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新リア王 下 単行本 – 2005/10/26
高村 薫
(著)
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保守王国の崩壊を予見した壮大な政治小説、3年の歳月をかけてここに誕生!
父と子。その間に立ちはだかる壁はかくも高く険しいものなのか――。近代日本の「終わりの始まり」が露見した永田町と、周回遅れで核がらみの地域振興に手を出した青森。政治一家・福澤王国の内部で起こった造反劇は、雪降りしきる最果ての庵で、父から息子へと静かに、しかし決然と語り出される。『晴子情歌』に続く大作長編小説。
父と子。その間に立ちはだかる壁はかくも高く険しいものなのか――。近代日本の「終わりの始まり」が露見した永田町と、周回遅れで核がらみの地域振興に手を出した青森。政治一家・福澤王国の内部で起こった造反劇は、雪降りしきる最果ての庵で、父から息子へと静かに、しかし決然と語り出される。『晴子情歌』に続く大作長編小説。
- 本の長さ396ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2005/10/26
- ISBN-104103784059
- ISBN-13978-4103784050
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2005/10/26)
- 発売日 : 2005/10/26
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 396ページ
- ISBN-10 : 4103784059
- ISBN-13 : 978-4103784050
- Amazon 売れ筋ランキング: - 421,301位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 244位経済・社会小説 (本)
- - 10,027位日本文学
- カスタマーレビュー:
著者について
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1953(昭和28)年、大阪市生れ。
1990(平成2)年『黄金を抱いて翔べ』で日本推理サスペンス大賞を受賞。1993年『リヴィエラを撃て』で日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞を受賞。同年『マークスの山』で直木賞を受賞する。1998年『レディ・ジョーカー』で毎日出版文化賞を受賞。2006年『新リア王』で親鸞賞を受賞。2010年『太陽を曳く馬』で読売文学賞を受賞する。他の著作に『神の火』『照柿』『晴子情歌』などがある。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2016年8月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
政治家とその出自を見事に分析している。、資産家と言えども、寝るとき、死ぬときは一人。名声は瞬時に消える。親族も妻さえも裏切る。この悲劇はまさにリア王の悲劇。感銘!!
2013年7月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
評価は3.5です。
これより安く他所で手に入れた上巻と同程度でした。
でも3評価は・・・しのびない。
これより安く他所で手に入れた上巻と同程度でした。
でも3評価は・・・しのびない。
2017年1月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
・共感できませんでした。
・政治家って毎日こんなこと考えてるのかも と思えました。
・理解できず、言葉の羅列としても読んでいてたのしくなかった。
ので1点
・政治家って毎日こんなこと考えてるのかも と思えました。
・理解できず、言葉の羅列としても読んでいてたのしくなかった。
ので1点
2014年12月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
頼まれ物でしたが、受け取りが非常に良いと満足されていました。
2014年5月1日に日本でレビュー済み
晴子情歌には日本近代文学を彷彿とさせる描写があり、リアリズムの描写もあった。内容は結局消化不良だったが、それはあつかっている時間が長すぎたのと、構成のバランスが悪かったからかもしれなかった。
新リア王は、文学と政治と宗教を強引に足してみた、という作品である。しかし、こうなると文学は政治と宗教という現実の前に肩身が狭くなってしまった印象がある。文学とは政治や宗教とは水と油なのかもしれない、とぼくは思った。文学は現実社会では政治や宗教と比して、こうも無力なのか、でも政治や宗教と相容れないからこそ文学は輝くのであり、政治や宗教を寄せ付けない文学の、決して社会に還元できないが人間が人間であるための孤高の強さや深さや純粋さを改めて考えさせられたのは、ぼくだけだろうか?
新リア王は、文学と政治と宗教を強引に足してみた、という作品である。しかし、こうなると文学は政治と宗教という現実の前に肩身が狭くなってしまった印象がある。文学とは政治や宗教とは水と油なのかもしれない、とぼくは思った。文学は現実社会では政治や宗教と比して、こうも無力なのか、でも政治や宗教と相容れないからこそ文学は輝くのであり、政治や宗教を寄せ付けない文学の、決して社会に還元できないが人間が人間であるための孤高の強さや深さや純粋さを改めて考えさせられたのは、ぼくだけだろうか?
2009年9月11日に日本でレビュー済み
『新リア王』も何とか読了。政治と宗教をど真ん中から扱ったという点で読後感はシェークスピアというよりドストエフスキーに近い。
感想はなかなかまとまらない。一般的読者は「リビエラ」や「合田」の登場を願うようだが、もはや世界は変質している。本書を読んでいる間は、正法眼蔵でも併読しようかとさえ思ったが、高村氏の主眼が仏教にないことが下巻で明白になったので、それは止めた。ではと、ハイエク的リバタリアニズムとかケインズ主義の基本を少し補強しておこうとも考えたが、それも止めた。高村氏の主眼は、政治を扱いながらも政策の優劣とか対決にはない。2009年8月の衆議院選挙における政権交代を知った我々は、斜めから彼らの政治議論を眺めることになろうか。
宗教や政治の理念と現実、政治の真実、権力闘争、世代交代といったものよりも、この小説の主眼は父子の虚実の対話そのものにこそあり、この対話劇を楽しめない読者には本書はつらいだろうと思う。対話の果てに辿り着くのが、孤独であるというのは、どういう結末であることか。救いはあるのか。
高村氏がこの地平まで来た以上、オウムを扱った『太陽を曳く馬』が提示する世界というのも、おぼろげながら想像がつく。そこにはもはや「会話」さえ成立していないかもしれない。(まだ読んではいないが)
感想はなかなかまとまらない。一般的読者は「リビエラ」や「合田」の登場を願うようだが、もはや世界は変質している。本書を読んでいる間は、正法眼蔵でも併読しようかとさえ思ったが、高村氏の主眼が仏教にないことが下巻で明白になったので、それは止めた。ではと、ハイエク的リバタリアニズムとかケインズ主義の基本を少し補強しておこうとも考えたが、それも止めた。高村氏の主眼は、政治を扱いながらも政策の優劣とか対決にはない。2009年8月の衆議院選挙における政権交代を知った我々は、斜めから彼らの政治議論を眺めることになろうか。
宗教や政治の理念と現実、政治の真実、権力闘争、世代交代といったものよりも、この小説の主眼は父子の虚実の対話そのものにこそあり、この対話劇を楽しめない読者には本書はつらいだろうと思う。対話の果てに辿り着くのが、孤独であるというのは、どういう結末であることか。救いはあるのか。
高村氏がこの地平まで来た以上、オウムを扱った『太陽を曳く馬』が提示する世界というのも、おぼろげながら想像がつく。そこにはもはや「会話」さえ成立していないかもしれない。(まだ読んではいないが)
2006年3月18日に日本でレビュー済み
政治家の父・榮と、宗教家の息子・彰之。シェークスピアはもとよりギリシャ悲劇の登場人物にも比肩しうる苛烈で美しく惨憺たる運命の下で、恐るべき人生を刻み続けていく福澤一族の父子。彼らの物語が鮮烈な言葉と迸るような文体によって叩きつけられ、読者はほとんど暴力的な引力で青森の茫々たる昏い雪の世界に放り込まれる。
榮と彰之の息苦しいほどに張りつめた精神、あまりにも強靭すぎる自我、執拗に粘りつくような情念の、圧倒的な重量とその密度には絶句するより他はあるまい。人間的であるということは知的であるということであった時代の思考様式には驚愕させられる。これが近代というものかと。
榮と彰之の敵は、迫り来る現代という時代であるとも読み取れる。彼らはこの得体の知れない敵に対して、近代の所産である“言葉”を武器として必死の抵抗を試みる。しかし彼らがどれほど言葉をつくして語り明かしても、彰之の息子・秋道に、それを聞くべき耳は無い。かくして父子の“言葉”は、白く虚無的な闇の中で無残にも暴力的に断ち切られる。そして、絶望の慟哭が響く。
これは近代という“言葉”の時代の終焉を物語る悲劇である。また、従来の高村作品らしさも色濃い(美貌の主人公・彰之の禁欲的で粘着質で、ある意味ヘタレな性格と行動、その代表格である合田刑事の登場、圧巻としか言い様のない緻密な状況描写)。あらゆる角度から多様な楽しみ方が可能。次回作では舞台はいよいよ現代に移る。現代を生きる現代人として心より楽しみ。
榮と彰之の息苦しいほどに張りつめた精神、あまりにも強靭すぎる自我、執拗に粘りつくような情念の、圧倒的な重量とその密度には絶句するより他はあるまい。人間的であるということは知的であるということであった時代の思考様式には驚愕させられる。これが近代というものかと。
榮と彰之の敵は、迫り来る現代という時代であるとも読み取れる。彼らはこの得体の知れない敵に対して、近代の所産である“言葉”を武器として必死の抵抗を試みる。しかし彼らがどれほど言葉をつくして語り明かしても、彰之の息子・秋道に、それを聞くべき耳は無い。かくして父子の“言葉”は、白く虚無的な闇の中で無残にも暴力的に断ち切られる。そして、絶望の慟哭が響く。
これは近代という“言葉”の時代の終焉を物語る悲劇である。また、従来の高村作品らしさも色濃い(美貌の主人公・彰之の禁欲的で粘着質で、ある意味ヘタレな性格と行動、その代表格である合田刑事の登場、圧巻としか言い様のない緻密な状況描写)。あらゆる角度から多様な楽しみ方が可能。次回作では舞台はいよいよ現代に移る。現代を生きる現代人として心より楽しみ。
2005年11月26日に日本でレビュー済み
「晴子情歌」から続く福澤家サーガ・・・
まぁ、作家には自分の好きなものを書く権利があるわけで。
新しい読者層を開拓してください。
私としては今後主人公・彰之が息子に殺されようが息子を殺そうが、
仏家の道を究めようがイスラム教に改宗しようが、もうどうでも
いいです・・・
合田雄一郎、電話でひと言出演場面あり。ほんとにひと言ですから。
電話で「合田といいます」って言うだけですから。もしかしたら
同姓の他人かもしれないですから。
かつての著者インタビューでの「次は合田が出ます」発言で期待
なさってた方、要注意!!
まぁ、作家には自分の好きなものを書く権利があるわけで。
新しい読者層を開拓してください。
私としては今後主人公・彰之が息子に殺されようが息子を殺そうが、
仏家の道を究めようがイスラム教に改宗しようが、もうどうでも
いいです・・・
合田雄一郎、電話でひと言出演場面あり。ほんとにひと言ですから。
電話で「合田といいます」って言うだけですから。もしかしたら
同姓の他人かもしれないですから。
かつての著者インタビューでの「次は合田が出ます」発言で期待
なさってた方、要注意!!