1 人間学の日付
2 前批判期とのかかわり
3 批判期後とのかかわり
4 使用=慣用の地平
5 心と精神―カント哲学の本源的事実
6 鏡のなかの反復―純粋理性批判と人間学
7 源泉・領域・限界―超越論哲学への通路
8 体系的、大衆的
9 人間学の位置
10 人間学的錯覚と二〇世紀の哲学
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カントの人間学 単行本 – 2010/3/1
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- 本の長さ229ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2010/3/1
- ISBN-104105067079
- ISBN-13978-4105067076
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2010/3/1)
- 発売日 : 2010/3/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 229ページ
- ISBN-10 : 4105067079
- ISBN-13 : 978-4105067076
- Amazon 売れ筋ランキング: - 89,301位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 3,795位哲学・思想 (本)
- カスタマーレビュー:
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イメージ付きのレビュー
4 星
『オプス・ポストゥムム』の再評価へ向けて
待望の邦訳である(表紙は岡崎乾二郎)。重要なのは7章の「源泉・領域・限界」の『論理学』と『オプス・ポストゥムム』(遺稿、遺作)に触れた箇所だろう。『論理学』では文法上の「主語」「述語」「繋辞」(96頁)がそれぞれ、『オプス・ポストゥムム』の「源泉・領域・限界」、つまり「神」「世界」「人間」(94頁)に対応し、さらに『第一批判』の「理性」「知性」「感性」(106頁)、全体系では「純粋理性」「実践理性」「判断力」(106頁)に対応する、という指摘は参考になった。(三幅対を強調すれば以下の図のようになるだろう) 神 _________ 世界 遺稿(源泉)|\ /|(領域) | \人 間 学/ | 主語|__\ /__|述語 論理学 |\ \人間 /| | \ (限界)/ | 理性|__\ | /__|知性 能力 |\ \繋辞 /| 純粋 | \ | / |実践 理性批判|__\_|_/__|理性批判 批判書(↑レベル) \ \感性 / \ | / \ | / \判断力批判あるいは、 能力 |批判書 | 論理学| 遺稿____|____|____|_____ | | | 理性 |純粋理性| 主語 | 神 ←ア・プリオリ? | | |(源泉)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 | | | 知性 |実践理性| 述語 | 世界 | | |(領域) | | | 感性 |判断力 | 繋辞 | 人間 | | |(限界)特に『オプス・ポストゥムム』を人間とは何かという問いの中で重視する視点は、未だに先駆的であろう。ただ、フーコーが最後にニーチェを持って来たのは唐突すぎる。ニーチェはライプニッツとスピノザを経由してはじめて歴史的に出現するのだから、カントから直接は出て来ないはずだ(『オプス・ポストゥムム』は何よりもスピノザ再評価の書である)。ちなみにカントのカテゴリーの4分割を重視し全体系を図示すると以下のようになるだろう。(形而上学の位置付けは上下逆になるかも知れないが、人間学を全体系の末尾におくのはフーコーの見解とそう違わないと思う。) __________________________________ /| /| (認識) /| / | 人 / | / | / | / | / | /___|____________間___|____________/ | /| | /| | (快、不快) /| | / | | / | | 学 / | | / (欲求) | / (性格学)| / | | /___|___|________/___|___|________/ | |オ| | | | | | | | | |永 | | | | | | | |論プ|遠 | | | | | | | | |平 | |_______|____|___|_______|____|___|理ス|和 | /| | | /| | | /| |の | / | 自 然| の |形/ |而 上 |学 | / |学・|た |/ | | |/ | | |/ | |め |___|_______|____|___|_______|____| | ポ|に /| | (徳|論) /| | | /| | | / |人 倫|の | / |理性の限界内における | / | |ス| /(法学) |形 而 上 学| /宗教(目的論) | / | | |/___|___|_______|/___|___|_______|/ | |ト| | | | | | | | | | | | | | | | | |ゥ| | |_______|____|___|_______|____|___| | | / | | / (数学)| | / ム| | / 純 粋 | 理 |性/ 批 判 | | / | |/ | |/ (物理学) | |/ム| |___________|____|___________|____/ | / (倫理|学) / (美|学) / | / 実 践 理 性 批 判 | / 判 断 力 批 判 | / | / | /(目的論) | / |/_______________|/_______________|/
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2010年5月24日に日本でレビュー済み
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待望の邦訳である(表紙は岡崎乾二郎)。
重要なのは7章の「源泉・領域・限界」の『論理学』と『オプス・ポストゥムム』(遺稿、遺作)に触れた箇所だろう。
『論理学』では文法上の「主語」「述語」「繋辞」(96頁)がそれぞれ、
『オプス・ポストゥムム』の「源泉・領域・限界」、つまり「神」「世界」「人間」(94頁)に対応し、
さらに『第一批判』の「理性」「知性」「感性」(106頁)、
全体系では「純粋理性」「実践理性」「判断力」(106頁)に対応する、という指摘は参考になった。
(三幅対を強調すれば以下の図のようになるだろう)
神 _________ 世界 遺稿
(源泉)|\ /|(領域)
| \人 間 学/ |
主語|__\ /__|述語 論理学
|\ \人間 /|
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理性|__\ | /__|知性 能力
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純粋 | \ | / |実践
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あるいは、
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特に『オプス・ポストゥムム』を人間とは何かという問いの中で重視する視点は、未だに先駆的であろう。
ただ、フーコーが最後にニーチェを持って来たのは唐突すぎる。ニーチェはライプニッツとスピノザを経由してはじめて歴史的に出現するのだから、カントから直接は出て来ないはずだ(『オプス・ポストゥムム』は何よりもスピノザ再評価の書である)。
ちなみにカントのカテゴリーの4分割を重視し全体系を図示すると以下のようになるだろう。
(形而上学の位置付けは上下逆になるかも知れないが、人間学を全体系の末尾におくのはフーコーの見解とそう違わないと思う。)
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重要なのは7章の「源泉・領域・限界」の『論理学』と『オプス・ポストゥムム』(遺稿、遺作)に触れた箇所だろう。
『論理学』では文法上の「主語」「述語」「繋辞」(96頁)がそれぞれ、
『オプス・ポストゥムム』の「源泉・領域・限界」、つまり「神」「世界」「人間」(94頁)に対応し、
さらに『第一批判』の「理性」「知性」「感性」(106頁)、
全体系では「純粋理性」「実践理性」「判断力」(106頁)に対応する、という指摘は参考になった。
(三幅対を強調すれば以下の図のようになるだろう)
神 _________ 世界 遺稿
(源泉)|\ /|(領域)
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特に『オプス・ポストゥムム』を人間とは何かという問いの中で重視する視点は、未だに先駆的であろう。
ただ、フーコーが最後にニーチェを持って来たのは唐突すぎる。ニーチェはライプニッツとスピノザを経由してはじめて歴史的に出現するのだから、カントから直接は出て来ないはずだ(『オプス・ポストゥムム』は何よりもスピノザ再評価の書である)。
ちなみにカントのカテゴリーの4分割を重視し全体系を図示すると以下のようになるだろう。
(形而上学の位置付けは上下逆になるかも知れないが、人間学を全体系の末尾におくのはフーコーの見解とそう違わないと思う。)
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待望の邦訳である(表紙は岡崎乾二郎)。
重要なのは7章の「源泉・領域・限界」の『論理学』と『オプス・ポストゥムム』(遺稿、遺作)に触れた箇所だろう。
『論理学』では文法上の「主語」「述語」「繋辞」(96頁)がそれぞれ、
『オプス・ポストゥムム』の「源泉・領域・限界」、つまり「神」「世界」「人間」(94頁)に対応し、
さらに『第一批判』の「理性」「知性」「感性」(106頁)、
全体系では「純粋理性」「実践理性」「判断力」(106頁)に対応する、という指摘は参考になった。
(三幅対を強調すれば以下の図のようになるだろう)
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特に『オプス・ポストゥムム』を人間とは何かという問いの中で重視する視点は、未だに先駆的であろう。
ただ、フーコーが最後にニーチェを持って来たのは唐突すぎる。ニーチェはライプニッツとスピノザを経由してはじめて歴史的に出現するのだから、カントから直接は出て来ないはずだ(『オプス・ポストゥムム』は何よりもスピノザ再評価の書である)。
ちなみにカントのカテゴリーの4分割を重視し全体系を図示すると以下のようになるだろう。
(形而上学の位置付けは上下逆になるかも知れないが、人間学を全体系の末尾におくのはフーコーの見解とそう違わないと思う。)
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『論理学』では文法上の「主語」「述語」「繋辞」(96頁)がそれぞれ、
『オプス・ポストゥムム』の「源泉・領域・限界」、つまり「神」「世界」「人間」(94頁)に対応し、
さらに『第一批判』の「理性」「知性」「感性」(106頁)、
全体系では「純粋理性」「実践理性」「判断力」(106頁)に対応する、という指摘は参考になった。
(三幅対を強調すれば以下の図のようになるだろう)
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特に『オプス・ポストゥムム』を人間とは何かという問いの中で重視する視点は、未だに先駆的であろう。
ただ、フーコーが最後にニーチェを持って来たのは唐突すぎる。ニーチェはライプニッツとスピノザを経由してはじめて歴史的に出現するのだから、カントから直接は出て来ないはずだ(『オプス・ポストゥムム』は何よりもスピノザ再評価の書である)。
ちなみにカントのカテゴリーの4分割を重視し全体系を図示すると以下のようになるだろう。
(形而上学の位置付けは上下逆になるかも知れないが、人間学を全体系の末尾におくのはフーコーの見解とそう違わないと思う。)
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このレビューの画像
2022年12月5日に日本でレビュー済み
『人間学』は『美と崇高との感情性についての観察』と並ぶカントの「大衆的」な著作だ。(本書P118)
そしてカントがこの二作の「大衆的」著作を残したことこそ、彼の偉大さの証だと私は考える。自称哲学者や哲学教授が「大衆的」身振りで物す解説書の類で、カントのこの2著作ほど、生き生きと「大衆的」であるものはない。前世紀、哲学者として「大衆的」であろうとしたのは、J.L.オースティンだが、彼の立場はあくまで理性の側からの分析だった。
カント哲学は、カッシーラー『実体概念と関数概念』によって言葉の壁を破り数学をもその手段に含めた。それはカント哲学の必然的な前進だった。残念ながらその邦訳者は、過去の経験に拘り自らの世代のパラダイムに閉じ籠っているが、それはハーバーマスも同様のようだ。さらに本訳書におけるフーコーの「実体」や「本質」という言葉の使い方を見ると、彼がカント哲学の主要な概念である「事物それ自体」「世界それ自体」をどこまで理解していたのか、疑義を思える。
カントが「大衆的」でありえたのは、実にこの「World-itself」の定立によるものだと、私は考える。
先に「残念ながら」と書いたのは、ヘーゲル、ショーペンハウエルを初め、カント以後の自称哲学者、哲学教授で「ものそれ自体」つまり理性の限界を前提として、この世界と向き合おうとしている者は少ない、一方、自然科学者では逆にその前提に立たないものは少ないと感じているからだ。
そしてカントがこの二作の「大衆的」著作を残したことこそ、彼の偉大さの証だと私は考える。自称哲学者や哲学教授が「大衆的」身振りで物す解説書の類で、カントのこの2著作ほど、生き生きと「大衆的」であるものはない。前世紀、哲学者として「大衆的」であろうとしたのは、J.L.オースティンだが、彼の立場はあくまで理性の側からの分析だった。
カント哲学は、カッシーラー『実体概念と関数概念』によって言葉の壁を破り数学をもその手段に含めた。それはカント哲学の必然的な前進だった。残念ながらその邦訳者は、過去の経験に拘り自らの世代のパラダイムに閉じ籠っているが、それはハーバーマスも同様のようだ。さらに本訳書におけるフーコーの「実体」や「本質」という言葉の使い方を見ると、彼がカント哲学の主要な概念である「事物それ自体」「世界それ自体」をどこまで理解していたのか、疑義を思える。
カントが「大衆的」でありえたのは、実にこの「World-itself」の定立によるものだと、私は考える。
先に「残念ながら」と書いたのは、ヘーゲル、ショーペンハウエルを初め、カント以後の自称哲学者、哲学教授で「ものそれ自体」つまり理性の限界を前提として、この世界と向き合おうとしている者は少ない、一方、自然科学者では逆にその前提に立たないものは少ないと感じているからだ。
2013年2月17日に日本でレビュー済み
流石にフーコーの学位論文である。ほぼ同時期に刊行された『狂気の歴史』などへの問題構制を如何に把握しているのかを明確に、カントの著書『人間学』を中心に歴史的かつ哲学的に精緻に読解した産物であり、前著などに比べると一見ラフに見える議論展開ながらも 結論として残される方法論的視野の広さと18世紀以前の哲学テキストの関係性を読めば、本書でフーコー哲学の嚆矢と起源がここに展開されはじめて極めて重要な著書であり、主要著作の読解方法を著者自ら解題しているとも云える。
カント哲学のヨーロッパ哲学史における重要性は、改めて指摘することもないのが、カントが3批判書を完成させる一方で、25年間も開講し続けた人間学講義の意義を、批判との対峙で明確に描き出さす。その重要な手法は、時間の散逸による、ずれから読み取れる差異である。これらを哲学史、カントの著作体系全体から再度読み直しながら、解釈し、カント哲学者が指摘し得なかった盲点の数々を暴き出す。その槍玉に挙がったのが ハイデガーの『カントと形而上学の問題』で扱われた問題を軽々と無視し、それから得れた豊かな観点の意義を解説した訳者の精緻な翻訳作業には大きな称賛の声を届いても良かろう。
カント哲学のヨーロッパ哲学史における重要性は、改めて指摘することもないのが、カントが3批判書を完成させる一方で、25年間も開講し続けた人間学講義の意義を、批判との対峙で明確に描き出さす。その重要な手法は、時間の散逸による、ずれから読み取れる差異である。これらを哲学史、カントの著作体系全体から再度読み直しながら、解釈し、カント哲学者が指摘し得なかった盲点の数々を暴き出す。その槍玉に挙がったのが ハイデガーの『カントと形而上学の問題』で扱われた問題を軽々と無視し、それから得れた豊かな観点の意義を解説した訳者の精緻な翻訳作業には大きな称賛の声を届いても良かろう。
2010年4月8日に日本でレビュー済み
フーコーの学位論文(「狂気の歴史」)の副論文として夙に有名だが読んだ人は少ないようで、過去の解説書の中には、本書がカントの「人間学」を批判しているという、全く反対の紹介をしていたものがあった。「人間の消滅」で有名な著者だけに、本書を読まねば、そういったまことしやかな話も出るのだろう。本書を一読すると、話は全く逆なのだということがはっきりする。「わたしは花火師です」という本で、著者にとって哲学することは、カントのように考えることだ、と言っているように思えたが、本書はまぎれもなくそのことを示していると思う。カントの「人間学」は、さながら著者の描く歴史的世界、「狂気の歴史」「臨床医学の誕生」「監獄の誕生」のように、ひたすら経験の世界の交互作用や「きまり」をひらたく叙述して繰り広げる。「人間学」は「経験の条件」に就いて考察する「純粋理性批判」と触れ合うことはなく、常に周縁的なものにとどまるが、しかし、「批判」の運動は「人間学」の構造から結果的に浮かび上がってくる。「人間学」を描くことで、外側から「批判」の運動を描きだすのだという。このことは、或る経験的な世界のなかから「方法論」や「真理」を導出したり、超越論的な方法論を経験的な地平に「適用」してしまう「混乱=旧来の哲学」とは全く異なる。そうではなく「批判」と「人間学」は離れているのだが、両者は別個に展開されれつつ、結果としてその反対物のなかに現れ、或いは根拠づけられる。それは、「思考する」とはどういうことかを示唆してくれているように思える。翻訳は丁寧で著者独特の調子が見事に息づいていると思うし、巻末の解説や脚注は理解を大きく助けてくれる。だがしかし、「人間学」と「批判」の関係を語るところは、「哲学の思考」とは何かを告げる核心部分だが、決して明快ではなく、きわどくもぎりぎりのところで、核心に近づいてはまた離れていくようだ。そんな微妙で瞬間的な一回限りの本物の思考とは「何か」を語ること自体、そもそも無理なのかもしれないが、そこに大いに迫っていると思う。本書を通読すると、たしかに後期フッサールからシェーラーやハイデガーの思考は、どこか確かでない方向に曲がって行ったと思えてくる。ベルクソンもメルロ=ポンティもしかりだと思う。彼らに対する相応に辛辣な著者の評価がわかるような気がする。本書の展開を「言葉と物」や上記の主著のなかで、フーコーは実践して見せてくれたわけだが、そういう意味で本書は「フーコー入門」だし「哲学入門」だと思う。それにしても著者のような本当の哲学者になると「影響」ということは用心しなくてはならない、と思える。私見では、ハイデガーの影響はむしろ希薄で、ハイデガーの意図することを非常に我身のごとく理解しながら、全く別物でだったのが著者だ、と思った。