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いま私たちが考えるべきこと 単行本 – 2004/3/30
橋本 治
(著)
- 本の長さ221ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2004/3/30
- ISBN-104104061077
- ISBN-13978-4104061075
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商品の説明
メディア掲載レビューほか
いま私たちが考えるべきこと
社会の“今”にユニークな視点で物申し続ける作家、橋本治氏が、「私」と「社会」の間に内在する断絶の根本原因を探る書。「私(個人)」は「社会」の一員であるはずなのに、「社会」は一体感の持てない「意味不明の存在」でしかないと説き、日本人の多くが抱く漠然とした不安の構造を、巧妙な論理展開によって解読していく。
社会の“今”にユニークな視点で物申し続ける作家、橋本治氏が、「私」と「社会」の間に内在する断絶の根本原因を探る書。「私(個人)」は「社会」の一員であるはずなのに、「社会」は一体感の持てない「意味不明の存在」でしかないと説き、日本人の多くが抱く漠然とした不安の構造を、巧妙な論理展開によって解読していく。
一見、言葉遊びのような軽やかな論調だが、読み進むうちに、今日の教育、年金制度、公共事業投資などの政治的課題の解決を阻むものが、我々一人ひとりの心の内にあることが浮き彫りになってくる。「社会は何もしてくれない」という失意の根底には歪んだエゴイズムが存在し、それが恋人であれ国家であれ、他者と健全な関係を築く行為の障害になっていると語る。
(日経ビジネス 2004/05/10 Copyright©2001 日経BP企画..All rights reserved.)
-- 日経BP企画
内容(「MARC」データベースより)
「私」のことだけでは寂しいし、「私たち」だけでは息苦しい。新しい「他人」はどこにいるのか? 人生を本気で考える人のための橋本治式「考えるレッスン」。『考える人』連載を単行本化。
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2004/3/30)
- 発売日 : 2004/3/30
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 221ページ
- ISBN-10 : 4104061077
- ISBN-13 : 978-4104061075
- Amazon 売れ筋ランキング: - 526,826位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 8,658位近現代日本のエッセー・随筆
- - 17,009位哲学・思想 (本)
- - 51,889位ビジネス・経済 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1948年東京生まれ。東京大学在学中に駒場祭のポスターで話題を集めるが、イラストレーターから小説家に転身。小説・評論・戯曲・古典の現代語訳・エッ セイ・芝居の演出など、ジャンルにとらわれず精力的に活動。『双調平家物語』で第62回毎日出版文化賞を受けるなど受賞歴多数。小林秀雄賞選考委員(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 桃尻娘 (ISBN-13: 978-4591117552 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2006年9月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
橋本治の独自性が発揮されていますね。今の日本社会の風潮、常識、世論というものは、私たちの「個人的」な成り立ちによっている、との論法。そうです、間違いなく、世界は人々のものの認識が複雑に構成されてできています。そのほかの、なにものかでできているわけではないのです。と、考えさせられてしまいます。文中、「国家」というものがピンとこない、と書いてますが、納得してしまいますね。国家というのは近代民主主義思想に基づいて封建社会の崩壊の後うまれた民族や地勢上の単位から発展した団体(かな?)。と考えたら、国家のもととなる民主主義思想って日本にあるのか?例えば、選挙にしたって普通の人はなにを考えて選んでます?民主主義を実現してくれる人を選んでます?まずそんな人はいません。田舎にいくと地縁血縁、職場の方針、利権の恩恵、でえらんでます。思想はみあたりません。じゃ、こういう私たちの現状はなんなのか?ということをクリアにわからせてくれます。
2008年2月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
橋本氏が「私と私たち」を考察する事によって、暗黙の中に日本人の不和雷同性と組織内の硬直したマニュアル的発想を批判したもの。橋本氏独特のネチネチした論理展開に耐えれば、後半は割りとスッキリした展望が開ける。
橋本氏はまず人間を次の三つのタイプに別ける。
(1) 自分の事を考えているうちに、いつの間にか他人の事を考えてしまう人。
(2) 他人の事は考えず、自分の事(利益)だけを考える人。いわゆるエゴイスト。
(3) 他人の事も考慮するが、最終的には自分の判断で現実への対応を自分で考える人。
(2)のエゴイストに関しては昔から存在していたとし、著者も処置なしと匙を投げる。(3)が理想なのは明らかである。問題は(1)で、著者はここで前近代/近代と言う概念を持って来て、(1)を前近代の考え方とする。前近代ではお殿様とか、代官が物を考えてくれて、人々はその規範に合っているかどうかさえ気を付ければ良い。これが「自分の事を考える=他人の意向に沿うよう考える」と言う意味である。現在「私たち」と言う際、前近代の人と近代の人が混在している訳だから、分かり合えない部分があるのは当然で、"分かり合えない"と言って悩む人を救うのが本書の狙いの一つであろう。全ての物が「可知」である事をアッサリ否定しているのは清々しい。では、「私たち」は分かりあえないのか。「私たち=私+他人」と言う図式の中で「私」と「他人」が一つになれば「私たち」になる。これを恒常的に保とうとすれば無理が出る。「必要に応じて"私たち"を成り立たせられるだけの思考力と、思考の柔軟性をつける事」が必要であると言うのが結論。
メビウスの環のような論理展開で、読者を啓蒙する刺激的な書。
橋本氏はまず人間を次の三つのタイプに別ける。
(1) 自分の事を考えているうちに、いつの間にか他人の事を考えてしまう人。
(2) 他人の事は考えず、自分の事(利益)だけを考える人。いわゆるエゴイスト。
(3) 他人の事も考慮するが、最終的には自分の判断で現実への対応を自分で考える人。
(2)のエゴイストに関しては昔から存在していたとし、著者も処置なしと匙を投げる。(3)が理想なのは明らかである。問題は(1)で、著者はここで前近代/近代と言う概念を持って来て、(1)を前近代の考え方とする。前近代ではお殿様とか、代官が物を考えてくれて、人々はその規範に合っているかどうかさえ気を付ければ良い。これが「自分の事を考える=他人の意向に沿うよう考える」と言う意味である。現在「私たち」と言う際、前近代の人と近代の人が混在している訳だから、分かり合えない部分があるのは当然で、"分かり合えない"と言って悩む人を救うのが本書の狙いの一つであろう。全ての物が「可知」である事をアッサリ否定しているのは清々しい。では、「私たち」は分かりあえないのか。「私たち=私+他人」と言う図式の中で「私」と「他人」が一つになれば「私たち」になる。これを恒常的に保とうとすれば無理が出る。「必要に応じて"私たち"を成り立たせられるだけの思考力と、思考の柔軟性をつける事」が必要であると言うのが結論。
メビウスの環のような論理展開で、読者を啓蒙する刺激的な書。
2010年1月27日に日本でレビュー済み
他のレビューアーが整理している通りの内容です。
読んでいて面白いと言えば面白いのですが、橋本先生
の本を読んでいれば、全体としていつもの橋本先生の
想いの中に収斂する本の一つであるということはわか
ると思います。
橋本先生の本は、いつも面白く読めるのですが、そ
の後何が書いてあったかを思い出そうとすると、なぜ
か頭に霧がかかったようになって、何が書いてあった
が思い出せなくなるような気がします。この本もそう
でした。そういう意味でも橋本先生の本だと思います。
読んでいて面白いと言えば面白いのですが、橋本先生
の本を読んでいれば、全体としていつもの橋本先生の
想いの中に収斂する本の一つであるということはわか
ると思います。
橋本先生の本は、いつも面白く読めるのですが、そ
の後何が書いてあったかを思い出そうとすると、なぜ
か頭に霧がかかったようになって、何が書いてあった
が思い出せなくなるような気がします。この本もそう
でした。そういう意味でも橋本先生の本だと思います。
2007年5月19日に日本でレビュー済み
橋本治『いま私たちが考えるべきこと』新潮文庫
橋本さんのご本は、初めて手に取った。あら、びっくり。高橋源一郎さんの本を読んだ時も、それはそれは仰天したものだけど、高橋さんが絶賛してたから読んでみた橋本さんは、また違う意味でびっくり。「自分の言葉」を持つとは、こういう人のことを言っているのだと考えて、差し支えないのではないかと、ぼくは思う。橋本さんの文章は、ややこしい。 まどろっこしい。でも「物を考える」というのは、ややこしいことなのだ。
ものすごい量の文章を書いてる橋本さんの仕事を追って行くのは、ぼくには無理だろうけど、今度はぜひ橋本さんの小説を読んでみよう。あぁ、楽しみがまたひとつできました。
橋本さんのご本は、初めて手に取った。あら、びっくり。高橋源一郎さんの本を読んだ時も、それはそれは仰天したものだけど、高橋さんが絶賛してたから読んでみた橋本さんは、また違う意味でびっくり。「自分の言葉」を持つとは、こういう人のことを言っているのだと考えて、差し支えないのではないかと、ぼくは思う。橋本さんの文章は、ややこしい。 まどろっこしい。でも「物を考える」というのは、ややこしいことなのだ。
ものすごい量の文章を書いてる橋本さんの仕事を追って行くのは、ぼくには無理だろうけど、今度はぜひ橋本さんの小説を読んでみよう。あぁ、楽しみがまたひとつできました。
2007年9月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
文庫本一冊丸々「自分のことを考えるが、そのまま他人のことを考える」になっている人と、「自分のことを考えるは、自分のことを考える」な人という、ある意味両極にある人と、その思考回路、近代、前近代性という歴史的な背景について、ねちねちと、じっくりと考える本。
そして、橋本ファンはその思考を追体験し、自分なりに咀嚼したり考えたりするのに幸せを感じるのです。
逆に言うと、この本は橋本ファン以外が氏の本を読もうと思って最初に手にとってはいけないと思う。ついていくのに苦労するので。粘着質で。
本の中で、筆者は本当にいろいろな切り口から、二通りの種類の人間のことを考えている。
それを読み進むうちに、この本のタイトルの持つ意味もわかってきて、自分としては、そこも面白かった。
そして、橋本ファンはその思考を追体験し、自分なりに咀嚼したり考えたりするのに幸せを感じるのです。
逆に言うと、この本は橋本ファン以外が氏の本を読もうと思って最初に手にとってはいけないと思う。ついていくのに苦労するので。粘着質で。
本の中で、筆者は本当にいろいろな切り口から、二通りの種類の人間のことを考えている。
それを読み進むうちに、この本のタイトルの持つ意味もわかってきて、自分としては、そこも面白かった。
2004年4月14日に日本でレビュー済み
~いま、迷っていませんか?
毎日のどんなことでもいいです。わからないこと、先行き不透明なこと、答えがみえないこと、あきらめかかっていること、いろいろに迷っていませんか。なにか思いついたあなた、ぼくも仲間です。
~~
ページをめくりつつ、このヒトの書く文章は、やっぱり途中で読むのを止めたり、途中から読んだり、一部を抜き出したりできないなあ、と思ったので、全12章の5章まで読み終わったところで、じゃあ最後だけ読んでみるべ~と第12章を読んでみた。
~~
「この本のタイトルは、あまりにもだいそれています。『いま私たちが考えるべきこと』とは、なにごとでしょう。私が読者の立場にいたら、こんなタイトルの本に絶対手を出しません。」
とはじまり、第1章で、
~~
『「自分のことを考える」とか、「自分のことを考えろ」ということになって、「まず自分のことを考えるひと」と、「まず他人のことを考えるひと」と、人にはこの二種類がある』
と考え始めるこの本は、最後の最後、
『「私はそう考える」ーただそう言うだけで、「あなたの考えること」は、私の管轄するところではない。
おわりである。』
~~
とそっけなく結ばれてしまうのだが、第12章『「答えがない」という新しさ』の最後あたりには、それでも答えらしい、著者の言いたかったことが書いてあった。
『いま私たちの考えるべきことは、「必要に応じて”私たち”を成り立たせられるだけの思考力と、思考の柔軟性をつけること」ーこのことに尽きるだろうと、私は思う。』
…ピンと来ないでしょ?
~~
あたりまえ。さっき書いたように、途中から読んでいい文章じゃないんです、これ。上の引用だけ読んで、なにかが分かったとしたら、それは大方間違い。最初から、ゆっくりじっくり読むしか、道はないのです。著者の言わんとすることを体現したのがこの本です。読んで、「自分の頭で」考え続けないと、わからないのです。~
毎日のどんなことでもいいです。わからないこと、先行き不透明なこと、答えがみえないこと、あきらめかかっていること、いろいろに迷っていませんか。なにか思いついたあなた、ぼくも仲間です。
~~
ページをめくりつつ、このヒトの書く文章は、やっぱり途中で読むのを止めたり、途中から読んだり、一部を抜き出したりできないなあ、と思ったので、全12章の5章まで読み終わったところで、じゃあ最後だけ読んでみるべ~と第12章を読んでみた。
~~
「この本のタイトルは、あまりにもだいそれています。『いま私たちが考えるべきこと』とは、なにごとでしょう。私が読者の立場にいたら、こんなタイトルの本に絶対手を出しません。」
とはじまり、第1章で、
~~
『「自分のことを考える」とか、「自分のことを考えろ」ということになって、「まず自分のことを考えるひと」と、「まず他人のことを考えるひと」と、人にはこの二種類がある』
と考え始めるこの本は、最後の最後、
『「私はそう考える」ーただそう言うだけで、「あなたの考えること」は、私の管轄するところではない。
おわりである。』
~~
とそっけなく結ばれてしまうのだが、第12章『「答えがない」という新しさ』の最後あたりには、それでも答えらしい、著者の言いたかったことが書いてあった。
『いま私たちの考えるべきことは、「必要に応じて”私たち”を成り立たせられるだけの思考力と、思考の柔軟性をつけること」ーこのことに尽きるだろうと、私は思う。』
…ピンと来ないでしょ?
~~
あたりまえ。さっき書いたように、途中から読んでいい文章じゃないんです、これ。上の引用だけ読んで、なにかが分かったとしたら、それは大方間違い。最初から、ゆっくりじっくり読むしか、道はないのです。著者の言わんとすることを体現したのがこの本です。読んで、「自分の頭で」考え続けないと、わからないのです。~
2004年4月11日に日本でレビュー済み
橋本先生の書くものは、だいたい同じことを述べている。
でも新刊が出ると必ず買う。「これは前に読んだ」と思いながらも
最初から最後までちゃんと読む。そして一種の安心の感覚を楽しむ。
しかし今度のこの本ですが、いつになくpatheticな読後感があり、
あれれと感じながら読了しました。どうしてかな?
おそらく第11章の、「個性」とは哀しいものである、という文章が
哀しみの感情を強く引き出すものだからである。
ブラームスのヴィオラ・ソナタのように哀しい。
橋本先生は「男はつらいよ」シリーズ終盤の渥美さんのように
徐々に哀愁を身にまとおうとしているのだろうか?
ファンとしては、笑える部分がたくさんあると嬉しいです。
でも新刊が出ると必ず買う。「これは前に読んだ」と思いながらも
最初から最後までちゃんと読む。そして一種の安心の感覚を楽しむ。
しかし今度のこの本ですが、いつになくpatheticな読後感があり、
あれれと感じながら読了しました。どうしてかな?
おそらく第11章の、「個性」とは哀しいものである、という文章が
哀しみの感情を強く引き出すものだからである。
ブラームスのヴィオラ・ソナタのように哀しい。
橋本先生は「男はつらいよ」シリーズ終盤の渥美さんのように
徐々に哀愁を身にまとおうとしているのだろうか?
ファンとしては、笑える部分がたくさんあると嬉しいです。
2004年10月13日に日本でレビュー済み
1960年代は、とっても尖がっていた時代でした。そこからプロテストとも反体制とも言える既成概念のへ反発が生まれはじめたと言われています。それは、90年代初頭までのバブルがはじけた時期までに完了しました。そこまでは、剛直な既成概念が残っていたためです。最後には、「思想」「政治」まで玩具にして終わってしまいました。そうやってみんなで「前近代」を終われにしました。
今の混乱は、終わりにしてしまったくせに、「前近代」を求めているからです。「近代」に対応できないくせに終わりにしたのか、それとも終わりにさせられたのか・・・。とにかく終わってしまいました。
久々の橋本節でした。ありがとうございます。
橋本氏のエッセイが書店に平積みにされているのを見て、戸惑っていた私ですが、何年も前から「近代」の到来を予測し、警告していた著者の現在の回答書です。10年先をいっていた著者に時代が追いついてしまいました。
まだまだ売れますよ。橋本治は!!困ったもんです。頑張るしかないですね。
ちなみに、ひたすら肉体強化を求めた90年代は、現在を予測した生物的自己保存本能ですかね?
今の混乱は、終わりにしてしまったくせに、「前近代」を求めているからです。「近代」に対応できないくせに終わりにしたのか、それとも終わりにさせられたのか・・・。とにかく終わってしまいました。
久々の橋本節でした。ありがとうございます。
橋本氏のエッセイが書店に平積みにされているのを見て、戸惑っていた私ですが、何年も前から「近代」の到来を予測し、警告していた著者の現在の回答書です。10年先をいっていた著者に時代が追いついてしまいました。
まだまだ売れますよ。橋本治は!!困ったもんです。頑張るしかないですね。
ちなみに、ひたすら肉体強化を求めた90年代は、現在を予測した生物的自己保存本能ですかね?