最初の列車事故以外、大きな事故がでてくる訳でもない。
やや淡々と、引いた感じで、語られる、アメリカに移住したインド人一家の大河小説。
インド人の若夫婦が、アメリカへと移住し、
やがて子供(ゴーゴリと妹)ができて、、子供達が大きくなって、、。
インド人としてのIDを強くもって、異国で暮らす、両親と、
アメリカ人としてのIDで暮らす、子供達、、との静かで小さな葛藤が
この淡々とした話に、ふくらみを持たせているような気がする。
自分的には、移民後、鬱っぽかった母アショカに一番引かれますね。
鬱っぽかったのに、子供ができてから、周囲とのつながりができて、、、。
パーティーを開くたびに、その規模や参加者が増えてきて、、。
たくましくて。
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その名にちなんで (Shinchosha CREST BOOKS) 単行本 – 2004/7/31
- 本の長さ350ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2004/7/31
- ISBN-104105900404
- ISBN-13978-4105900403
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
「ゴーゴリ」と名づけられた少年。その名をやがて彼は恥じるようになる。進学を機に、ついに改名。生まれ変わったような日々のなか、ふいに胸を刺す痛みと哀しみ。そして訪れる突然の転機…。ふかぶかと胸に沁みる長篇。
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2004/7/31)
- 発売日 : 2004/7/31
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 350ページ
- ISBN-10 : 4105900404
- ISBN-13 : 978-4105900403
- Amazon 売れ筋ランキング: - 232,226位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2016年8月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
最後まで、楽しみました。
その意味で、ありがたい作品だと思います。
同時に、読後感は、”何が言いたかったの?”でした。
異文化間での悩み?
ユニークな名前が引き起こす不思議な経験群?
アメリカ文化の一面?
すいません…私の好みではないです。
その意味で、ありがたい作品だと思います。
同時に、読後感は、”何が言いたかったの?”でした。
異文化間での悩み?
ユニークな名前が引き起こす不思議な経験群?
アメリカ文化の一面?
すいません…私の好みではないです。
2006年9月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
新聞の書評を読んで何となく手にした本ですが、それまでに読んだことのないタイプの作品でした。風景や人物の細かい描写、そしてゆるやかに、でも確実に動いている主人公の心情は、女性だから書けるものだと思います。女性として共感できることがたくさんありました。ドキドキハラハラの劇的な展開があるストーリーではありませんが、穏やかな満足感が得られます。
2011年1月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
移民でもない。ごく普通の日本の自分。
この本を凹んだ時、繰り返して読んだ時期がありました。
好きな小川高義の文章、そのテンポや単語選びのセンスを味わい、行ったことのないコルカタやアメリカの暮らしに旅する。
その時間が、自分の日常生活から引き離してくれたせいだけではないように思います。
1975年に生まれた自分ですが、両親との価値観や時代への捉え方の違いは大きく、
アメリカの都市郊外で育った主人公と、インドからの移民一世の父母とのギャップと同じくらいに感じていたのかもしれない。
将来への不安や期待でいっぱいの子は、情では好きと思う父母を認められず、頼ることができなかった。
成長して初めて気付ける父母らからの想いに、子として優しくされるのだと思います。
この本を凹んだ時、繰り返して読んだ時期がありました。
好きな小川高義の文章、そのテンポや単語選びのセンスを味わい、行ったことのないコルカタやアメリカの暮らしに旅する。
その時間が、自分の日常生活から引き離してくれたせいだけではないように思います。
1975年に生まれた自分ですが、両親との価値観や時代への捉え方の違いは大きく、
アメリカの都市郊外で育った主人公と、インドからの移民一世の父母とのギャップと同じくらいに感じていたのかもしれない。
将来への不安や期待でいっぱいの子は、情では好きと思う父母を認められず、頼ることができなかった。
成長して初めて気付ける父母らからの想いに、子として優しくされるのだと思います。
2011年3月11日に日本でレビュー済み
「その名にちなんで」は、ジュンパ・ラヒリ(Jhumpa Lahiri)という、「停電の夜に」でピューリッツア賞等たくさんの賞を総なめにしたインド系アメリカ人作家の小説だ。
久しぶりに小説世界にどっぷりつかる喜びを味あわせてくれた小説だった。
物語は1968年にボストンで出生する主人公ゴーゴリのインド生まれの父母が結婚する前から始まる。父親が大学生の頃、祖父の家から帰宅途中にインドの地方で列車の脱線事故で九死に一生を得る。数百人の乗客がほとんど亡くなった事故で、彼が助かったのは、祖父からもらい、事故直前まで読んでいたロシアの作家・ニコライ・ゴーゴリの本のページが風になびいたのが、救助隊員の目に留まったからだった。
この事故によってマサチューセッツ工科大学大学院への留学を決意し、そのままボストンで大学教授になるた父は、写真1枚でカルカッタから嫁いできた妻が産んだ長男に「ゴーゴリ」と名づける。
その家族の、約30年にわたる物語なのだが、とりたてて何も劇的なことが起こらないのに、これほど胸を打たれるのはなぜだろうか。
主人公は、この名前に呪縛を受けていると感じ続け、エール大学に入学する機会に改名してしまう。興味を引いたのは、米国では改名手続がものすごく簡単なのだな、ということ。日本では、正当事由がないと、改名は認められない。
しかし、呪縛していたのは、名前でなく、移民国家アメリカで誰もが避けて通れないアイデンティティの問題なのだ、ということが、この家族の物語を通じてたくみに描かれているのだ。
それにしても、インド系のアメリカ人は、これほど同じ民族としか付き合わなかったり、祖国の習慣に固執するものなのか、それともベンガル系だけなのか、ということも発見の一つだった。
家族の物語を淡々と描いているが、オハイオの大学にサバティカルのために単身赴任してまもなく心臓発作で亡くなった父を、母が「お父さんは、私に一人暮らしに慣れさせるためにひとりでオハイオに行ったのよ」というくだりには、号泣させられた、うまい、としかいいようがない。
また、文学作品に生涯にわたって影響を受ける人生というのも、とても親近感をもてるものだった。
この小説を読んだとき、「こんな大きな脱線事故は日本では無縁だ」と思ったら、その直後尼崎事故の悲報に接し、あまりのことに、なかなか感想文を書けなかった。
亡くなられた方とご遺族の無念を思うと、言葉がない。
久しぶりに小説世界にどっぷりつかる喜びを味あわせてくれた小説だった。
物語は1968年にボストンで出生する主人公ゴーゴリのインド生まれの父母が結婚する前から始まる。父親が大学生の頃、祖父の家から帰宅途中にインドの地方で列車の脱線事故で九死に一生を得る。数百人の乗客がほとんど亡くなった事故で、彼が助かったのは、祖父からもらい、事故直前まで読んでいたロシアの作家・ニコライ・ゴーゴリの本のページが風になびいたのが、救助隊員の目に留まったからだった。
この事故によってマサチューセッツ工科大学大学院への留学を決意し、そのままボストンで大学教授になるた父は、写真1枚でカルカッタから嫁いできた妻が産んだ長男に「ゴーゴリ」と名づける。
その家族の、約30年にわたる物語なのだが、とりたてて何も劇的なことが起こらないのに、これほど胸を打たれるのはなぜだろうか。
主人公は、この名前に呪縛を受けていると感じ続け、エール大学に入学する機会に改名してしまう。興味を引いたのは、米国では改名手続がものすごく簡単なのだな、ということ。日本では、正当事由がないと、改名は認められない。
しかし、呪縛していたのは、名前でなく、移民国家アメリカで誰もが避けて通れないアイデンティティの問題なのだ、ということが、この家族の物語を通じてたくみに描かれているのだ。
それにしても、インド系のアメリカ人は、これほど同じ民族としか付き合わなかったり、祖国の習慣に固執するものなのか、それともベンガル系だけなのか、ということも発見の一つだった。
家族の物語を淡々と描いているが、オハイオの大学にサバティカルのために単身赴任してまもなく心臓発作で亡くなった父を、母が「お父さんは、私に一人暮らしに慣れさせるためにひとりでオハイオに行ったのよ」というくだりには、号泣させられた、うまい、としかいいようがない。
また、文学作品に生涯にわたって影響を受ける人生というのも、とても親近感をもてるものだった。
この小説を読んだとき、「こんな大きな脱線事故は日本では無縁だ」と思ったら、その直後尼崎事故の悲報に接し、あまりのことに、なかなか感想文を書けなかった。
亡くなられた方とご遺族の無念を思うと、言葉がない。
2014年12月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
アメリカに住むインド系の登場人物の人生が淡々と綴られている。
正直いうと、だから何? という感じでした。
読み進めるのに難儀しました。
どこがどう面白いのかよくわかりません。
正直いうと、だから何? という感じでした。
読み進めるのに難儀しました。
どこがどう面白いのかよくわかりません。
2004年11月9日に日本でレビュー済み
驚くべき完成度を見せていた「停電の夜に」の作者の初長篇ということで
かなりの期待を抱いて読んだが、素晴らしいというより他に言葉が見つからない。
主人公の両親はインドからアメリカに移住して一家を構えた人達で出身地の文化を
捨て去ることなく暮らしているが、もともとそのきっかけとなったのは父親が
故郷で巻き込まれた列車事故だった。偶然読んでいたロシアの小説に助けられたと
感じた父親はその後アメリカに住むことを決め、結婚後生まれた息子にはその小説の
作家の名前をつける。ゴーゴリという、アメリカ風でもましてやベンガル風でも
ない一風変わったファーストネームを持った主人公を中心に、軽やかにそして
丁寧に物語は語られてゆく。
中心となるのはベンガル系の人々だが家族を描いた物語には普遍性があり、
異なった文化圏の読者をも容易に引き付ける魅力がある。誰の人生でもあるに
違いない、あとになって思い返して重大な意味に思い当たる出来事など
ささやかな偶然が積み重なって人生はその形を定めていくことを実感する。
簡潔だが細やかな描写で深い余韻を残す文章は味わい深く、何度でも読み返し
たくなる魅力がある。代名詞の多用を避けて自然な日本語に仕上げてくれた
翻訳者の努力も特筆すべきと思う。
情景描写の巧みさも見逃せない。特に主人公が列車の中で父親の過去に思いを
馳せる場面がいい。冬の日射しを顔に受けて座席に座っている主人公を包む
列車の揺れる音、汽笛、窓の外に広がる風景、車内できこえる会話の断片、
そして脳裏に立ち上がる少年の日の記憶。ごく自然に読者を引き込んで一緒に
海辺のドライブを再体験するような気分にさせてくれる。
「停電の夜に」に所収の「三度目で最後の大陸」をさらに壮大にしたような
充実した読後感を味わえる一冊だと思う。
かなりの期待を抱いて読んだが、素晴らしいというより他に言葉が見つからない。
主人公の両親はインドからアメリカに移住して一家を構えた人達で出身地の文化を
捨て去ることなく暮らしているが、もともとそのきっかけとなったのは父親が
故郷で巻き込まれた列車事故だった。偶然読んでいたロシアの小説に助けられたと
感じた父親はその後アメリカに住むことを決め、結婚後生まれた息子にはその小説の
作家の名前をつける。ゴーゴリという、アメリカ風でもましてやベンガル風でも
ない一風変わったファーストネームを持った主人公を中心に、軽やかにそして
丁寧に物語は語られてゆく。
中心となるのはベンガル系の人々だが家族を描いた物語には普遍性があり、
異なった文化圏の読者をも容易に引き付ける魅力がある。誰の人生でもあるに
違いない、あとになって思い返して重大な意味に思い当たる出来事など
ささやかな偶然が積み重なって人生はその形を定めていくことを実感する。
簡潔だが細やかな描写で深い余韻を残す文章は味わい深く、何度でも読み返し
たくなる魅力がある。代名詞の多用を避けて自然な日本語に仕上げてくれた
翻訳者の努力も特筆すべきと思う。
情景描写の巧みさも見逃せない。特に主人公が列車の中で父親の過去に思いを
馳せる場面がいい。冬の日射しを顔に受けて座席に座っている主人公を包む
列車の揺れる音、汽笛、窓の外に広がる風景、車内できこえる会話の断片、
そして脳裏に立ち上がる少年の日の記憶。ごく自然に読者を引き込んで一緒に
海辺のドライブを再体験するような気分にさせてくれる。
「停電の夜に」に所収の「三度目で最後の大陸」をさらに壮大にしたような
充実した読後感を味わえる一冊だと思う。
2007年12月15日に日本でレビュー済み
アメリカを舞台に、そこに移住したインド人家族を描いています。
主人公は、二世のゴーゴリ(ニキル)です。
彼は、ベンガル式の命名法に拘った両親によってゴーゴリと名づけられます。もう一つの名前ニキルも大きくなって付けられますが、ゴーゴリと呼ばれています。
彼は、両親のベンガル式の生活様式や考え方、価値観に反発します。そして、大学に入学し、家を出て寮に入るのを機会に、ニキルを正式の名前とするための手続きをします。それは、ベンガル方式からの離脱であり、アメリカ社会への適合の決意です。
そうした彼の決意が揺らぐのが、父親からゴーゴリの由来を聞いた時でした。そして、その父親の死に直面した時、彼はそれまでのアメリカ人の二人の恋人から、インド人の恋人を選びます。まさに、インドへの回帰です。
しかし、その女性との結婚は破綻します。何故なら、その女性もインドへの反発の精神を持って生きており、ゴーゴリのようにインド回帰の気持ちがなかったからです。
アメリカとインド、両親の世代と二世の世代、こうした二面性が、モザイクのように絡み合いながら、主人公ゴーゴリは成長して行きます。
ラヒリのこの作品は、視点が何度も何度も変わります。従って、一つの視点でないので、それぞれの考え方がきちんと描写されて、いろいろな考え方が公平にきちんと描かれています。
一方で読んでいて、戸惑いを覚えてしまったことも確かですし、主人公への共感がしにくい面もあることは確かです。
それでも、それを十分に補って余りある作者の筆力が、読者を魅了してくれます。
主人公は、二世のゴーゴリ(ニキル)です。
彼は、ベンガル式の命名法に拘った両親によってゴーゴリと名づけられます。もう一つの名前ニキルも大きくなって付けられますが、ゴーゴリと呼ばれています。
彼は、両親のベンガル式の生活様式や考え方、価値観に反発します。そして、大学に入学し、家を出て寮に入るのを機会に、ニキルを正式の名前とするための手続きをします。それは、ベンガル方式からの離脱であり、アメリカ社会への適合の決意です。
そうした彼の決意が揺らぐのが、父親からゴーゴリの由来を聞いた時でした。そして、その父親の死に直面した時、彼はそれまでのアメリカ人の二人の恋人から、インド人の恋人を選びます。まさに、インドへの回帰です。
しかし、その女性との結婚は破綻します。何故なら、その女性もインドへの反発の精神を持って生きており、ゴーゴリのようにインド回帰の気持ちがなかったからです。
アメリカとインド、両親の世代と二世の世代、こうした二面性が、モザイクのように絡み合いながら、主人公ゴーゴリは成長して行きます。
ラヒリのこの作品は、視点が何度も何度も変わります。従って、一つの視点でないので、それぞれの考え方がきちんと描写されて、いろいろな考え方が公平にきちんと描かれています。
一方で読んでいて、戸惑いを覚えてしまったことも確かですし、主人公への共感がしにくい面もあることは確かです。
それでも、それを十分に補って余りある作者の筆力が、読者を魅了してくれます。