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さよならクリストファー・ロビン 単行本 – 2012/4/27

4.0 5つ星のうち4.0 26個の評価

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 新潮社 (2012/4/27)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2012/4/27
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 220ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4104508020
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4104508020
  • 寸法 ‏ : ‎ 13.7 x 2.3 x 19.8 cm
  • カスタマーレビュー:
    4.0 5つ星のうち4.0 26個の評価

著者について

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高橋 源一郎
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1951年、広島県生まれ。81年、『さようなら、ギャングたち』で第4回群像新人長編小説賞優秀作を受賞しデビュー。88年、『優雅で感傷的な日本野球』で第1回三島由紀夫賞、02年、『日本文学盛衰史』で第13回伊藤整文学賞を受賞。著書に『いつかソウル・トレインに乗る日まで』『一億三千万人のための小説教室』『ニッポンの小説―百年の孤独』他多数ある。10年5月には、『「悪」と戦う』も刊行された。

カスタマーレビュー

星5つ中4つ
5つのうち4つ
26グローバルレーティング

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上位レビュー、対象国: 日本

2012年5月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 一読した印象だが、小説というより寓話集のように思える。帯に「お話の主人公たちとともに/『虚無』と戦う物語」とあって、実に驚くべきことに、収められているのはいずれもその通りの物語になっている。
 ただし、いずれの物語でも「虚無」が主題となっているとは言え、それらが同じ質の「虚無」であるかどうかについては、一考の余地がある。
 私の考えでは巻頭に置かれた表題作と2番目の「峠の我が家」の「虚無」は同質のもので、タカハシさんがかつて『ニッポンの小説』の中で、無から生じて無に還るブエンディーア家の歴史を描いたマルケス『百年の孤独』をニッポン文学の運命の喩として提示していた、その「無」に通じる「虚無」だと思う。
 もう少し踏み込むと、タカハシさんはおそらく「世界は言葉でできていて、私たちはみな、他者の物語の登場人物である」と考えており、だからそこには眩暈のするような入れ子構造(あるいは自己言及性)が姿を現すわけで、無化に抗う物語の主人公たちの絶望的な戦い(表題作)やimaginary friendsのホスピス(「峠の我が家」)が、無に還ろうとするニッポン文学の無化に抗い、その最後を見届けようとすることの喩であり、そしてそのような物語を書くこと自体が、「生きること」の喩となっている。それはさらに、エントロピー増大則に従う宇宙の喩でもあるのかもしれない。
 ところが3番目の作品以降では「虚無」はもっと直裁に、「死」と関わっているように思える。
 掲載順に言えば、「星降る夜に」はこの作家の作品としては例外的と感じられるほどにナイーヴな構成で、死にゆくものを前にした「言葉」の無力、あるいは少なくとも作家の動揺が描かれる。「お伽草紙」は語り手である「ぼく」とパパの対話によって展開し、断片的にのみ言及される戦争状況で毎日のようにシェルターへの退避を余儀なくされる状況下での、ささやかな日常と、愛のかけがえのなさが主題となる。「ダウンタウンへ繰り出そう」では、何と「死んだひと」たちが突然に姿を現し、「生きているひと」たちとともに暮らし始める。私は内田樹『死者と他者』を思い出した。
 最後の「アトム」は、おそらく「お伽草紙」の続編で、巻末の初出一覧によれば発表時期も実は「お伽草紙」と「ダウンタウンへ繰り出そう」の間になる。それが末尾に置かれたのは、この作品集の出口として、この作品がもっとも高みに達しているというタカハシさんの手応えによるのだろうが、すべてを解読できるわけではない私としても、それは正しい選択だったと思う。この作品から私が想起したのは三浦俊彦『多宇宙と輪廻転生』。
 この断層に、震災が関わっていることに、まず間違いはない。
 以上が私なりの大まかな見取り図で、その上で言いたいことはいろいろあるのだが、とにかく最大の問題は、タカハシさんの作品は「知的に読めてしまう」という点だと思う。それは私が実際にタカハシさんの手の内をすべて読めるかどうかとは別で、言い方を変えれば無意識を感じない、あるいは無意識が貧しすぎるのではないかという感触だ。
 だって、タカハシさんの作品から知的な意匠を引き算したら、センチメンタルなファミリー・ロマンスしか残らないのではないでしょうか? 私自身はタカハシさんの作品を好んで読むが、それは私が大した小説愛好者でも、読み巧者でもないからのような気がする。
 私は、無意識の貧しい作品は古びると思う。
20人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2013年7月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ひとつひとつの作品のプロットが挑戦的で知的なたくらみの冴えが感じられる。
素晴らしい作品。高橋さんの本領発揮だが、切れのよしあしはもうひとつかなという気がする。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2016年1月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
物語の世界に引き込まれ、本を読むのが遅い私でも かなりのスピードで読み進める事ができた。
これを読めば、高橋源一郎作品のファンになること間違いなし。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2015年9月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私たちは、どのように存在しているのだろうか。サンタクロースは、あの赤い服を着て白い髭を生やした小太りのおじさんがいたから存在しているのではない。サンタクロースの物語があって、それにそって、赤い服を着て白い髭を生やした小太りのおじさんが存在するようになった。
たぶん、私たちも、物語によって存在しているのだ。だから、物語が書かれなくなれば、クリストファー・ロビンのように、消えて無くなってしまうし、ぼくらの物語が忘れ去られてしまえば、ぼくらの存在そのものは、もともとなかったことになってしまうのだろう。
生きた人については、物語だけが存在要件で無いにしても、死者についてはどうだろう。死者は、物語の中だけでしか、原理的に生きられない。つまり、死者を生かすためには、生き残ったものが彼らの物語をつむぐしかないのだ。それは、そのまま、祈りなのだ。
17人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2014年1月1日に日本でレビュー済み
とても感慨深く読めました。
いつ頃だったか、ちと記憶が曖昧なんですが、宇宙の縮小が始まると、時間の進行方向が逆転すると言われていた時代がありました。それを彷彿とさせる小説でした。

宇宙の縮小により発生した、真逆に進行する時間のなかでは、人間の知覚は時空の物理的な変化に応答できず、常に前進し続けるという特性を持つので、結局のところ時間の進行が逆転しても、人間には絶対に認知出来ないということなのですが、ここに収録されたお話すべてが、その宇宙論による空間の膨張と縮小に強く関連しているような気がしました。

どの物語も、抗えない決定的な現象があって、それは、コントロール出来ないどころか、下手をすると認知すら出来ない。自分たちが膨張の宇宙に住んでいるのか、縮小の宇宙に住んでいるのか、決して知ることが出来ないという事実が突きつけられ続けます。

私たちは、果たして小説の主人公たちを、単なる小説の一部分として眺めて良いのか。
自分の知覚が何によって確かなものと断定できるのか、混乱してくる小説です。

とても実験的で、面白かったです。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2012年6月19日に日本でレビュー済み
 六つの短編が収められた短編集ですが、他のレヴューにもあるように、いわゆる「小説」というよりも、「寓話」に近い作品です。すこし感傷に過ぎる嫌いが無きにしもあらずなところがあるので、そこが評価の分かれ目かと。個人的には、「寓話」という言葉より、中長編に膨らむ前の「骨格」、あるいはそれらの「細部」といった言葉のほうがしっくりくるような気がしました。余談ですが、表題作をたくさんコピーして、クリストファー・ロビンについて説明を加えて、現代文の授業で高校生に読ませたところ、結構楽しんでいました。
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2015年10月13日に日本でレビュー済み
学の無い私にはとても難しかった。高橋源一郎の作品も始めて読んだので、その高橋のスタンスはあまりよくわからない。それがもうちょっと解ってから読むと、これは楽しい読物なのかもしれないが、小説というものは、それでいいのだろうか。一つ一つの小説作品は、全ての読者の前で平等で無ければならないのではないのか。
小説とは頁の上の記号から、読者がその世界の情報を得るものだろうが、この作品はその情報の正確さを、敢えて失くしている。情報の正確さを敢えて作者がふらふらさせることで、その世界を実験的なものにつくりかえているのは、よくわかる。しかし、例えば「これはつくられた世界の情報である。即ち虚構である。」という事実を、敢えてメタ的に表明する役割は、何もそこまで作者の存在を表面化させなくとも良いのではないか。池澤夏樹の「マシアス・ギリの失脚」や谷川流の「涼宮ハルヒシリーズ」など、作者の存在をおおっぴらにしなくともちゃんと「これはつくられた世界の情報である。即ち虚構である。」という暗示を、登場人物をもってすることが可能なのではないだろうか。
ただ、この作品の核は、何もそんな文学上での実験という訳でもなさそうだ。この作品のテーマは「忘却」だろう。何かが失くなる。今さっきまで、自分の掌の中で、目の前で、心で、温もりを感じるほどの存在が、何の前触れも無く、失くなる。この消失感を高橋源一郎は描いたのかもしれない。私も少し瞼が熱くなってしまった。瞼が熱くなりはしたが、しかしこれにはあまりリアリティーが無いので、感動はやはり半減してしまった。忘却の消失感なら筒井康隆の「残像に口紅を」の、主人公の娘が消失する場面の方がよりリアルに突いて来たような気がする。
虚構の中で生きる人々は、作者の匙加減でいくらでも現れたり、消えたりできる。この作品では、その消失感にスポットを当てたのかもしれない。しかし、この作品を評する時に、震災の影響がどうのこうの言う声もある。この作品は震災を前後してつくられたものであるが、もし震災の、全てを消失感が覆い尽くした状況が念頭に置かれているのであれば、やはりちょっとリアリティーが必要なところじゃないか。
と、ダラダラこんなことを書いてもしょうがない。読みたい人が読めばいいのではないか。とりあえず私はもうちょっと勉強してから、いつかもう一度この作品を読んでみる。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2016年4月15日に日本でレビュー済み
腹が立つほど内容の無い、描写の浅い、キャラを摘みとって添え物にした同人誌の印象。いや、同人誌に失礼だ。作者はこれを書いた当時58、9歳。10~20代と思った。その年齢でこの程度では一般人よりひどい。本当に文才がない。某キャラは原作ではなく他媒体のキャラクター設定になっている。原作に対する敬意がない。この本の記憶を消して、かけた金と全ての時間を返せ。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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