重々しくて迫力のある話であるにもかかわらず、読者を引きつけて離さない筋書きの巧みさと、宗教と言う難しい題材を真摯な思いで書き綴った、リュドミラ・ウリツカヤ氏の力量と、その難しい(かったであろう)原語を分かりやすく翻訳してくれた前田和泉氏に、心からの賛辞を捧げたい。
この本の帯書き、「ゲシュタポでナチスの通訳をしながらユダヤ人脱走計画を成功させた若者は、戦後、カトリック神父となって、イスラエルへ渡った――」から想定すると、第二次世界大戦時のゲットーの話しか、と思うだろうが、その部分が出て来るのはほんの少しである。それよりも、主題は、ユダヤ教、ロシア正教、キリスト教、イスラム教などが混在するイスラエルでの話であり、それらの宗教に取り囲まれている、ダニエル・シュタイン神父の生き様と彼を取り巻く人々の生活を描いているのである。これらは事実を元にしているが、登場人物の中には実在の人物に作者の思いを加味したような人もいるとの事だ。
ダニエル・シュタインの生き方だけでなく、登場人物(彼等の多くはユダヤ人だが)の幾人かが歩んできた道も、それぞれ独立して物語になるような、波瀾万丈性を含んでおり、読むものをして飽きさせない。特に、冒頭の、エヴァ・マヌキャンとその母親の生き様には度肝を抜かれる思いがした。主義と正義のために子供を放っておくことのできる母親がいるのだろうか、との思いであるが、そういう同胞を持った仲間にしてみれば、エヴァの母親、リタ・コヴァチは頼りになる、心強い闘士だったことだろう。物事の両面を見ると一概にある人物を良い悪いで判断できない、という事例である。
イスラエルという国が、というよりもユダヤの人々が、ユダヤ人がユダヤ教徒でないということに寛容ではない、ということをこの物語から知った。それが物語の背景にもなっている。重苦しい題材ではあるが、著者の力量と、ダニエル神父の明るさと寛容さがこの物語の中で光っており、それをしてこの長編を飽きる事なく読ましめたのだと思う。宗教を述べる当たりではなかなか読みづらいものがあったが、作者が強い心でものを書くと、難しい話でも読者はついていく、というような、そういうカリスマ性のある本だった。こういう作家がいるのだ、ということを知るだけでも、というとおかしな言い方になるが、それでも敢えて言うと、そういう観点からでも、読んでよかったと思っている。
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通訳ダニエル・シュタイン(上) (新潮クレスト・ブックス) 単行本 – 2009/9/1
リュドミラ・ウリツカヤ
(著),
前田 和泉
(翻訳)
- 本の長さ318ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2009/9/1
- ISBN-104105900773
- ISBN-13978-4105900779
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2009/9/1)
- 発売日 : 2009/9/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 318ページ
- ISBN-10 : 4105900773
- ISBN-13 : 978-4105900779
- Amazon 売れ筋ランキング: - 198,841位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 64位通訳 (本)
- - 187位ロシア・ソビエト文学 (本)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2011年6月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2012年7月6日に日本でレビュー済み
本書の内容は、とても重い。
ホロコースト(ショア)、民族の追放と浄化、虐殺、キリスト教神学、ユダヤ教、イスラム教、ナチズム、スターリニズム、パレスチナ、イスラエル、ユダヤ人問題などどれ一つとってもあまり気乗りしない問題ばかり。それが、ポーランド出身のユダヤ人で、後にイスラエルに移住したカトリックの神父である主人公ダニエル・シュタインの人生においては逃れようのない現実問題だったため、彼の人生を語るにはこれらの重い問題の全てに触れざるを得ないのだけれど。作者は恐らくは結果的にそうなったようなのだが、多くの人の書簡を並べるという形で、時代、場所を行きつ戻りつしながら、徐々に全体像を明らかにすることで(つまりは経年的に三人称で語ることを止めることで)、こうしたどの作家も躊躇するような主題を、推理小説のような、ミステリーのような、エンターテインメントのような雰囲気の中で語ることに成功している。何たる技術。作者自身も時々登場するが、全く違和感がない。多くの話者が登場することで、多くのイデオロギーの対立が自然と浮き彫りになるのだが、作者はどれが正しいと語ることをしない。
作者は当初ドキュメンタリーのようなものを構想していたようだ。結局フィクションの方が良いと確信し、現実のモデルたちを整理し、別の人格、名称を与えることで、フィクションでありながら、ドキュメンタリーでもあり、記録の存在に制約されるドキュメンタリーを超越する仕事を成し遂げている。
上巻は、歴史的な部分を、下巻はキリスト教神学の部分を中心に書かれているため、一神教になじみのない我々には下巻は少々読みにくい。それでも、作者(と訳者)の素晴らしく平易で分かりやすい文章で(何せ書簡なので)、原始キリスト教と現代のキリスト教が大きく異なるものであるらしいこと、イスラエルにおける非ユダヤ教徒の人生は大変過酷なものであるらしいこと、キリスト教アラブ人がイスラム教アラブ人から敵視され迫害される存在であるらしいことなど、普通であれば知ることのないような情報が得られ、とても為になった。
それにしても、中欧のユダヤ人の運命の過酷なことよ。また、ポーランド人の運命の悲惨なことよ。我々は、実は彼らのことなど、何も知らないのだ。
☆は5までしかないけれど、10をつけたいくらいです。
ホロコースト(ショア)、民族の追放と浄化、虐殺、キリスト教神学、ユダヤ教、イスラム教、ナチズム、スターリニズム、パレスチナ、イスラエル、ユダヤ人問題などどれ一つとってもあまり気乗りしない問題ばかり。それが、ポーランド出身のユダヤ人で、後にイスラエルに移住したカトリックの神父である主人公ダニエル・シュタインの人生においては逃れようのない現実問題だったため、彼の人生を語るにはこれらの重い問題の全てに触れざるを得ないのだけれど。作者は恐らくは結果的にそうなったようなのだが、多くの人の書簡を並べるという形で、時代、場所を行きつ戻りつしながら、徐々に全体像を明らかにすることで(つまりは経年的に三人称で語ることを止めることで)、こうしたどの作家も躊躇するような主題を、推理小説のような、ミステリーのような、エンターテインメントのような雰囲気の中で語ることに成功している。何たる技術。作者自身も時々登場するが、全く違和感がない。多くの話者が登場することで、多くのイデオロギーの対立が自然と浮き彫りになるのだが、作者はどれが正しいと語ることをしない。
作者は当初ドキュメンタリーのようなものを構想していたようだ。結局フィクションの方が良いと確信し、現実のモデルたちを整理し、別の人格、名称を与えることで、フィクションでありながら、ドキュメンタリーでもあり、記録の存在に制約されるドキュメンタリーを超越する仕事を成し遂げている。
上巻は、歴史的な部分を、下巻はキリスト教神学の部分を中心に書かれているため、一神教になじみのない我々には下巻は少々読みにくい。それでも、作者(と訳者)の素晴らしく平易で分かりやすい文章で(何せ書簡なので)、原始キリスト教と現代のキリスト教が大きく異なるものであるらしいこと、イスラエルにおける非ユダヤ教徒の人生は大変過酷なものであるらしいこと、キリスト教アラブ人がイスラム教アラブ人から敵視され迫害される存在であるらしいことなど、普通であれば知ることのないような情報が得られ、とても為になった。
それにしても、中欧のユダヤ人の運命の過酷なことよ。また、ポーランド人の運命の悲惨なことよ。我々は、実は彼らのことなど、何も知らないのだ。
☆は5までしかないけれど、10をつけたいくらいです。
2022年11月3日に日本でレビュー済み
ロシア現代文学はほとんど知らないのだが、実話を題材としてこういう創作の仕方もあるのか、と作品のつくり方にまず大変感心した。まるで、ジャーナリストか歴史研究者が、手紙、日記、新聞、インタビュー、各種の質的データを収集しそれらに基づいて学術書を執筆するようなスタイルを取っているので、実話に基づく小説であることが最大限に生きてくるのである。主人公ダニエルがナチスのユダヤ人迫害を奇跡的に生き延びた、息詰まるような恐怖の時代と、戦後、生かされた生命を一貫して他者のために捧げ続ける彼の人生が、時代を交互に行き来しながら、多くの人々の生き様を反映しながら語られていく。
主人公がカトリック神父となってからは、精神世界の描写が多くなるので、キリスト教の知識がない読者には難解に感じる部分も少なくない。だが、ダニエルの考え方、生き方を通して、宗教や宗派、思想、人種の違いを理由に対立すること(それがエスカレートすれば大量虐殺にもなる)がいかに無意味で愚かなことであるか、作者の訴えたいメッセージが力強く読者に伝わってくる。
ロシアの人々がこの小説を読み、感動するような人々なのであれば、現在進行中の戦争をもきっと内部からひっくり返してくれるのではないか、と淡い期待を持つようになった。しかしその前に、人間とはどうして同じような過ちを何度も繰り返してしまうのか。その人間の弱さ、愚かさゆえに宗教が生まれたとも言えようが、宗教が人間によって利用され得るシステムである限り、現状は変わらないという事実を改めて突き付けられたように感じる。プーチンはこの小説にどのように反応するだろうか。
主人公がカトリック神父となってからは、精神世界の描写が多くなるので、キリスト教の知識がない読者には難解に感じる部分も少なくない。だが、ダニエルの考え方、生き方を通して、宗教や宗派、思想、人種の違いを理由に対立すること(それがエスカレートすれば大量虐殺にもなる)がいかに無意味で愚かなことであるか、作者の訴えたいメッセージが力強く読者に伝わってくる。
ロシアの人々がこの小説を読み、感動するような人々なのであれば、現在進行中の戦争をもきっと内部からひっくり返してくれるのではないか、と淡い期待を持つようになった。しかしその前に、人間とはどうして同じような過ちを何度も繰り返してしまうのか。その人間の弱さ、愚かさゆえに宗教が生まれたとも言えようが、宗教が人間によって利用され得るシステムである限り、現状は変わらないという事実を改めて突き付けられたように感じる。プーチンはこの小説にどのように反応するだろうか。
2017年3月4日に日本でレビュー済み
この本の内容は多くの方が書いているので繰り返さないが、私は下巻の裏表紙や主人公の紹介文の中で繰り返されている「寛容と共存の精神」「宗派を超えた宗教を目指し」などの言葉に首をかしげている。
あの土地は主人公が感激するようにユダヤの父祖の地であり、そこにイスラエルという国が作られたとしても、それは何百年もこの土地に生きてきたパレスチナの人々を追い出し、その土地も生活も命までもを奪い、今なおそれを続けていることにほかならない。。ユダヤ人である主人公はユダヤ人がパレスチナの人々に対して行っていることに対してどう臨んだのか。主人公は終生パレスチナの人々の悲惨には無関心であったように思えるが、ナチスが自分たちの民族にしたのと同じことを他の民族にしているのではないだろうかという疑問は持たなかったのだろうか。
あの土地は主人公が感激するようにユダヤの父祖の地であり、そこにイスラエルという国が作られたとしても、それは何百年もこの土地に生きてきたパレスチナの人々を追い出し、その土地も生活も命までもを奪い、今なおそれを続けていることにほかならない。。ユダヤ人である主人公はユダヤ人がパレスチナの人々に対して行っていることに対してどう臨んだのか。主人公は終生パレスチナの人々の悲惨には無関心であったように思えるが、ナチスが自分たちの民族にしたのと同じことを他の民族にしているのではないだろうかという疑問は持たなかったのだろうか。