時を経て読み継がれる名作。素晴らしい。
現物の状態も良く満足しました。
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百年の孤独 単行本 – 1999/8/1
- 本の長さ445ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日1999/8/1
- ISBN-104105090089
- ISBN-13978-4105090081
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
マコンド村の創設から100年、はじめて愛によって生を授かった者が出現したとき、メルキアデスの羊皮紙の謎が解読され、ブエンディア一族の波瀾に満ちた歴史が終わる…。1972年刊の改訳、新装版。
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (1999/8/1)
- 発売日 : 1999/8/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 445ページ
- ISBN-10 : 4105090089
- ISBN-13 : 978-4105090081
- Amazon 売れ筋ランキング: - 130,872位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 33位スペイン・ポルトガル文学研究
- - 41位スペイン文学
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年2月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
これは凄かった。
まず独特の世界観がすごい。現実も非現実も一緒になり、自分も異世界の住人になったような気にさせられる。
語り部がとうとうと読んで聞かせるような文体は、これを読んでいると催眠にかかったように物語に引き込まれていく。
まず独特の世界観がすごい。現実も非現実も一緒になり、自分も異世界の住人になったような気にさせられる。
語り部がとうとうと読んで聞かせるような文体は、これを読んでいると催眠にかかったように物語に引き込まれていく。
2020年8月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
登場人物の多さというか、血族の多さに圧倒されます。しかし冒頭の家系図を見ながら読み進めていくと、次第に頭の中で整理が出来てくる作品です。「実際そんなことが現実に起きるの?」という話を、本当に有ったように描く作者の想像力に酔いしれてほしいですね。
2015年1月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
購入前に実際に手に取ることができなかった故の事故。
字がとても小さくて読み辛い。
本の状態も良く、取り引きもスピーディに終えることができたのですが...。
残念です。
字がとても小さくて読み辛い。
本の状態も良く、取り引きもスピーディに終えることができたのですが...。
残念です。
2017年8月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
さすがの傑作だった。
南米のどこか辺境へどこかからやって来た人間達がマコンドという村を建設する。
村は浮沈を繰り返す。
ホセ・アルカディオとウルスラという夫婦が中心だが
瞬く間に増える似た名前の一族に、直ぐ、誰が誰やら分からなくなる。
発明好きの旦那、気丈な妻、土を食う娘、民主派の戦士、小町娘、色狂い、富くじ屋、飛行場を目論むヨーロッパから来た男、百科事典を片っ端から読みなんでも知っている男等様々のキャラが登場する。
ラスト、もうすっかりグダグダになり、なにがなんだか分からなくなった頃、冒頭、村に時々訪れて来たジプシーの物知りメルキアデスが羊皮紙に書いた謎が解かれる。
それは、マコンドを建設した一家の百年の歴史が大きな渦巻に一気に吸い込まれていくような壮大な謎解きだった。
人の世のバカバカしさ、残酷さを描いて見事。
南米のどこか辺境へどこかからやって来た人間達がマコンドという村を建設する。
村は浮沈を繰り返す。
ホセ・アルカディオとウルスラという夫婦が中心だが
瞬く間に増える似た名前の一族に、直ぐ、誰が誰やら分からなくなる。
発明好きの旦那、気丈な妻、土を食う娘、民主派の戦士、小町娘、色狂い、富くじ屋、飛行場を目論むヨーロッパから来た男、百科事典を片っ端から読みなんでも知っている男等様々のキャラが登場する。
ラスト、もうすっかりグダグダになり、なにがなんだか分からなくなった頃、冒頭、村に時々訪れて来たジプシーの物知りメルキアデスが羊皮紙に書いた謎が解かれる。
それは、マコンドを建設した一家の百年の歴史が大きな渦巻に一気に吸い込まれていくような壮大な謎解きだった。
人の世のバカバカしさ、残酷さを描いて見事。
2020年4月3日に日本でレビュー済み
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版が古井由吉!あまりに活字が小さい。失敗だった。まず、読み切れないだろう。
2021年4月15日に日本でレビュー済み
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新潮社の古い版なので字が細かい。さらに1ページ2段という構成なので非常に読みづらい。若い読者なら気にならないかもしれませんが、60代の私は結構読み進むのは大変でした。新版も出ていますが高いです。それが★一つ引いた理由
内容だけ言えば★5の価値あります。未開地の開拓から全盛を経て滅亡するまでの開拓一族の宿命のドラマ。
次々と出てくる多数の登場人物の名前が似ていて混乱するので、私はメモしなから読みました。ガルシア・マルケス特有の隠喩やユーモア、ペーソスがあふれる大作です。
内容だけ言えば★5の価値あります。未開地の開拓から全盛を経て滅亡するまでの開拓一族の宿命のドラマ。
次々と出てくる多数の登場人物の名前が似ていて混乱するので、私はメモしなから読みました。ガルシア・マルケス特有の隠喩やユーモア、ペーソスがあふれる大作です。
2014年4月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ガブリエル・ガルシア=マルケスが逝った。2014年4月17日、享年87歳。メキシコの自宅で亡くなったそうだ。
とはいえ、マルケスはもう10年以上も前からやばいと言われていたので(‘99年にリンパ腫を患っている)、遠からずこの日が来ることは心の片隅で覚悟していた。むしろ、「やばい」と言われていた後にしっかりと『わが悲しき娼婦たちの思い出』(2004)という新作小説まで発表したのだから、ファンとしては驚きでもあり、嬉しくもあった。
マルケスのファンを自称していても、まだマルケスの小説はそれほど読んでいない。しかしマルケスの小説は、自分が苦しんでいた時に、自分の心を支えてくれて、自分の居場所が社会のどこかにあるという事を示してくれた・・・いわば自分にとって例えようもない恩人なのだ。その話は『エレンディラ』のレビューでかつて書いたのでここでは繰り返さないが、マルケスという作家と、彼の小説は、自分にとって特別なものなのだ。
本書『百年の孤独』は、世界的に認められた名作で、今さら自分がレビューを書くまでもないが、以上のことから、感謝と哀悼の意を込め、ささやかながらレビューをしたためたいと思う。
架空の村・マコンドを舞台に、村の創設者ホセ・アルカディオ・ブエンディアとその一族の栄枯盛衰を描いた神話的年代記。
自分が今までに読んできたマルケスの小説と違っていた点は、「年代記」風の文体、つまり何者かによって書かれた記録風の文体だったこと。だから会話よりもはるかに、状況を説明する文章がぎっしりと紙面を埋め尽くしていて、けっこう重量級の読み物だった(笑)。しかし、マルケス十八番の、奇想と現実が混在する幻想的な世界は健在。唯一無二の読書体験をさせてくれる書物であることは間違いない。
本書で有名なのは、小町娘レメディオスの昇天シーンだが、個人的に心に残ったというか「ああ、マルケスだ・・・いいな!」と思ったのは、長男のホセ・アルカディオが自殺をすると、その血が通りを渡って館へ流れて行き、階段を伝って二階に上がり母親の部屋に達し、それを見た母ウルスラが「アルカディオが死んだよ!」と叫ぶシーンだ。
まるで生き物のようにくねりながら、階段を上っていく血、それがごく普通の事のように描かれる様子、預言者のような母親の反応・・・そうしたマルケス・ワールドが、紙面のはざまにわさわさと蠢き、マジック・リアリスムの生臭い息吹きを読者に吹きかけてくる。
熱に浮かされたような乾いた空気にむせぶ物語が多い中で、本書が独創的なのは、物語の後半で、何年にも亘って執拗に降り続ける「雨」の描写である。館は水びたしになり、魚がドアから入り込んであちこちの部屋を泳ぎ回り、窓から外へ抜けられるぐらい、水を含んだ空気・・・その、脅迫観念的などしゃぶりとシュールなまでの水びたしの様子。そして雨の後にやって来る、十年間もの日照り。
陽炎の中に現れては、のたうち、やがて消えゆく巨大な蜃気楼のような物語だ。
何年か前に新潮社でマルケス作品の全集化がはじまり、新装版に改定されたが、自分はやっぱり、レメディオス・バロの絵で表紙が飾られたこの旧版に愛着があるので、こちらにレビューを書いた次第。
かつて、マルケスと黒澤明が対談した際に、原子力に関して意見が対立し、論争になるという一幕があった。黒澤は、人間はそんなに立派な生き物ではないから原子力などという危険なテクノロジーはコントロールできない、捨てるべきだと主張し、マルケスは、自分は楽観的なので、人間は原子力をコントロールできると思う、と語っていた。黒澤は東日本大震災も、福島原発事故も見る事なく亡くなったが、マルケスは生き永らえた。日本から遠く離れた地で、原発事故のニュースを目の当たりにした時、マルケスはどう感じただろうか。いま、そんな思いがマルケス訃報の報とともに胸に去来する。
豊穣な語りと騙りで、文学の地平にめくるめく幻想郷を拓いた偉大な作家の魂に、深く頭を垂れたい。
あなたの作品は、真っ暗だった私の心に、一条の光を投げかけてくれました。
ありがとう、そしてやすらかに、ガブリエル・ガルシア=マルケス。
とはいえ、マルケスはもう10年以上も前からやばいと言われていたので(‘99年にリンパ腫を患っている)、遠からずこの日が来ることは心の片隅で覚悟していた。むしろ、「やばい」と言われていた後にしっかりと『わが悲しき娼婦たちの思い出』(2004)という新作小説まで発表したのだから、ファンとしては驚きでもあり、嬉しくもあった。
マルケスのファンを自称していても、まだマルケスの小説はそれほど読んでいない。しかしマルケスの小説は、自分が苦しんでいた時に、自分の心を支えてくれて、自分の居場所が社会のどこかにあるという事を示してくれた・・・いわば自分にとって例えようもない恩人なのだ。その話は『エレンディラ』のレビューでかつて書いたのでここでは繰り返さないが、マルケスという作家と、彼の小説は、自分にとって特別なものなのだ。
本書『百年の孤独』は、世界的に認められた名作で、今さら自分がレビューを書くまでもないが、以上のことから、感謝と哀悼の意を込め、ささやかながらレビューをしたためたいと思う。
架空の村・マコンドを舞台に、村の創設者ホセ・アルカディオ・ブエンディアとその一族の栄枯盛衰を描いた神話的年代記。
自分が今までに読んできたマルケスの小説と違っていた点は、「年代記」風の文体、つまり何者かによって書かれた記録風の文体だったこと。だから会話よりもはるかに、状況を説明する文章がぎっしりと紙面を埋め尽くしていて、けっこう重量級の読み物だった(笑)。しかし、マルケス十八番の、奇想と現実が混在する幻想的な世界は健在。唯一無二の読書体験をさせてくれる書物であることは間違いない。
本書で有名なのは、小町娘レメディオスの昇天シーンだが、個人的に心に残ったというか「ああ、マルケスだ・・・いいな!」と思ったのは、長男のホセ・アルカディオが自殺をすると、その血が通りを渡って館へ流れて行き、階段を伝って二階に上がり母親の部屋に達し、それを見た母ウルスラが「アルカディオが死んだよ!」と叫ぶシーンだ。
まるで生き物のようにくねりながら、階段を上っていく血、それがごく普通の事のように描かれる様子、預言者のような母親の反応・・・そうしたマルケス・ワールドが、紙面のはざまにわさわさと蠢き、マジック・リアリスムの生臭い息吹きを読者に吹きかけてくる。
熱に浮かされたような乾いた空気にむせぶ物語が多い中で、本書が独創的なのは、物語の後半で、何年にも亘って執拗に降り続ける「雨」の描写である。館は水びたしになり、魚がドアから入り込んであちこちの部屋を泳ぎ回り、窓から外へ抜けられるぐらい、水を含んだ空気・・・その、脅迫観念的などしゃぶりとシュールなまでの水びたしの様子。そして雨の後にやって来る、十年間もの日照り。
陽炎の中に現れては、のたうち、やがて消えゆく巨大な蜃気楼のような物語だ。
何年か前に新潮社でマルケス作品の全集化がはじまり、新装版に改定されたが、自分はやっぱり、レメディオス・バロの絵で表紙が飾られたこの旧版に愛着があるので、こちらにレビューを書いた次第。
かつて、マルケスと黒澤明が対談した際に、原子力に関して意見が対立し、論争になるという一幕があった。黒澤は、人間はそんなに立派な生き物ではないから原子力などという危険なテクノロジーはコントロールできない、捨てるべきだと主張し、マルケスは、自分は楽観的なので、人間は原子力をコントロールできると思う、と語っていた。黒澤は東日本大震災も、福島原発事故も見る事なく亡くなったが、マルケスは生き永らえた。日本から遠く離れた地で、原発事故のニュースを目の当たりにした時、マルケスはどう感じただろうか。いま、そんな思いがマルケス訃報の報とともに胸に去来する。
豊穣な語りと騙りで、文学の地平にめくるめく幻想郷を拓いた偉大な作家の魂に、深く頭を垂れたい。
あなたの作品は、真っ暗だった私の心に、一条の光を投げかけてくれました。
ありがとう、そしてやすらかに、ガブリエル・ガルシア=マルケス。