もともとは1998年に刊行されたもの。著者は歯科医である。
曰く・・・
家康は三河を実力で平定したが、三河守としての叙任は朝廷に認めてもらえない。家康は公家に工作し、「徳川」という源氏の流れを引く系図を見つけ出す。この系図を加工し、松平氏をつなげる。江戸時代になると、新田義重から4代までの系図(以後不明)と松平信光までの系図(以前不明)をくっつける。家康は征夷大将軍になるため源氏の系譜がほしい。そこで、源氏の名流である吉良氏から源義国以降の系図をもらい受け、これを新田氏の系図につなげることで、清和源氏嫡流としての徳川氏系図を粉飾したとみられる。
織田信長は平氏を称する。当時は、武家政権は源氏と平氏が交互にその座につくという源平交迭の思想が信じられていたため、足利氏の次は平氏だったから。
尾張・紀伊・水戸が御三家とよばれるようになったのは家康・秀忠らの幕府草創期よりももっとあとではないか。家康による江戸幕府開府のころは、御三家以外にも徳川性の大名は何人かいたが、いずれも短期間でなくなったために御三家が残った。格の落ちる水戸藩は「大日本史」の編纂により、自ら徳川家の重要な一角であることをアピールした。
徳川氏は新田氏の流れを汲むと称したので、新田氏が支えた南朝の正統を唱えることになり、それは新田氏(とその後裔の徳川氏)こそが真の尊皇家、というロジックになる。大日本史の南朝正統論には、徳川政権を正当化し、同時に朝廷(北朝)を牽制する意味合いもあった。天皇中心の歴史観を装いつつ、幕府政権を正当づけようという思想がある。
江戸時代には系図屋が繁盛する。いわば偽文書作りのプロ。この系図屋の一人が義経=ジンギスカン説をでっち上げる。一度こういう史料がねつ造されると、信じたいという人々によって次第に生命が吹き込まれていく。幕府は間宮林蔵に北方探検させているが、その任務の一つは義経が蝦夷を経由して大陸に渡った史実の調査も含まれる。間宮は樺太から大陸まで渡って調査し、それが正しいと報告している。こうして、義経=ジンギスカン説はすっかり定着してしまう。
近代日本にとって戦争は悪ではなく、自国の正しさを力で証明する機会だったし、植民地をたくさん持っているのは優れた国家の証明だった。それが当時の世界常識だった。欧米諸国は侵略を正当化するために、キリスト教の布教と、自分たちが統治することで植民地の人間に進歩を教えるのだという大義名分があった。日本の場合、日本人と現地の人々はもともと同じ血が流れている、という物語(偽史)が強調された。侵略者ではなく兄弟。琉球王の祖先が源為朝だという伝説、台湾の鄭成功などが侵略正当化に利用されている。かつての英雄の海外雄飛物語も役だった。人気だったのは豊臣秀吉。
平田篤胤は、神代文字があったと主張し、日本を世界の中心という意味を込めて「中華」と呼ぶ。幕末から明治にかけて広まった神国・日本という概念はこうした偽史の操作によって培われた。幕末から明治時代にかけては偽史作成ブームがあった。
ムー大陸は、自称・陸軍大佐のチャーチワードがインド駐留時に門外不出の粘土板を見せてもらってその秘密を知ったというのが話の発端。チャーチワードは大佐でもなんでもないしインドに行ったこともない。ムー大陸もアトランティック大陸伝説を太平洋に置き換えたものにすぎない。チャーチワードは、その著書の中で日本人は黄色人種ではなくムー大陸の白色人種の子孫であると書いたものだから、日本人の優越性を信じていた愛国者は喜んでしまった。チャーチワードは白人優越主義者で、日露戦争で日本が勝ったことが信じられず、ロシア人に勝ったのだから日本人が黄色人種であるはずがないというゆがんだ思考からこうした話をでっちあげたにすぎない。
法政大学の佐伯好郎が日本人とユダヤ人は同民族だという説を唱える。これは北海道開発にユダヤ資本を導入しようという計画があり、ユダヤ人の注目を集めるために意図的に書いたハッタリなのだがこれが広まった。後年、杉原千畝がユダヤ人を助けたり、なにかと日本人がユダヤ人を保護した動きの背後には日ユ同祖説が微妙に影響したともいわれる。日ユ同祖説を信じていた一部の軍人を中心に、満州にユダヤ人救済のための自治区を作る案も浮上している(フグ計画)。計画段階で立ち消えになっている。
偽書「竹内文書」は天津教の教祖・竹内巨麿が見つけたとされるが、巨麿は祖父のホラ話をまともに受けたため、巨麿も被害者だといえる。「竹内文書」は架空の歴史を語った祝詞みたいなもの。
熊沢大然・寛道親子は、南朝子孫を名乗る。近衛文麿や東条英機など多くの政治家はとりあえず丁重な態度で対応している。南朝系天皇の子孫というだけで彼らはなにがしかの金を出している。熊沢天皇を利用してのクーデター計画すら一部右翼の間では模索されていたという。
花園天皇(持明院統)は、次の天皇は大覚寺統から出し、その後は再び持明院統から天皇を出す両統迭立により皇室の紛糾を鎮めようとした。ところが花園天皇の後の後醍醐天皇(大覚寺統)は皇位に執着する。それが鎌倉幕府打倒の直接の原因だったとも言われる。後醍醐天皇は、持明院統との約束を反故にしたばかりか、大覚寺統の他の親王にも皇位を渡すまいとして、怪しげな密教の呪法を用いてライバルを呪詛したとも言われる。
軍部は天皇機関説を攻撃し、権力拡張、軍部独裁への野望を強めていったが、最も困るのは現天皇(昭和天皇)が議会制を支持して軍部独裁に反対しそうなこと。場合によっては自分たちの傀儡となる天皇を立てることも考え、そのときに熊沢天皇が候補に挙がる。しかし、熊沢天皇は妄想がひどく、さすがに熊沢擁立の線はなくなった。このあとに226事件が発生し、軍首脳部は一時この行動を支持しかけたが、昭和天皇が自ら近衛師団を率いて鎮圧に向かうとまで言ったため、軍部も青年将校らの行為を反乱と認定した。
太平洋戦争が終結すると熊沢天皇はGHQに対し、北朝系の現天皇は自分に譲位すべきだと請願する。これが結構、アメリカ人に受けた。一時は、熊沢天皇周辺は活気づき、熊沢には莫大な献金が集まる。熊沢は全国各地を講演して回ったが、熊沢は妄想的すぎる上にプレゼン能力も低く、次第に力を失う。熊沢寛道は父の大然に南朝天皇の子孫だと言われながら育てられたため、それを信じてしまいピエロになったのかもしれない。
明治以降、戦前までに少年期を過ごした日本人で楠木正成に熱中しなかった人間を見つけるのは困難、というくらいだった。
幸徳秋水は戦争そのものを否定したわけではない。秋水は、陰謀をめぐらせ、詭計を謀る戦争は女性的であるとして嫌悪する。要するに「美しくない」から戦争を否定する。公明正大で美しい争いなら拒むものではない。彼にとっては法秩序や社会制度よりも個人的な美意識の方が大切で、社会主義から無政府主義へとすすんでいったのは当然でもあり、そこにあったのは思想的深化ではなく情念的な美意識の純化だったというべきかもしれない。
夏目漱石は、官僚、金持ち、政治家は大嫌いだが、皇室に対しては深い崇敬の念を持っていた。
明治憲法は不磨の大典といわれ、その改正を臣民の側から主張することは認められず、勅命によってしか改正発議され得ないと規定されている。日本国憲法は、明治憲法が天皇の許可のもとに改正されたというかたちになっている。日本国憲法は、形式上は、明治憲法と連続性を持つものとして、その改正憲法として勅命により発議され、帝国議会の議決に付されるという法的手続きにしたがって制定された。となると日本国憲法は、欽定憲法ということになるのではないか。
昭和天皇は退位していないが別の責任の取り方をしたのではないか。天皇は国家統治者をやめるということであり、国民を主権者とする新しい憲法を自らの名において公布し、自分は国家ならびに国民の象徴になることを承認したということであり、これは退位以上の大きな変革である。いわば、昭和天皇は統治の大権を国民に禅譲したともいえる。
後醍醐天皇は自ら密教の修法を行い、超越的な力によって絶対君主にならんとしたと言われる。一方、北朝の天皇は自らに「徳」を課している。いわゆる「人間宣言」において、昭和天皇は南朝的な超越的君主志向ではなく、君民一如の融和を志向する北朝的伝統復古を宣言したのではないか。
愛国教育は本来、政治家や官僚にとってこそ怖いものであるはず。彼らこそが厳しく愛国心を問われ、私利私欲に走ると反国民的存在(非国民)とされ、主権者国民に背く賊徒は謀反人となる。徹底した愛国教育は革命思想たりえる。
みたいな話。
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人はなぜ歴史を偽造するのか 単行本 – 1998/6/1
長山 靖生
(著)
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- 本の長さ236ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日1998/6/1
- ISBN-104104241016
- ISBN-13978-4104241019
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
超古代の日本は世界の覇者だった…。抱腹絶倒の偽史書に、しかし国民は喝采し、権力者は動いた。誇るべき架空の歴史をでっちあげる奇妙な情熱、悲しき病理。日本人の心理構造を、抱腹絶倒の事例から暴く。
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (1998/6/1)
- 発売日 : 1998/6/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 236ページ
- ISBN-10 : 4104241016
- ISBN-13 : 978-4104241019
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,086,874位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2007年11月20日に日本でレビュー済み
本書のメインテーマは南北朝正潤論争や熊沢天皇であるが、実はこれらのトピックは歴史好きの間では「メジャーな」ものであり、秦郁彦氏や保阪正康氏の著作からも十分な知識が得られる。
しかし、私は本書の白眉は巻末の短文「ふたつの憲法の精神史」にあると考えている。この短文の中で、著者はまず日本国憲法が民定憲法ではなく、欽定憲法(明治憲法の手続きに従って、昭和天皇により定められた憲法)であることを確認したうえで、新憲法制定は革命ではなかったとして、宮沢俊義氏の「8月革命説」を否定する。その上で、新憲法が革命にならなかった要因として手続き的なものの他に、官僚制が温存されたことを挙げる。
日本国憲法第15条「公務員を選定し、及びこれを罷免することは国民固有の権利である」この条文は、マッカーサー草案そのものではないが、少なくともその精神が生きている。しかし、この条文は完全に空文化していると言っていいだろう。我々国民は、○○省の事務次官や局長や審議官を罷免する権利を持たない。大臣や総理大臣でさえ、事実上、人事権は極めて制限されている。(例えば民間人をいきなり次官にすることはできない)
敗戦を経て、軍は解体され、憲法も、天皇も大きく変わったが、ただひとつ温存されたのが官僚制であった。私たちは空文化した憲法第15条をいつも忘れてはならないのではないか。
しかし、私は本書の白眉は巻末の短文「ふたつの憲法の精神史」にあると考えている。この短文の中で、著者はまず日本国憲法が民定憲法ではなく、欽定憲法(明治憲法の手続きに従って、昭和天皇により定められた憲法)であることを確認したうえで、新憲法制定は革命ではなかったとして、宮沢俊義氏の「8月革命説」を否定する。その上で、新憲法が革命にならなかった要因として手続き的なものの他に、官僚制が温存されたことを挙げる。
日本国憲法第15条「公務員を選定し、及びこれを罷免することは国民固有の権利である」この条文は、マッカーサー草案そのものではないが、少なくともその精神が生きている。しかし、この条文は完全に空文化していると言っていいだろう。我々国民は、○○省の事務次官や局長や審議官を罷免する権利を持たない。大臣や総理大臣でさえ、事実上、人事権は極めて制限されている。(例えば民間人をいきなり次官にすることはできない)
敗戦を経て、軍は解体され、憲法も、天皇も大きく変わったが、ただひとつ温存されたのが官僚制であった。私たちは空文化した憲法第15条をいつも忘れてはならないのではないか。
2016年1月25日に日本でレビュー済み
歴史学の拠り所とするのが「史料」であることは誰でも知っているが、もう一つ「方法論の存在」があることは、大学で歴史学を専門とする人以外には余りいない。
その方法論にも二通りのものがあり、一つは歴史学それぞれの分野での固有の方法論でありもう一つは理論構築のために他の周辺領域の学問領域から緩用される汎用的方法論のことである。日本史学なら古文書の形式や種類を中心とする古文書学を主とするが、その古文書学も歴とした学問領域であり、古文書の読み方などは古文や漢文の読解といった基礎的作業もあれば、その書式や形式といった側面に基づく検証も必要になる。
さて本書が扱うのは「なぜ歴史を偽造あるいは偽装するのか」といった意識を問う問題であり、言い換えればそれは次の問題と同じになる。
それが「歴史が記しているのが果たして事実であるといえるのか」との素朴な問題である。
古文書学の講座で最初に扱う話題の一つに「偽文書」があり、それを事例とすれば、この疑問に対する答の出し方も自ずと明らかとなる。「偽文書」の典型は「系図」と「証文」であり、それが何を意味するのかは正当な根拠なり箔付けをするものであるとの文書主義とそれに証拠能力を求めるからである。
だが実際にそうして「意図的に作られた証拠」が事実を裏付けているかといえば、そうでないことも明らかであり、意図的に作られたものを改竄と呼びもする。
それとは別に不都合なこと」は書かないとのケースもある。その典型が「正史」であり、それとは別に民間で編纂された記録を「野史」もしくは「稗史」と呼び区別もしていた。
もし正史だけが歴史の全てを記していたなら、そこからこぼれ落ちていた事実が記されることもなく歴史の流れ全体の上で空白を生じもする。実際に鎌倉幕府の事跡を記したのが『吾妻鏡』 であるなら、それに続く公式記録は江戸時代の『徳川実紀』であることをどう理解すれば良いのかとの問題が生じもする。その間の室町幕府に関する公式記録が江戸幕府によって記された『後鑑』であるとの事由による。
こうした点から垣間見えるのは、権力者が歴史に求める最大の要素は「正当性を裏付けるための根拠」でしかないとの、極めてシンプルな事実を本書読み物として提示した形である。
著者がとりあげた「南北朝正閏論」もそれを緩用する形で形成されてきた皇国史観も、共に歪んだ歴史感覚の下で生み出されてきた鬼っ子であることに変わりはなく、それを単に妄想と断じてしまうほど現在の歴史学を取り巻く状況は甘くもない。
逆に本書が主眼とする「物語としての歴史性」や「ふたつの憲法の精神史」との部分からは、著者自らがその陥穽に陥っているとの危惧を感じさせもする。
その方法論にも二通りのものがあり、一つは歴史学それぞれの分野での固有の方法論でありもう一つは理論構築のために他の周辺領域の学問領域から緩用される汎用的方法論のことである。日本史学なら古文書の形式や種類を中心とする古文書学を主とするが、その古文書学も歴とした学問領域であり、古文書の読み方などは古文や漢文の読解といった基礎的作業もあれば、その書式や形式といった側面に基づく検証も必要になる。
さて本書が扱うのは「なぜ歴史を偽造あるいは偽装するのか」といった意識を問う問題であり、言い換えればそれは次の問題と同じになる。
それが「歴史が記しているのが果たして事実であるといえるのか」との素朴な問題である。
古文書学の講座で最初に扱う話題の一つに「偽文書」があり、それを事例とすれば、この疑問に対する答の出し方も自ずと明らかとなる。「偽文書」の典型は「系図」と「証文」であり、それが何を意味するのかは正当な根拠なり箔付けをするものであるとの文書主義とそれに証拠能力を求めるからである。
だが実際にそうして「意図的に作られた証拠」が事実を裏付けているかといえば、そうでないことも明らかであり、意図的に作られたものを改竄と呼びもする。
それとは別に不都合なこと」は書かないとのケースもある。その典型が「正史」であり、それとは別に民間で編纂された記録を「野史」もしくは「稗史」と呼び区別もしていた。
もし正史だけが歴史の全てを記していたなら、そこからこぼれ落ちていた事実が記されることもなく歴史の流れ全体の上で空白を生じもする。実際に鎌倉幕府の事跡を記したのが『吾妻鏡』 であるなら、それに続く公式記録は江戸時代の『徳川実紀』であることをどう理解すれば良いのかとの問題が生じもする。その間の室町幕府に関する公式記録が江戸幕府によって記された『後鑑』であるとの事由による。
こうした点から垣間見えるのは、権力者が歴史に求める最大の要素は「正当性を裏付けるための根拠」でしかないとの、極めてシンプルな事実を本書読み物として提示した形である。
著者がとりあげた「南北朝正閏論」もそれを緩用する形で形成されてきた皇国史観も、共に歪んだ歴史感覚の下で生み出されてきた鬼っ子であることに変わりはなく、それを単に妄想と断じてしまうほど現在の歴史学を取り巻く状況は甘くもない。
逆に本書が主眼とする「物語としての歴史性」や「ふたつの憲法の精神史」との部分からは、著者自らがその陥穽に陥っているとの危惧を感じさせもする。
2015年4月15日に日本でレビュー済み
1998年に新潮社から出た単行本の文庫化。書き下ろしの章が加えられている。
江戸~戦後すぐくらいまでの時代の偽書や偽史について論じた文章多数を一冊にまとめたもの。
中心になっているのは、明治期における南北朝の問題。北朝は明治天皇へとつながる「正統」なはずが、この時期にはあたかも南朝が正しかったかのような風潮が生まれ、一種の逆転現象を起こすことになる。それに至った社会的状況、政治、教育、軍事を細かに分析し、「なぜ歴史は歪められるのか」を示そうとしている。
きわめて真摯かつ重い問題である。
そのほか、『竹内文書』や熊沢天皇なども取り上げられている。
けっして軽い本ではない。
江戸~戦後すぐくらいまでの時代の偽書や偽史について論じた文章多数を一冊にまとめたもの。
中心になっているのは、明治期における南北朝の問題。北朝は明治天皇へとつながる「正統」なはずが、この時期にはあたかも南朝が正しかったかのような風潮が生まれ、一種の逆転現象を起こすことになる。それに至った社会的状況、政治、教育、軍事を細かに分析し、「なぜ歴史は歪められるのか」を示そうとしている。
きわめて真摯かつ重い問題である。
そのほか、『竹内文書』や熊沢天皇なども取り上げられている。
けっして軽い本ではない。