供を持たないことを怖れながら、子供は持たないと宣言するとは!
カフカくんらしい、めんどうくさい性格の29歳の青年です。
めんどうくさい、と言えば、メンシキさんは、自分の「娘」と信じて、
全精力で近付いて確認を続ける、今なら「ストーカー登録」されそうな
非常識な人です。
そして、離婚届を出す前に誰かの子を妊娠してしまった元妻と、もう一度
やり直そうとする「私」も、犬も食わない人です。
もしかして、今の村上さんは、「私」のように気持ちを整理し切り替えて
人生を生きていくのもありかな、と思うようになっているのかも。
メンシキさんのように生きてもいいし、「私」のように生きて行くのもいい、
と柔軟な選択肢を考えて、肯定的に生きることを読者に提案しているのかな。
そんな複数の選択肢もありうるよ、と本書で示してくれているように感じました。
村上さんは「自分の好きなように、勝手に生きろや」の「ほったらかし作家」では
ありません。人生の岐路での選択例を、親切に例示してくれたように感じました。
長い人生を生きてきて、ろくでもない、めちゃくちゃな世の中を何度も繰り返し見てくると、
本書のストーリーはなんだか都合よく落ちが付いて、まとまっているかな、と思わないわけ
ではありませんが、まあいいか。「ほったらかし」より、いい。ハッピーエンドに近いから。
世の中に絶望しないで、なんとか折り合いをつけて生きていけるような「考え方」の本とか、
嘘でもいいから「気持ち」の整理ができるような、筋の通った小説が読みたいんです。
小説で言えば、どんどん物語に引き込まれるような、渦を巻いた小説を読みたい。
墓石の前の「渦を巻いた線香立て」のように。
現実の中には求めても得られないものを、リアルな夢のように現出させる小説を読みたい。
気付くか気付かないか分からない暗号のように、論理を超えた、意味をなさない信号が
描き込まれた小説を読みたい。
この作品は、そういう読者のわがままを(ほとんど)全て満足させてくれました。
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騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編 単行本 – 2017/2/24
村上 春樹
(著)
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物語はここからどこに
進んでいこうとしているのか?
その年の五月から翌年の初めにかけて、私は狭い谷間の入り口近くの、山の上に住んでいた。夏には谷の奥の方でひっきりなしに雨が降ったが、谷の外側はだいたい晴れていた……それは孤独で静謐な日々であるはずだった。騎士団長が顕(あらわ)れるまでは。
進んでいこうとしているのか?
その年の五月から翌年の初めにかけて、私は狭い谷間の入り口近くの、山の上に住んでいた。夏には谷の奥の方でひっきりなしに雨が降ったが、谷の外側はだいたい晴れていた……それは孤独で静謐な日々であるはずだった。騎士団長が顕(あらわ)れるまでは。
- 本の長さ544ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2017/2/24
- 寸法13.97 x 2.03 x 21.34 cm
- ISBN-104103534338
- ISBN-13978-4103534334
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2017/2/24)
- 発売日 : 2017/2/24
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 544ページ
- ISBN-10 : 4103534338
- ISBN-13 : 978-4103534334
- 寸法 : 13.97 x 2.03 x 21.34 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 100,193位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 2,520位日本文学
- カスタマーレビュー:
著者について
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1949(昭和24)年、京都府生れ。早稲田大学文学部卒業。
1979年、『風の歌を聴け』でデビュー、群像新人文学賞受賞。主著に『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(谷崎潤一郎賞受賞)、『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞)、『ノルウェイの森』、『アンダーグラウンド』、『スプートニクの恋人』、『神の子どもたちはみな踊る』、『海辺のカフカ』、『アフターダーク』など。『レイモンド・カーヴァー全集』、『心臓を貫かれて』、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』、『ロング・グッドバイ』など訳書も多数。
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年3月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2024年5月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
尻切れトンボな感。
気が向いたら、続きお願いします。
もしくは、この本の登場人物や設定を使って別の作品でも良いんでなんとかお願いします。
気が向いたら、続きお願いします。
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2017年3月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
春樹さんを批判するほうが、評価するより、ずっとカッコよく見えます。
実際に、いくらでも批判できる立ち位置の作家ですから。
特に最終盤は、見方が多様化しているので、
批判されても仕方がない、批判覚悟でご自身の考えを書かれているようにも思います。
芸人の方が、春樹さんを厳しく批判されているのをテレビで拝見して、
それは仕方がないと思いました。
春樹さんの作品を僕自身もどこまで理解できているのか、
未知数です。
ただ、芸人の方のような人気稼業でたくさんの人を合い、
わかりやすいコメントを求められ、
たえず意識の表層の顕在意識を要求されている方たちが、
意識の深い部分で通じて作品を紡いでいる春樹さんの作品を
どこまで深い意識で読んでいるのか、僕にはわかりません。
現在は、すぐに、面白い、面白くないと即断で
決める時代です。
だからこそ、何かの事情で、人と会えないような
状況の方が、この作品をどう読んだのか、
気になる部分はあります。
たとえば、入院されているような方が、
この作品をどう読んだのか、
孤独と向き合い、意識の深い部分でこの作品を
読んでいる方には、この作品の真意と深意が
読み取れるような気がします。
先ほどの芸人の方が、何かの事情で入院したりして、
面会謝絶の状態で、この作品を読んだ時、
どのような所感を持つのか、興味があります。
私もこの作品を読んでいる時、できるだけ最小限の人にしか会わず、
この作品と自分との対峙を試みました。
自分自身の心の井戸は、まだまだ浅いですが、
それでも、なるべく、井戸の深い部分で読もうとしました。
いくらでも人に対して横柄になれるような春樹さんが
日本で最も批判される作家でありながら、
いまだに心の雑味を付着されることなく、
ピュアにして、意識の純度の高さをより上げて、
共通無意識の井戸を深く、深く掘り下げている姿勢には、
私自身、共鳴しています。
年を重ね、老獪になるのではなく、
地味に誠実に作品を作り続けている姿勢に
強いあこがれを感じています。
時間を置いて、再び、この物語世界の深くを流れる
共通無意識の川を読み取りたいと思います。
できれば、人のいない孤独な環境の中で。
実際に、いくらでも批判できる立ち位置の作家ですから。
特に最終盤は、見方が多様化しているので、
批判されても仕方がない、批判覚悟でご自身の考えを書かれているようにも思います。
芸人の方が、春樹さんを厳しく批判されているのをテレビで拝見して、
それは仕方がないと思いました。
春樹さんの作品を僕自身もどこまで理解できているのか、
未知数です。
ただ、芸人の方のような人気稼業でたくさんの人を合い、
わかりやすいコメントを求められ、
たえず意識の表層の顕在意識を要求されている方たちが、
意識の深い部分で通じて作品を紡いでいる春樹さんの作品を
どこまで深い意識で読んでいるのか、僕にはわかりません。
現在は、すぐに、面白い、面白くないと即断で
決める時代です。
だからこそ、何かの事情で、人と会えないような
状況の方が、この作品をどう読んだのか、
気になる部分はあります。
たとえば、入院されているような方が、
この作品をどう読んだのか、
孤独と向き合い、意識の深い部分でこの作品を
読んでいる方には、この作品の真意と深意が
読み取れるような気がします。
先ほどの芸人の方が、何かの事情で入院したりして、
面会謝絶の状態で、この作品を読んだ時、
どのような所感を持つのか、興味があります。
私もこの作品を読んでいる時、できるだけ最小限の人にしか会わず、
この作品と自分との対峙を試みました。
自分自身の心の井戸は、まだまだ浅いですが、
それでも、なるべく、井戸の深い部分で読もうとしました。
いくらでも人に対して横柄になれるような春樹さんが
日本で最も批判される作家でありながら、
いまだに心の雑味を付着されることなく、
ピュアにして、意識の純度の高さをより上げて、
共通無意識の井戸を深く、深く掘り下げている姿勢には、
私自身、共鳴しています。
年を重ね、老獪になるのではなく、
地味に誠実に作品を作り続けている姿勢に
強いあこがれを感じています。
時間を置いて、再び、この物語世界の深くを流れる
共通無意識の川を読み取りたいと思います。
できれば、人のいない孤独な環境の中で。
2021年3月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
新品との表記がありましたが、明らかに新品ではありませんでした。残念です。
2017年6月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
直感的に「騎士団長殺し」という絵画が「箱庭」的だなと感じます。どうも、なにか怪しい。
※「箱庭」とは、砂をしいた箱の中に、自由におもちゃなどを入れていくもので、「箱庭療法」(心理療法の1つです)に使用されるものとして知られています。これは心理学者である河合隼雄(先生)が1960年代に西洋から日本に持ち帰り、国内に広げたものです。なんとなく知っていらっしゃる方も多いかと思います。
秋川まりえが週に1度スタジオにやってきて、「私」と1対1になり、肖像画のモデルになるという設定もどこか心理療法を思わせます。やはり、怪しい。まるでクライエントと治療者のよう。
その線にそって読んでみると、「騎士団長殺し」は小説の中では、雨田具彦が描いた絵画として存在しますが、騎士団長・顔なが・ドンナアンナ含めて、このおもちゃ・人形たちを画中に配置したのは、この小説の書き手である村上春樹です。そういう意味では、「騎士団長殺し」という存在は、雨田具彦によって描かれた「絵画」であり、村上春樹の書いた「小説」でありながら、同時に村上によって作られた「箱庭」という存在になっているとも読める。二重メタファー構造になっている。
人を観察し「肖像画」を描くということは、「小説」を書くことでもあり、同時に「心理療法」を行うことと読み替えることができるように思える。
そしてすごいのは、小説の表面上は、画家が主人公の話が書かれていて、これだけでも充分に満足できる物語が語られますが、その裏面では「箱庭療法」を念頭に置いた別の物語が進行している。同じ言葉で描かれた世界が、少しづつ違う意味合いを帯びていく。物語が旋回し、言葉が変装していく。
「騎士団長殺し」という小説は、村上春樹が自分で作った「箱庭」をつかって、作中人物たちを「救えるのか」・「癒せるのか」ということに挑戦した意欲的な小説なのだと思います。さらに言うと、「箱庭」の作者は村上春樹自身ですから、小説の枠外ではクライエントは村上春樹であり、この物語を通して村上自身が救われるのかどうかも問われているように思える。この場合の治療者が河合先生だと仮定すれば、村上は物語を紡ぎながら、地下二階に降りていき、河合先生と「こころ」の対話を実践したのではないかと想像します。「河合先生、ご無沙汰しております」、と。
改めて、この人は超一流の小説家だと思いました。
実は、大変心配していました。ただのスケベなおっさんなんじゃないかと。確かに可能性も高いよなと。そうじゃなかったかも。よかった、よかった。
終盤の屋根裏のシーン、秋川まりえと二人で環をとじるシーンには胸が熱くなります。そこには間違いなく確かな救済の感覚があります。試みは成功したのでしょう。ものすごい達成だと思います。
また、作品(の裏面)をとおして、2006年に脳梗塞で倒れ、その後約1年間1度も意識が回復しないまま亡くなってしまった河合隼雄(先生)への深いリスペクトを感じます。というか、この物語の裏面部分は、はっきり言って河合先生絡みの話ばかりです。
「箱庭療法」に代表されるように、西洋と東洋の「こころ」の橋渡しのような仕事を実践された河合先生は非常に大きな存在だったのだと思います。ここらへんで、一度きっちりと書いておこうという気持ちがあったのかもしれません。
一例ですが、まりえは自分の胸が小さいことをちょっと病的に気にしていますよね。「私」にそんなことを言う。これ、まりえは本当はなにが言いたいのか。
心理療法の臨床的には、「父性」も「母性」も希薄な家庭で育っていて、これからきちんとした大人の女性に成長していけるのか不安だと、言っているんじゃないでしょうか。大人の女性になって社会的なペルソナを獲得できるのか不安だと。でも、この少女はそういうふうには言えないんですよね。言えないから胸のこととして言うんですよね。おそらく。河合先生なら、多分そう受け止めてくれる。「私」もそう受け止めますね。成熟した人間としての自然なやさしさがある。だから、まりえのために地下二階の世界まで潜っていくんだと思います。
まりえの方も地下二階まで潜っているわけですが。ここのシーンもいいですよね。母親の衣服(ペルソナ)に守られるシーン。まりえは母性に触れて戻ってくる。
一方で、本来まりえを救わなければならないのは免色のはずです。まりえは自分の娘であるかもしれないわけだから。でも、彼にはそれができない。その資格がない。穴の中に入ることはできるが、そこから先に潜ることはできない。
そして、物語の最後にシンクロニシティ(意味のある偶然の一致)が起きる。河合先生の十八番、オハコです。全体のコンステレーションの中で子どもが生まれる。そして、「私」は、その子が自分の子どもだと信じられる。ゆるぎのない確信がある。もはや神話です。自分にとっては。
さらに河合先生絡みで、、、あまりにも長くなるので詳しく書きませんが、西洋の中央統合モデル(例としてのナチス)、日本の中空均衡モデル(例としての日本の戦争、そして免色)に続く、新たな第三の社会モデル(これからの世界で通用する新たな社会モデル)を提出している物語だとも感じました。
以上、すべて一読者の個人的な感想です。当たり前ですが。
ただ、久しぶりに読書を楽しみました。よい時間を過ごしました。混乱したけど。
河合隼雄と村上春樹。真に偉大な仕事をする人間は、本当に謙虚なんだなとも感じました。
※余談ですが、絵画の時代設定が飛鳥時代であることも、河合先生からの連想で、文化庁長官時代に壁画破損問題があった「高松塚古墳」(検索すると、きれいな飛鳥時代の衣服が見られます)→「石室」(例の穴です)→「副葬品の仏具としての鈴」と、きちんとつながりが感じられます。
※「箱庭」とは、砂をしいた箱の中に、自由におもちゃなどを入れていくもので、「箱庭療法」(心理療法の1つです)に使用されるものとして知られています。これは心理学者である河合隼雄(先生)が1960年代に西洋から日本に持ち帰り、国内に広げたものです。なんとなく知っていらっしゃる方も多いかと思います。
秋川まりえが週に1度スタジオにやってきて、「私」と1対1になり、肖像画のモデルになるという設定もどこか心理療法を思わせます。やはり、怪しい。まるでクライエントと治療者のよう。
その線にそって読んでみると、「騎士団長殺し」は小説の中では、雨田具彦が描いた絵画として存在しますが、騎士団長・顔なが・ドンナアンナ含めて、このおもちゃ・人形たちを画中に配置したのは、この小説の書き手である村上春樹です。そういう意味では、「騎士団長殺し」という存在は、雨田具彦によって描かれた「絵画」であり、村上春樹の書いた「小説」でありながら、同時に村上によって作られた「箱庭」という存在になっているとも読める。二重メタファー構造になっている。
人を観察し「肖像画」を描くということは、「小説」を書くことでもあり、同時に「心理療法」を行うことと読み替えることができるように思える。
そしてすごいのは、小説の表面上は、画家が主人公の話が書かれていて、これだけでも充分に満足できる物語が語られますが、その裏面では「箱庭療法」を念頭に置いた別の物語が進行している。同じ言葉で描かれた世界が、少しづつ違う意味合いを帯びていく。物語が旋回し、言葉が変装していく。
「騎士団長殺し」という小説は、村上春樹が自分で作った「箱庭」をつかって、作中人物たちを「救えるのか」・「癒せるのか」ということに挑戦した意欲的な小説なのだと思います。さらに言うと、「箱庭」の作者は村上春樹自身ですから、小説の枠外ではクライエントは村上春樹であり、この物語を通して村上自身が救われるのかどうかも問われているように思える。この場合の治療者が河合先生だと仮定すれば、村上は物語を紡ぎながら、地下二階に降りていき、河合先生と「こころ」の対話を実践したのではないかと想像します。「河合先生、ご無沙汰しております」、と。
改めて、この人は超一流の小説家だと思いました。
実は、大変心配していました。ただのスケベなおっさんなんじゃないかと。確かに可能性も高いよなと。そうじゃなかったかも。よかった、よかった。
終盤の屋根裏のシーン、秋川まりえと二人で環をとじるシーンには胸が熱くなります。そこには間違いなく確かな救済の感覚があります。試みは成功したのでしょう。ものすごい達成だと思います。
また、作品(の裏面)をとおして、2006年に脳梗塞で倒れ、その後約1年間1度も意識が回復しないまま亡くなってしまった河合隼雄(先生)への深いリスペクトを感じます。というか、この物語の裏面部分は、はっきり言って河合先生絡みの話ばかりです。
「箱庭療法」に代表されるように、西洋と東洋の「こころ」の橋渡しのような仕事を実践された河合先生は非常に大きな存在だったのだと思います。ここらへんで、一度きっちりと書いておこうという気持ちがあったのかもしれません。
一例ですが、まりえは自分の胸が小さいことをちょっと病的に気にしていますよね。「私」にそんなことを言う。これ、まりえは本当はなにが言いたいのか。
心理療法の臨床的には、「父性」も「母性」も希薄な家庭で育っていて、これからきちんとした大人の女性に成長していけるのか不安だと、言っているんじゃないでしょうか。大人の女性になって社会的なペルソナを獲得できるのか不安だと。でも、この少女はそういうふうには言えないんですよね。言えないから胸のこととして言うんですよね。おそらく。河合先生なら、多分そう受け止めてくれる。「私」もそう受け止めますね。成熟した人間としての自然なやさしさがある。だから、まりえのために地下二階の世界まで潜っていくんだと思います。
まりえの方も地下二階まで潜っているわけですが。ここのシーンもいいですよね。母親の衣服(ペルソナ)に守られるシーン。まりえは母性に触れて戻ってくる。
一方で、本来まりえを救わなければならないのは免色のはずです。まりえは自分の娘であるかもしれないわけだから。でも、彼にはそれができない。その資格がない。穴の中に入ることはできるが、そこから先に潜ることはできない。
そして、物語の最後にシンクロニシティ(意味のある偶然の一致)が起きる。河合先生の十八番、オハコです。全体のコンステレーションの中で子どもが生まれる。そして、「私」は、その子が自分の子どもだと信じられる。ゆるぎのない確信がある。もはや神話です。自分にとっては。
さらに河合先生絡みで、、、あまりにも長くなるので詳しく書きませんが、西洋の中央統合モデル(例としてのナチス)、日本の中空均衡モデル(例としての日本の戦争、そして免色)に続く、新たな第三の社会モデル(これからの世界で通用する新たな社会モデル)を提出している物語だとも感じました。
以上、すべて一読者の個人的な感想です。当たり前ですが。
ただ、久しぶりに読書を楽しみました。よい時間を過ごしました。混乱したけど。
河合隼雄と村上春樹。真に偉大な仕事をする人間は、本当に謙虚なんだなとも感じました。
※余談ですが、絵画の時代設定が飛鳥時代であることも、河合先生からの連想で、文化庁長官時代に壁画破損問題があった「高松塚古墳」(検索すると、きれいな飛鳥時代の衣服が見られます)→「石室」(例の穴です)→「副葬品の仏具としての鈴」と、きちんとつながりが感じられます。