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手紙 (Shinchosha CREST BOOKS) 単行本 – 2012/10/31
ミハイル シーシキン
(著),
奈倉 有里
(翻訳)
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- 本の長さ425ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2012/10/31
- 寸法13.4 x 2.7 x 19.2 cm
- ISBN-104105900978
- ISBN-13978-4105900977
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2012/10/31)
- 発売日 : 2012/10/31
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 425ページ
- ISBN-10 : 4105900978
- ISBN-13 : 978-4105900977
- 寸法 : 13.4 x 2.7 x 19.2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 280,864位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 236位ロシア・ソビエト文学 (本)
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
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上位レビュー、対象国: 日本
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2022年4月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
綺麗に送られてきました!
2023年9月25日に日本でレビュー済み
出征兵士のワロージャと呼ばれる青年とその恋人サーシャとの文通(恋文)形式の本書だが、手紙内容が噛み合わずどこか違和感を感じる頃に、二人が異なる時代にいることが判明する。
原題は、「手紙文例集」を意味するロシア語の古語だそうだ(訳者あとがき、420頁)。
ワロージャが「プレスター・ジョンの王国を通過して」赴く戦場は、二十世紀初頭の極東の、義和団事件真っ最中の清末中国だ。
僅か千人未満の兵力で天津の街を守備するドイツ、イギリス、日本、フランス、アメリカ、オーストリア、イタリア、そしてロシアの連合軍に対し、これを包囲する数万人に上る義和団(不死身の武術「義和拳」に因む)勢力から居住民と味方兵士を救出する目的の増援軍なのだ。
主人公ワロージャは、上官から戦死公報を書く司令部付「雑用係兼書記」を命ぜられる。読み書きが満足にできる兵士が少なかったのか、前任者が精神的に追い詰められた職務ゆえに引き受け手が無かったせいか。
「自分は、字が汚いので不適任かと思われます!」と断りを入れても、「君、きれいに書くことより、誠意を持って書くことが大事なんだ。わかったか」と、やんわりと諭される。
一方の恋人サーシャは、どうやら現代にあって故郷ロシアでワロージャの帰りを待ち侘びているらしい。時空を超えた戦地からの無事な帰還を心待ちにして。
手紙の文面は、お互いがお互いを思い遣る心情に溢れるが、関心事や想い出の一方的な言及や感情の発露に、読者は「手紙」がone way communication toolでしかない実態を思い知らされる。
携帯電話やchatでの双方向性の即時伝達機能に慣らされた現代人には、迂遠で即時性を欠く「手紙」は電子メールのアナログ版というより、過去の遺物でしかないのか。
絡み合う心情の交錯劇として、二人の「恋文」は届かぬままに「文例集」に収められてしまうのか。それとも言葉に宿る「言霊」のように、想いが相手にいつかは届くのだろうか…。
読者の願いも、きっとそこに在る。
原題は、「手紙文例集」を意味するロシア語の古語だそうだ(訳者あとがき、420頁)。
ワロージャが「プレスター・ジョンの王国を通過して」赴く戦場は、二十世紀初頭の極東の、義和団事件真っ最中の清末中国だ。
僅か千人未満の兵力で天津の街を守備するドイツ、イギリス、日本、フランス、アメリカ、オーストリア、イタリア、そしてロシアの連合軍に対し、これを包囲する数万人に上る義和団(不死身の武術「義和拳」に因む)勢力から居住民と味方兵士を救出する目的の増援軍なのだ。
主人公ワロージャは、上官から戦死公報を書く司令部付「雑用係兼書記」を命ぜられる。読み書きが満足にできる兵士が少なかったのか、前任者が精神的に追い詰められた職務ゆえに引き受け手が無かったせいか。
「自分は、字が汚いので不適任かと思われます!」と断りを入れても、「君、きれいに書くことより、誠意を持って書くことが大事なんだ。わかったか」と、やんわりと諭される。
一方の恋人サーシャは、どうやら現代にあって故郷ロシアでワロージャの帰りを待ち侘びているらしい。時空を超えた戦地からの無事な帰還を心待ちにして。
手紙の文面は、お互いがお互いを思い遣る心情に溢れるが、関心事や想い出の一方的な言及や感情の発露に、読者は「手紙」がone way communication toolでしかない実態を思い知らされる。
携帯電話やchatでの双方向性の即時伝達機能に慣らされた現代人には、迂遠で即時性を欠く「手紙」は電子メールのアナログ版というより、過去の遺物でしかないのか。
絡み合う心情の交錯劇として、二人の「恋文」は届かぬままに「文例集」に収められてしまうのか。それとも言葉に宿る「言霊」のように、想いが相手にいつかは届くのだろうか…。
読者の願いも、きっとそこに在る。
2013年5月18日に日本でレビュー済み
「届かないのは、書かれなかった手紙だけ」――
書かれた手紙は届いてしまう、なぜならば「初めに言logosがあった」から。
すべて「言」は経験に先立つ、経験なんて「言」の中で仕組まれた、いつもの偶然。
「何事にも時があり
天の下の出来事にはすべて定められた時がある」
「たぶんね、本物になるためには、自分の意識のなかじゃなくて――自分の意識なんていう
ものは、眠ってしまえば自分が生きているのか死んでいるのかさえもわからなくなるような
頼りないものだからね――だれかほかの人の意識のなかに存在しなくちゃいけないんだ。
それも誰でもいいわけじゃなくて、僕の存在を大切に思ってくれている人の意識のなかに」。
一見、恋人同士の往復書簡、ただし彼らは隔てられた時の中を生きる。
彼らは共に周囲に「存在を大切に思ってくれている人」の姿を見出すことができない。
その象徴的なシーン。
美術学校、ヌードデッサン、「台の上には裸の女の人がいるのに、周りにたくさんいる若い
男の人たちはそれを見ていない。ううん、見ているんだけど、何か違うものを見ている。
……何もかもが偽物みたいに思えた。女じゃない女と、男じゃない男たち」。
ところが窓の外のペンキ塗りが彼女の裸体に気づくや否や、「すぐに体を隠そうとした。
すごく女らしい仕草で……その瞬間、モデルは本物の女性になったの」。
「女じゃない女」を「本物の女性」にしてくれる人なんてどこにもいない、だから手紙の中の
誰かにそんな眼差しの主体を求める。
周辺の登場人物がやたらと不倫に勤しむ。
「虚無感があって、もし浮気をしなければ、満たされないままだったはずなのよ。……浮気の
おかげで、自分が満たされて、本物で、生き生きとした存在だって思えるの」。
夫も妻も伴侶の機能を果たせない、寄り添うべき「あなた」ではあれない、だから不倫。
主人公たちは、そんな「あなた」を手紙の中に見出し、すがる。
本書のもうひとつの主題、死。
戦場の最中、彼はしばしば死に慄く、そして気づく。
「言葉を通じて、生よりも死よりも強い何かが――生と死は同じと理解するならなおさらに
強く――伝わってくる」。
だから彼は「言葉」を、手紙を書き綴る。
死はまた同時に、彼女にも気づきを与える。
両親の死に立ち会う。病にやつれゆく姿、交わされる会話、果たされるささやかな和解、
「存在を大切に思ってくれている人」が自分にもいたことを、ほんの少しだけ、知る。
冒頭しばらく、ただの萌え小説か、と思う。
「えへへ、いいでしょ」
思わず微笑、かわいいは正義、人前ではとても読めない、そう思う。
読み進む、そんな微笑が消えていく。
「人は、自らを幸せと思わない限りは、幸せではない」。
たとえ受け取り手を持たずとも、「自らを幸せと思」うための作法としての手紙。
強迫的に狂おしく孤独、そんな人々が時を越えて言葉を介して通い合う。
儚い希望に覆われた、実は骨太の秀作。
書かれた手紙は届いてしまう、なぜならば「初めに言logosがあった」から。
すべて「言」は経験に先立つ、経験なんて「言」の中で仕組まれた、いつもの偶然。
「何事にも時があり
天の下の出来事にはすべて定められた時がある」
「たぶんね、本物になるためには、自分の意識のなかじゃなくて――自分の意識なんていう
ものは、眠ってしまえば自分が生きているのか死んでいるのかさえもわからなくなるような
頼りないものだからね――だれかほかの人の意識のなかに存在しなくちゃいけないんだ。
それも誰でもいいわけじゃなくて、僕の存在を大切に思ってくれている人の意識のなかに」。
一見、恋人同士の往復書簡、ただし彼らは隔てられた時の中を生きる。
彼らは共に周囲に「存在を大切に思ってくれている人」の姿を見出すことができない。
その象徴的なシーン。
美術学校、ヌードデッサン、「台の上には裸の女の人がいるのに、周りにたくさんいる若い
男の人たちはそれを見ていない。ううん、見ているんだけど、何か違うものを見ている。
……何もかもが偽物みたいに思えた。女じゃない女と、男じゃない男たち」。
ところが窓の外のペンキ塗りが彼女の裸体に気づくや否や、「すぐに体を隠そうとした。
すごく女らしい仕草で……その瞬間、モデルは本物の女性になったの」。
「女じゃない女」を「本物の女性」にしてくれる人なんてどこにもいない、だから手紙の中の
誰かにそんな眼差しの主体を求める。
周辺の登場人物がやたらと不倫に勤しむ。
「虚無感があって、もし浮気をしなければ、満たされないままだったはずなのよ。……浮気の
おかげで、自分が満たされて、本物で、生き生きとした存在だって思えるの」。
夫も妻も伴侶の機能を果たせない、寄り添うべき「あなた」ではあれない、だから不倫。
主人公たちは、そんな「あなた」を手紙の中に見出し、すがる。
本書のもうひとつの主題、死。
戦場の最中、彼はしばしば死に慄く、そして気づく。
「言葉を通じて、生よりも死よりも強い何かが――生と死は同じと理解するならなおさらに
強く――伝わってくる」。
だから彼は「言葉」を、手紙を書き綴る。
死はまた同時に、彼女にも気づきを与える。
両親の死に立ち会う。病にやつれゆく姿、交わされる会話、果たされるささやかな和解、
「存在を大切に思ってくれている人」が自分にもいたことを、ほんの少しだけ、知る。
冒頭しばらく、ただの萌え小説か、と思う。
「えへへ、いいでしょ」
思わず微笑、かわいいは正義、人前ではとても読めない、そう思う。
読み進む、そんな微笑が消えていく。
「人は、自らを幸せと思わない限りは、幸せではない」。
たとえ受け取り手を持たずとも、「自らを幸せと思」うための作法としての手紙。
強迫的に狂おしく孤独、そんな人々が時を越えて言葉を介して通い合う。
儚い希望に覆われた、実は骨太の秀作。
2015年1月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
前評など知らず、何気なく読んでみた本でした。読み始めは文字量も多くちょっと重いというか読みづらいなと感じましたが、そんなことを忘れるくらいはまらせるくれる、濃い内容の本でした!
ドラマ・ロマンスが好きな方にはぜひ読んでみてほしいです。
ドラマ・ロマンスが好きな方にはぜひ読んでみてほしいです。
2013年6月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
出だしからひきつけられて一気に読んでしまいましたが、手元に置いて何度も繰り返し読み返してみたくなる本です。
時空を超えて文通する恋人同士、しかも男の人が戦死してからも続くなど、不思議なものを感じずにはいられません。それに「二人が再会できるのは、困難を乗り越え、二人の精神が十分に成長したときだ」もしや、これはツインソウルの物語なのでしょうか?作者に尋ねたいくらいですが、ロシア語ではお手上げです。手紙に綴られるのは戦争の過酷な描写や満たされぬ家庭生活などシリアスでありながら、これ以上ないくらいに繊細な書きようで・・・すでに20以上の言語に訳されているそうですが、日本でも多くの人に読まれることを願いつつ、拙いレビューを書いてみました。
時空を超えて文通する恋人同士、しかも男の人が戦死してからも続くなど、不思議なものを感じずにはいられません。それに「二人が再会できるのは、困難を乗り越え、二人の精神が十分に成長したときだ」もしや、これはツインソウルの物語なのでしょうか?作者に尋ねたいくらいですが、ロシア語ではお手上げです。手紙に綴られるのは戦争の過酷な描写や満たされぬ家庭生活などシリアスでありながら、これ以上ないくらいに繊細な書きようで・・・すでに20以上の言語に訳されているそうですが、日本でも多くの人に読まれることを願いつつ、拙いレビューを書いてみました。
2014年8月9日に日本でレビュー済み
三日三晩、読み通した。
とても不思議な読書体験だった。
うまく表現できないのだが、読みながら三通り、四通りのストーリー展開が脳内を駆け巡る、、という、、、
まず、一番最初のサーシャの手紙の末尾ーー
「ねえ!どうしてこんなに酷いことしたの?」
そして、一番最初のワロージャの手紙の第一行目ーー
「あとは、どの戦争にするか決めるだけだった。だけど勿論そんなこと決めるまでもなかった」
この呼応する二行を読み、私は、「あっ」と心の中で声をあげた。
もしかしたら、ワロージャは時間旅行者、つまり、タイムトラヴェラーなのかも!
何か抜き差しならない内面の欲求に従って、1900年の中国での戦闘へ赴くことにしたのでは?
しかし、読み進めるうち、ワロージャが正式な兵役検査を受け、出征する折には,実母と継父がホームに見送りに来たということが判明する。
それでも、私の「ワロージャ=時間旅行者説」は、閃光に似た光を心の中で発信し続けていた。私がタイムトラベルものが大好きということもあるけれど。
奈倉有里氏が「訳者あとがき」で述べておられるように、ワロージャの手紙には「東方見聞録」やホメロス、また「ハムレット」からの引用が多く、
それはことさらに、ワロージャが身を置いている中国、義和団という異文化を効果的に象徴している。
義和団がベトコンに思えてくるのも、むべなるかな。
近年のアメリカのベトナム侵略戦争と、1900年代の連合軍による侵略戦争が、いやでも重なってくる。
案外早くに、ワロージャ戦死の報が届くのだが、これも彼が戦死公報を書く任務についていることを思えば、もしかしたら、ワロージャ本人が自分を「無」にするために、自作自演したのではないのか?ーーと思えてくる。
自分を「無」にするため、つまり、「自分になる」ために。
38頁ーー
「僕はまだ僕じゃない。これが僕のはずがない。暦なんか超越してやりたかった。
そして今、本当に超越してしまった」
時空を超えた、ということでは?(また 笑
キリルという東洋哲学に詳しい青年が登場してからは、さらに輪廻転生など、
時空を超え、真に「存在」するものは何かということに、ゆるやかにだが、焦点が移っていく。
一方、サーシャのほうは少しでもワロージャの置かれている環境を理解したいがゆえか、
あるいはただ、自分を忙しくして,ワロージャの不在を忘れたいがゆえか、緊急病棟勤務を経て、画家と結婚、流産、継娘との仲に心を砕き、、、
さらに母の闘病、父を看取る、という一大女性史を生きていく。
この女性史をもって、一冊の本ができるだろうし、同じことがワロージャ側にも言える。
従って、大変に豊かな一冊であり、こちらにとっても豊かな読書体験であった。
実際、後半から、サーシャの手紙はラブレターではなくなり、「ワロージャへ」という名前さえ消えていく。
ところが、299頁ーー
サーシャは、親友の子どもに「口がくさい」といわれ、自身の胃の異変を感知。
それに呼応して、ワロージャも「サーシャへ。今日はどうも調子が悪い」
このあたりから、再び、二人の甘やかな語らいが再開するわけだが、それは最初の頃の恋人同士としての文通とはまったく違うものとなっている。
言ってみれば、それぞれの人生の荒波に心身共に疲れ、倦み、
暗い窓辺の観葉植物が日光と水を求めるように、お互いの膝の上に頭を置くことを希求する。
ここに至るまでに、サーシャはおそらく20年ほどの歳月を生きてきたわけで、一方のワロージャは青年のまま。
そして、最終章:
ーーサーシャへ。君に会いに行くよ。あとほんの少しだ。すごいことが起きたんだ。
突然、声が聞こえた。(以下略
「私は何もかも知っている」という「彼」とは誰なのか?
神?時間?真我?記憶?
答えは読者それぞれに委ねられる。
まことに余韻のある、含蓄に富んだラストである。
サーシャとワロージャは再会できるのか?
いや、そもそも、二人はこれまでに一度でも会ったことがあるのか?ーーなどというヤボなことは言わずにおこう。
作者・キーシキン自身がこう言っているのだから。
「届かないのは、書かれなかった手紙だけだ」
本書は、サーシャの髪にひっついた、「くっつき種」のように、永く私にくっついて離れないことだろう。
最後に、他の方々も触れておられるが、奈倉有里氏の訳は素晴らしい。
奈倉氏の感性と文才が、どれほどこの作品に貢献していることか。
軽やかな体言止め、男の子のようなサーシャの言葉遣いが、過剰なまでの「死」が語られる本書での、大きな救いとも、読者にとっての「避難所」ともなっている。
とても不思議な読書体験だった。
うまく表現できないのだが、読みながら三通り、四通りのストーリー展開が脳内を駆け巡る、、という、、、
まず、一番最初のサーシャの手紙の末尾ーー
「ねえ!どうしてこんなに酷いことしたの?」
そして、一番最初のワロージャの手紙の第一行目ーー
「あとは、どの戦争にするか決めるだけだった。だけど勿論そんなこと決めるまでもなかった」
この呼応する二行を読み、私は、「あっ」と心の中で声をあげた。
もしかしたら、ワロージャは時間旅行者、つまり、タイムトラヴェラーなのかも!
何か抜き差しならない内面の欲求に従って、1900年の中国での戦闘へ赴くことにしたのでは?
しかし、読み進めるうち、ワロージャが正式な兵役検査を受け、出征する折には,実母と継父がホームに見送りに来たということが判明する。
それでも、私の「ワロージャ=時間旅行者説」は、閃光に似た光を心の中で発信し続けていた。私がタイムトラベルものが大好きということもあるけれど。
奈倉有里氏が「訳者あとがき」で述べておられるように、ワロージャの手紙には「東方見聞録」やホメロス、また「ハムレット」からの引用が多く、
それはことさらに、ワロージャが身を置いている中国、義和団という異文化を効果的に象徴している。
義和団がベトコンに思えてくるのも、むべなるかな。
近年のアメリカのベトナム侵略戦争と、1900年代の連合軍による侵略戦争が、いやでも重なってくる。
案外早くに、ワロージャ戦死の報が届くのだが、これも彼が戦死公報を書く任務についていることを思えば、もしかしたら、ワロージャ本人が自分を「無」にするために、自作自演したのではないのか?ーーと思えてくる。
自分を「無」にするため、つまり、「自分になる」ために。
38頁ーー
「僕はまだ僕じゃない。これが僕のはずがない。暦なんか超越してやりたかった。
そして今、本当に超越してしまった」
時空を超えた、ということでは?(また 笑
キリルという東洋哲学に詳しい青年が登場してからは、さらに輪廻転生など、
時空を超え、真に「存在」するものは何かということに、ゆるやかにだが、焦点が移っていく。
一方、サーシャのほうは少しでもワロージャの置かれている環境を理解したいがゆえか、
あるいはただ、自分を忙しくして,ワロージャの不在を忘れたいがゆえか、緊急病棟勤務を経て、画家と結婚、流産、継娘との仲に心を砕き、、、
さらに母の闘病、父を看取る、という一大女性史を生きていく。
この女性史をもって、一冊の本ができるだろうし、同じことがワロージャ側にも言える。
従って、大変に豊かな一冊であり、こちらにとっても豊かな読書体験であった。
実際、後半から、サーシャの手紙はラブレターではなくなり、「ワロージャへ」という名前さえ消えていく。
ところが、299頁ーー
サーシャは、親友の子どもに「口がくさい」といわれ、自身の胃の異変を感知。
それに呼応して、ワロージャも「サーシャへ。今日はどうも調子が悪い」
このあたりから、再び、二人の甘やかな語らいが再開するわけだが、それは最初の頃の恋人同士としての文通とはまったく違うものとなっている。
言ってみれば、それぞれの人生の荒波に心身共に疲れ、倦み、
暗い窓辺の観葉植物が日光と水を求めるように、お互いの膝の上に頭を置くことを希求する。
ここに至るまでに、サーシャはおそらく20年ほどの歳月を生きてきたわけで、一方のワロージャは青年のまま。
そして、最終章:
ーーサーシャへ。君に会いに行くよ。あとほんの少しだ。すごいことが起きたんだ。
突然、声が聞こえた。(以下略
「私は何もかも知っている」という「彼」とは誰なのか?
神?時間?真我?記憶?
答えは読者それぞれに委ねられる。
まことに余韻のある、含蓄に富んだラストである。
サーシャとワロージャは再会できるのか?
いや、そもそも、二人はこれまでに一度でも会ったことがあるのか?ーーなどというヤボなことは言わずにおこう。
作者・キーシキン自身がこう言っているのだから。
「届かないのは、書かれなかった手紙だけだ」
本書は、サーシャの髪にひっついた、「くっつき種」のように、永く私にくっついて離れないことだろう。
最後に、他の方々も触れておられるが、奈倉有里氏の訳は素晴らしい。
奈倉氏の感性と文才が、どれほどこの作品に貢献していることか。
軽やかな体言止め、男の子のようなサーシャの言葉遣いが、過剰なまでの「死」が語られる本書での、大きな救いとも、読者にとっての「避難所」ともなっている。