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ピラミッドはなぜつくられたか (新潮選書) 単行本 – 1992/6/1
高津 道昭
(著)
- 本の長さ213ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日1992/6/1
- ISBN-104106004240
- ISBN-13978-4106004247
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (1992/6/1)
- 発売日 : 1992/6/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 213ページ
- ISBN-10 : 4106004240
- ISBN-13 : 978-4106004247
- Amazon 売れ筋ランキング: - 967,705位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 313位その他の地域の世界史の本
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2008年10月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ピラミッドには昔から興味があり、建設地の接近やナイル川の氾濫時期に
ピラミッドの際まで川幅が広がった事等は知識としてあったのですがそれ
以上の考えを発展させる事が出来ませんでした。
ピラミッドの建設が古代の公共事業だったという説に心が動きながらもピ
ラミッド自体の機能が分からなくて考えあぐねていたところに出会ったの
が本書でした。
著者の古代エジプトの歴史を丁寧にトレースしていく論証の姿勢にとても
好感が持てました、これは決して突飛な説ではなく十分に説得力を持つ著
者のユニークな新説だと信じます。ピラミッドに興味のある方、古代エジ
プト国家が何を目指していたのかを知りたい方に是非お勧めしたい一冊です。
ピラミッドの際まで川幅が広がった事等は知識としてあったのですがそれ
以上の考えを発展させる事が出来ませんでした。
ピラミッドの建設が古代の公共事業だったという説に心が動きながらもピ
ラミッド自体の機能が分からなくて考えあぐねていたところに出会ったの
が本書でした。
著者の古代エジプトの歴史を丁寧にトレースしていく論証の姿勢にとても
好感が持てました、これは決して突飛な説ではなく十分に説得力を持つ著
者のユニークな新説だと信じます。ピラミッドに興味のある方、古代エジ
プト国家が何を目指していたのかを知りたい方に是非お勧めしたい一冊です。
2008年7月11日に日本でレビュー済み
1 仮説の重要性を感じた。
2 今後、いろいろな検証(BC2500年頃)がなされていくだろう。
3 現在は、ダム等で洪水の影響が少なくなっているでしょうが、
古代の生活は大変だったのだなあと思う昨今です。
4 どうやら、「太陽の船」は、増水等の際に、実際に使用されたらしい。
5 なお、シバの女王(BC10世紀頃)の出身地については、
私は、アラビア半島南部の イエメン説を支持したいと思います。
理由は、紅海とナイル川を結ぶ運河が、後の、ペルシア帝国
の時代(BC6世紀頃)に建設されたこと、後世に、スエズ運河
がフランス、イギリスによって運営されたこと(1869年)、
インド航路等、
紅海の交易上の観点を、地中海同様、重視するからです。
アデン、コーヒー、ハラル(ランボー),新しい花。
アール・ヌーボー(1883)。
エッフェル塔(1889年)、パリ万博。
オベリスク(BC1500年頃)、仏塔?
宝塔品第11。
2 今後、いろいろな検証(BC2500年頃)がなされていくだろう。
3 現在は、ダム等で洪水の影響が少なくなっているでしょうが、
古代の生活は大変だったのだなあと思う昨今です。
4 どうやら、「太陽の船」は、増水等の際に、実際に使用されたらしい。
5 なお、シバの女王(BC10世紀頃)の出身地については、
私は、アラビア半島南部の イエメン説を支持したいと思います。
理由は、紅海とナイル川を結ぶ運河が、後の、ペルシア帝国
の時代(BC6世紀頃)に建設されたこと、後世に、スエズ運河
がフランス、イギリスによって運営されたこと(1869年)、
インド航路等、
紅海の交易上の観点を、地中海同様、重視するからです。
アデン、コーヒー、ハラル(ランボー),新しい花。
アール・ヌーボー(1883)。
エッフェル塔(1889年)、パリ万博。
オベリスク(BC1500年頃)、仏塔?
宝塔品第11。
2014年1月29日に日本でレビュー済み
ピラミッドに先立ちナイル付け替え工事説(考古学的調査の有無は不詳)がありますが、著者の一人ツッコミ(効果なし)のほうに首肯できるという態のご本です。著者はピラミッド建設の目的はナイルの流れの調節というのですが愚です。河川流に影響させるためなら最大146mもの高さ(全く立証のないノアの大洪水でもおこるのか)、内部の通路・室は不要でしょう。ポツン、ポツン(マズグーナ、ギザ間のピラミッドが全部クフ王の大ピラミッド大で同時代に存在していたとしてもカバーするのは河流の23%)で無と差がでるのか。同じ物量なら適宜な高さ、巾の堤防のほうが完全防水でないのがむしろ望ましいというのだから雑な積み上げでよく(水門も不要)よっぽど楽で有効なのではないか。それほど大事なのに当時第一の土木技術をもっていた後継のローマ帝国(帝国一の穀倉)やウマイヤ朝がメンテしなかったのはなぜか。第一ピラミッドの大部分に下部だけでも冠水したという証拠があるのか。基本的にはナイルの氾濫をメコン、わが国の河川などと同視する誤解(または故意)が問題です。時期が予測できず、一気に増水し人命などに多大な損害を与えるわけではありません。最大深度、範囲もみきっていたでしょう。古代エジプト人は水流調節の必要を何ら感じていなかったというのが正しく不要な物を作るわけはなく堤防もないのです。それからこの説の契機がテトラポッドが頂を結ぶとピラミッド形であることとその用途からなのですが、重大な誤認(故意?)があります。テトラポッドは4つ突起があることに意味があるのです(慎重な配慮なしで塊状にできる)。また、単独ではなく多数を著者がなぜか難色を示す堤防状にすることにより防潮の効果が得られます(ちなみにピラミッド状にする必要はありません)。著者はデザイナーだそうだが、グラフィックでインダストリアルではないからとでも解釈する他ありません。筑波には大規模水流実験施設もあるといいますが、モデルで実験されたとも、研究書にさかんに引用されているともききません。専門外とはいえ一応国立大学教授の肩書で発表するのなら(伝奇小説などの形式なら別段)感じだけでなく裏付けがほしいところです。著者のいうとおり日本人も定説のないことにどしどし新説を出すべきですが、真実の解明に資するのではなく混迷に導くことさえできないような説は出さないほうがいいでしょう。絶版でOKで、ピラミッドパワー(容量減少の問題はあるが、電気代の高い冷凍冷蔵庫は不要?)などピラミッドにまつわるトンデモ説をおもしろがる方以外には無用です。
2012年1月20日に日本でレビュー済み
『ピラミッドはなぜつくられたか』(高津道昭著、新潮選書。出版元品切れだが、amazonで入手可能)は、私に強い印象を刻印した本である。
「ピラミッドは王の墓ではなかった」と言われても、そう簡単に認めるわけにはいかない。それなのに、この著者は、王墓説、天文台説、日時計説、葬祭神殿説などを否定するだけにとどまらず、ピラミッド=テトラポッド説を主張しているのである。
テトラポッドは護岸用のコンクリート製4脚波消しブロックの商品名であるが、その4つの足の先を線でつなぐと正三角形になり、正四角錐のピラミッドと似ているという、いかにもグラフィック・デザイナーらしい発想がこのテトラポッド説の原点となっている。
ピラミッドの築造時期は、なぜエジプトの古王国時代に始まり中王国時代で終わっているのか。ピラミッドの形は、なぜあれほど大きな正四角錐なのか。ピラミッドの築造場所は、なぜナイル川の西岸、それも北部に集中しているのか。これらの疑問を一つずつ解いていくと、ピラミッドは、古代エジプト人に計り知れない恵みをもたらすナイル川の治水・利水のための建造物、すなわち巨大なテトラポッドであったという結論に到達する。
ピラミッド築造の真の目的は、石材・金属を産出するエジプトの東部寄りへナイル川の流路を変更させ、筏による運搬に便利ならしめること、肥沃なデルタ地帯を誕生させること、と同時に、ナイル川の氾濫を調節することにあったのである。そして、驚くべきことに、このピラミッド築造という長期的な展望に立った国家的大事業は、今から4600年前に開始され、その後1000年に亘り歴代の王によってリレー式に受け継がれていったのである。
それにしても、小さなテトラポッドからの連想で遠大なピラミッドの謎を解いてしまうとは、この著者の思考回路はどんな構造をしているのだろうか。日本人による知的探検の書として見逃すことのできない1冊である。
「ピラミッドは王の墓ではなかった」と言われても、そう簡単に認めるわけにはいかない。それなのに、この著者は、王墓説、天文台説、日時計説、葬祭神殿説などを否定するだけにとどまらず、ピラミッド=テトラポッド説を主張しているのである。
テトラポッドは護岸用のコンクリート製4脚波消しブロックの商品名であるが、その4つの足の先を線でつなぐと正三角形になり、正四角錐のピラミッドと似ているという、いかにもグラフィック・デザイナーらしい発想がこのテトラポッド説の原点となっている。
ピラミッドの築造時期は、なぜエジプトの古王国時代に始まり中王国時代で終わっているのか。ピラミッドの形は、なぜあれほど大きな正四角錐なのか。ピラミッドの築造場所は、なぜナイル川の西岸、それも北部に集中しているのか。これらの疑問を一つずつ解いていくと、ピラミッドは、古代エジプト人に計り知れない恵みをもたらすナイル川の治水・利水のための建造物、すなわち巨大なテトラポッドであったという結論に到達する。
ピラミッド築造の真の目的は、石材・金属を産出するエジプトの東部寄りへナイル川の流路を変更させ、筏による運搬に便利ならしめること、肥沃なデルタ地帯を誕生させること、と同時に、ナイル川の氾濫を調節することにあったのである。そして、驚くべきことに、このピラミッド築造という長期的な展望に立った国家的大事業は、今から4600年前に開始され、その後1000年に亘り歴代の王によってリレー式に受け継がれていったのである。
それにしても、小さなテトラポッドからの連想で遠大なピラミッドの謎を解いてしまうとは、この著者の思考回路はどんな構造をしているのだろうか。日本人による知的探検の書として見逃すことのできない1冊である。
2012年1月2日に日本でレビュー済み
現代の視点や常識で古代を見る典型的なダメ本。
この低レベルの本に感心する人がいるかぎり、この種の本で金儲けをする輩は、永久に現れ続けるでしょう。
メンデルスゾーンの説に、メッキを薄く塗りたくって新説かのように装うのは、やめてもらいたい。
ついでに言えば、帯に書かれたことについて言えば、エジプトのピラミッド全てがナイル西岸にあるわけではない、更にいえば岩窟墳墓を含むエジプトの墓が、すべてナイル西岸にあったわけでもない。
著者の他の本を見るかぎり、エジプトにかぎれば著者より先に歩いている人がいるので、他の地域で頑張ってもらいたいと思います。
この低レベルの本に感心する人がいるかぎり、この種の本で金儲けをする輩は、永久に現れ続けるでしょう。
メンデルスゾーンの説に、メッキを薄く塗りたくって新説かのように装うのは、やめてもらいたい。
ついでに言えば、帯に書かれたことについて言えば、エジプトのピラミッド全てがナイル西岸にあるわけではない、更にいえば岩窟墳墓を含むエジプトの墓が、すべてナイル西岸にあったわけでもない。
著者の他の本を見るかぎり、エジプトにかぎれば著者より先に歩いている人がいるので、他の地域で頑張ってもらいたいと思います。
2008年3月16日に日本でレビュー済み
著者は、護岸に詰まれたテトラポッドが、この作品のインスピレーションとなったことを最初に語っています。推理を伴う作品でもありますので、これ以上の言及は避けますが、古代エジプトの人にとって、ナイルの氾濫というのは災害ではなく年中行事であって、それを待って耕作を行っていたことやピラミッドがナイルの西側に集中していたりと、一つのピラミッドの不思議ではなく、ピラミッドの形や作られている場所など広い視点から捉えているのが新鮮な視点で惹きつけられました。灯台下暗しといいますか、コロンブスの卵といいますか、あっそうか、というのが読後感です。もやもやが、すっきりした気分です。
2000年12月5日に日本でレビュー済み
現在は日本中どこででも海の周りは護岸工事が行われ堤防がどんどんでき、また港や渚の周辺にはテトラポッドや消波ブロックが整然とならんでいます。これらがあるおかげで台風や暴風で起こる高波や高潮が食い止められるわけで、有るのと無いのとでは被害状況がまったくことなります。さて、この本の著者は今までにあったピラミッドに対する概念(王墓説などなど)を粉微塵に破壊してくれました。砂漠が殆どを占めるエジプトにおいて、ナイル河の氾濫によって上流からもたらされる肥沃な土がどれほど貴重な物であったか、でも水はいらなかったのです。ということで著者は各方面から綿密に調査し、そして推理をし結果としてこの本が出来上がったのでしょうが、非の打ちどころのないものとなっています。目から!ウロコがぽろぽろ落っこちました。是非皆さんも一度読んでみましょう。