今現在使われている日本語、辞書、言葉の意味
ずっと以前からこんな風だった、と思っている方も多いことでしょう
ところが、ところが、違うのです
その中でも江戸期~明治期
文法に大きな違いはありませんが使われる単語、その意味、用法など大きな変化があったのです
本書で初めて知って驚いたのは『辞書』の変化です
国語辞典は勿論、英和辞典も興味深いです
専門的な説明もありますのでやや難しい内容ではありますが
自分が使っている日本語が元々はどんな言葉だったのか、それが明治期にどのように変化したのか
興味のある方には是非お薦めの一冊です
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
日本語のミッシング・リンク: 江戸と明治の連続・不連続 (新潮選書) 単行本 – 2014/3/28
今野 真二
(著)
同じ日本語なのに、江戸時代と現代では、なぜこんなにも違うのか? ――「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」―例えば、この芭蕉の言葉も現在の日本語とはずいぶん違う。では、いつ、どのように変化を遂げたのか? 「中間の時代」である明治期に注目し、「漢字・漢語=漢文脈」をキー・ワードに、その“断層”を探る。言葉が変りゆく現場を実感する、国語学のユニークかつ精緻なる冒険!
- 本の長さ303ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2014/3/28
- ISBN-104106037440
- ISBN-13978-4106037443
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2014/3/28)
- 発売日 : 2014/3/28
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 303ページ
- ISBN-10 : 4106037440
- ISBN-13 : 978-4106037443
- Amazon 売れ筋ランキング: - 777,914位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 10,697位日本語 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2022年1月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本語に革命が起きてることをもっと日本人は知るべき。
それこそ「武家の草書」から「王朝の楷書」への変化は庶民にとっては尋常ならざるもの。
識字率云々を語る人はそのへんを理解できてない方が非常に多い。
この本は当然の重大な事実を書いてるわけで日本国民は必携すべきレベルですね
それこそ「武家の草書」から「王朝の楷書」への変化は庶民にとっては尋常ならざるもの。
識字率云々を語る人はそのへんを理解できてない方が非常に多い。
この本は当然の重大な事実を書いてるわけで日本国民は必携すべきレベルですね
2018年8月1日に日本でレビュー済み
本書は主に江戸の終わりから明治の終わりまでの日本語を取り上げて、そこに生まれた思想や新しい日本語の書法などの変遷について著したものである。
何より嬉しいのが、資料写真が豊富で、原典に当たるのが非常に容易なこと。
気になった本についてはさらに自分で調べることが出来るのでありがたい。
当時の日本語にはまだ正書法もなく、色々な人が手探りで新たな日本語を求めていた。言文一致がその中でも重要な役割を占める。
その中でも言文一致という書を上梓した物集高見について知ることは欠かせない。
ただ、物集高見が志した言文一致はあまり上手く行かない。物集の書いた言文一致を読んだ限りではデアル体もデスマス体も読点が多いことを除けば十分通用するように見えるが、まださまざまな難点があったようだ。
日本で使う漢字の数は二千か三千ほどにすべし、と福沢諭吉が言ったように、前島密が漢字は廃止すべきと言ったように、明治日本は漢文脈から抜け出てゆく過程にあった。
漢語にも耳で聞いてわからないものもあれば、生活に馴染んでもはや日本の言葉に近いものもあり、明治の学者たちはどのような単語を用いるべきか、どのように日本語を書くべきか真剣に考え続ける。
色々な人たちが最も大きなターニングポイントでもがいていた。この時代の日本語を知ることは、現代の日本語を知る上で欠かせないだろう。
本書を楽しむためには、ある程度変体かなを読めたほうがよい。もちろん字訳はしてくれているので何も心配いらないが、自分で読めるともっと楽しい。
何より嬉しいのが、資料写真が豊富で、原典に当たるのが非常に容易なこと。
気になった本についてはさらに自分で調べることが出来るのでありがたい。
当時の日本語にはまだ正書法もなく、色々な人が手探りで新たな日本語を求めていた。言文一致がその中でも重要な役割を占める。
その中でも言文一致という書を上梓した物集高見について知ることは欠かせない。
ただ、物集高見が志した言文一致はあまり上手く行かない。物集の書いた言文一致を読んだ限りではデアル体もデスマス体も読点が多いことを除けば十分通用するように見えるが、まださまざまな難点があったようだ。
日本で使う漢字の数は二千か三千ほどにすべし、と福沢諭吉が言ったように、前島密が漢字は廃止すべきと言ったように、明治日本は漢文脈から抜け出てゆく過程にあった。
漢語にも耳で聞いてわからないものもあれば、生活に馴染んでもはや日本の言葉に近いものもあり、明治の学者たちはどのような単語を用いるべきか、どのように日本語を書くべきか真剣に考え続ける。
色々な人たちが最も大きなターニングポイントでもがいていた。この時代の日本語を知ることは、現代の日本語を知る上で欠かせないだろう。
本書を楽しむためには、ある程度変体かなを読めたほうがよい。もちろん字訳はしてくれているので何も心配いらないが、自分で読めるともっと楽しい。
2016年10月19日に日本でレビュー済み
真正面から、明治以降の「日本語」を、近代「日本」語の成立を扱った本だ。
fact 事実をベースに考えるには欠かせない読み物だ。
1.近代言語と近代国家は表裏一体だ。そういう意味で、廃藩置県という中央集権制の成立は「日本語」を大きく変容どころか、「誕生」させたに違いない。
2.本書では「ミッシング・リング」の背後にある意味について「連続していることが期待されている」と「連続していないようにみえる」ことの両者があるからこそ「 missing link 」というのだとして、江戸の日本語と現代日本語の連続性を明治にさぐるとしている。
3.最近は遺物や遺跡を研究する術も整ってきたが、いわゆるオーソドックスな歴史は歴然と、次々とおこることを「ふみ」にとどめるものであって、つまりは、連続性ある人の歩みを、時々に、f断続して記録されていいったものを点検するものだ。逆に言えば、記録されたもの、書かれたものがなければ成立しない。そういった意味で、言語の歴史はメタ歴史だ。
4.書き遺されたものがなければ、歴史が失われたも同然だし、書き言葉の歴史は尚更のことそうだ。でも、書かれたもが失われたのか、書かれたものがそもそもないのか、分からない。書かれたものがなかったとしたとき、書き言葉だけでなく、そもそも言葉がなかったのか、奪われたのか、微妙なところだ。
5.そもそも、書き言葉、言葉は、「恵まれた」に人々だけが使ってきたものだ。歴史が支配者、権力者に偏るといわれる所以だ。書き言葉、言葉そのものが、とりわけ「前近代」においては、そもそもから、書き言葉、言葉をもつ支配者、権力者に偏ている。
6.近代国家は、基本的に「四民平等」の名のもと、国民を創出し、国語を創出した。義務教育はもとより、国民皆兵制もしくは、国民軍の創出などによって、「全国」的な言語、「国語」の平準化が、初めて、そして驚くほど、加速度的に進行した。
7.本書は日本語の「大衆化」、「勃興」の其処彼処を、序章の江戸の教育から、第一章、明治の漢洋兼才の人たちを経て、第二章の漢文脈から離脱し、第三章でラジカルな仮名専用論にいたり、ついには第四章で洗練した、日本語を英語につなげる辞書編纂、そして、第五章、言文一致、すなわちは今のことばに向かい、第六章では鴎外と漱石を対比して、あの時代、明治を案内してくれる。
8.そして「あとがき」はそもそもの元の起承転結から説き起こし、終いには岩波の「科学」でしめくくる、味のあるエッセイになっている。
fact 事実をベースに考えるには欠かせない読み物だ。
1.近代言語と近代国家は表裏一体だ。そういう意味で、廃藩置県という中央集権制の成立は「日本語」を大きく変容どころか、「誕生」させたに違いない。
2.本書では「ミッシング・リング」の背後にある意味について「連続していることが期待されている」と「連続していないようにみえる」ことの両者があるからこそ「 missing link 」というのだとして、江戸の日本語と現代日本語の連続性を明治にさぐるとしている。
3.最近は遺物や遺跡を研究する術も整ってきたが、いわゆるオーソドックスな歴史は歴然と、次々とおこることを「ふみ」にとどめるものであって、つまりは、連続性ある人の歩みを、時々に、f断続して記録されていいったものを点検するものだ。逆に言えば、記録されたもの、書かれたものがなければ成立しない。そういった意味で、言語の歴史はメタ歴史だ。
4.書き遺されたものがなければ、歴史が失われたも同然だし、書き言葉の歴史は尚更のことそうだ。でも、書かれたもが失われたのか、書かれたものがそもそもないのか、分からない。書かれたものがなかったとしたとき、書き言葉だけでなく、そもそも言葉がなかったのか、奪われたのか、微妙なところだ。
5.そもそも、書き言葉、言葉は、「恵まれた」に人々だけが使ってきたものだ。歴史が支配者、権力者に偏るといわれる所以だ。書き言葉、言葉そのものが、とりわけ「前近代」においては、そもそもから、書き言葉、言葉をもつ支配者、権力者に偏ている。
6.近代国家は、基本的に「四民平等」の名のもと、国民を創出し、国語を創出した。義務教育はもとより、国民皆兵制もしくは、国民軍の創出などによって、「全国」的な言語、「国語」の平準化が、初めて、そして驚くほど、加速度的に進行した。
7.本書は日本語の「大衆化」、「勃興」の其処彼処を、序章の江戸の教育から、第一章、明治の漢洋兼才の人たちを経て、第二章の漢文脈から離脱し、第三章でラジカルな仮名専用論にいたり、ついには第四章で洗練した、日本語を英語につなげる辞書編纂、そして、第五章、言文一致、すなわちは今のことばに向かい、第六章では鴎外と漱石を対比して、あの時代、明治を案内してくれる。
8.そして「あとがき」はそもそもの元の起承転結から説き起こし、終いには岩波の「科学」でしめくくる、味のあるエッセイになっている。