中村真一郎氏の「王朝物語」に対する主張は一貫している。写実主義重視の近代文学小説の行き詰まりの打破のため、この時代の文学の素晴らしさを見なおすことの重要性を説いているのだ。
氏の若い頃の「王朝物語」論は、勢いがあって面白い。また、勢いはなくなっても、より幅広い視点から論を述べる晩年の評論も味があって良いが、氏の最も脂の乗り切った評論は、この本の時代であろうと感じる。
氏の「王朝物語」に対する深い造詣に触れると、わくわくするような気持ちにさせられる。
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源氏物語の世界 (新潮選書) 単行本 – 1968/6/1
中村 真一郎
(著)
- 本の長さ240ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日1968/6/1
- ISBN-10410600111X
- ISBN-13978-4106001116
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (1968/6/1)
- 発売日 : 1968/6/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 240ページ
- ISBN-10 : 410600111X
- ISBN-13 : 978-4106001116
- Amazon 売れ筋ランキング: - 363,762位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 8,819位日本文学
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2024年5月9日に日本でレビュー済み
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世界観が深く詳しく知ることができた
2023年6月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は1968年に出版されたものだが、源氏物語を中心とした王朝文学を見通しよく整理し、その世界文学史上の位置づけを明快に示した好著である。
著者の中村真一郎氏は1907年生まれの文学者であり、そのバックグラウンドはプルーストやネルヴァルらの20世紀フランス文学だが、本書を読めば日本古典への造詣も大変なものだということがよくわかる。明治・大正の文豪の作品を読むと日本古典や漢詩文の深い素養に舌を巻くことが多いが、著者はその最後の世代に属すると言ってよいのではないか。
第Ⅰ部では、なんといっても紫式部とプルーストの対比に意表を突かれるが、源氏物語の初の英語翻訳(ウェイレー訳)を読んだ1920年代の西欧知識人は、「レディー・ムラサキはプルーストの双子の姉妹かと思った」という。確かに、貴族社会のサロンの人々やその爛熟的な恋愛模様を外から観察し、人間の内面に分け入って描いた点で紫式部とプルーストは通じるところがある(英訳すると平安貴族社会も19世紀フランス貴族社会も見分けがつかないかも)。
特に、著者は19世紀的な写実主義、自然主義文学ではとらえきれない「人間性の真実」という点で、源氏物語を含む王朝文学は普遍性・現代性があると強調している。
第Ⅱ部では、源氏物語の世界が「小説観」、「後宮」、「須磨・明石」などの視点で描かれるが、中には「下町」や「学者グループ」、「死の美学」といった斬新な観点の指摘もあり、源氏物語の理解が深まる。
しかし、本書の白眉は第Ⅲ部の源氏物語の女性像である。著者は女性像を6つのグループ(①藤壺、葵の上ー六条御息所、②空蝉-夕顔、末摘花ー源典侍、③紫の上-明石の上-女三の宮、④様々なタイプの愛人、⑤内大臣の娘たち、⑥宇治の3姉妹)に分けて考察しているが、バラエティに富んだ多数の女性像を実に見通しよく分類しており、源氏物語に慣れ親しんだ読者にとっても参考になるはずだ。ちなみに、この女性たちの中で老年にして好色無類の源典侍だけは当時の実名で書かれており、実は紫式部を圧迫した兄嫁への復讐らしい(解説によると、角田文衞氏の研究を踏まえたものとのこと)。
なお、源氏物語の女性像といえば女性作家や女性研究者たちの独擅場の観があるが、本書では随所に著者の男性目線の感想が示されているのが面白い。例えば、上記①では、「一体、男性は葵の上のような、執こくない女性に物足りない思いをする方がいいのか、六条御息所のような、死後もたたるような執着に圧倒される方がいいのか。これは難かしい問題だろう」、上記②では、「空蟬と夕顔。このどちらに男性はひきつけられるだろうか。・・・一方は男の心を、その知的な微妙な駆け引きによって、活発にさせ、生きている喜びを感じさせてくれる。別の一方は、完全に心を眠らせ、休息させてくれる」・・・といった具合である。いわば「雨夜の品定め」を著者がやっているようなものだ。
その他、第Ⅳ部の竹取物語の再評価、第Ⅴ部の王朝のエッセー(土佐日記、蜻蛉日記、更級日記、枕草子、方丈記、徒然草)の文学的位置づけも実に秀逸である。特に後者については、作者が官人から女房、さらには隠者へと移り、「我が中古から中世へかけての精神文明の変遷に立ち合うことになる」と著者は述べている。
著者の中村真一郎氏は1907年生まれの文学者であり、そのバックグラウンドはプルーストやネルヴァルらの20世紀フランス文学だが、本書を読めば日本古典への造詣も大変なものだということがよくわかる。明治・大正の文豪の作品を読むと日本古典や漢詩文の深い素養に舌を巻くことが多いが、著者はその最後の世代に属すると言ってよいのではないか。
第Ⅰ部では、なんといっても紫式部とプルーストの対比に意表を突かれるが、源氏物語の初の英語翻訳(ウェイレー訳)を読んだ1920年代の西欧知識人は、「レディー・ムラサキはプルーストの双子の姉妹かと思った」という。確かに、貴族社会のサロンの人々やその爛熟的な恋愛模様を外から観察し、人間の内面に分け入って描いた点で紫式部とプルーストは通じるところがある(英訳すると平安貴族社会も19世紀フランス貴族社会も見分けがつかないかも)。
特に、著者は19世紀的な写実主義、自然主義文学ではとらえきれない「人間性の真実」という点で、源氏物語を含む王朝文学は普遍性・現代性があると強調している。
第Ⅱ部では、源氏物語の世界が「小説観」、「後宮」、「須磨・明石」などの視点で描かれるが、中には「下町」や「学者グループ」、「死の美学」といった斬新な観点の指摘もあり、源氏物語の理解が深まる。
しかし、本書の白眉は第Ⅲ部の源氏物語の女性像である。著者は女性像を6つのグループ(①藤壺、葵の上ー六条御息所、②空蝉-夕顔、末摘花ー源典侍、③紫の上-明石の上-女三の宮、④様々なタイプの愛人、⑤内大臣の娘たち、⑥宇治の3姉妹)に分けて考察しているが、バラエティに富んだ多数の女性像を実に見通しよく分類しており、源氏物語に慣れ親しんだ読者にとっても参考になるはずだ。ちなみに、この女性たちの中で老年にして好色無類の源典侍だけは当時の実名で書かれており、実は紫式部を圧迫した兄嫁への復讐らしい(解説によると、角田文衞氏の研究を踏まえたものとのこと)。
なお、源氏物語の女性像といえば女性作家や女性研究者たちの独擅場の観があるが、本書では随所に著者の男性目線の感想が示されているのが面白い。例えば、上記①では、「一体、男性は葵の上のような、執こくない女性に物足りない思いをする方がいいのか、六条御息所のような、死後もたたるような執着に圧倒される方がいいのか。これは難かしい問題だろう」、上記②では、「空蟬と夕顔。このどちらに男性はひきつけられるだろうか。・・・一方は男の心を、その知的な微妙な駆け引きによって、活発にさせ、生きている喜びを感じさせてくれる。別の一方は、完全に心を眠らせ、休息させてくれる」・・・といった具合である。いわば「雨夜の品定め」を著者がやっているようなものだ。
その他、第Ⅳ部の竹取物語の再評価、第Ⅴ部の王朝のエッセー(土佐日記、蜻蛉日記、更級日記、枕草子、方丈記、徒然草)の文学的位置づけも実に秀逸である。特に後者については、作者が官人から女房、さらには隠者へと移り、「我が中古から中世へかけての精神文明の変遷に立ち合うことになる」と著者は述べている。
2011年5月22日に日本でレビュー済み
紫式部→清少納言
「彼女はしたり顔で、漢文など書いてみせるが、よく見れば未熟きわまるものである。
他人とは変わったもののように見られたがるキザな性格で、行く末は知れたものだ」
その他、古代文学すべてについて、わかりやすく、おもしろく、すばらしく書かれている。
一挙に中村真一郎ファンになってしまった。
このような知性は日本ではマレである。
きっと、自我の問題を捨象してるから面白いんだろう。
惜しみなく、余すことなく与えてくれる。
「彼女はしたり顔で、漢文など書いてみせるが、よく見れば未熟きわまるものである。
他人とは変わったもののように見られたがるキザな性格で、行く末は知れたものだ」
その他、古代文学すべてについて、わかりやすく、おもしろく、すばらしく書かれている。
一挙に中村真一郎ファンになってしまった。
このような知性は日本ではマレである。
きっと、自我の問題を捨象してるから面白いんだろう。
惜しみなく、余すことなく与えてくれる。