日本でも学生運動が盛んだった1960年代、
インドでも若者の、暴力も伴う、対権力運動が盛んだったようだ。
スバシュとウダヤンは、年子だけど双子のように仲良く育った兄弟。
海洋学研究で米国留学する兄と、地元で高校教師をする弟ウダヤン。
ウダヤンは、対権力運動に参加し、警官殺しに加担し、
殺される。身重の妻の眼前で。
スバシュは、居場所のない弟の妻ガウリをアメリカに引き取り、結婚し、
生まれた娘ベラを実の娘として育てる。
ものすごい大事件があるわけでもない。
それぞれの視点から、静かに、静かに、インドとアメリカでの日常生活が語られていき、
時代は進み、登場人物たちは年を重ねていく。
一緒に住んでいようと、親子だろうと、決して超えられない溝があって、
孤独を常に感じるものだな、、と思う。
登場人物たちの行動は、善悪という物差しでは判断できず、
なんと整理していいのかわからない、
複雑な心情で読んだ。
ラヒリの作品は、インドの色や香りなど、エキゾチックさが、一つの大きな魅力だった。
今回の作品でも、そうでもあるのだけど、インドの汚さも、、チラチラと見せてくれた。
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低地 (Shinchosha CREST BOOKS) 単行本 – 2014/8/26
若くして命を落とした弟。身重の妻と結ばれた兄。過激な革命運動のさなか、両親と身重の妻の眼前、カルカッタの低湿地で射殺された弟。遺された若い妻をアメリカに連れ帰った学究肌の兄。仲睦まじかった兄弟は二十代半ばで生死を分かち、喪失を抱えた男女は、アメリカで新しい家族として歩みだす――。着想から16年、両大陸を舞台に繰り広げられる波乱の家族史。
- 本の長さ477ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2014/8/26
- 寸法13.3 x 2.9 x 19.4 cm
- ISBN-104105901109
- ISBN-13978-4105901103
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出版社より
停電の夜に | 見知らぬ場所 | 低地 | べつの言葉で | わたしのいるところ | 思い出すこと | |
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カスタマーレビュー |
5つ星のうち4.2
159
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5つ星のうち4.5
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価格 | ¥2,090¥2,090 | ¥2,400¥2,400 | ¥1,155¥1,155 | ¥1,760¥1,760 | ¥1,870¥1,870 | ¥2,200¥2,200 |
【新潮クレスト・ブックス】ジュンパ・ラヒリ 作品 | ピューリッツァー賞など著名な文学賞を総なめにした、インド系新人作家の鮮烈なデビュー短編集。みずみずしい感性と端麗な文章が光る。 | ここからすべてが始まった———。父と母の、子どもたちの、恋人たちの歳月。『停電の夜に』以来9年ぶり、待望の最新短篇集。フランク・オコナー国際短篇賞。 | 殺された弟。その身重の妻とともに生きようとした兄。インドとアメリカを舞台にした、半世紀以上にわたるある家族の物語。構想16年。10年ぶり、待望の長篇小説。 | 40 歳を過ぎて経験する新しいこと──。夫と息子二人とともにNYからローマに移り住んだ作家が、自ら選んだイタリア語で綴る「文学と人生」。初めてのエッセイ集。 | 通りで、本屋で、バールで、仕事場で……。ローマと思しき町に暮らす独身女性のなじみの場所にちりばめられた孤独、彼女の旅立ちの物語。ラヒリのイタリア語初長篇。 | ローマのアパートで見つけたノートには、ラヒリによく似た見知らぬ女性による詩の草稿が残されていた――。もっとも自伝的な最新作。 |
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2014/8/26)
- 発売日 : 2014/8/26
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 477ページ
- ISBN-10 : 4105901109
- ISBN-13 : 978-4105901103
- 寸法 : 13.3 x 2.9 x 19.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 374,902位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年8月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
低地という和訳の題名は適当だろうか。ラヒリとつながりが強いカルカッタの湿地帯の土地と、ロングアイランドの美しい海辺の土地を舞台に、4人の人生が激しくも苦しくも寂しくも交錯する物語を旅することができる秀作。ただ、水との関係が深い地が舞台であるが、2つの地はその成因も環境も風土も異なり、物語の深層との関わりは描ききれていない。そして最終章はもうひとつ。
2015年3月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
彼女の小説は自伝的とされる。
インド人の友人と話し、その歴史を聞くと、例えばアメリカに移民して来た時にどこを経由してきたかで所属するカーストがわかるそうだし、アメリカに住んでいてもなおカーストごとに住む地区や、買い物をする店、医師までも異なるということを教わり驚きを禁じ得なかった。
マオ派の活動などを本書で読むと、ネパールで起きたことなども一元的に理解することができ、とても真に迫っていると思う一方で、同じ経験をしたとしても、所属するカーストごとに物語の展開がだいぶ異なるのではないだろうか、読みながらそんなことを考えてしまい個人的には絶賛されるほど素直には読めなかったのですが、良い小説だという事は理解できます。
内容に対してこの紙質は少し残念かもしれない、とは感じました。
インド人の友人と話し、その歴史を聞くと、例えばアメリカに移民して来た時にどこを経由してきたかで所属するカーストがわかるそうだし、アメリカに住んでいてもなおカーストごとに住む地区や、買い物をする店、医師までも異なるということを教わり驚きを禁じ得なかった。
マオ派の活動などを本書で読むと、ネパールで起きたことなども一元的に理解することができ、とても真に迫っていると思う一方で、同じ経験をしたとしても、所属するカーストごとに物語の展開がだいぶ異なるのではないだろうか、読みながらそんなことを考えてしまい個人的には絶賛されるほど素直には読めなかったのですが、良い小説だという事は理解できます。
内容に対してこの紙質は少し残念かもしれない、とは感じました。
2015年6月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
両親の故郷・カルカッタと作家自身が育ったアメリカ・ロードアイランドを舞台に繰り広げられる波乱の家族史
物語の始まりは
東部インドの大都市コルカタがまだカルカッタと呼ばれていた頃
カルカッタ郊外に育った仲の良い年子の兄弟、スパシュとウダヤン
兄のスパシュは学究肌でアメリカの大学院に進学
弟のウダヤンは高校の教師をしながら極左組織『ナクサライト』に関わりをもち実家近くの両親と身重の妻・ガウリから見える低地の水際で射殺されてしまいます
ウダヤン亡き後、居場所の無くなったガウリを自分の妻としてアメリカへ連れ出すスパシュ
とりあえずは救われるガウリでしたが、この疑似家族はやがて崩壊
ガウリは無理な再婚から逃げ出し西海岸へ向かいます
残されたスパシュは娘・ベラ(実はウダヤンの子)を男手ひとつで育て上げます
成長したベラは、父と思っていた人が伯父であったこと、母が自分たちを捨てて出て行ったことなど、自分が育った家庭環境のせいか通常の結婚には踏み切れないまま父のいない子を出産します
スパシュから逃げ出したガウリのその後
老年に達してからスパシュが選んだ新しい恋人との暮らし
ベラとベラの娘の成長
ウダヤンの死によって人生を変えられた三人は
それぞれ現在の生活にどれだけ馴染めるのか、その場所に帰属する意識を持てるのかという問題に向き合うことになります
人が生きるとは、どういうことか?
物語の終りに結論はありません
ただ、懐かしいウダヤンの優しげな仕草が描かれているだけです
人によって好みは別れるでしょうが、インド絡みでいえば映画「めぐり逢わせのお弁当」のような、このような余韻を残した終わり方が好きです
カルカッタの町の風景と共に描かれるのが「ドゥルガー女神祭祀」
訪れたことのない国を舞台にした物語は想像力が必要ですが、映画「女神は二度微笑む」でも描かれていたので、思い出しながら読むことができたのは楽でした
それと、カルカッタとアメリカ・ロードアイランドとの町そのものの違い、風の違い、湿度の違い、太陽の違いが見事に表現されているのもストーリーにすんなり入っていけた要素だったかと思いました
物語の始まりは
東部インドの大都市コルカタがまだカルカッタと呼ばれていた頃
カルカッタ郊外に育った仲の良い年子の兄弟、スパシュとウダヤン
兄のスパシュは学究肌でアメリカの大学院に進学
弟のウダヤンは高校の教師をしながら極左組織『ナクサライト』に関わりをもち実家近くの両親と身重の妻・ガウリから見える低地の水際で射殺されてしまいます
ウダヤン亡き後、居場所の無くなったガウリを自分の妻としてアメリカへ連れ出すスパシュ
とりあえずは救われるガウリでしたが、この疑似家族はやがて崩壊
ガウリは無理な再婚から逃げ出し西海岸へ向かいます
残されたスパシュは娘・ベラ(実はウダヤンの子)を男手ひとつで育て上げます
成長したベラは、父と思っていた人が伯父であったこと、母が自分たちを捨てて出て行ったことなど、自分が育った家庭環境のせいか通常の結婚には踏み切れないまま父のいない子を出産します
スパシュから逃げ出したガウリのその後
老年に達してからスパシュが選んだ新しい恋人との暮らし
ベラとベラの娘の成長
ウダヤンの死によって人生を変えられた三人は
それぞれ現在の生活にどれだけ馴染めるのか、その場所に帰属する意識を持てるのかという問題に向き合うことになります
人が生きるとは、どういうことか?
物語の終りに結論はありません
ただ、懐かしいウダヤンの優しげな仕草が描かれているだけです
人によって好みは別れるでしょうが、インド絡みでいえば映画「めぐり逢わせのお弁当」のような、このような余韻を残した終わり方が好きです
カルカッタの町の風景と共に描かれるのが「ドゥルガー女神祭祀」
訪れたことのない国を舞台にした物語は想像力が必要ですが、映画「女神は二度微笑む」でも描かれていたので、思い出しながら読むことができたのは楽でした
それと、カルカッタとアメリカ・ロードアイランドとの町そのものの違い、風の違い、湿度の違い、太陽の違いが見事に表現されているのもストーリーにすんなり入っていけた要素だったかと思いました
2016年4月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ジュンパラヒリが好きで、全作読んでいます。なぜか、彼女の作品の登場人物は、紙の上の人ではなくて生きている感じがします。息遣いや、憂いを帯びた表情が、目の前に見える気がします。
その世界に入り込むようにして読んでいるので、読後も、その世界の感触が自分の中に残ります。緊張感のある場面よりも、何気ない場面が印象に残ったりします。今回は、バルコニーから通りの喧騒を見ている場面が何故だか忘れられません。読み続けていきたい作家です。
その世界に入り込むようにして読んでいるので、読後も、その世界の感触が自分の中に残ります。緊張感のある場面よりも、何気ない場面が印象に残ったりします。今回は、バルコニーから通りの喧騒を見ている場面が何故だか忘れられません。読み続けていきたい作家です。
2014年11月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
双子のような仲の良い兄弟の歩んだそれぞれの人生。インドとアメリカ。誠実に生きようとすればするほど、生きることの寂しさが際立ってくる、二人と弟の妻になった女性の関わりが、静かに深く描写されていく。登場人物たちが子どもの時代から、老いて孫のいるようになるまでの長い時間を書ききった。どんどん作中に引き込まれて飽きることがない。時代に翻弄されながらそれでも一生懸命生きるしかない人間像に深い共鳴を覚えた。
2014年9月9日に日本でレビュー済み
14年前に「停電の夜に」で鮮烈なデビューを果たしたジュンパ・ラヒリの最新の長編小説である。当時、人間洞察の深さで読者を驚かせたラヒリであったが、これほどの壮大で深みのある物語を書く作家になるとは想像できなかった。この作品を読めば、高い評価を得てきた「停電の夜に」、「その名にちなんで」、「見知らぬ場所」は、この作品を書くための習作だったと気づく。ラヒリがこの作品にこれまでの人生のすべてを賭けて取り組んだことは疑いなく、文句なしの彼女の最高傑作である。
インドのカルカッタ、2人の仲の良い兄弟は20代になって別々の道を選ぶ。兄は渡米して研究者をめざすが、弟は貧しい農民を救うために革命運動に身を投じた。やがて、彼はテロに加わり、警察に追われて両親と妻の前で射殺される。兄は残された身重の義妹をアメリカへ連れ帰って結婚する。アメリカで親子3人の幸せな家庭をつくるはずだったが、夫婦の間に亀裂が広がっていった。兄、妻、娘、そして両親、それぞれの人生が動き始める。
「低地」は愛と家族の物語である。ラヒリは、この作品において人間の本源的な愛を主題にしている。闇の奥に点る光、それは生きる道標になる愛である。運命の出会いを経て燃え上がった愛は、死がふたりを引き裂いても消えない。その愛があれば生きていける。愛した人の意思を大切にして生きていく。それほどの痛々しくて深い愛をラヒリは描こうとしたのだろう。
兄は死んだ弟を大切に思うが故に弟の妻と子を自分の家族にした。しかし、妻は亡き夫を愛し続けようとして兄の元を去る。弟は病に倒れたのではなく、「正義」のために戦って殺されたのだ。貧しい人々の犠牲になった弟だから、残された者は彼の意思に応えなければならない。各々がそのように考えたのだろう。ここに登場する主要な人物、すなわち弟、兄、妻、娘はいずれも自律的で強い意志を持っている。彼らは不器用ではあるが、自らの信念に誠実に生きようとしている。その真摯さは読む者の胸を打ち、姿勢を正すだけの力がある。私は彼らに敬意を抱いたのだ。
2つの地域が丹念に描写される。兄が住んだロードアイランドはラヒリの育った町だ。海岸沿いの町の四季がまるでエドワード・ホッパーの絵画のように描写される。それは荒涼とした海岸であったり、風にそよぐ木々であったり、小さな町の教会であったりする。彼女がこの土地をどれほど愛しているかがわかる描写である。一方でカルカッタの喧騒やその郊外の住宅地の狭い路地や土造りの家や低地の池が幾度も記述される。カルカッタはラヒリの両親が生まれ育った地なのであった。このことからもラヒリが自分のルーツや記憶を作品に埋め込もうとしていることがわかる。
インド独立後の歴史も十分に書き込まれている。インド共産党毛沢東派の武装闘争とそれを引き起こした農民の悲惨な状況について、ラヒリは多くの紙数を費やしている。インド社会の民主化が遅れているが故に、運動は過激にならざるを得ず、それが熾烈な弾圧を招き、多くの若者が命を落とした。その繰り返しがインドの現代史なのだと彼女は書いている。明らかにラヒリは弱者の側に立って彼らに心を寄せている。
よく練り上げられた巧みなストーリーである。先の展開を予想すると裏切られるが、ストーリーの展開が読めないのは優れた小説の条件の一つだ。兄、弟、妻、娘、母と章ごとに視点を変えていく構成が効果をあげている。そのストーリーと構成を支える文章がまた素晴らしい。歯切れの良い、短いセンテンスが多用されていて、あいまいな表現はみじんもない。息を飲むような素晴らしい風景が広がると思えば、登場人物の胸の鼓動が聞こえそうな心理描写もある。長編でありながら一瞬の弛緩もない完成度の高い表現力に感嘆した。そして、随所に胸突かれる場面が用意されていて、感情があふれそうになったことを告白しよう。つまり、ラヒリの最新長編は、骨太でありながら品性と格調に充ちた愛の物語なのである。
小川高義氏による美しい日本語訳にも感心した。原文は訳文同様に美しいはずだから、次は英語で読んでみよう。私にずっしりと重い感動を届けてくれたジュンパ・ラヒリに深く感謝したい。
インドのカルカッタ、2人の仲の良い兄弟は20代になって別々の道を選ぶ。兄は渡米して研究者をめざすが、弟は貧しい農民を救うために革命運動に身を投じた。やがて、彼はテロに加わり、警察に追われて両親と妻の前で射殺される。兄は残された身重の義妹をアメリカへ連れ帰って結婚する。アメリカで親子3人の幸せな家庭をつくるはずだったが、夫婦の間に亀裂が広がっていった。兄、妻、娘、そして両親、それぞれの人生が動き始める。
「低地」は愛と家族の物語である。ラヒリは、この作品において人間の本源的な愛を主題にしている。闇の奥に点る光、それは生きる道標になる愛である。運命の出会いを経て燃え上がった愛は、死がふたりを引き裂いても消えない。その愛があれば生きていける。愛した人の意思を大切にして生きていく。それほどの痛々しくて深い愛をラヒリは描こうとしたのだろう。
兄は死んだ弟を大切に思うが故に弟の妻と子を自分の家族にした。しかし、妻は亡き夫を愛し続けようとして兄の元を去る。弟は病に倒れたのではなく、「正義」のために戦って殺されたのだ。貧しい人々の犠牲になった弟だから、残された者は彼の意思に応えなければならない。各々がそのように考えたのだろう。ここに登場する主要な人物、すなわち弟、兄、妻、娘はいずれも自律的で強い意志を持っている。彼らは不器用ではあるが、自らの信念に誠実に生きようとしている。その真摯さは読む者の胸を打ち、姿勢を正すだけの力がある。私は彼らに敬意を抱いたのだ。
2つの地域が丹念に描写される。兄が住んだロードアイランドはラヒリの育った町だ。海岸沿いの町の四季がまるでエドワード・ホッパーの絵画のように描写される。それは荒涼とした海岸であったり、風にそよぐ木々であったり、小さな町の教会であったりする。彼女がこの土地をどれほど愛しているかがわかる描写である。一方でカルカッタの喧騒やその郊外の住宅地の狭い路地や土造りの家や低地の池が幾度も記述される。カルカッタはラヒリの両親が生まれ育った地なのであった。このことからもラヒリが自分のルーツや記憶を作品に埋め込もうとしていることがわかる。
インド独立後の歴史も十分に書き込まれている。インド共産党毛沢東派の武装闘争とそれを引き起こした農民の悲惨な状況について、ラヒリは多くの紙数を費やしている。インド社会の民主化が遅れているが故に、運動は過激にならざるを得ず、それが熾烈な弾圧を招き、多くの若者が命を落とした。その繰り返しがインドの現代史なのだと彼女は書いている。明らかにラヒリは弱者の側に立って彼らに心を寄せている。
よく練り上げられた巧みなストーリーである。先の展開を予想すると裏切られるが、ストーリーの展開が読めないのは優れた小説の条件の一つだ。兄、弟、妻、娘、母と章ごとに視点を変えていく構成が効果をあげている。そのストーリーと構成を支える文章がまた素晴らしい。歯切れの良い、短いセンテンスが多用されていて、あいまいな表現はみじんもない。息を飲むような素晴らしい風景が広がると思えば、登場人物の胸の鼓動が聞こえそうな心理描写もある。長編でありながら一瞬の弛緩もない完成度の高い表現力に感嘆した。そして、随所に胸突かれる場面が用意されていて、感情があふれそうになったことを告白しよう。つまり、ラヒリの最新長編は、骨太でありながら品性と格調に充ちた愛の物語なのである。
小川高義氏による美しい日本語訳にも感心した。原文は訳文同様に美しいはずだから、次は英語で読んでみよう。私にずっしりと重い感動を届けてくれたジュンパ・ラヒリに深く感謝したい。
2014年11月27日に日本でレビュー済み
ジュンパ・ラヒリさんの本が好きなので、買いました。
長編映画、それもイランあたりのすごいナが回しの映画を
ずっと見ているような感じ。
読むのに体力がいりますが、
ぐいぐい引き込まれてしまって、
旅行中なのにもかかわらず、本ばかり読んでしまいました。
ひとつの死をめぐり、さまざまな人のこころが、とても客観的で、でも
凛とした姿勢で描かれます。
何度も読みながら、
死を受け入れるってなんだろう、と自問するような時間です。
贅沢な読書でした!
長編映画、それもイランあたりのすごいナが回しの映画を
ずっと見ているような感じ。
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ぐいぐい引き込まれてしまって、
旅行中なのにもかかわらず、本ばかり読んでしまいました。
ひとつの死をめぐり、さまざまな人のこころが、とても客観的で、でも
凛とした姿勢で描かれます。
何度も読みながら、
死を受け入れるってなんだろう、と自問するような時間です。
贅沢な読書でした!