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ヒナギクのお茶の場合 単行本 – 2000/3/1
- 本の長さ182ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2000/3/1
- ISBN-104104361011
- ISBN-13978-4104361014
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2000/3/1)
- 発売日 : 2000/3/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 182ページ
- ISBN-10 : 4104361011
- ISBN-13 : 978-4104361014
- Amazon 売れ筋ランキング: - 505,768位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 11,615位日本文学
- カスタマーレビュー:
著者について
【著者紹介】
多和田葉子(たわだ・ようこ)
小説家、詩人。1960年3月23日東京都中野区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。ハンブルク大学大学院修士課程修了。文学博士(チューリッヒ大学)。
1982年よりドイツに在住し、日本語とドイツ語で作品を手がける。1991年『かかとを失くして』で群像新人文学賞、1993年『犬婿入り』で芥川賞を受賞。2000年『ヒナギクのお茶の場合』で泉鏡花文学賞、2002年『球形時間』でBunkamuraドゥマゴ文学賞、2003年『容疑者の夜行列車』で伊藤整文学賞、谷崎潤一郎賞、2005年にゲーテ・メダル、2009年に早稲田大学坪内逍遙大賞、2011年『尼僧とキューピッドの弓』で紫式部文学賞、『雪の練習生』で野間文芸賞、2013年『雲をつかむ話』で読売文学賞、芸術選奨文部科学大臣賞など受賞多数。2016年にドイツのクライスト賞を日本人で初めて受賞。2018年『献灯使』で全米図書賞翻訳文学部門受賞。
著書に『ゴットハルト鉄道』『飛魂』『エクソフォニー 母語の外へ出る旅』『旅をする裸の眼』『ボルドーの義兄』『百年の散歩』『地球にちりばめられて』などがある。
ヨーロッパ、アメリカ、アジアでこれまで700回以上の朗読会を開いている。アメリカではスタンフォード大学、コーネル大学、マサチューセッツ工科大学など1999年以降多数の大学に招かれ、数日から数ヶ月滞在。著作は日本語でもドイツ語でも20冊以上出版されており、フランス語訳、英訳の他にも、イタリア語、中国語、ポーランド語、韓国語、ロシア語、オランダ語、スェーデン語、ノルウェー語などの翻訳が出ている。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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しかしながら、その魅力がその硬質と軟質のいい加減な響き合いの心地よさに現れている、
少女の投げ出された足の明晰さのようなものである以上、
彼女は文藝ガールの祖なのであって、イバラで守られている柔らかな女性的な、いわばやさしさのようなもの、
それが最大の魅力なのだ。
安部公房の作品を彷彿させるナンセンス小説「雲を拾う女」、どこにも居場所をなくしたようなニホンジンが主人公の「枕木」、天才的しかし人と相容れない舞台芸術家に(愛情という意味ではなく)引かれていくヒロインを描いた表題作。活字中毒の女子高生を描いた「所有者のパスワード」それらに加え短編「目星の花ちろめいて」が収録。独特の世界を持つ短編小説もいい味はだしているものの、エッセイのような小品「目黒・・・」に収録されている4作品がエスプリが聞いている。
いきなり本屋に飛び込んできてショーペンハウエルを購入しようとした男性、浮浪者の様相をした青年、世界で三人しか修理ができない精密機械を修理した技師、小鰐の飼育を始めた主人公の上司、彼らの意外な正体を描いた短編はテンポもよく非常に読みやすい。
彼女は二ヶ国語で小説を書くことでよく知られた人物であるが、彼女の発想には文化ではなく海外の言語が大きく影響している、そう感じた。
リズムを感じさせる。
たとえば、今作品集のなかで、列車に揺れながらパソコンで文章を書く
「わたし」が語る「枕木」。
あるいは、ちぎれたパンを拾った女に連れ回される、乳首に変身した
「(わたし)」が登場する「雲を拾う女」。
主人公や彼/彼女をとりまく人が移動するのと同時に
物語が進んでいくのだ。
98年に書かれた「飛魂」の読後感が、
中島敦の「山月記」を読んだときのそれと似通って感じられたのも、
やはり、登場人物が前へ前へと進んでいたからだ。
彼女の独特な文体、リズム感はこの作品集でも生き生きと感じられ、
また、リアルな描写の中にさりげなく、反リアリティが紛れ込む
不思議さすらもやはり健在。丸みを帯びた柔らかな文章が
多くうけいれられがちに感じる今の小説界だからこそ、
彼女の持つスクエアな雰囲気がかえって新鮮なのかもしれない
「枕木」は、さりげなく電車の中で原稿を書くという設定であるが、日常的であるようでいて、妄想・幻想的である。小説としては、《肩の力の抜けた》執筆態度である。その点で、「雲を拾う女」とは、対照的であるものの、【小説の自由】は一貫している。それは収録されている、すべての作品に言える。《肩の力の抜けた》感じは、主人公の「わたし」が、この生活世界と疎遠で、いわば、この世の異邦人のような雰囲気から来る。
もちろん、身体に包帯を巻いている連中については、ああ、彼らは白樺だな、と思うことはあるけれど。でも、それが白樺であって桜でないと分かっても、むこうには、わたしが女なのか男なのかということさえ、分からないに違いない。わたしなんか、駆け抜けていく鉄の箱の中に置き忘れられた肉の塊のひとつに過ぎない。
「わたし」が列車の車窓から眺めた感想である。異常である。「わたし」は、自然からも疎外されている。また、自然についての、ある男の会話も印象的である。
「自然が一番ありのままの姿で残っているのは、線路と線路の間だそうですよ。」
「それに比べれば、田舎の風景なんて自然でもなんでもないですよ。農作地は農薬をどっさり浴びてますからね。まわりも浴びてますよ。野原だって、二、三種類しか草が生えていないでしょう。あれでは、ゴキブリみたいに、薬品に強い連中が生き残ったというだけで、自然淘汰とは言えませんよ。本当ならいろいろ混ざって生えているはずですからね。自然公園だってね、科学者がいろいろ操作しているんでしょう、どうせ。……」
この指摘は切実だと思う。農産物の生産性の向上と反比例して、私たちの幼年期には数多くいた、昆虫や雑草が殆ど見られなくなっている。
思わず、「枕木」にこだわってしまったが、「雲を拾う女」は奇想天外な小説である。「(わたし)」という、カッコつきの(わたし)は、横光利一の「四人称」以来の発明であろう。
(わたし)は、身体を持たない。名前もない。何者でもない。普段は、人の目にも見えない。
というのであるから、これだけで、凄い発想である。この作品は、ただ読むだけでも面白いから、くだくだ言うまでもない。
表題作の「ヒナギクのお茶の場合」は、登場人物の「ハンナ」という素晴らしい人柄の女性をドラマチックに表現した作品である。人間性、犯し難い人間の尊厳、見事な生き様。「ハンナ」は強烈に読者の心に《刻印》される。小説の本道である。
「目星の花ちろめいて」は、現代版の、「枕草子」、「徒然草」の試み。
「所有者のパスワード」は、永井荷風の性風俗と、現代の少女の性風俗との、危うい交錯とユーモア、これも面白い。イケてます。