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8月の果て 単行本 – 2004/8/10
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- 本の長さ832ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2004/8/10
- ISBN-104104017086
- ISBN-13978-4104017089
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2004/8/10)
- 発売日 : 2004/8/10
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 832ページ
- ISBN-10 : 4104017086
- ISBN-13 : 978-4104017089
- Amazon 売れ筋ランキング: - 823,360位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 18,806位日本文学
- カスタマーレビュー:
著者について
劇作家・小説家。1968年、茨城県土浦市生まれ。神奈川県横浜市育ち。
高校中退後、ミュージカル劇団「東京キッドブラザース」に入団。女優、演出助手を経て、1987年に演劇ユニット「青春五月党」を結成。1993年、『魚の祭』で第37回岸田國士戯曲賞を最年少で受賞。1994年、初の小説作品「石に泳ぐ魚」を文芸誌「新潮」に発表。1996年、『フルハウス』で第18回野間文芸新人賞、第24回泉鏡花文学賞を受賞。1997年、「家族シネマ」で第116回芥川賞を受賞。1999年、『ゴールドラッシュ』で第3回木山捷平文学賞を受賞。2001 年、『命』で第7回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞を受賞。
2012年3月16日より福島県南相馬市の臨時災害放送局「南相馬ひばりエフエム」にて「柳美里のふたりとひとり」をスタートさせる。番組は2018年3月の閉局まで続き、約600人の地元住民の話を放送する。
2015年4月、福島県南相馬市原町区に転居。2017年7月、同市小高区に転居。
2018年4月、自宅一部を改装し本屋「フルハウス」を開業。9月、青春五月党復活公演vol.1「静物画」、10月、復活公演vol.2「町の形見」を小高にて上演。2019年「ある晴れた日に」を上演。
2020年3月、ブックカフェ「フルハウス」としてリニューアルオープン。
2020年、『Tokyo Ueno Station(JR上野駅公園口)』で全米図書賞(翻訳部門)を受賞。
2022年、第5回バークレー日本賞を受賞。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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何の参考にもならないばかりか、この本に対する興味さえ
失わせてしまう威力に圧倒された。
この本を読むとそんなに語りたくなるのだろうか?
やはり読んでみるか。
ほかのかたと評価が違うかもしれない。
2年かけて新聞に連載されたとされるこの小説は、
「身を削って書ききる」まさにマラソンのような小説。
(系図には多少フィクションも含まれていると思われるが)
戯曲家から出発した作家としての柳美里さんらしく、
戯曲仕立ての「シャーマンの儀式」からはじまり、
タロットカードをモチーフにした「著者」が生まれるまでを描く
という構成はとても粋だと思う。
今までの柳氏の文章はリズム的に読みづらいものが多かったが、
この作品はすんなりと読めた。
それはおそらく作品と自分を突き放した「ドラマ」として成り立っているから。
それは最後に「ナミコ」と李雨植がシャーマンの手で結ばれるというところに現れている。
この小説を「社会派」ととるかたんなる「ドラマ」ととるかは
意見が分かれるかもしれないが、民俗学としてのしきたりなど、
とても興味を持って読み終えた。ラストの「自由!」の一行が柳氏の一番のメッセージなのであろう。
ただ、氏が主人公を「雨哲」にしたかったのか「雨植」にしたかったのかどっちなのかわからない。。。
全て、が正解なのだろうが。
これからも「作家:柳美里」としてどんどん書いて欲しい。
かつて柳氏は従軍慰安婦問題について語る時、安易な擁護論に流れず、慎重な発言を繰り返していた。このたび作品中でナミコという一慰安婦の心に寄り添い、その声を描ききることで、柳氏が文学者として文学の中でこの問題に真剣に対峙したのだと、痛いほど伝わってきた。
そして圧巻はやはり、左翼運動に身を投じた李雨根が国家警察の手で、荒縄を咬まされ、立ったまま生き埋めにされるくだりだろう。この失われた声なき叫びこそ、柳氏が文学の力ですくい取ろうとしたものだと思うし、この“声”は「すっすっはっはっ」というマラソンの呼吸を通して、「石に泳ぐ魚」や「ゴールドラッシュ」の作家柳美里と“血”で繋がっているのだ。
惜しむらくは、新聞連載時のトラブルにより、執筆が絶えず脅かされたことだ。この作品がもっとよい環境で書かれていれば、私たちは大東亜戦争後の主人公李雨哲の“声”にもっと寄り添えた筈なのだ。
同小説の天皇制に触れた部分の書かれ方について一言。外側の視点から書きなぐられたような、いささか乱暴な描写に終始してしまっているのがとても残念です。この点などはやはりこの著者の、外へ外へと向かう攻撃的衝動性と無関係ではあり得ないでしょう。人間の精神性、特に朝鮮植民地時代を挟んでの日本と朝鮮それぞれの国に生きた人間たちの内面を描こうとする場合、天皇制の問題を含めて小説の題材として避けては通れないポイントがあります。そのようなポイントが複数箇所で荒い描写によって流されてしまっているのが残念。
元々、史実を扱う小説というのは評価がひどく割れるものなので、内容の詳細についてここであれこれとあげつらうことは避けます。ただ何よりも、歴史に対して「走る」という自らの身体的経験を通すことで忠実であろうとした著者の創作姿勢には学ぶところが大きく、また著者の筆致には読ませる力が十分であると高く評価します。
私は特にこの作者が好きなわけではありません。実は他の著書を読んだこともありません。今後もあまり読むつもりはありません。でもこれだけは「最後まで読ませて欲しい」と思っており、願いがかないました。
日本人の、韓国人(及び朝鮮人)に対する心の奥底で澱んでいる罪悪感みたいなものをえぐりまくった割りに、朝鮮戦争時の汚さはサラっと流しているようで、それがすごく残念でした。
それから私小説なので仕方がないのでしょうけど、自分自身を全面に出す、著者の自己顕示欲には参りました。
そのあたりを差し引いても。
生きているうちにあと2回は読まなくてはいけないかな、と思いました。その時はもっと理解できるように、深く考えられるように、避けて通りがちな近代史を、勉強しなおしておきたいです。