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イデオロギーズ 単行本 – 2004/5/25
福田 和也
(著)
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- 本の長さ284ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2004/5/25
- ISBN-104103909099
- ISBN-13978-4103909095
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
批評は事件だ! テクノロジー、暴力、自由、信仰、愛。危機に瀕する人間精神のライフラインを根底から思考し論じ抜く21世紀の様々なる意匠。
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2004/5/25)
- 発売日 : 2004/5/25
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 284ページ
- ISBN-10 : 4103909099
- ISBN-13 : 978-4103909095
- Amazon 売れ筋ランキング: - 525,912位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,151位哲学・思想の論文・評論・講演集
- - 3,864位哲学 (本)
- - 4,391位思想
- カスタマーレビュー:
著者について
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1960(昭和35)年東京生まれ。文芸評論家。慶應義塾大学環境情報学部教授。慶應義塾大学文学部仏文科卒。同大学院修士課程修了。1993年『日本の家郷』で三島由紀夫賞、2002年『地ひらく』で山本七平賞受賞。著書に『日本の近代(上・下)』『昭和天皇』など多数。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2013年9月27日に日本でレビュー済み
本書について「ファシズムに対抗するコミュニタリアンの模索」といった趣旨の(それも侮蔑的な)評辞があったが私の読んだ限りでは著者はファシズムを否定しているわけではなくコミュニタリアンを肯定しているわけでもなく淡々とテクネーに覆われてゆく世界の現状分析を行なっていると思う そのうえでロレンスの「現代人は愛し得るか」という問いやティリッヒの「生きる勇気」を――脱人間中心主義の志向から逸れることなく――考えようとしていると思う
2005年8月24日に日本でレビュー済み
暴力的に要約すれば、ハイデガー=ファシズムを選択せずに現代を思想的に乗り切る道を探る本。その意味では、確かに20世紀後半の問題意識をおさらいする内容になっている。で、見えてくる結論は何とも意気阻喪させるもの。って言うか、意気阻喪するのは著者をはじめとする思想オヤヂたちなんですけどね。
テクノロジー・暴力・自由・信仰・愛と5章に分かれているけど、全体のトーンを決定しているのは1・2章。テクノロジーに外部はあるのか、ないのか。テクノロジー圧政下における人間/動物の無境界化に、いかに対処するか。ここまでが、著者の基本的な問題設定。
第3章から、ハイデガー(的なもの)との対決が始まる。しかし著者の報告する戦況は、どうにも芳しくない。
ダヴォスでハイデガーに対し人間の自由を突きつけて論争したカッシーラーにしても、レヴィナスの肩入れにもかかわらず、その自然法的秩序への信頼はナイーヴすぎると言わざるを得ない。それどころか、かつて国家に一体化(=従属)した決定論的主体は、現代では非公共的組織に服属し、結果的に国家と対立して自然法的自由を僭称しさえする。
信仰もまたテクノロジーの衝撃を逃れられない。現代における信仰とは、圧倒的に無力な人間として虚無を生き続ける勇気をしか意味しない。最終章でも、愛(=連帯・善意)こそがファシズムの源泉として退けられた後、代案として提起されるのは快楽の優先であり、果てない回帰としてのモードでしかない。このように普遍性を欠いた美意識の理念化は、排他的な共同性を捏造することで普遍性の欠如を埋め合わせる。
こうして、テクノロジーによって実現された世界コミュニケーションが空間を無意味化した後で、この虚無を覆い隠すべくローカルな共同性が族生する。「アウシュヴィッツこそが詩である!」と謳いあげて終わるパセティックな第1章が、そのままこの沈鬱で退屈で希望のない現状認識と重ねあわされる。いやはや…これって宮台真司『終わりなき日常を生きろ』のオヤヂ・ヴァージョンだったのね。なるほど、ローカルな共同性の例にテレクラや出会い系が登場するはずだ。
ところで、9・11同時多発テロが起こったのは、おそらく本書第2章「暴力」の執筆半ば。著者はあとがきで本書への事件の影響を否定しているが、嘘おっしゃい! 第2章の前半と後半の間には、微妙な断層がある。しかも章末で「『事実上の平等』のないところに、正義を主張し、要求できるのは暴力のみである」とブチ上げている。著者が旅客機激突映像に昂揚していたのは明白でしょう。
テクノロジー・暴力・自由・信仰・愛と5章に分かれているけど、全体のトーンを決定しているのは1・2章。テクノロジーに外部はあるのか、ないのか。テクノロジー圧政下における人間/動物の無境界化に、いかに対処するか。ここまでが、著者の基本的な問題設定。
第3章から、ハイデガー(的なもの)との対決が始まる。しかし著者の報告する戦況は、どうにも芳しくない。
ダヴォスでハイデガーに対し人間の自由を突きつけて論争したカッシーラーにしても、レヴィナスの肩入れにもかかわらず、その自然法的秩序への信頼はナイーヴすぎると言わざるを得ない。それどころか、かつて国家に一体化(=従属)した決定論的主体は、現代では非公共的組織に服属し、結果的に国家と対立して自然法的自由を僭称しさえする。
信仰もまたテクノロジーの衝撃を逃れられない。現代における信仰とは、圧倒的に無力な人間として虚無を生き続ける勇気をしか意味しない。最終章でも、愛(=連帯・善意)こそがファシズムの源泉として退けられた後、代案として提起されるのは快楽の優先であり、果てない回帰としてのモードでしかない。このように普遍性を欠いた美意識の理念化は、排他的な共同性を捏造することで普遍性の欠如を埋め合わせる。
こうして、テクノロジーによって実現された世界コミュニケーションが空間を無意味化した後で、この虚無を覆い隠すべくローカルな共同性が族生する。「アウシュヴィッツこそが詩である!」と謳いあげて終わるパセティックな第1章が、そのままこの沈鬱で退屈で希望のない現状認識と重ねあわされる。いやはや…これって宮台真司『終わりなき日常を生きろ』のオヤヂ・ヴァージョンだったのね。なるほど、ローカルな共同性の例にテレクラや出会い系が登場するはずだ。
ところで、9・11同時多発テロが起こったのは、おそらく本書第2章「暴力」の執筆半ば。著者はあとがきで本書への事件の影響を否定しているが、嘘おっしゃい! 第2章の前半と後半の間には、微妙な断層がある。しかも章末で「『事実上の平等』のないところに、正義を主張し、要求できるのは暴力のみである」とブチ上げている。著者が旅客機激突映像に昂揚していたのは明白でしょう。
2004年9月14日に日本でレビュー済み
「啓蒙書」だそうである。確かにこの著者の書いたものとしては論旨が把握しやすく、読者にうけとってもらいたい思念を誠実に表現しているように思えた。とくに、盲点を突く、というか、きわどい逆説を語るアフォリズムめいた文章の数々が、やはり本書最大の読みどころであろう。「信仰は愛によるのではなく恐怖に発し、神は最高善ではなく、むしろ非倫理的な存在だ」とか、「人間は、その邪悪さや愚劣さのためではなく、もっとも人間的な感情、もっとも親しく温かい慮りのなかにおいてこそ、神を裏切る」とか。
ちなみに「気鋭の論客」(福田評)である酒井信氏による用語解説が、丁寧に豊富にある。著者も指摘する通りこれ自体でも十分に読むに足る優れた内容なのだが、しかしどうも邪魔な気がしてならない。本文と並行して流れ方の異なる注解を読んでしまうと、著者の通念破壊的な文の勢いが停滞し、おもしろみが減じてしまうのである。別々に読むのがいいのかもしれない。
ちなみに「気鋭の論客」(福田評)である酒井信氏による用語解説が、丁寧に豊富にある。著者も指摘する通りこれ自体でも十分に読むに足る優れた内容なのだが、しかしどうも邪魔な気がしてならない。本文と並行して流れ方の異なる注解を読んでしまうと、著者の通念破壊的な文の勢いが停滞し、おもしろみが減じてしまうのである。別々に読むのがいいのかもしれない。