新聞の書評欄で時期をあけて2度取り上げられていたのをきっかけに読むことにした。
普段文学作品は読まないので不安もあったが、綿密で丹念な描写が思いのほか苦にならず着実に読み進めていけた。
とはいえ、書評の段階で大まかなストーリーは知っていたので、少女の告発による破滅がいつくるか・どれだけ濃密に描かれるのかと気を重くつつ読んでいたのだが、思っていたよりあっさりとその場面は過ぎてしまい、そこから大きく場面は進展し第2部・第3部・そして最後の「1999年ロンドン」は一気呵成に読んだ。「1999年」ではこれまたあっさり書かれていたある情報には思わず二度見してしまった。
思索とか哲学とかいわるゆる文学的テーマを小説という形であらわすことにどういう意味・必要性があるのかと最近考えるのだが、この小説はまさしく小説でなければなしえない説得力を持って読者にテーマを語っていると思う。ブライオニーもセシーリアもロビーもエミリーも、さまざまな思いやエピソードの集合体として立体的に読者の心の中に立ち現れてくる。
決してハッピーエンドの小説ではない。だが、いい小説を読んだという深い満足感がある。
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贖罪 単行本 – 2003/4/1
- 本の長さ446ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2003/4/1
- ISBN-104105431013
- ISBN-13978-4105431013
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
まだ戦争が始まる前、地方の旧家で暮らしていた私にとって、世界は無限に開けていた。あの暑い夏の日が来るまでは-。いくつかの誤解、取り返しのつかぬ事件、戦争と欺瞞。無垢な少女が狂わせてしまった生を描く大河小説。
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2003/4/1)
- 発売日 : 2003/4/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 446ページ
- ISBN-10 : 4105431013
- ISBN-13 : 978-4105431013
- Amazon 売れ筋ランキング: - 530,355位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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イメージ付きのレビュー
5 星
語り続けることがつぐないなら、最後に、人生の絶望を乗り越えられるだろうか。
1935年、小さな作家ブライオニーの創作から物語は始まる。久しぶりにロンドンより帰郷する兄のため、客人として招かれた従妹たちをキャストに自作劇の上演を計画するが、ふとしたきっかけで放棄することとなる。延々と続く情景描写から一転、ロビーの「誤った手紙」を持ったブライオニーが屋敷の扉を閉ざしたとき、物語は突然に動き出す(p161)。「あの言葉」「タイプ文字四つの悪魔」(p194)が13歳の想像力たくましい少女に襲い掛かる。親愛なる姉セシーリアと幼馴染というだけの使用人の息子、ロビー。男と姉が急接近する中、その「事件」を目撃したブライオニーは決意を行動に移す。それがどのような結末をロビーの人生にもたらすかを深く考えもせずに……。・第一部はロンドン南東部サリー県にあるタリス邸での長い一日が、主要人物の意識の流れをもって描写される。ブライオニーの成長、すなわち末娘の子供時代の終わりに寄せる母親の思い(p257)にはぐっときた。・ブライオニーの思春期は不安定な危うい時期でもあったのだ。ああ、思い込みの恐ろしさは犯罪的ですらある。・第二部はロビーの視点から物語が進められ、第一部とは違って動きのある描写だ。6年前の出来事、川べりで演じられたブライオニーとロビーのドラマの回想(p390)。戦場にあってはセシーリアのたった一言が生き抜く糧となるのだ。・第三部。ロンドンはテムズ川沿いの聖トーマス病院に、見習い看護師として忙しく働く18歳のブライオニーがいた。大学進学をあきらめ、だが作家としての自分を忘れず、おまるやシーツを洗う毎日。正看護師となった姉のセシーリア同様、家族とはほぼ絶縁状態に身を置くことで、彼女は何を思うのか。オランダとベルギーが降伏し、ドイツ軍がドーヴァー海峡に迫るとき、彼女は思いを強くする。「自分は許されざる存在なのだ」(p473)・突然戦場と化した病院で患者の「旅立ち」にブライオニーがひとりで直面するシーン(p515)。そして姉の言葉(p561)。その筆力には恐れ入った。神の視点と人間の思い。「最後の善行であり、忘却と絶望への抵抗」(p618)ラストの展開には涙腺が緩むのを禁じえなかった。小説はこうでなくっては!
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上位レビュー、対象国: 日本
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2022年12月29日に日本でレビュー済み
ずいぶん前に本書を購入し読みはじめたものの、最初のあたりで訳文の日本語が頭に入らず長く読みさしのままにしていました。今回ようやく最後まで読みおえたしだい。
このイアン・マキューアン(1948- )の小説『贖罪』(2001年)は、あらすじを詳しく書くとネタバレになってしまうところがあるので、そのあたり気をつけてレビューを書きます。
小説の構成は4つのパートからなり、長めの第1部のあと第2部、第3部がつづき、最後に「ロンドン、1999年」と題された短めの章が独立して置かれています。
第1部は1935年、イギリスはロンドン近郊のサリーにあるタリス家のある一日の出来事が複数の視点人物によって語られ、それも章ごとに視点人物は次女ブライオニー(13歳)、長女セシーリア(23歳)、使用人の息子ロビー、ときにエミリー(ブライオニーらの母)とつぎつぎと移り変わっていきます。しかもその叙述はヴァージニア・ウルフの『灯台へ』にも似た意識の流れふうのものになっています。
他の登場人物として、こちらは視点人物にはなりませんが、友人ポール・マーシャルを連れてひさしぶりに実家に帰ってきたタリス家長男リーオン、タリス家に一時身を寄せているブライオニーの従姉ローラとその双子の弟たち、使用人ダニーなどが出てきます。
第1部は、ブライオニーの証言のもと、上で挙げた人物のなかのひとりがある疑惑で警察に連れて行かれるところで終わります。
(なお、第13章冒頭に置かれた「それから30分のうちに、ブライオニーは罪を犯すことになるのだった」という文、そして最後の第14章の「後の年月にブライオニーを苦しめたのは…」の文を含む冒頭パラグラフは、視点人物による刻一刻変転する意識の流れふうのそれまでの叙述とは異なる、すでに出来事の未来を知っているいわば〈全知の語り手〉による語りとなっています。この小説全体の構造にかかわって、小説を最後まで読むことでここに生じる疑問は解決されます)
第2部では、第2次大戦中の1940年、ある事情からイギリス軍の歩兵となっていたロビーが終始視点人物になり、大陸におけるドイツとの前線から北仏ダンケルクの港にまでいたるさまざまな戦争惨事に点綴されたロビーらイギリス兵たちの退却のようすが描かれています。とりわけドイツ戦闘機による空襲などで野を右往左往する一般市民や兵士たちの混乱や惨劇のさまがかなり精細かつリアルに描かれ、重く印象に残るところです(なおこの第2部で「ヘクサミター」とルビが添えられた「六脚韻」という訳語が出てくるのですが、訳語として意味不明で、hexametreは詩の韻律用語で「六歩格」と訳すべきものです)。
第3部は第2部と同時期、戦争による負傷兵士の看病や手当にあたるロンドンの病院が舞台になり、見習い看護婦としてそこで働くブライオニーが視点人物となります。ここも病院の様子やそこでの厳しい規律のもとブライオニーが携わる傷病兵の手当や看護・介護、看取りのことなど事細かな描写がつづきます。
この第3部の末尾には、段下げで「ブライオニー・タリス / ロンドン、1999年」という記名と日付が添えられていて、おやっと思うのですが、これが小説全体の構成においてきわめて重要な意味をもちます(原書では「ブライオニー・タリス」という記名のところは「BT」とイニシャルのみになっている)。
そして「ロンドン、1999年」というここだけ題がつけられた小説最後の独立した章で、それまでの登場人物たちについての衝撃的ともいえる事実、そしてまたこの小説全体の構造にかかわる驚くような事実を、小説家になりいまは80歳になったこの章の視点人物であるブライオニーは明らかにします。第3部末尾のあの謎めいた記名と日付の意味もここで読者は知ることになります。
ところで、現代にあって小説というジャンルの衰退がときにうんぬんされることがあるとはいえ、まだまだ小説の可能性を考えさせてくれる作品があることも事実です。このマキューアンの長篇も、精妙に考えぬかれた物語構造、細部にまでこだわった描写、そして深く奥行きのある濃密な物語内容で、小説を読む醍醐味を味わわせてくれます。
また、シェイクスピアやリチャードソン、ウルフやオーデン、ハウスマンなどイギリスの作家たちへの言及があるばかりか、エリザベス・ボウエン(1899-1973)やシリル・コノリー(1903-74)が物語のなかに登場してきて、文学スノッブの読者を楽しませてくれるところもあります。
なかでも、作中、ロビーが文芸誌『クライテリオン』に詩を投稿するも編集長のT.S.エリオットから不採用通知が届くというエピソードや『ホライズン』編集長コノリーが、ブライトニーの投稿した小説を閲読の上雑誌掲載ができない旨、長文の手紙で丁寧にその理由を説明するところがあります。このコノリーによる長い批評コメントは、メタレベルでほかならぬこの『贖罪』という小説にたいする作者自身の自己批評にもなっているように思えます。じつはこの小説そのものが、小説を書く小説、あるいは小説をなかに含んだ小説というメタフィクションを構成しています。
また、第3部の少し入ったところで、小説家志望のブライトニーがみずからが目指す小説についての考えやその理念を語る箇所があり、これもマキューアン自身の文学観をおそらく反映しているところといえます。
こうしたところには、作者の、現代にあって小説を書くことにたいする自意識ないしは批評意識がするどくあらわれているように思えます。
小説のタイトルは『贖罪』。
英語原題はAtonementで、この語はキリスト教神学におけるイエスがみずから死ぬことでもって人類の罪を贖ったという宗教的な意味での「贖罪」と世俗的・一般的な意味での「つぐない」(この小説を映画化した作品は「つぐない」となっています)、現在その両方の意味をもつほか、すでに廃れた意味として「和解」という意味もあったようです。小説では「つぐない」の意味でまあ解しておけばいいのではないかと思いますが、古義の「和解」の意味もふくませているのでしょう。
ブライトニーは、虚構ながらもありえたかもしれない世界を提示する小説を完成させることで、ロビーとセシーリアへの「つぐない」と「和解」を自分なりにその虚構のなかでなんとか果たそうとしたといえるのかもしれません。
この小説は、イギリスのブッカー賞の候補になりながらも賞は逃したということですが、もしかすると第2部第3部が、小説の主題からやや不必要なほど逸脱してしまったと感じさせるぐらいに戦場や病院の細部の描写で重くふくれあがって、それが小説全体の構成から見て長大になりすぎ少々バランスの悪いものになっていると受けとめられたからではないでしょうか。
いっぽう、本の跋にある著者の謝辞に書かれているように、その第2部・第3部で、戦場や戦時病院のようすを詳細に描くために、大戦時に書かれ、戦後ロンドンの帝国戦争博物館に集められた個人の私的な日記や手紙あるいは戦後記された回想録などが資料として少なからず利用されたのだろうと想像されます。
なお、まず小説を読んでからと思っていたので、まだ観ていないのですが、この小説はジョー・ライト監督によって映画化されています(2005年、邦題『つぐない』)。こちらもそれなりに高い評価を受けているようです。ただとはいえ、緻密に組み立てられたこの小説がうまく映像化できているのか少々気がかりではありますが。
最後につけたし:
登場人物のひとりロビーはタリス家の使用人の息子ながら、高級官僚であるタリス家当主の理解と経済的支援のもと一家と家族同然に育ち、ケンブリッジで文学を修め一等学位をとったあと、医学への道に転じようとしていた人物という設定になっています。
小説第2部で、大戦のさなかある事情からイギリス軍の歩兵(private)となったそのロビーが、大陸でのドイツとの戦線から退却のため、二人の伍長とフランス内地を徒歩で長距離移動するなか、軍隊階級では最下位の歩兵ながら、連れのその伍長たちから一種からかいを含んで「だんな(guv’nor)」と敬称でもって呼びかけられるばかりか、伍長のひとりから「ただの歩兵にすぎないおまえがなんでお坊ちゃんみたいな(like a toff)言葉遣いをしてやがるんだ」とときに直截からかわれたりもする場面があります。
ここはイギリスでは社会階層によって話す英語の言葉遣いが異なることをあらためて思い出させる場面となっています。逆にいうと、イギリス人のあいだでは、ごくふつうに、ある人の話す英語の言葉遣いから当人の出自なり当人が属する社会階層なりがおのずとわかるというわけです。
ちなみに、英国元首相のボリス・ジョンソンの話す英語は、5秒聞いただけで彼がイギリスのアッパークラス、それもいちばん上の階層出身であることがわかると、イギリス出身の音楽評論家ピーター・バラカンさんはどこかで語っていました。
また、10代のころイギリスの女子パブリックスクールで教育を受けた『英語の階級』(講談社)の著者新井潤美氏は、成人してからも小柄で童顔だったため、イギリスで店で買い物をしているときなど「大丈夫?お嬢ちゃん」としばしば子ども扱いされることがあったものの、彼女が口を開くと寄宿学校仕込みのアッパークラス流の英語であるため、「どうぞ、奥様」とがらりと相手の態度が変わるという経験をなんどもしたそうです。
このイアン・マキューアン(1948- )の小説『贖罪』(2001年)は、あらすじを詳しく書くとネタバレになってしまうところがあるので、そのあたり気をつけてレビューを書きます。
小説の構成は4つのパートからなり、長めの第1部のあと第2部、第3部がつづき、最後に「ロンドン、1999年」と題された短めの章が独立して置かれています。
第1部は1935年、イギリスはロンドン近郊のサリーにあるタリス家のある一日の出来事が複数の視点人物によって語られ、それも章ごとに視点人物は次女ブライオニー(13歳)、長女セシーリア(23歳)、使用人の息子ロビー、ときにエミリー(ブライオニーらの母)とつぎつぎと移り変わっていきます。しかもその叙述はヴァージニア・ウルフの『灯台へ』にも似た意識の流れふうのものになっています。
他の登場人物として、こちらは視点人物にはなりませんが、友人ポール・マーシャルを連れてひさしぶりに実家に帰ってきたタリス家長男リーオン、タリス家に一時身を寄せているブライオニーの従姉ローラとその双子の弟たち、使用人ダニーなどが出てきます。
第1部は、ブライオニーの証言のもと、上で挙げた人物のなかのひとりがある疑惑で警察に連れて行かれるところで終わります。
(なお、第13章冒頭に置かれた「それから30分のうちに、ブライオニーは罪を犯すことになるのだった」という文、そして最後の第14章の「後の年月にブライオニーを苦しめたのは…」の文を含む冒頭パラグラフは、視点人物による刻一刻変転する意識の流れふうのそれまでの叙述とは異なる、すでに出来事の未来を知っているいわば〈全知の語り手〉による語りとなっています。この小説全体の構造にかかわって、小説を最後まで読むことでここに生じる疑問は解決されます)
第2部では、第2次大戦中の1940年、ある事情からイギリス軍の歩兵となっていたロビーが終始視点人物になり、大陸におけるドイツとの前線から北仏ダンケルクの港にまでいたるさまざまな戦争惨事に点綴されたロビーらイギリス兵たちの退却のようすが描かれています。とりわけドイツ戦闘機による空襲などで野を右往左往する一般市民や兵士たちの混乱や惨劇のさまがかなり精細かつリアルに描かれ、重く印象に残るところです(なおこの第2部で「ヘクサミター」とルビが添えられた「六脚韻」という訳語が出てくるのですが、訳語として意味不明で、hexametreは詩の韻律用語で「六歩格」と訳すべきものです)。
第3部は第2部と同時期、戦争による負傷兵士の看病や手当にあたるロンドンの病院が舞台になり、見習い看護婦としてそこで働くブライオニーが視点人物となります。ここも病院の様子やそこでの厳しい規律のもとブライオニーが携わる傷病兵の手当や看護・介護、看取りのことなど事細かな描写がつづきます。
この第3部の末尾には、段下げで「ブライオニー・タリス / ロンドン、1999年」という記名と日付が添えられていて、おやっと思うのですが、これが小説全体の構成においてきわめて重要な意味をもちます(原書では「ブライオニー・タリス」という記名のところは「BT」とイニシャルのみになっている)。
そして「ロンドン、1999年」というここだけ題がつけられた小説最後の独立した章で、それまでの登場人物たちについての衝撃的ともいえる事実、そしてまたこの小説全体の構造にかかわる驚くような事実を、小説家になりいまは80歳になったこの章の視点人物であるブライオニーは明らかにします。第3部末尾のあの謎めいた記名と日付の意味もここで読者は知ることになります。
ところで、現代にあって小説というジャンルの衰退がときにうんぬんされることがあるとはいえ、まだまだ小説の可能性を考えさせてくれる作品があることも事実です。このマキューアンの長篇も、精妙に考えぬかれた物語構造、細部にまでこだわった描写、そして深く奥行きのある濃密な物語内容で、小説を読む醍醐味を味わわせてくれます。
また、シェイクスピアやリチャードソン、ウルフやオーデン、ハウスマンなどイギリスの作家たちへの言及があるばかりか、エリザベス・ボウエン(1899-1973)やシリル・コノリー(1903-74)が物語のなかに登場してきて、文学スノッブの読者を楽しませてくれるところもあります。
なかでも、作中、ロビーが文芸誌『クライテリオン』に詩を投稿するも編集長のT.S.エリオットから不採用通知が届くというエピソードや『ホライズン』編集長コノリーが、ブライトニーの投稿した小説を閲読の上雑誌掲載ができない旨、長文の手紙で丁寧にその理由を説明するところがあります。このコノリーによる長い批評コメントは、メタレベルでほかならぬこの『贖罪』という小説にたいする作者自身の自己批評にもなっているように思えます。じつはこの小説そのものが、小説を書く小説、あるいは小説をなかに含んだ小説というメタフィクションを構成しています。
また、第3部の少し入ったところで、小説家志望のブライトニーがみずからが目指す小説についての考えやその理念を語る箇所があり、これもマキューアン自身の文学観をおそらく反映しているところといえます。
こうしたところには、作者の、現代にあって小説を書くことにたいする自意識ないしは批評意識がするどくあらわれているように思えます。
小説のタイトルは『贖罪』。
英語原題はAtonementで、この語はキリスト教神学におけるイエスがみずから死ぬことでもって人類の罪を贖ったという宗教的な意味での「贖罪」と世俗的・一般的な意味での「つぐない」(この小説を映画化した作品は「つぐない」となっています)、現在その両方の意味をもつほか、すでに廃れた意味として「和解」という意味もあったようです。小説では「つぐない」の意味でまあ解しておけばいいのではないかと思いますが、古義の「和解」の意味もふくませているのでしょう。
ブライトニーは、虚構ながらもありえたかもしれない世界を提示する小説を完成させることで、ロビーとセシーリアへの「つぐない」と「和解」を自分なりにその虚構のなかでなんとか果たそうとしたといえるのかもしれません。
この小説は、イギリスのブッカー賞の候補になりながらも賞は逃したということですが、もしかすると第2部第3部が、小説の主題からやや不必要なほど逸脱してしまったと感じさせるぐらいに戦場や病院の細部の描写で重くふくれあがって、それが小説全体の構成から見て長大になりすぎ少々バランスの悪いものになっていると受けとめられたからではないでしょうか。
いっぽう、本の跋にある著者の謝辞に書かれているように、その第2部・第3部で、戦場や戦時病院のようすを詳細に描くために、大戦時に書かれ、戦後ロンドンの帝国戦争博物館に集められた個人の私的な日記や手紙あるいは戦後記された回想録などが資料として少なからず利用されたのだろうと想像されます。
なお、まず小説を読んでからと思っていたので、まだ観ていないのですが、この小説はジョー・ライト監督によって映画化されています(2005年、邦題『つぐない』)。こちらもそれなりに高い評価を受けているようです。ただとはいえ、緻密に組み立てられたこの小説がうまく映像化できているのか少々気がかりではありますが。
最後につけたし:
登場人物のひとりロビーはタリス家の使用人の息子ながら、高級官僚であるタリス家当主の理解と経済的支援のもと一家と家族同然に育ち、ケンブリッジで文学を修め一等学位をとったあと、医学への道に転じようとしていた人物という設定になっています。
小説第2部で、大戦のさなかある事情からイギリス軍の歩兵(private)となったそのロビーが、大陸でのドイツとの戦線から退却のため、二人の伍長とフランス内地を徒歩で長距離移動するなか、軍隊階級では最下位の歩兵ながら、連れのその伍長たちから一種からかいを含んで「だんな(guv’nor)」と敬称でもって呼びかけられるばかりか、伍長のひとりから「ただの歩兵にすぎないおまえがなんでお坊ちゃんみたいな(like a toff)言葉遣いをしてやがるんだ」とときに直截からかわれたりもする場面があります。
ここはイギリスでは社会階層によって話す英語の言葉遣いが異なることをあらためて思い出させる場面となっています。逆にいうと、イギリス人のあいだでは、ごくふつうに、ある人の話す英語の言葉遣いから当人の出自なり当人が属する社会階層なりがおのずとわかるというわけです。
ちなみに、英国元首相のボリス・ジョンソンの話す英語は、5秒聞いただけで彼がイギリスのアッパークラス、それもいちばん上の階層出身であることがわかると、イギリス出身の音楽評論家ピーター・バラカンさんはどこかで語っていました。
また、10代のころイギリスの女子パブリックスクールで教育を受けた『英語の階級』(講談社)の著者新井潤美氏は、成人してからも小柄で童顔だったため、イギリスで店で買い物をしているときなど「大丈夫?お嬢ちゃん」としばしば子ども扱いされることがあったものの、彼女が口を開くと寄宿学校仕込みのアッパークラス流の英語であるため、「どうぞ、奥様」とがらりと相手の態度が変わるという経験をなんどもしたそうです。
2021年2月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ジョーライト監督作の映画「つぐない」の原作という事で購読しました。
映画での光景が先にあったので、小説の方も読みやすかったです。
本当に久しぶりにガツンと重い小説でした。(良い意味で)
小説は映画とは違って、細部の機微、各々の思考、等がわかるのでやはり良いです。
1人の少女(ブライオニー)の嘘が招いた事による悲劇は、第二次世界大戦とも絡みあい、姉とその恋人(ロビー)に向かってしまう。
ただタイトルの「贖罪」をテーマに考えると
ブライオニーだけが悪いとは言えず、登場人物全員、また現実的な私達の世界にも当てはまる事となり得るのがこの小説の凄さだと思いました。
ダンケルクまでに向かうロビーが体験する出来事は秀逸な文章表現で歴史書の様です。
多くの方々に読んでいただきたい小説です。
映画での光景が先にあったので、小説の方も読みやすかったです。
本当に久しぶりにガツンと重い小説でした。(良い意味で)
小説は映画とは違って、細部の機微、各々の思考、等がわかるのでやはり良いです。
1人の少女(ブライオニー)の嘘が招いた事による悲劇は、第二次世界大戦とも絡みあい、姉とその恋人(ロビー)に向かってしまう。
ただタイトルの「贖罪」をテーマに考えると
ブライオニーだけが悪いとは言えず、登場人物全員、また現実的な私達の世界にも当てはまる事となり得るのがこの小説の凄さだと思いました。
ダンケルクまでに向かうロビーが体験する出来事は秀逸な文章表現で歴史書の様です。
多くの方々に読んでいただきたい小説です。
2021年5月6日に日本でレビュー済み
イギリスで少女が嘘の告発をし・・・というお話。
第一部では主人公の少女の営みが淡々と語られ、第二部では他の登場人物の戦争体験が語られ、第三部では第一部の少女の成長した現在が語られるという構成の小説でした。枠組みは推理小説風ですが、内容は深い内容みたいです。
白状すると、一回読んだだけではうまく判読できなかったので、二回読みました。二回目もうまく判読できたか疑問で、推理小説風に展開する部分もあるので、あまり深く書けませんが、キリスト教の「罪と救済」をネタにした小説の様でした。以下でネタバレをしているので未読の方は読まないでください。
個人的に信仰心はなく、宗教も詳しくなく、あまり知りませんが、ある種の宗教には罪を犯した後、救済があるかという命題がある様で、シムノンの普通小説やグレアム・グリーンの諸作でもそういうネタの小説があるので、この作品もそういう宗教小説の嫡流に位置する重要な作品らしいです(多分:違ったらすいません)。この小説では嘘をついた主人公が、年がいって看護婦になり献身的な働きをする事で贖罪や救済になるかが問われているらしいです。
この人の最高傑作に推す人が多く、出版社の宣伝でもそう書いてありますが、個人的には他にもっと面白い作品もあったし、好きな小説もありますが、上記の様な理由で読んで意味のある作品だとは思いました。
このマキューアンさんは一番最初に注目された際は作品に猟奇的なシーンがあり、根暗な感じなので、インテリ変態というありがたくない肩書きをもらっていた記憶がありますが、最近になって「まっとうな」作風になったり、コミカルな作品も書いたりと幅広い作風になりましたねぇ。文学賞も多数もらって作品数も多いので、カズオ・イシグロさんみたいにあの賞をもらうかも(ジョン・マクガハンとかウィリアム・トレバーとかもらい損ねた人もいたけれど)。
多分、キリスト教の「罪と救済(贖罪)」をテーマにした重厚な作品。機会があったら是非。
第一部では主人公の少女の営みが淡々と語られ、第二部では他の登場人物の戦争体験が語られ、第三部では第一部の少女の成長した現在が語られるという構成の小説でした。枠組みは推理小説風ですが、内容は深い内容みたいです。
白状すると、一回読んだだけではうまく判読できなかったので、二回読みました。二回目もうまく判読できたか疑問で、推理小説風に展開する部分もあるので、あまり深く書けませんが、キリスト教の「罪と救済」をネタにした小説の様でした。以下でネタバレをしているので未読の方は読まないでください。
個人的に信仰心はなく、宗教も詳しくなく、あまり知りませんが、ある種の宗教には罪を犯した後、救済があるかという命題がある様で、シムノンの普通小説やグレアム・グリーンの諸作でもそういうネタの小説があるので、この作品もそういう宗教小説の嫡流に位置する重要な作品らしいです(多分:違ったらすいません)。この小説では嘘をついた主人公が、年がいって看護婦になり献身的な働きをする事で贖罪や救済になるかが問われているらしいです。
この人の最高傑作に推す人が多く、出版社の宣伝でもそう書いてありますが、個人的には他にもっと面白い作品もあったし、好きな小説もありますが、上記の様な理由で読んで意味のある作品だとは思いました。
このマキューアンさんは一番最初に注目された際は作品に猟奇的なシーンがあり、根暗な感じなので、インテリ変態というありがたくない肩書きをもらっていた記憶がありますが、最近になって「まっとうな」作風になったり、コミカルな作品も書いたりと幅広い作風になりましたねぇ。文学賞も多数もらって作品数も多いので、カズオ・イシグロさんみたいにあの賞をもらうかも(ジョン・マクガハンとかウィリアム・トレバーとかもらい損ねた人もいたけれど)。
多分、キリスト教の「罪と救済(贖罪)」をテーマにした重厚な作品。機会があったら是非。
2014年6月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
映画より最終章の感動が大きいです。
情景が多い浮かぶような描写が秀逸です。
情景が多い浮かぶような描写が秀逸です。
2019年2月2日に日本でレビュー済み
1935年、小さな作家ブライオニーの創作から物語は始まる。久しぶりにロンドンより帰郷する兄のため、客人として招かれた従妹たちをキャストに自作劇の上演を計画するが、ふとしたきっかけで放棄することとなる。
延々と続く情景描写から一転、ロビーの「誤った手紙」を持ったブライオニーが屋敷の扉を閉ざしたとき、物語は突然に動き出す(p161)。「あの言葉」「タイプ文字四つの悪魔」(p194)が13歳の想像力たくましい少女に襲い掛かる。
親愛なる姉セシーリアと幼馴染というだけの使用人の息子、ロビー。男と姉が急接近する中、その「事件」を目撃したブライオニーは決意を行動に移す。それがどのような結末をロビーの人生にもたらすかを深く考えもせずに……。
・第一部はロンドン南東部サリー県にあるタリス邸での長い一日が、主要人物の意識の流れをもって描写される。ブライオニーの成長、すなわち末娘の子供時代の終わりに寄せる母親の思い(p257)にはぐっときた。
・ブライオニーの思春期は不安定な危うい時期でもあったのだ。ああ、思い込みの恐ろしさは犯罪的ですらある。
・第二部はロビーの視点から物語が進められ、第一部とは違って動きのある描写だ。6年前の出来事、川べりで演じられたブライオニーとロビーのドラマの回想(p390)。戦場にあってはセシーリアのたった一言が生き抜く糧となるのだ。
・第三部。ロンドンはテムズ川沿いの聖トーマス病院に、見習い看護師として忙しく働く18歳のブライオニーがいた。大学進学をあきらめ、だが作家としての自分を忘れず、おまるやシーツを洗う毎日。正看護師となった姉のセシーリア同様、家族とはほぼ絶縁状態に身を置くことで、彼女は何を思うのか。オランダとベルギーが降伏し、ドイツ軍がドーヴァー海峡に迫るとき、彼女は思いを強くする。「自分は許されざる存在なのだ」(p473)
・突然戦場と化した病院で患者の「旅立ち」にブライオニーがひとりで直面するシーン(p515)。そして姉の言葉(p561)。その筆力には恐れ入った。
神の視点と人間の思い。「最後の善行であり、忘却と絶望への抵抗」(p618)ラストの展開には涙腺が緩むのを禁じえなかった。小説はこうでなくっては!
延々と続く情景描写から一転、ロビーの「誤った手紙」を持ったブライオニーが屋敷の扉を閉ざしたとき、物語は突然に動き出す(p161)。「あの言葉」「タイプ文字四つの悪魔」(p194)が13歳の想像力たくましい少女に襲い掛かる。
親愛なる姉セシーリアと幼馴染というだけの使用人の息子、ロビー。男と姉が急接近する中、その「事件」を目撃したブライオニーは決意を行動に移す。それがどのような結末をロビーの人生にもたらすかを深く考えもせずに……。
・第一部はロンドン南東部サリー県にあるタリス邸での長い一日が、主要人物の意識の流れをもって描写される。ブライオニーの成長、すなわち末娘の子供時代の終わりに寄せる母親の思い(p257)にはぐっときた。
・ブライオニーの思春期は不安定な危うい時期でもあったのだ。ああ、思い込みの恐ろしさは犯罪的ですらある。
・第二部はロビーの視点から物語が進められ、第一部とは違って動きのある描写だ。6年前の出来事、川べりで演じられたブライオニーとロビーのドラマの回想(p390)。戦場にあってはセシーリアのたった一言が生き抜く糧となるのだ。
・第三部。ロンドンはテムズ川沿いの聖トーマス病院に、見習い看護師として忙しく働く18歳のブライオニーがいた。大学進学をあきらめ、だが作家としての自分を忘れず、おまるやシーツを洗う毎日。正看護師となった姉のセシーリア同様、家族とはほぼ絶縁状態に身を置くことで、彼女は何を思うのか。オランダとベルギーが降伏し、ドイツ軍がドーヴァー海峡に迫るとき、彼女は思いを強くする。「自分は許されざる存在なのだ」(p473)
・突然戦場と化した病院で患者の「旅立ち」にブライオニーがひとりで直面するシーン(p515)。そして姉の言葉(p561)。その筆力には恐れ入った。
神の視点と人間の思い。「最後の善行であり、忘却と絶望への抵抗」(p618)ラストの展開には涙腺が緩むのを禁じえなかった。小説はこうでなくっては!
1935年、小さな作家ブライオニーの創作から物語は始まる。久しぶりにロンドンより帰郷する兄のため、客人として招かれた従妹たちをキャストに自作劇の上演を計画するが、ふとしたきっかけで放棄することとなる。
延々と続く情景描写から一転、ロビーの「誤った手紙」を持ったブライオニーが屋敷の扉を閉ざしたとき、物語は突然に動き出す(p161)。「あの言葉」「タイプ文字四つの悪魔」(p194)が13歳の想像力たくましい少女に襲い掛かる。
親愛なる姉セシーリアと幼馴染というだけの使用人の息子、ロビー。男と姉が急接近する中、その「事件」を目撃したブライオニーは決意を行動に移す。それがどのような結末をロビーの人生にもたらすかを深く考えもせずに……。
・第一部はロンドン南東部サリー県にあるタリス邸での長い一日が、主要人物の意識の流れをもって描写される。ブライオニーの成長、すなわち末娘の子供時代の終わりに寄せる母親の思い(p257)にはぐっときた。
・ブライオニーの思春期は不安定な危うい時期でもあったのだ。ああ、思い込みの恐ろしさは犯罪的ですらある。
・第二部はロビーの視点から物語が進められ、第一部とは違って動きのある描写だ。6年前の出来事、川べりで演じられたブライオニーとロビーのドラマの回想(p390)。戦場にあってはセシーリアのたった一言が生き抜く糧となるのだ。
・第三部。ロンドンはテムズ川沿いの聖トーマス病院に、見習い看護師として忙しく働く18歳のブライオニーがいた。大学進学をあきらめ、だが作家としての自分を忘れず、おまるやシーツを洗う毎日。正看護師となった姉のセシーリア同様、家族とはほぼ絶縁状態に身を置くことで、彼女は何を思うのか。オランダとベルギーが降伏し、ドイツ軍がドーヴァー海峡に迫るとき、彼女は思いを強くする。「自分は許されざる存在なのだ」(p473)
・突然戦場と化した病院で患者の「旅立ち」にブライオニーがひとりで直面するシーン(p515)。そして姉の言葉(p561)。その筆力には恐れ入った。
神の視点と人間の思い。「最後の善行であり、忘却と絶望への抵抗」(p618)ラストの展開には涙腺が緩むのを禁じえなかった。小説はこうでなくっては!
延々と続く情景描写から一転、ロビーの「誤った手紙」を持ったブライオニーが屋敷の扉を閉ざしたとき、物語は突然に動き出す(p161)。「あの言葉」「タイプ文字四つの悪魔」(p194)が13歳の想像力たくましい少女に襲い掛かる。
親愛なる姉セシーリアと幼馴染というだけの使用人の息子、ロビー。男と姉が急接近する中、その「事件」を目撃したブライオニーは決意を行動に移す。それがどのような結末をロビーの人生にもたらすかを深く考えもせずに……。
・第一部はロンドン南東部サリー県にあるタリス邸での長い一日が、主要人物の意識の流れをもって描写される。ブライオニーの成長、すなわち末娘の子供時代の終わりに寄せる母親の思い(p257)にはぐっときた。
・ブライオニーの思春期は不安定な危うい時期でもあったのだ。ああ、思い込みの恐ろしさは犯罪的ですらある。
・第二部はロビーの視点から物語が進められ、第一部とは違って動きのある描写だ。6年前の出来事、川べりで演じられたブライオニーとロビーのドラマの回想(p390)。戦場にあってはセシーリアのたった一言が生き抜く糧となるのだ。
・第三部。ロンドンはテムズ川沿いの聖トーマス病院に、見習い看護師として忙しく働く18歳のブライオニーがいた。大学進学をあきらめ、だが作家としての自分を忘れず、おまるやシーツを洗う毎日。正看護師となった姉のセシーリア同様、家族とはほぼ絶縁状態に身を置くことで、彼女は何を思うのか。オランダとベルギーが降伏し、ドイツ軍がドーヴァー海峡に迫るとき、彼女は思いを強くする。「自分は許されざる存在なのだ」(p473)
・突然戦場と化した病院で患者の「旅立ち」にブライオニーがひとりで直面するシーン(p515)。そして姉の言葉(p561)。その筆力には恐れ入った。
神の視点と人間の思い。「最後の善行であり、忘却と絶望への抵抗」(p618)ラストの展開には涙腺が緩むのを禁じえなかった。小説はこうでなくっては!
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2005年3月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
マキューアンの作品を読むのは今回が初めてだったのですが、初期の彼の作品は、かなり倒錯的で攻撃的なものが多いと聞いて驚きです。この最新作は、それが信じられないほどに誠実でストイックな雰囲気を持った作品でした。
以前筑紫哲也さんのTV番組で、“人を殺してなぜいけないんですか?”という発言をした少年がいて、一時話題になりました。 人を殺していけない究極の理由はありません。 ただこの作品が描き出した、戦争という大量殺戮と、嫉妬による一つの愛の殺戮を前に、ただ愛を待つことと贖罪を貫き通すことによってのみしか生きられない人々の姿が、この大問題に穏やかに対峙しています。 “ペシミズムを維持するだけの勇気がもはやないのだ”という台詞も効いてますねえ。欲を言えば、ブライオニーが贖罪に至った過程まで描いてくれたらものすごい傑作になったのかもしれませんが、それをやってしまうと、話がいつまでたっても終わらない小説になるのでしょう。
ほとんど4つの場所と時間の中で起きる出来事にのみ焦点を絞って書かれているので読みやすく、構成的にはかなり技巧を凝らしていますが、内容が真面目なので嫌みに感じられません。クライマックスの3人の会話や別れの場面など、淡々としながらも迫力があり、しかも映像的な描写が非常に印象的な作品でした。
以前筑紫哲也さんのTV番組で、“人を殺してなぜいけないんですか?”という発言をした少年がいて、一時話題になりました。 人を殺していけない究極の理由はありません。 ただこの作品が描き出した、戦争という大量殺戮と、嫉妬による一つの愛の殺戮を前に、ただ愛を待つことと贖罪を貫き通すことによってのみしか生きられない人々の姿が、この大問題に穏やかに対峙しています。 “ペシミズムを維持するだけの勇気がもはやないのだ”という台詞も効いてますねえ。欲を言えば、ブライオニーが贖罪に至った過程まで描いてくれたらものすごい傑作になったのかもしれませんが、それをやってしまうと、話がいつまでたっても終わらない小説になるのでしょう。
ほとんど4つの場所と時間の中で起きる出来事にのみ焦点を絞って書かれているので読みやすく、構成的にはかなり技巧を凝らしていますが、内容が真面目なので嫌みに感じられません。クライマックスの3人の会話や別れの場面など、淡々としながらも迫力があり、しかも映像的な描写が非常に印象的な作品でした。