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ひねくれ古典『列子』を読む (新潮選書) 単行本 – 2014/7/25
円満字 二郎
(著)
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知られざる「諸子百家」の異端! その痛快無比なる面白さ――。死なない方法を見つけた男、ウィンクするアンドロイド、人格の入れ替え譚、あべこべ病、天が抜け落ちる「杞憂」……アイロニカルで残酷、そして突拍子もないユーモア、現代の我々をも十二分に魅了するストーリーテラーぶり。論理立った正論の儒家、逆説の無為を説く老荘思想、そのどちらでもない第三の道を行く列禦寇の世界。
- 本の長さ236ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2014/7/25
- ISBN-10410603753X
- ISBN-13978-4106037535
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2014/7/25)
- 発売日 : 2014/7/25
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 236ページ
- ISBN-10 : 410603753X
- ISBN-13 : 978-4106037535
- Amazon 売れ筋ランキング: - 278,523位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 10,069位哲学・思想 (本)
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2021年3月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
目の前で語りかけるような口調で、とっつきにくい中国の古典を紹介してくれる。深い内容を分かりやすく説明する才能はすごい。一つ一つの漢語の解釈にも深い造詣が感じられて、もっと早く読んでおけばよかったと思わせる。思想の入門書というより奇談集といってもよく、中国古典のふところの深さ、おもしろさを知ることができる。
2022年1月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
叙述が「ひねくれ」ているのか、せっかくの列子のエピソードが微妙に分かりづらい。事実と著者の妄想が混ざってなんとも言えない。なにより、この本を読んで列子を読みたくならないのが一番不味いところかな。
2015年1月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
老子、莊子に竝ぶ老莊思想の一とされる古典書「列子」の中から著者が拔萃したものを分かりやすく紹介する。
岩波文庫の論語・孟子などの註釋書に見られるやうな學術的、專門的な解説・註釋ではなく、一般讀者の爲の「讀み物」としての解説であるため學術・專門的な理解はむづかしいがそのぶん分かりやすく「お話」としてすんなり入つてくる。
列子を解讀し教養や古典書として讀むには入門程度にも及ばないが、お話としての讀み方、樂しみ方を提供してくれるので、難しく取つ附きにくいイメージの漢文に親しむには丁度よい導入書にならう。
岩波文庫の論語・孟子などの註釋書に見られるやうな學術的、專門的な解説・註釋ではなく、一般讀者の爲の「讀み物」としての解説であるため學術・專門的な理解はむづかしいがそのぶん分かりやすく「お話」としてすんなり入つてくる。
列子を解讀し教養や古典書として讀むには入門程度にも及ばないが、お話としての讀み方、樂しみ方を提供してくれるので、難しく取つ附きにくいイメージの漢文に親しむには丁度よい導入書にならう。
2015年1月4日に日本でレビュー済み
「(孫陽という名の)伯楽(馬の良否をよく見分ける人)は、あるとき、(秦の君主の)穆公から後継者の推薦を頼まれました。・・・『それがしのところに、荷物運びをしたりたきぎ取りをしたりする、九方皐という者がおります。馬を見抜く能力は、それがしに劣るものではありません。ぜひ、彼をお試しください』。伯楽は、自分の子どもたちを差し置いて、意外なことに下働きの男を推薦したのです。穆公は、早速、彼に実際に会った上で、名馬を探しに行かせました。3か月の後、九方皐は戻ってきました。『いい馬を見つけましたので、都の近くの沙丘というところまで連れてきておきました』という報告です。穆公が『どんな馬だ?』と尋ねると、『雌馬で黄色です』という答えです。ところが、実際に取りに行かせてみると、雄で黒い馬だったのです。その知らせを受けた穆公が不機嫌になったのは、いうまでもありません。伯楽を呼び出して、なじりました。――失敗だったな。そなたの推薦で馬を探しに行かせた者は、毛色や性別さえ間違えてしまったぞ。そんなヤツが、いったいどんな馬を鑑定できるというんだ!」。
「そう言われた伯楽は、大きく深いため息をつきました。ただ、そのため息は、九方皐がしくじったのを嘆くため息ではありませんでした。伯楽は、九方皐の能力に驚いたのです。――なんとまあ、そこまで達しましたか! それこそが、それがしの千倍にも万倍にもなろうかという、測り知れないほどの能力の現れなのです。毛色や性別さえ間違えるのにここまで大絶賛するのは、どうしてでしょうか? わけがわからないですよね。穆公も、キツネにつままれたような気分だったことでしょう。伯楽は、九方皐が観察しているのは、馬の『天機』なのだ、と言います。『天機』とは、<天から与えられた機能>といった意味ですから、潜在能力だと考えればよいでしょう。その潜在能力を見抜くにはどうすればよいかというと、最も大切な部分だけを見て、どうでもいい部分は気に掛けない。馬の内面に隠れているものを観察して、外面的な特徴は気にしないようにする、というのです。――見るべきところを見て、見る必要のないところは見ないようにします。注意して見るべきところを注意して見て、注意して見る必要のないところは放っておくのです。つまり、毛色や性別などという瑣末なことを気に掛けていると、馬の潜在能力を見誤ることになる、と伯楽は言っているのです。伯楽は、九方皐の能力についての説明を、次のように結んでいます。――九方皐が馬を見抜く方法には、馬なんかよりも大切なことがあるのですよ。『馬より貴き者』とは、何なのでしょうか。馬の途方もない潜在能力を言っているのでしょうか。それを見抜く九方皐の能力でしょうか。それとも、<外見に惑わされるな>という、あらゆるものごとに通じる教えでしょうか。穆公も、その意味を考えさせられたことでしょう。そこへ、問題の馬が引き入れられてきて、このお話は終わります」。
「馬至(馬至る)。果天下之馬也(果たして天下の馬なり)。――鮮やかな幕切れですね!」。
列子(れっし)のストーリーテリングの名手ぶりがお分かりいただけただろうか。
「穆公が伯楽に後継者の推薦を頼むのが<起>。伯楽が推薦したのが下働きの男だった、というやや奇抜な<承>。その九方皐が、しかし毛色も性別も間違ってしまうという意外な展開が<転>。そして、それこそが九方皐の能力の現れだという、どんでん返しの<結>。いわゆる<起承転結>が整った、まことによくできたお話です」。
「ありそうにもないことを、おもしろく語って見せる。現実離れはしているけれど、よく考えて見ると真理の一面を鋭く捉えている。そんな<変化球>が、得意なのです」。
「奇抜な設定で始まり、巧みな構成で展開して、ちょっとひねくれた結末を付ける。私の見るところ、それが、『列子』の基本的なパターンです。ただ、登場人物たちの設定がうまいことも、忘れてはいけません。今風に言えば、<キャラが立っている>のです」。
列子という思想家を知らなかった私にとって、『ひねくれ古典「列子」を読む』(円満字二郎著、新潮選書)は大きな収穫であった。列子という人物と、その思想がまとめられている『列子』という書物のことが、分かり易く述べられているからである。
<正論>の孔子・孟子、<逆説>の老子・荘子に対して、列子を<ひねくれ者>と著者は位置づけているが、私には、<ひねくれ者>というよりも<ひねりを利かせるのが得意な人>という印象が強い。
「『列子』とは、いわゆる老荘思想の書物で、列禦寇(れつぎょこう)という人の思想をまとめたもの、ということになっています。しかし、『老子』や『荘子』が名高く、愛読者も数多いのにくらべると、『列子』はそれほどの人気はありません。では『列子』はおもしろくないのかというと、そんなことはありません。ひとたびページを開くと、ユニークな人物や常識外れのできごとが、次々に登場します。・・・『列子』からは、「杞憂」や「朝三暮四」、そして「多岐亡羊」といった数多くの故事成語が生まれています。つまり、『列子』はいわゆる<名著>ではないけれど、独特の魅力を持つ書物なのです」。本当に、そのとおりである。
「『列子』という書物は、列子という人物が亡くなったあと、長い時間をかけてできあがった、と考えるしかないようです。列子にまつわるエピソードを出発点としながら、列子とは無関係なお話まで集めてできあがったのが、『列子』という書物なのでしょう」。
ここで、儒教と老荘思想について復習しておこう。「儒教では、社会の秩序を大切にします。現代風にいえば、礼儀正しく、守るべき道徳は守り、思いやりの心を忘れず、豊かな教養を身につけて、人の役に立つ立派な社会人になりましょう、というのです。・・・それに対して、老荘思想は、相対的な価値観を否定し、知恵や教養を排斥して、<自然のまま>の状態に戻ろうとします。儒教と相容れないことは、言うまでもありません。そこで、老荘思想は、儒教を鋭く批判することになりました。礼儀だの道徳だのと言っているから、この世がとかく生きにくくなる。そういった束縛から解放されてこそ、安らかなほんとうの暮らしが送れるはずだ、と訴えるのです」。
「老荘思想では<自然のまま>であることを尊びますから、<意識して何かをする>ことを嫌います」。「老荘思想は、観念の世界に飛翔することで、混乱した現実から逃れ出ようとします。そこで、あくまで<現実>にしがみつく儒教を強く批判することになるのです」。
<自然のままであれ>、<無為こそベスト>、<儒教は建て前>という老荘思想が『列子』の基底を成していることを、本書が痒い所に手が届くように教えてくれるのだ。
「そう言われた伯楽は、大きく深いため息をつきました。ただ、そのため息は、九方皐がしくじったのを嘆くため息ではありませんでした。伯楽は、九方皐の能力に驚いたのです。――なんとまあ、そこまで達しましたか! それこそが、それがしの千倍にも万倍にもなろうかという、測り知れないほどの能力の現れなのです。毛色や性別さえ間違えるのにここまで大絶賛するのは、どうしてでしょうか? わけがわからないですよね。穆公も、キツネにつままれたような気分だったことでしょう。伯楽は、九方皐が観察しているのは、馬の『天機』なのだ、と言います。『天機』とは、<天から与えられた機能>といった意味ですから、潜在能力だと考えればよいでしょう。その潜在能力を見抜くにはどうすればよいかというと、最も大切な部分だけを見て、どうでもいい部分は気に掛けない。馬の内面に隠れているものを観察して、外面的な特徴は気にしないようにする、というのです。――見るべきところを見て、見る必要のないところは見ないようにします。注意して見るべきところを注意して見て、注意して見る必要のないところは放っておくのです。つまり、毛色や性別などという瑣末なことを気に掛けていると、馬の潜在能力を見誤ることになる、と伯楽は言っているのです。伯楽は、九方皐の能力についての説明を、次のように結んでいます。――九方皐が馬を見抜く方法には、馬なんかよりも大切なことがあるのですよ。『馬より貴き者』とは、何なのでしょうか。馬の途方もない潜在能力を言っているのでしょうか。それを見抜く九方皐の能力でしょうか。それとも、<外見に惑わされるな>という、あらゆるものごとに通じる教えでしょうか。穆公も、その意味を考えさせられたことでしょう。そこへ、問題の馬が引き入れられてきて、このお話は終わります」。
「馬至(馬至る)。果天下之馬也(果たして天下の馬なり)。――鮮やかな幕切れですね!」。
列子(れっし)のストーリーテリングの名手ぶりがお分かりいただけただろうか。
「穆公が伯楽に後継者の推薦を頼むのが<起>。伯楽が推薦したのが下働きの男だった、というやや奇抜な<承>。その九方皐が、しかし毛色も性別も間違ってしまうという意外な展開が<転>。そして、それこそが九方皐の能力の現れだという、どんでん返しの<結>。いわゆる<起承転結>が整った、まことによくできたお話です」。
「ありそうにもないことを、おもしろく語って見せる。現実離れはしているけれど、よく考えて見ると真理の一面を鋭く捉えている。そんな<変化球>が、得意なのです」。
「奇抜な設定で始まり、巧みな構成で展開して、ちょっとひねくれた結末を付ける。私の見るところ、それが、『列子』の基本的なパターンです。ただ、登場人物たちの設定がうまいことも、忘れてはいけません。今風に言えば、<キャラが立っている>のです」。
列子という思想家を知らなかった私にとって、『ひねくれ古典「列子」を読む』(円満字二郎著、新潮選書)は大きな収穫であった。列子という人物と、その思想がまとめられている『列子』という書物のことが、分かり易く述べられているからである。
<正論>の孔子・孟子、<逆説>の老子・荘子に対して、列子を<ひねくれ者>と著者は位置づけているが、私には、<ひねくれ者>というよりも<ひねりを利かせるのが得意な人>という印象が強い。
「『列子』とは、いわゆる老荘思想の書物で、列禦寇(れつぎょこう)という人の思想をまとめたもの、ということになっています。しかし、『老子』や『荘子』が名高く、愛読者も数多いのにくらべると、『列子』はそれほどの人気はありません。では『列子』はおもしろくないのかというと、そんなことはありません。ひとたびページを開くと、ユニークな人物や常識外れのできごとが、次々に登場します。・・・『列子』からは、「杞憂」や「朝三暮四」、そして「多岐亡羊」といった数多くの故事成語が生まれています。つまり、『列子』はいわゆる<名著>ではないけれど、独特の魅力を持つ書物なのです」。本当に、そのとおりである。
「『列子』という書物は、列子という人物が亡くなったあと、長い時間をかけてできあがった、と考えるしかないようです。列子にまつわるエピソードを出発点としながら、列子とは無関係なお話まで集めてできあがったのが、『列子』という書物なのでしょう」。
ここで、儒教と老荘思想について復習しておこう。「儒教では、社会の秩序を大切にします。現代風にいえば、礼儀正しく、守るべき道徳は守り、思いやりの心を忘れず、豊かな教養を身につけて、人の役に立つ立派な社会人になりましょう、というのです。・・・それに対して、老荘思想は、相対的な価値観を否定し、知恵や教養を排斥して、<自然のまま>の状態に戻ろうとします。儒教と相容れないことは、言うまでもありません。そこで、老荘思想は、儒教を鋭く批判することになりました。礼儀だの道徳だのと言っているから、この世がとかく生きにくくなる。そういった束縛から解放されてこそ、安らかなほんとうの暮らしが送れるはずだ、と訴えるのです」。
「老荘思想では<自然のまま>であることを尊びますから、<意識して何かをする>ことを嫌います」。「老荘思想は、観念の世界に飛翔することで、混乱した現実から逃れ出ようとします。そこで、あくまで<現実>にしがみつく儒教を強く批判することになるのです」。
<自然のままであれ>、<無為こそベスト>、<儒教は建て前>という老荘思想が『列子』の基底を成していることを、本書が痒い所に手が届くように教えてくれるのだ。
2014年8月15日に日本でレビュー済み
「列士」は、老荘思想家の一人と位置付けられています。
現実的な儒教と、観念的な老荘思想は、一見、相容れない考え方のように思われます。
しかし、現実だけを見つめていては苦しすぎますし、観念の世界に閉じこもるのも危険です。
人間には、その方向が必要なのです。
中国の思想でも、実際には、儒教と老荘思想が表裏一体となって展開していきます。
ある時は儒教を掲げて社会の腐敗と戦ったその同じ人物が、
別の時には老荘思想を奉じて隠遁して我が身を守るのです。
中国の文化的枠組みはよくできています。
取足於身 游之至也 求備於物 游之不至也
足るを身に取るは 游の至りなり。
備わるを物に求むるは、游の至らざるなり
現実的な儒教と、観念的な老荘思想は、一見、相容れない考え方のように思われます。
しかし、現実だけを見つめていては苦しすぎますし、観念の世界に閉じこもるのも危険です。
人間には、その方向が必要なのです。
中国の思想でも、実際には、儒教と老荘思想が表裏一体となって展開していきます。
ある時は儒教を掲げて社会の腐敗と戦ったその同じ人物が、
別の時には老荘思想を奉じて隠遁して我が身を守るのです。
中国の文化的枠組みはよくできています。
取足於身 游之至也 求備於物 游之不至也
足るを身に取るは 游の至りなり。
備わるを物に求むるは、游の至らざるなり
2014年11月2日に日本でレビュー済み
正直に言って、列子という人が諸子百家にいたのは全く記憶に残っていませんでした。著者の愛着を持った語りで、「ひねくれ」というか「ひとひねり」な列子像がとても良く伝わってきます。それぞれの逸話の内容や背景をとても丁寧に説明してくれており、普段、漢文の古典に触れない私の様な人間にも興味深く楽しく読めました。
2014年9月30日に日本でレビュー済み
寓意に富んだ内容でありながら、手頃な訳本が極めて少ない『列子』の初めての紹介本であろう。
1.非常に平易に解説してあるが、砕け過ぎて漫画本的な俗語が出てくるのが良くない。
2.視覚的にパッとしない。書き下し文を太字にするなど、めりはりを付けると良いだろう。
3.参考文献の解説が詳しいが、抄訳版ではあるが最も入手しやすい『新書漢文大系24 列子』(明治書院、2004)
がなぜか取り上げられていない。疑問を感ずる。
1.非常に平易に解説してあるが、砕け過ぎて漫画本的な俗語が出てくるのが良くない。
2.視覚的にパッとしない。書き下し文を太字にするなど、めりはりを付けると良いだろう。
3.参考文献の解説が詳しいが、抄訳版ではあるが最も入手しやすい『新書漢文大系24 列子』(明治書院、2004)
がなぜか取り上げられていない。疑問を感ずる。