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海に帰る日 (Shinchosha CREST BOOKS) 単行本 – 2007/8/1
最愛の妻を失った老美術史家が、遠い日の記憶に引き寄せられるように、海辺の町へと向かう。あの夏の日、双子の弟とともに海に消えた少女。謎めいた死の記憶は、亡き妻の思い出と重なり合って彼を翻弄する。荒々しく美しい、海のように――。カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』をおさえてブッカー賞を受賞した傑作長篇。
- 本の長さ255ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2007/8/1
- ISBN-104105900617
- ISBN-13978-4105900618
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2007/8/1)
- 発売日 : 2007/8/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 255ページ
- ISBN-10 : 4105900617
- ISBN-13 : 978-4105900618
- Amazon 売れ筋ランキング: - 680,448位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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イメージ付きのレビュー
4 星
60歳を過ぎたシニアが人生を振り返る方法の参考になりうる良書でした
記憶の糸を辿り、丁寧に幾層にも重なった記憶の薄皮を剥がしていくような小説だった。加えて、50年の年月を、ほぼ飛ばし、現実の自分がいて、その心理も描いていく。ここのシンクロは見事だった。途中の結婚生活の描写も少しはあるが。妻が死ぬまでの2/3は、難解ではあるが引き込まれる小説だった。そこから後、とくに元大佐との関わり合いは少し怠かった。この辺はスピードを上げて読んだ。印象に残ったのは、色彩に関する記憶を丁寧に描いていること、匂いに関する記憶を生々しく描いていることだった。幼少期の記憶に色や匂いがあるのは凄い表現だと思った。 幼少期の年齢は、11歳くらいで、現在の自分は60歳過ぎの設定である。確かに、5歳から10歳くらいまでの記憶というものは、その後の記憶に比べ、多く脳の中に残っており、かつ印象深いものが多い気がする。過去を掘り起こし、なるだけ具体的に言語化して振り返る「内観道場」というものがあるが、この小説でも、記憶のディテールを言語化していく。意味があるかないかは、敢えて問わず、記憶の掘り起こしに集中している。今の自分(65歳)には、心に刺さる小説だった。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年2月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
美しい文体で綴られる、老人の回想と現在の対比が物語を形作る。
2024年2月7日に日本でレビュー済み
記憶の糸を辿り、丁寧に幾層にも重なった記憶の薄皮を剥がしていくような小説だった。加えて、50年の年月を、ほぼ飛ばし、現実の自分がいて、その心理も描いていく。ここのシンクロは見事だった。途中の結婚生活の描写も少しはあるが。妻が死ぬまでの2/3は、難解ではあるが引き込まれる小説だった。そこから後、とくに元大佐との関わり合いは少し怠かった。この辺はスピードを上げて読んだ。印象に残ったのは、色彩に関する記憶を丁寧に描いていること、匂いに関する記憶を生々しく描いていることだった。幼少期の記憶に色や匂いがあるのは凄い表現だと思った。
幼少期の年齢は、11歳くらいで、現在の自分は60歳過ぎの設定である。確かに、5歳から10歳くらいまでの記憶というものは、その後の記憶に比べ、多く脳の中に残っており、かつ印象深いものが多い気がする。過去を掘り起こし、なるだけ具体的に言語化して振り返る「内観道場」というものがあるが、この小説でも、記憶のディテールを言語化していく。意味があるかないかは、敢えて問わず、記憶の掘り起こしに集中している。今の自分(65歳)には、心に刺さる小説だった。
幼少期の年齢は、11歳くらいで、現在の自分は60歳過ぎの設定である。確かに、5歳から10歳くらいまでの記憶というものは、その後の記憶に比べ、多く脳の中に残っており、かつ印象深いものが多い気がする。過去を掘り起こし、なるだけ具体的に言語化して振り返る「内観道場」というものがあるが、この小説でも、記憶のディテールを言語化していく。意味があるかないかは、敢えて問わず、記憶の掘り起こしに集中している。今の自分(65歳)には、心に刺さる小説だった。
記憶の糸を辿り、丁寧に幾層にも重なった記憶の薄皮を剥がしていくような小説だった。加えて、50年の年月を、ほぼ飛ばし、現実の自分がいて、その心理も描いていく。ここのシンクロは見事だった。途中の結婚生活の描写も少しはあるが。妻が死ぬまでの2/3は、難解ではあるが引き込まれる小説だった。そこから後、とくに元大佐との関わり合いは少し怠かった。この辺はスピードを上げて読んだ。印象に残ったのは、色彩に関する記憶を丁寧に描いていること、匂いに関する記憶を生々しく描いていることだった。幼少期の記憶に色や匂いがあるのは凄い表現だと思った。
幼少期の年齢は、11歳くらいで、現在の自分は60歳過ぎの設定である。確かに、5歳から10歳くらいまでの記憶というものは、その後の記憶に比べ、多く脳の中に残っており、かつ印象深いものが多い気がする。過去を掘り起こし、なるだけ具体的に言語化して振り返る「内観道場」というものがあるが、この小説でも、記憶のディテールを言語化していく。意味があるかないかは、敢えて問わず、記憶の掘り起こしに集中している。今の自分(65歳)には、心に刺さる小説だった。
幼少期の年齢は、11歳くらいで、現在の自分は60歳過ぎの設定である。確かに、5歳から10歳くらいまでの記憶というものは、その後の記憶に比べ、多く脳の中に残っており、かつ印象深いものが多い気がする。過去を掘り起こし、なるだけ具体的に言語化して振り返る「内観道場」というものがあるが、この小説でも、記憶のディテールを言語化していく。意味があるかないかは、敢えて問わず、記憶の掘り起こしに集中している。今の自分(65歳)には、心に刺さる小説だった。
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2019年11月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
店頭なら手に取ってパラパラとめくるだけでフォントの大きさは分かるものだが、通販ではそれが出来ない。
だからネット上にカバー写真だけでなくフォントサイズも表示してくれるとありがたい。
返品しようかどうか迷うところだが、より大きいフォントの版があるとも思えない。高齢化社会をどう考えてもいるのだろうか?
だからネット上にカバー写真だけでなくフォントサイズも表示してくれるとありがたい。
返品しようかどうか迷うところだが、より大きいフォントの版があるとも思えない。高齢化社会をどう考えてもいるのだろうか?
2022年6月27日に日本でレビュー済み
ぼやけた輪郭の中で、行きつ戻りつしながら、時に雷鳴が走る、、、そんな印象の作品でした。
肯定と否定が入り混じった文章が、ざらざらとした不連続感をもたらします。
双子は壊れてしまった家族、そう父と母と家庭教師の関係に途方もない怒りと悲しみを感じたのでしょう。
やり場のない感情は海の中で浄化されるしかなかったのかもしれません。
海は命、海は復活、海は不変、海は安らぎ、海は、、、、。
肯定と否定が入り混じった文章が、ざらざらとした不連続感をもたらします。
双子は壊れてしまった家族、そう父と母と家庭教師の関係に途方もない怒りと悲しみを感じたのでしょう。
やり場のない感情は海の中で浄化されるしかなかったのかもしれません。
海は命、海は復活、海は不変、海は安らぎ、海は、、、、。
2007年10月28日に日本でレビュー済み
この本の評価は読む人により、上下に大きく別れると思う。ブッカー賞を受賞したぐらいの作品なのでこの世界に共感できる人にとっては素晴らしい作品と感じられるであろう。一方で、自分もその一人であるが、主人公を始めとする登場人物に共感できない人にとっては、良さが理解できないのではと思う。
物語は最近妻を亡くした初老の主人公が、少年時代すごした海辺の町へ戻って来たところから始まり、少年時代の思い出、妻との出会いと別れ、そして現在の状況が交互に描かれる。少年時代のグレース一家との交流(特に双子)がメインストーリーと思うが、自分には出会いのシーンから最後の唐突な別れまで、何故このような展開になるのか理解できなかった。
物語は最近妻を亡くした初老の主人公が、少年時代すごした海辺の町へ戻って来たところから始まり、少年時代の思い出、妻との出会いと別れ、そして現在の状況が交互に描かれる。少年時代のグレース一家との交流(特に双子)がメインストーリーと思うが、自分には出会いのシーンから最後の唐突な別れまで、何故このような展開になるのか理解できなかった。
2016年3月20日に日本でレビュー済み
妻を失った学者が故郷の海に戻り・・・というお話。
最愛の人を失った男がその事実と向き合う為、過去に色々な経験をした故郷にある海を訪れ、現在と過去を清算するという筋のストーリーの小説でした。この小説では現在の事象も過去の事象も何も解決しませんが、それが人生であるという著者の思想を小説にした感じの物語に思えました。
何故、主人公は海に帰ってくるのか。それは、全てを育みつつも、全てを奪う巨大な不条理を海が体現しているからではないかと思いました。万物の命を育みつつ、一方では命を奪う巨大な謎に引き寄せられ、大きな不条理に出会った際、人間は全くの無力であると納得する事で、人生の全てにカタルシスを見出す男の姿を、幻想的で詩的な文章で綴った類稀な小説に思います。
海が重要な役割を担うという事ではレムの「ソラリス」も想起させますが、「ソラリス」からSF的要素を抜きとって、普遍的な物語に昇華したかの様な短いながらも心に残る作品だと思いました。ただ、個人的にイマイチ☆五つに出来ない様に思えたので四つにしておきました。うまく説明できませんが・・・。
若干クレームを入れると、50ページ近く切れ目なく文章は些か読みにくかったですがそれ以外ではまぁ読んで良かったと思えた作品でした。
あと、野球に似た球技出てくるシーンに少し驚きました。イギリスの方に野球の様なスポーツの文化があるとは思わなかったので。
ブッカー賞受賞も納得の秀作。機会があったら是非。
最愛の人を失った男がその事実と向き合う為、過去に色々な経験をした故郷にある海を訪れ、現在と過去を清算するという筋のストーリーの小説でした。この小説では現在の事象も過去の事象も何も解決しませんが、それが人生であるという著者の思想を小説にした感じの物語に思えました。
何故、主人公は海に帰ってくるのか。それは、全てを育みつつも、全てを奪う巨大な不条理を海が体現しているからではないかと思いました。万物の命を育みつつ、一方では命を奪う巨大な謎に引き寄せられ、大きな不条理に出会った際、人間は全くの無力であると納得する事で、人生の全てにカタルシスを見出す男の姿を、幻想的で詩的な文章で綴った類稀な小説に思います。
海が重要な役割を担うという事ではレムの「ソラリス」も想起させますが、「ソラリス」からSF的要素を抜きとって、普遍的な物語に昇華したかの様な短いながらも心に残る作品だと思いました。ただ、個人的にイマイチ☆五つに出来ない様に思えたので四つにしておきました。うまく説明できませんが・・・。
若干クレームを入れると、50ページ近く切れ目なく文章は些か読みにくかったですがそれ以外ではまぁ読んで良かったと思えた作品でした。
あと、野球に似た球技出てくるシーンに少し驚きました。イギリスの方に野球の様なスポーツの文化があるとは思わなかったので。
ブッカー賞受賞も納得の秀作。機会があったら是非。
2015年4月21日に日本でレビュー済み
この散文的な文章を小説という形にまとめた手腕は素晴らしいのかもしれませんが、私には「長々と退屈な老人の随筆」としてしか捉えられませんでした。愛妻を亡くし、少年時代に夏を過ごした小さな海辺の町に移り住む。かつてのにぎわいを失っているけれど、憧れだった家族(母と娘)が借りていた家に暮らすことで、記憶は鮮明によみがえる。そして、それが失った妻への思慕と交錯する――という話で、謎めいた要素をにおわせながら、そこは特に掘り下げないところが肩透かし。表紙に描かれる世界観に浸れると叙情的なのかもしれませんが、舞台を日本に置き換えると、ちょっと文章のうまい老人が書く徒然雑記の自費出版ぽい感じです。ブッカー賞受賞作ということに期待した分、かなり辛口になってしまいました。
2013年10月9日に日本でレビュー済み
率直に言って、筋立ては陳腐きわまりない。
最愛の妻を亡くした初老の美術史家が少年時代の思い出が残る海辺でひたすら追想に耽る。
追想の中身はは気恥ずかしくなるほどただ単に「君がいた夏」だ。夏の終わりに海で死んだニンフェット的な少女と口のきけない双子の弟。哀しげな眼をした黒髪の女家庭教師。少年の熱い夢想の対象になる肉感的な夫人。
夏を海辺の「小屋」で過ごすリゾート地のいわば「最下級階層」に属する少年に対して、少女たち一家は借家に滞在する「はるかに上の階層」に属する。「自分は生まれた階層にはそぐわない」と信じ、奢りと孤独の入り混じる傷つきやすさを抱えた少年は少女たち一家に憬れ、はじめは夫人の肉体に、つぎには娘の少女に恋心を抱く。……列挙はこのあたりでいいだろう。ここに一切意外性はない。筋立てといいモチーフといいすべてがありふれている。しかしそれでいいのだ。つまるところ、これは古典作品なのだから。
描かれた時期がいつであれ、これは古典作品である。現代美術でもポップアートでもCGアニメでもない。堂々たる油彩絵画である。巧みな修辞と鮮烈な色彩。全体を微かに覆う黄ばんだ松脂のような陰り。ヴェネツィア絵画さながらの鮮やかな追想のなかに描かれる女性たちは金属質の光を帯びている――光を金属で形容する修辞はこの作品の中でもっとも感嘆した技巧のひとつだ。少年がはじめの熱情を傾ける夫人――大柄で、太めだが形のよい脛をして、濃紫に湿った腋窩から「麝香のような」臭いを漂わせる夫人は、「手にふれそうな、真鍮色の光の柱」の向こうに座っている。そこは少年が憬れつづけた「はるかに上」の家の中だ。鮮やかに眩い光の向こうにいる夫人は間違いなく女神に属する。陳腐? かまわない。古典絵画の神々に目新しさは必要ない。少年の追想のなかの夫人はティッツアーノのマグダラだ。肉感的で、生々しく、果てしなく触れがたい。海に消えた少女も、未来に出会う妻のアンナも、私にはみなその一人の「彼女」の反映のように感じられる。「彼女」はかつての少年にとっての圧倒的な他者だ。目が眩むほど濃密な光のなかで融けあう「彼女たち」の面影を彼は追いつづける。ここに書かれているものは普遍的な孤独だ。自我をもつ人間すべてが抱えるあの果てしない孤独だ。これが古典でなくてなんだというのか? 技巧の点でも題材の点でもこれはまさしく古典だ。感想まで修辞に凝りたくなる。再び率直に言うと、筋立ては陳腐極まりない。しかし私は大好きだ。
☆マイナス一は……それにしてもあまりにもモチーフが古典的だったため。個人的に、口のきけない双子の弟はさすがにやりすぎという気がする。ついでに、訳については――おそらくできるだけ原文の語順を尊重しているのだろうがー―日本語としてはあまりにも倒置が多すぎる気がした。
最愛の妻を亡くした初老の美術史家が少年時代の思い出が残る海辺でひたすら追想に耽る。
追想の中身はは気恥ずかしくなるほどただ単に「君がいた夏」だ。夏の終わりに海で死んだニンフェット的な少女と口のきけない双子の弟。哀しげな眼をした黒髪の女家庭教師。少年の熱い夢想の対象になる肉感的な夫人。
夏を海辺の「小屋」で過ごすリゾート地のいわば「最下級階層」に属する少年に対して、少女たち一家は借家に滞在する「はるかに上の階層」に属する。「自分は生まれた階層にはそぐわない」と信じ、奢りと孤独の入り混じる傷つきやすさを抱えた少年は少女たち一家に憬れ、はじめは夫人の肉体に、つぎには娘の少女に恋心を抱く。……列挙はこのあたりでいいだろう。ここに一切意外性はない。筋立てといいモチーフといいすべてがありふれている。しかしそれでいいのだ。つまるところ、これは古典作品なのだから。
描かれた時期がいつであれ、これは古典作品である。現代美術でもポップアートでもCGアニメでもない。堂々たる油彩絵画である。巧みな修辞と鮮烈な色彩。全体を微かに覆う黄ばんだ松脂のような陰り。ヴェネツィア絵画さながらの鮮やかな追想のなかに描かれる女性たちは金属質の光を帯びている――光を金属で形容する修辞はこの作品の中でもっとも感嘆した技巧のひとつだ。少年がはじめの熱情を傾ける夫人――大柄で、太めだが形のよい脛をして、濃紫に湿った腋窩から「麝香のような」臭いを漂わせる夫人は、「手にふれそうな、真鍮色の光の柱」の向こうに座っている。そこは少年が憬れつづけた「はるかに上」の家の中だ。鮮やかに眩い光の向こうにいる夫人は間違いなく女神に属する。陳腐? かまわない。古典絵画の神々に目新しさは必要ない。少年の追想のなかの夫人はティッツアーノのマグダラだ。肉感的で、生々しく、果てしなく触れがたい。海に消えた少女も、未来に出会う妻のアンナも、私にはみなその一人の「彼女」の反映のように感じられる。「彼女」はかつての少年にとっての圧倒的な他者だ。目が眩むほど濃密な光のなかで融けあう「彼女たち」の面影を彼は追いつづける。ここに書かれているものは普遍的な孤独だ。自我をもつ人間すべてが抱えるあの果てしない孤独だ。これが古典でなくてなんだというのか? 技巧の点でも題材の点でもこれはまさしく古典だ。感想まで修辞に凝りたくなる。再び率直に言うと、筋立ては陳腐極まりない。しかし私は大好きだ。
☆マイナス一は……それにしてもあまりにもモチーフが古典的だったため。個人的に、口のきけない双子の弟はさすがにやりすぎという気がする。ついでに、訳については――おそらくできるだけ原文の語順を尊重しているのだろうがー―日本語としてはあまりにも倒置が多すぎる気がした。