本著では、IRB(Institutional Review Board)という制度を引き合いに出し、「説明の義
務を果たすことは研究者の集団のもつ閉鎖性に対して極めて重要な改革の一撃」としてい
る。この制度は、研究者が、自分の研究内容を、同業者でない、他の領域の、あるいは一
般の人々に説明し、十分納得させなければならないことを要請している。
説明の義務を果たすことに対して、科学者・研究者の集団はつい最近まで難色を示して
きた。科学者・研究者の集団は、同一の専門領域の同僚に成果を認められさえすればそれ
でよしと考え、外部社会に誰がどのように責任をとるかをあまり議論してこなかった。極
めて自己完結的な集団であり、村落共同体に例えられているのも頷ける。
一方、医療業界においては、インフォームド・コンセプトという概念が広まっており、説明
の義務を果たすことは、市民権を得ている。医師は、絶えず臨床という形で研究成果を外
部社会に還元することを求められてきたため、説明の義務を果たすことに対して抵抗感は
少なく、その点で科学者とは対極に位置しているように思われる。
話は変わるが、日本の大学では、性格の異なる医師と科学者が同じ教員という身分で籍
を置き、並存している、あるいは一人の人間が双方の役割を兼ねている。そう考えると、
極めて特殊な環境ではなかろうか。外部社会に対する説明の義務を果たそうとする医師と、
それを同業者のみにとどめようとする科学者とのせめぎ合いが、集団の内部、あるいは一
人の人間において起きるのである。
本著は、科学者・研究者の集団の行動様式や、その背後にある倫理問題について、歴史
的な観点から考察している。メッセージは率直である。新たな時代の科学者は研究環境を
透明化すべし。村上陽一郎氏は、国際基督教大学大学院教授、専門は科学史や科学哲学
(1994年執筆当時)。
プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥3,500以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
科学者とは何か (新潮選書) 単行本(ソフトカバー) – 1994/10/17
村上 陽一郎
(著)
{"desktop_buybox_group_1":[{"displayPrice":"¥1,540","priceAmount":1540.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"1,540","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"JzQ08tqoJdX5HXrEFfFtuMtZK6Kgkz0iB9kxwlGhhnsXlFnR5LNDtVaFlBnBxWmlu0HKMepZlBYVdspoQKCKAeGdmGQmMUeWWZSbqnH7fbtAJNSuHEfKXGdLZvX8ar6f9qoZo8%2FmBV8A9fazckX96s%2B0uC1yQCm3S5brV7aHNWcrgSyqwooagEW01Q7vNfYX","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"NEW","aapiBuyingOptionIndex":0}]}
購入オプションとあわせ買い
- ISBN-104106004674
- ISBN-13978-4106004674
- 出版社新潮社
- 発売日1994/10/17
- 言語日本語
- 寸法12.8 x 1.5 x 19.1 cm
- 本の長さ192ページ
よく一緒に購入されている商品
対象商品: 科学者とは何か (新潮選書)
¥1,540¥1,540
最短で6月14日 金曜日のお届け予定です
残り1点 ご注文はお早めに
¥1,320¥1,320
最短で6月14日 金曜日のお届け予定です
残り7点(入荷予定あり)
¥924¥924
最短で6月14日 金曜日のお届け予定です
残り13点(入荷予定あり)
総額:
当社の価格を見るには、これら商品をカートに追加してください。
ポイントの合計:
pt
もう一度お試しください
追加されました
一緒に購入する商品を選択してください。
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
出版社より
科学者とは何か | 人間にとって科学とは何か | |
---|---|---|
カスタマーレビュー |
5つ星のうち3.7
24
|
5つ星のうち3.7
26
|
価格 | ¥1,540¥1,540 | ¥1,320¥1,320 |
【新潮選書】村上陽一郎 作品 | 19世紀にキリスト教の自然観の枠組からはなれて誕生した科学者という職能。閉ざされた研究集団の歴史と現実。その行動規範を初めて明らかにする。 | 純粋な知的探究から発して二百年、近代科学は社会を根底から変え、科学もまた権力や利潤の原理に歪められた。人類史の転換点に立つ私たちのとるべき道とは? 地球環境、エネルギー問題、生命倫理――専門家だけに委ねず、「生活者」の立場で参加し、考え、意志決定することが必要だ。科学と社会の新たな関係が拓く可能性を示す。 |
商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
19世紀に、キリスト教の自然観の枠組からはなれて誕生した科学者という職能。科学者は研究に伴う責任をどう考えるのか。危険な一面を持つ閉ざされた研究集団の行動規範を明らかにする。
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (1994/10/17)
- 発売日 : 1994/10/17
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 192ページ
- ISBN-10 : 4106004674
- ISBN-13 : 978-4106004674
- 寸法 : 12.8 x 1.5 x 19.1 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 103,995位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 364位科学読み物 (本)
- - 23,750位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
カスタマーレビュー
星5つ中3.7つ
5つのうち3.7つ
全体的な星の数と星別のパーセンテージの内訳を計算するにあたり、単純平均は使用されていません。当システムでは、レビューがどの程度新しいか、レビュー担当者がAmazonで購入したかどうかなど、特定の要素をより重視しています。 詳細はこちら
24グローバルレーティング
虚偽のレビューは一切容認しません
私たちの目標は、すべてのレビューを信頼性の高い、有益なものにすることです。だからこそ、私たちはテクノロジーと人間の調査員の両方を活用して、お客様が偽のレビューを見る前にブロックしています。 詳細はこちら
コミュニティガイドラインに違反するAmazonアカウントはブロックされます。また、レビューを購入した出品者をブロックし、そのようなレビューを投稿した当事者に対して法的措置を取ります。 報告方法について学ぶ
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2010年6月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2014年7月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
力を持つ者(科学者)が善意で招いた惨事を糧に、如何にコントロールするかという話
まず、科学は閉ざされた世界で自由競争・発展を遂げてきた。 (宗教と結びついた医学と違い、倫理的統制はなかった)
次に、他のことが分からないが故に当人の想定外の利用をされたり、弊害も生じた。 (原子爆弾の開発・投下、公害の発生等)
結びとして、これからの科学者には総合的な判断力と部外者への説明責任が求められる。 (ノーベル賞なんか専門バカを増やすだけ。)
気になった箇所
・アインシュタイン等の科学者が「素粒子の研究はヤバイ方向に(原子爆弾)使われる」と気付き、ルーズベルト大統領に止めようとした話は緊張感が伝わってきた。
トルーマン大統領時代に原爆投下。原爆に直接関わっていなくても同じ科学者として深い反省を表した人が居たことが救いであり、最も象徴的だ。
まず、科学は閉ざされた世界で自由競争・発展を遂げてきた。 (宗教と結びついた医学と違い、倫理的統制はなかった)
次に、他のことが分からないが故に当人の想定外の利用をされたり、弊害も生じた。 (原子爆弾の開発・投下、公害の発生等)
結びとして、これからの科学者には総合的な判断力と部外者への説明責任が求められる。 (ノーベル賞なんか専門バカを増やすだけ。)
気になった箇所
・アインシュタイン等の科学者が「素粒子の研究はヤバイ方向に(原子爆弾)使われる」と気付き、ルーズベルト大統領に止めようとした話は緊張感が伝わってきた。
トルーマン大統領時代に原爆投下。原爆に直接関わっていなくても同じ科学者として深い反省を表した人が居たことが救いであり、最も象徴的だ。
2014年12月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
17世紀の科学革命で活躍したニュートンらは、現代の意味で「自然科学者」では無かった。彼らは、万物の背後にある神の偉大なる力を理解することを目的とした「哲学者」であった。現代的意味での「自然科学者」の出現は、18世紀に聖俗革命の結果である。中世以来の知的職能集団である医師、聖職者、法曹家は、神の言葉、神の愛、神の正義を具現化するための媒体であった。それに対して、自然科学者たちはそういった宗教的理由から要請される倫理規定は存在しない。彼らは専門学会を形成し、論文によって彼らのコミュニティーが形成する学問体系に対してsomething newな知見を追加していくことで身内からの評価を得る(something new-ism)。その結果、部外者には彼らの学問体系が理解され難い、極めた閉鎖的な組織(専門領域のタコツボ)を作り上げた。このような科学者の姿勢が、原子爆弾の開発、遺伝子工学、環境問題を前に揺るがされている。著者は本書を通じて、このような立場に立たされた科学者達に対して、社会と人類とに対して責任を持つことを求めている。
2019年6月6日に日本でレビュー済み
科学史の専門家が書いた本ですが、科学者の倫理問題や、科学者の集団としてのあるべき姿や理想が書かれている。もう少し、科学史に焦点を当て、文化史としての科学史の観点から、「科学者とは何か」を論じた方が良かった。
2006年3月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
科学者が世の中に登場したいきさつが非常によく分かる.キリスト教がまだ「生きていた」中世で科学を行うことがどういうことだったのか,今でいう科学者や数学者は「哲学者」だと考えられていた経緯は実に興味深かった.今でも欧米で自然科学の博士号がPh.D.(哲学博士)と呼ばれる一端が理解できた.マンハッタン計画に関与した科学者の中にも推進派と抑制派がいて,そこで繰り広げられた政治的攻防を描いている章も印象的.
2013年10月13日に日本でレビュー済み
科学者という存在が、いつどのように生まれ、どんな行動原理を持つのか、そこに存在する問題はなにか、という感じの話。
特に4章「その行動原理」は、真面目に研究に取り組みたい人は必読。
取り上げられている例は理系の研究ですが、文系にも同様の現状はあると思う。
その他の部分はそんなにおもしろくないんだけど、ここだけは興味惹かれた。
特に4章「その行動原理」は、真面目に研究に取り組みたい人は必読。
取り上げられている例は理系の研究ですが、文系にも同様の現状はあると思う。
その他の部分はそんなにおもしろくないんだけど、ここだけは興味惹かれた。
2011年3月19日に日本でレビュー済み
科学者、といっても本書は自然科学者だけでなく
社会科学者や人文(科)学者も含まれます。
科学には現在でも次のような見解が根強いように
思われます。
つまり
絶対に正しい理論はないが、絶対に間違っている理論はある、
というものです。例えばマルクス主義者からみれば共産主義は
絶対に正しいとはいえないが資本主義と社会民主主義は絶対に
間違っているといえる、ということです。
例えば地震を予知することはできないが、3月9日以降の
スーパームーンに月の引力で地震が起こることは絶対にない、と
いうことです。
ほかに、大きな間違いをしたものよりも小さな間違いのほうが科学的
には糾弾されるべきという見解もあります。
無論アイロニカルに述べていますし稲葉振一郎氏は
上に述べた思考法をとっているようですが。
果たしてそうなのか。本書はそれを揺さぶるとともに読むもの自身
の思想をも揺さぶるものとなりましょう。
社会科学者や人文(科)学者も含まれます。
科学には現在でも次のような見解が根強いように
思われます。
つまり
絶対に正しい理論はないが、絶対に間違っている理論はある、
というものです。例えばマルクス主義者からみれば共産主義は
絶対に正しいとはいえないが資本主義と社会民主主義は絶対に
間違っているといえる、ということです。
例えば地震を予知することはできないが、3月9日以降の
スーパームーンに月の引力で地震が起こることは絶対にない、と
いうことです。
ほかに、大きな間違いをしたものよりも小さな間違いのほうが科学的
には糾弾されるべきという見解もあります。
無論アイロニカルに述べていますし稲葉振一郎氏は
上に述べた思考法をとっているようですが。
果たしてそうなのか。本書はそれを揺さぶるとともに読むもの自身
の思想をも揺さぶるものとなりましょう。
2021年7月12日に日本でレビュー済み
とある図書館で処分品として一冊30円程で売っていて購入しました。村上氏は科学史、科学哲学とか、そういう分野を研究されている方で東大とかICUで教えていらっしゃった方。科学論をテーマに現代文の問題で取り上げられることも多いですね。
読みましたがこれが非常に面白かったです。
内容を極々簡単に言えば、本作は、科学者の倫理はどうあるべきか、という本です。
まずは科学史が非常に興味深い。
当初は科学者は単なる同好の士であったこと、更には職能集団として機能し、その口伝の中で倫理も伝えられていったこと。大学での教育を経るも19世紀までは神への誓いとして職業倫理が保たれていたそう。困った人を助ける医学、弱い人と助ける法学、そしてそれはすべて神の召命につながっている、と。
ところが市民革命以降は神命への遡及は廃れ、個別科学の深化も進み、学会という同胞組織ではピア・レビューなどでこっそり成果横取りなどという輩が現れ、科学者の研究は他人を出し抜いて新たな成果を発表するという性格が出てきたと言います。
他方で、科学界がその内部だけで安住できる時代は終わったことが示唆されます。自分の研究成果が明らかに外部世界を改変するということです。
顕著な例は原爆です。第二次世界大戦中の亡命科学者のシラードが原子力の軍事利用を阻止するべくアインシュタインらの協力を仰ぎつつ当局に働きかけるも、逆に米国は軍事利用を進める形になりました。原爆の結果、研究を自らやめた学者も居たそうです。科学の研究を他人が利用することで害悪が及ぶことがある、と科学者自身が認知し始めました。
また、科学者が外部への説明責任を果たさざるを得ないことも明示しています。
日本で大学院生活を送った方には馴染み深いかもしれません。所謂学振や科研費の減少も加え、部外者に対して研究の意義や有効性について説明する必要が迫られるようになったということです。
つまり、科学者は自らの研究の外部的インパクトについて想定せねばならない。場合によってはその倫理的スタンスについても整理するべき。また、研究費を獲得するため、自らの研究の意義を門外漢にも伝える努力が必要である、と言えます。
さて、勘の良い方は薄々気づくと思いますが、こうしたことは何も科学者に限らないと思いませんか。
自分の仕事が周囲にどのようなインパクトがあるか、そして自分の仕事の意義や結果について自己レビューをするって、これは世の仕事人がやっている・やらねばならないことそのものではないでしょうか。
仕事の外部的インパクトについては、サラリーマンだとあまり考えないかもしれません。でも、年端もゆかない子どもに自分の仕事の内容を聞かれたらどうでしょう。パパの仕事って何なのと。そういう視点で考えると、自分の仕事の外部インパクトについて整理できそうな気がします。
成果についての説明責任についてはこれまたサラリーマンが毎年やっているものですね。年次レビューとかKPIとか呼び名は色々ありますが、サラリーを支払う人への説明責任ってありますよね。
そうしたことを考えると、本作で問われている科学者の倫理は科学者に限ったことではないような気がしてくるのです。
・・・
筆者は最後に科学者は『社会と人類にたいして責任をもつ』べきと述べています(P.181)。
上で書いた通り、私はこれは科学者に限らずに問いうることであると思います。倫理というのは明文化された法律ではないので強制はできません。ですので、倫理感を持つとはある意味でこうした説明責任を(誰にも強制されないなかで)果たしていく、という事なのかもしれません。一方、金銭という誘惑が常にこの倫理観を曲げようとしているようにも思えます。
自分は今、社会と人類にたいして責任をもって仕事をしているか? 自分の立ち位置や日々の仕事の仕方、将来への展望をも省察する機会となった良い作品でした。科学史系の本としても純粋に面白い本です。あ、あと大学院に進学したい方は読んでおいて絶対損はないと思います。特に理系の方。
読みましたがこれが非常に面白かったです。
内容を極々簡単に言えば、本作は、科学者の倫理はどうあるべきか、という本です。
まずは科学史が非常に興味深い。
当初は科学者は単なる同好の士であったこと、更には職能集団として機能し、その口伝の中で倫理も伝えられていったこと。大学での教育を経るも19世紀までは神への誓いとして職業倫理が保たれていたそう。困った人を助ける医学、弱い人と助ける法学、そしてそれはすべて神の召命につながっている、と。
ところが市民革命以降は神命への遡及は廃れ、個別科学の深化も進み、学会という同胞組織ではピア・レビューなどでこっそり成果横取りなどという輩が現れ、科学者の研究は他人を出し抜いて新たな成果を発表するという性格が出てきたと言います。
他方で、科学界がその内部だけで安住できる時代は終わったことが示唆されます。自分の研究成果が明らかに外部世界を改変するということです。
顕著な例は原爆です。第二次世界大戦中の亡命科学者のシラードが原子力の軍事利用を阻止するべくアインシュタインらの協力を仰ぎつつ当局に働きかけるも、逆に米国は軍事利用を進める形になりました。原爆の結果、研究を自らやめた学者も居たそうです。科学の研究を他人が利用することで害悪が及ぶことがある、と科学者自身が認知し始めました。
また、科学者が外部への説明責任を果たさざるを得ないことも明示しています。
日本で大学院生活を送った方には馴染み深いかもしれません。所謂学振や科研費の減少も加え、部外者に対して研究の意義や有効性について説明する必要が迫られるようになったということです。
つまり、科学者は自らの研究の外部的インパクトについて想定せねばならない。場合によってはその倫理的スタンスについても整理するべき。また、研究費を獲得するため、自らの研究の意義を門外漢にも伝える努力が必要である、と言えます。
さて、勘の良い方は薄々気づくと思いますが、こうしたことは何も科学者に限らないと思いませんか。
自分の仕事が周囲にどのようなインパクトがあるか、そして自分の仕事の意義や結果について自己レビューをするって、これは世の仕事人がやっている・やらねばならないことそのものではないでしょうか。
仕事の外部的インパクトについては、サラリーマンだとあまり考えないかもしれません。でも、年端もゆかない子どもに自分の仕事の内容を聞かれたらどうでしょう。パパの仕事って何なのと。そういう視点で考えると、自分の仕事の外部インパクトについて整理できそうな気がします。
成果についての説明責任についてはこれまたサラリーマンが毎年やっているものですね。年次レビューとかKPIとか呼び名は色々ありますが、サラリーを支払う人への説明責任ってありますよね。
そうしたことを考えると、本作で問われている科学者の倫理は科学者に限ったことではないような気がしてくるのです。
・・・
筆者は最後に科学者は『社会と人類にたいして責任をもつ』べきと述べています(P.181)。
上で書いた通り、私はこれは科学者に限らずに問いうることであると思います。倫理というのは明文化された法律ではないので強制はできません。ですので、倫理感を持つとはある意味でこうした説明責任を(誰にも強制されないなかで)果たしていく、という事なのかもしれません。一方、金銭という誘惑が常にこの倫理観を曲げようとしているようにも思えます。
自分は今、社会と人類にたいして責任をもって仕事をしているか? 自分の立ち位置や日々の仕事の仕方、将来への展望をも省察する機会となった良い作品でした。科学史系の本としても純粋に面白い本です。あ、あと大学院に進学したい方は読んでおいて絶対損はないと思います。特に理系の方。