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歌謡曲の時代 単行本 – 2004/9/16
阿久 悠
(著)
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- 本の長さ223ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2004/9/16
- ISBN-104104708011
- ISBN-13978-4104708017
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2004/9/16)
- 発売日 : 2004/9/16
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 223ページ
- ISBN-10 : 4104708011
- ISBN-13 : 978-4104708017
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,015,613位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 28,610位エッセー・随筆 (本)
- - 43,856位楽譜・スコア・音楽書 (本)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2017年9月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この人の詩は,東南アジア的演歌風のメロディー(ヨナヌキなど)にも,米国西欧風の音楽シーンにもよくなじむ...「舟歌」と「五番街のマリー」がその典型ではないか...天才の心的構造空間と時代察知能力とは...阿久悠の詩こそは,日本的国際抒情文化の成立に欠かせぬ要素であったはず...と思えてならない.
2016年6月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本、図書館で偶然手に取りました。パラパラ読んでいるうちに、自分の本として持っておきたいと思い、アマゾンで購入しました。言葉の使い方と文章構成、内容すべて、阿久悠さんの深みを感じます。大変おもしろい本だと思います。
2011年5月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
以下、大分建設新聞のコラムに掲載した記事。
===================================================
「昭和の日」にテレビで「昭和歌謡」の特番をやっていた。私はワーグナーの崇拝者なので、昔は「歌謡曲なんて」と思っていたが、なるほど、昭和は「歌謡曲の時代」である。とても素晴らしい歌が生まれた時代だ。歌謡曲は歌詞も曲も、何と素晴らしいものかと、思い出し、再発見した。▼作詞家の故・阿久悠さんが、7年前に発行した「歌謡曲の時代」という著書がある。「歌謡曲は時代を喰って生きていた。一九七〇年代は極上の味がした」と書いている。発刊当時は、時代の波に乗って成功した、流行作詞家の言葉だ、と思っていたが、違うのだ。歌謡曲が喰っていた(あるいは阿久さんが喰っていた)「時代」とは、流行とか世相とかいう薄っぺらな表層ではない。人々を突き動かしていた「時代のエネルギー」だったのだ、と、特番の歌を聴いて改めて思った。だから阿久さんや数多くの歌謡曲の作曲家、作詞家を、ワーグナー以上に尊敬する▼昭和のあの頃、歌謡曲はいつも街を流れていた。ただに流行していたのではない、時代から湧き出て、街を流れ、人々の心を潤していたのだ。「川の流れのように」。だから大して歌謡曲に関心がなかった私の心にも、しっかりと刻み込まれている▼歌謡曲は昭和の終わりと共に消えた、と言われる。阿久さんは「そうかも知れない。しかし消えたのは人々の心なのかもしれない」という。時代の責任で歌謡曲が消えたのではない。この時代をどう生きるべきなのだろうか。
==================================================
本書は「時代」について語っている。阿久氏の作品の解説書や回顧録に終わるものではない。平成の時代は、昭和の時代よりも、豊かで清潔になった筈だ。しかし阿久氏にとっては、「美味しい時代」ではないようだ。阿久氏にはもっと生きて、「時代おくれ」の次の詩、時代を拓く詩をもっと書いて、少しでも時代に味付けをしてほしかった。
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「昭和の日」にテレビで「昭和歌謡」の特番をやっていた。私はワーグナーの崇拝者なので、昔は「歌謡曲なんて」と思っていたが、なるほど、昭和は「歌謡曲の時代」である。とても素晴らしい歌が生まれた時代だ。歌謡曲は歌詞も曲も、何と素晴らしいものかと、思い出し、再発見した。▼作詞家の故・阿久悠さんが、7年前に発行した「歌謡曲の時代」という著書がある。「歌謡曲は時代を喰って生きていた。一九七〇年代は極上の味がした」と書いている。発刊当時は、時代の波に乗って成功した、流行作詞家の言葉だ、と思っていたが、違うのだ。歌謡曲が喰っていた(あるいは阿久さんが喰っていた)「時代」とは、流行とか世相とかいう薄っぺらな表層ではない。人々を突き動かしていた「時代のエネルギー」だったのだ、と、特番の歌を聴いて改めて思った。だから阿久さんや数多くの歌謡曲の作曲家、作詞家を、ワーグナー以上に尊敬する▼昭和のあの頃、歌謡曲はいつも街を流れていた。ただに流行していたのではない、時代から湧き出て、街を流れ、人々の心を潤していたのだ。「川の流れのように」。だから大して歌謡曲に関心がなかった私の心にも、しっかりと刻み込まれている▼歌謡曲は昭和の終わりと共に消えた、と言われる。阿久さんは「そうかも知れない。しかし消えたのは人々の心なのかもしれない」という。時代の責任で歌謡曲が消えたのではない。この時代をどう生きるべきなのだろうか。
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本書は「時代」について語っている。阿久氏の作品の解説書や回顧録に終わるものではない。平成の時代は、昭和の時代よりも、豊かで清潔になった筈だ。しかし阿久氏にとっては、「美味しい時代」ではないようだ。阿久氏にはもっと生きて、「時代おくれ」の次の詩、時代を拓く詩をもっと書いて、少しでも時代に味付けをしてほしかった。
2014年12月13日に日本でレビュー済み
阿久悠の作品には、「五番街のマリーへ」のように、反発したり、ツッコミを入れたくなるフレーズが沢山あるが、その全てが計算され尽くしたもの。緻密な計算の中から、多彩な阿久悠の世界が拡がってくる。
歌詞とそれが産まれた背景とを作者自身が時代の世相と共に解説した本。
懐かしき昭和を追想するにはもってこいの良書。
歌詞とそれが産まれた背景とを作者自身が時代の世相と共に解説した本。
懐かしき昭和を追想するにはもってこいの良書。
2005年12月19日に日本でレビュー済み
阿久悠はエッセイの中で繰り返し季節感の喪失に触れている。暑い夏が突然寒い冬に切り替わるような、最近の異常気象を「二季」という言葉で憂いている。秋や春が無くなっていくことと歌謡曲の衰退に、因果関係が無いはずがない。
阿久悠はまた、昭和と平成の歌の違いに触れて、「昭和が世間を語ったのに、平成では自分だけを語っている」と指摘している。世間、社会という大きな物語から、個人を中心とした小さな物語へ人々の関心は移行し、歌も、皆が口ずさむ流行歌から、自分や仲間うちだけで消費するipodミュージックやカラオケソングに機能分化している。著者は言う。「聴き歌が世に流れなくなって淋しい。すべてが歌い歌になっている」。
「季節感」「世間」だけではない。「青春」も「酒の飲み方」も、極端な話「人間の心」そのものの在りようが変わってしまったのだと。
「北の宿から」「舟歌」「津軽・海峡冬景色」をヒット曲に持つ阿久悠が、当初“演歌”のフィールドを“アウェイ”として認識し、船村徹を仮想敵として捉えていたという話も興味深い。やがて阿久悠自身がヒットメーカーとなった時、今度は自らがニューミュージック勢にとっての仮想敵となっていたという事実も。山下達郎や細野晴臣が筒美京平を、やはり“仮想敵”として捉えていた話は有名だし、歌謡曲の世界にも、スポーツやほかの文化芸能、一般のサラリーマン社会同様の“世代間闘争”といったものがあったのだ。その「世代間闘争」も今の世は曖昧模糊としたものになっている。
本書に収められているエッセイに通底するのは、「歌謡曲の時代」昭和への熱い思いと、「歌謡曲の存在し得ない時代」平成への嘆きである。それは徐々に進行した時代の変遷なのだろうが、その断層はなぜか「二季」のようにデジタルなものにも思える。
本書は、軽いエッセイとしても読めるけど、昭和を知る人間にとっては、重いメッセージでもある。
阿久悠はまた、昭和と平成の歌の違いに触れて、「昭和が世間を語ったのに、平成では自分だけを語っている」と指摘している。世間、社会という大きな物語から、個人を中心とした小さな物語へ人々の関心は移行し、歌も、皆が口ずさむ流行歌から、自分や仲間うちだけで消費するipodミュージックやカラオケソングに機能分化している。著者は言う。「聴き歌が世に流れなくなって淋しい。すべてが歌い歌になっている」。
「季節感」「世間」だけではない。「青春」も「酒の飲み方」も、極端な話「人間の心」そのものの在りようが変わってしまったのだと。
「北の宿から」「舟歌」「津軽・海峡冬景色」をヒット曲に持つ阿久悠が、当初“演歌”のフィールドを“アウェイ”として認識し、船村徹を仮想敵として捉えていたという話も興味深い。やがて阿久悠自身がヒットメーカーとなった時、今度は自らがニューミュージック勢にとっての仮想敵となっていたという事実も。山下達郎や細野晴臣が筒美京平を、やはり“仮想敵”として捉えていた話は有名だし、歌謡曲の世界にも、スポーツやほかの文化芸能、一般のサラリーマン社会同様の“世代間闘争”といったものがあったのだ。その「世代間闘争」も今の世は曖昧模糊としたものになっている。
本書に収められているエッセイに通底するのは、「歌謡曲の時代」昭和への熱い思いと、「歌謡曲の存在し得ない時代」平成への嘆きである。それは徐々に進行した時代の変遷なのだろうが、その断層はなぜか「二季」のようにデジタルなものにも思える。
本書は、軽いエッセイとしても読めるけど、昭和を知る人間にとっては、重いメッセージでもある。