ゴーダマ、つまりお釈迦様は、本当はどうだったのか?なぜ、われわれ、日本人は寺院に行き、仏像を拝むのか?
人間として、お釈迦様をとらえて、本当にそんな人がいたのか?それが真実なら、彼は何を悟ったのか、そして心の幸福を得た、どのようにしてそれを得たのか。そこまで突き詰めないと、現代のわれわれは、得心がえられない。
悟った、人、ブッダハは、別にそれを広めようとしなかった。「梵天勧請」をうけ、それならば、もしかしたら、私のように、泥からはいだし、水を潜り抜け、天上に蓮の花を咲かす前に、潰えてしまう人々がいるのなら、それらの人に手を差し伸べるのも悪くはないことだ。
これが、まさに仏教の始まりであるなど、非常に面白い対話集になっている。
対話の中から、インドアーリア語に属する、パーリー語、やサンスクリット語が、ヨーロッパ圏の人々には、理解しやすかった。
したがって、ハラリのように、率直に、お釈迦様が、心の鍛錬により、覚醒することができたと、核心を突くことができるのは、もっともなはなしなのだろう。
バイアスがないからである、強靭な心と意志こそが、悟りへの道である。
なるほど、死の寸前までの苦行のはてに、ミルク粥で完全に立ち直った、お釈迦様は、その強い心と意志を瞑想の中に、振り向ける。
ここまでは、人間、ゴーダマさんの苦労が良くわかる、常人では無理だ、これもそのとうりである。
悟りの階梯は、図で説明するなど、本当に助かる。
日本のお坊さんの悪いところは、自分自身は、どの階梯にも達していないのに、文字で説明しようとするところだ。
これでは、オームの麻原彰晃にだまさられる人が出てくるわけである。
宮崎さんも、もし、麻原があのように、邪悪な心でなく、普通の人であれば、ひとつの教団が出来ていたかもしれないと、会話の中で言及している。まさに、日本の仏教に欠けていた点を逆手にマーラ・麻原にとらえられたのである。
京都にゆくと、立派な寺院が立ち並び、拝観料なるものを、取り、女犯をおかし、酒をくらい、人々に説教をたれ、自分がまさに、渇愛の中に生きているのをみると、ごまかされてはいけないという、二人の会話が心に沁みる。
いま、まさに、体を鍛えるがごとく、心の心棒を瞑想によって鍛えていこうという、新たな運動がある。
仏教の理解が、対機説法から始まったのは、良くわかる。心根がよくとも、心が弱い人。心根が悪くとも、心が強い人、(だから、悪人正気説?)など、さまざまなのだろう。二人の会話の中から、会話でなくては解らない何かを読み取って欲しい本なのである。
プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥2,000以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。
新品:
¥1,980¥1,980 税込
ポイント: 119pt
(6%)
無料お届け日:
3月30日 土曜日
発送元: Amazon.co.jp 販売者: Amazon.co.jp
新品:
¥1,980¥1,980 税込
ポイント: 119pt
(6%)
無料お届け日:
3月30日 土曜日
発送元: Amazon.co.jp
販売者: Amazon.co.jp
中古品: ¥580
中古品:
¥580

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
ごまかさない仏教: 仏・法・僧から問い直す (新潮選書) 単行本(ソフトカバー) – 2017/11/24
{"desktop_buybox_group_1":[{"displayPrice":"¥1,980","priceAmount":1980.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"1,980","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"I2Usuyzo21%2B4cLrvOm881dziEW5A4J7FAKTeMV7T0m9rfp2HUIU17oXpo5NkNtXncdImlqWY5XjqwinNmnF80G7c06ajWRzr5btfPBIIqoq2hzChPK2Gg9y74vnADX%2FEpraQhY3aJRU%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"NEW","aapiBuyingOptionIndex":0}, {"displayPrice":"¥580","priceAmount":580.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"580","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"I2Usuyzo21%2B4cLrvOm881dziEW5A4J7FnMh3kBMqxn2yjeupVpTs4gzKQHN4r2RyEwnQEr5ajMc49hVyYjr8GPhHJFvNBNBOglm2BywwUOK%2FvvCX87sKRCjeY7aDE4SN2w5VZ1VPyI2JlVle0L5Dz90pJYEWj%2FJFmb9m1O80To8CmpoSY347dQ%3D%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"USED","aapiBuyingOptionIndex":1}]}
購入オプションとあわせ買い
日本の仏教理解は、なぜかくも「いい加減」なのか――! ?
二人の仏教者が、ブッダの教えに立ち返り、根本原理から問う「最強の仏教入門」。
仏教でもっとも大切な基本が“あやふや"になっていませんか?
・どのお経が「正典」とされているのか?
・なぜ「梵天勧請」は決定的瞬間なのか?
・釈迦は本当に「十二支縁起」を悟ったのか?
・なぜ「無我」と「輪廻」は両立するのか?
・善い行いをしても「業」は生じるのか?
・時間は「未来→現在→過去」の順に流れる?
・日本仏教にはなぜ「サンガ」がないのか?
二人の仏教者が、ブッダの教えに立ち返り、根本原理から問う「最強の仏教入門」。
仏教でもっとも大切な基本が“あやふや"になっていませんか?
・どのお経が「正典」とされているのか?
・なぜ「梵天勧請」は決定的瞬間なのか?
・釈迦は本当に「十二支縁起」を悟ったのか?
・なぜ「無我」と「輪廻」は両立するのか?
・善い行いをしても「業」は生じるのか?
・時間は「未来→現在→過去」の順に流れる?
・日本仏教にはなぜ「サンガ」がないのか?
- 本の長さ304ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2017/11/24
- 寸法12.8 x 2 x 19.1 cm
- ISBN-104106038188
- ISBN-13978-4106038181
よく一緒に購入されている商品

対象商品: ごまかさない仏教: 仏・法・僧から問い直す (新潮選書)
¥1,980¥1,980
最短で3月30日 土曜日のお届け予定です
在庫あり。
¥1,650¥1,650
最短で3月30日 土曜日のお届け予定です
在庫あり。
総額:
当社の価格を見るには、これら商品をカートに追加してください。
ポイントの合計:
pt
もう一度お試しください
追加されました
一緒に購入する商品を選択してください。
この著者の人気タイトル
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
出版社より

![]() |
![]() |
|
---|---|---|
「律」に学ぶ生き方の智慧 | ごまかさない仏教―仏・法・僧から問い直す― | |
カスタマーレビュー |
5つ星のうち4.0
41
|
5つ星のうち4.0
65
|
価格 | ¥1,210¥1,210 | ¥1,980¥1,980 |
【新潮選書】佐々木 閑 作品 | 日本仏教から失われた律には、生き甲斐を手に入れるためのヒントがある。「本当にやりたいことだけやる人生」を送るため、釈迦が考えた意外な方法とは? | 「無我と輪廻は両立するのか?」など、仏教理解における数々の盲点を、二人の仏教者が、ブッダの教えに立ち返り、根本から問い直す「最強の仏教入門」。 |
商品の説明
著者について
佐々木閑
Sasaki Shizuka
1956年、福井県生まれ。花園大学文学部仏教学科教授。京都大学工学部工業化学科および文学部哲学科仏教学専攻卒業。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。カリフォルニア大学大学院留学を経て、現職。文学博士。専門は仏教哲学、古代インド仏教学、仏教史。著書に『インド仏教変移論』、『日々是修行』、『科学するブッダ』、『別冊100分de名著 集中講義 大乗仏教 こうしてブッダの教えは変容した』、『「律」に学ぶ生き方の智慧』等。
宮崎哲弥
Miyazaki Tetsuya
1962年、福岡県生れ。慶應義塾大学文学部社会学科卒業。テレビ、ラジオ、雑誌などを舞台に、政治哲学、生命倫理、仏教論、サブカルチャー分析を主軸とした評論活動を行う。著書に、『宮崎哲弥 仏教教理問答』(白川密成、釈徹宗、勝本華蓮、南直哉、林田康順との共著)、『知的唯仏論―マンガから知の最前線まで――ブッダの思想を現代に問う―』(呉智英との共著)、『さみしさサヨナラ会議』(小池龍之介との共著)等。
Sasaki Shizuka
1956年、福井県生まれ。花園大学文学部仏教学科教授。京都大学工学部工業化学科および文学部哲学科仏教学専攻卒業。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。カリフォルニア大学大学院留学を経て、現職。文学博士。専門は仏教哲学、古代インド仏教学、仏教史。著書に『インド仏教変移論』、『日々是修行』、『科学するブッダ』、『別冊100分de名著 集中講義 大乗仏教 こうしてブッダの教えは変容した』、『「律」に学ぶ生き方の智慧』等。
宮崎哲弥
Miyazaki Tetsuya
1962年、福岡県生れ。慶應義塾大学文学部社会学科卒業。テレビ、ラジオ、雑誌などを舞台に、政治哲学、生命倫理、仏教論、サブカルチャー分析を主軸とした評論活動を行う。著書に、『宮崎哲弥 仏教教理問答』(白川密成、釈徹宗、勝本華蓮、南直哉、林田康順との共著)、『知的唯仏論―マンガから知の最前線まで――ブッダの思想を現代に問う―』(呉智英との共著)、『さみしさサヨナラ会議』(小池龍之介との共著)等。
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2017/11/24)
- 発売日 : 2017/11/24
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 304ページ
- ISBN-10 : 4106038188
- ISBN-13 : 978-4106038181
- 寸法 : 12.8 x 2 x 19.1 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 20,097位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 111位仏教入門
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。

佐々木閑(ささき しずか)
1956年 福井県生まれ
1975年 福井県立藤島高校卒業
1979年 京都大学工学部工業化学科(野崎研究室)卒業
1982年 京都大学文学部哲学科仏教学卒業
1984年 京都大学大学院文学研究科修士課程修了
1987年 同 博士課程 単位取得満期退学
1988年から90年にかけて、米国カリフォルニア大学バークレー校に留学
1990年 花園大学文学部専任講師
1993年 同 助教授
2002年 同 教授 (現在に至る)
文学博士
日本印度学仏教学会賞および、鈴木学術財団特別賞受賞
著書
・『出家とはなにか』大蔵出版 1999年
・『インド仏教変移論』大蔵出版 2000年
・『犀の角たち』大蔵出版 2006年
・『日々是修行』筑摩書房 2009年
・『生物学者と仏教学者 七つの対論』ウェッジ 2009年
・『「律」に学ぶ生き方の智慧』新潮社 2011年
翻訳
・『鈴木大拙著 大乗仏教概論』岩波書店 2004年
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2018年1月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2021年7月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
初期仏典などについて、基本的な事項がわかりやすく解説されています。仏教書について、これから何を読んでいけばいいのか、どんなことが議論されているのか、よくわかりました。
2018年1月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私は、仏教の知識はある方ですが、
それでも本書で初めて知るような事も多かったです。
とても刺激的で勉強になりました。
本書での隠れた論点は「空」に関して、
宮崎さんは、「多くの縁による仮の存在」と捕らえていらっしゃり、
佐々木先生は、「不思議なパワー」と捕らえていらっしゃるようです。
一般的には、宮崎さんの捉え方が普通だと思います。
その差によって、宮崎さんは初期仏教から大乗仏教へ思想の連続性があると捕らえ、
佐々木先生は大乗仏教は初期仏教とは全く違う宗教だと捕らえるという違いが生じています。
佐々木先生は浄土真宗のお寺のご出身の先生ですが
浄土真宗の教え(哲学)は全くご存じないようです。
その事は押さえた上で読んで頂きたいと思います。
それでも本書で初めて知るような事も多かったです。
とても刺激的で勉強になりました。
本書での隠れた論点は「空」に関して、
宮崎さんは、「多くの縁による仮の存在」と捕らえていらっしゃり、
佐々木先生は、「不思議なパワー」と捕らえていらっしゃるようです。
一般的には、宮崎さんの捉え方が普通だと思います。
その差によって、宮崎さんは初期仏教から大乗仏教へ思想の連続性があると捕らえ、
佐々木先生は大乗仏教は初期仏教とは全く違う宗教だと捕らえるという違いが生じています。
佐々木先生は浄土真宗のお寺のご出身の先生ですが
浄土真宗の教え(哲学)は全くご存じないようです。
その事は押さえた上で読んで頂きたいと思います。
2019年10月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
このような本が形になって世に出たということに星5です。
ですが一般書としては少し読みにくいものとなっています。
その理由としては、読者の立場になる聞き役がいないのでお互いの知識の披露の場となっていて、読者不在という印象があります。
ですので仏教が抱える分かりにくさや問題を解決したという印象はあまりありません。
本の最後に批判を恐れずにテーラワーダに触れられていましたが、そのことは評価できると思います。
読後感は素晴らしいものでした。
ですが一般書としては少し読みにくいものとなっています。
その理由としては、読者の立場になる聞き役がいないのでお互いの知識の披露の場となっていて、読者不在という印象があります。
ですので仏教が抱える分かりにくさや問題を解決したという印象はあまりありません。
本の最後に批判を恐れずにテーラワーダに触れられていましたが、そのことは評価できると思います。
読後感は素晴らしいものでした。
2017年11月25日に日本でレビュー済み
最初に書きます。
この本は一定の仏教知識がないと読めません。
「根本説一切有部律」など漢字がズラーっと並ぶこともしばしばなので
それに耐えられない方にはオススメできません。
また、「はじめに」でユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』が引用されます。
ハラリで仏教に興味を持たれた方にはオススメです。
さて、本書は「仏・法・僧」という仏教徒として大切にしなければならない
三つの概念「三宝」について一つ一つ検討をしていきます。
・ブッダンサラナンガッチャーミ(ブッダ=仏)
・ダンマンサラナンガッチャーミ(ダンマ=法)
・サンガンサラナンガッチャーミ (サンガ=僧)
と唱えたことがある人も少なくはないと思います。それです!!
各章ではそれぞれ対談形式で深めていきます、
と、ミヤテツさんの本当の興味は仏教にあります。
『仏教教理問答』(サンガ)でもその仏教知識の広さ深さに感心させられました。
彼は中観派と言われる龍樹(ナーガルジュナ)を敬愛しているようです。
一方の佐々木閑さんは言わずと知れた仏教学者。
原始仏典から大乗経典まで網羅的に知識のある方です。
また、佐々木さんは「律」について研究されている研究者です、
(『「律」に学ぶ生き方の智慧』 (新潮選書)もオススメです)
このミヤテツさん&佐々木さんの議論はかなり専門的になるのですが、
特に日本でも最近流行り出したテーラワーダ仏教に対する見解、
テーラワーダ仏教の原理主義的傾向に対する批判に私は「我が意を得たり」と思いました。
そういった点からもスマナサーラ長老の本にハマっている人にも読んでほしい本でもあります。
また、原始仏典に対する位置づけから、その内容の吟味がかなり緻密になされています。
これは本書を読んでもらう他ここでは書きようがないのですが…。
この二人の対話は仏教もしくは仏教学の門外漢である橋爪大三郎さんと大澤真幸さんの
『ゆかいな仏教』 (サンガ新書)よりずっと専門的で面白いです。
(私には『ゆかいな仏教』がAmazonのレビューで高評価な理由がわかりません)
仏教の本はそこそこ読んだよ!という人は是非読んでみてください!
この本は一定の仏教知識がないと読めません。
「根本説一切有部律」など漢字がズラーっと並ぶこともしばしばなので
それに耐えられない方にはオススメできません。
また、「はじめに」でユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』が引用されます。
ハラリで仏教に興味を持たれた方にはオススメです。
さて、本書は「仏・法・僧」という仏教徒として大切にしなければならない
三つの概念「三宝」について一つ一つ検討をしていきます。
・ブッダンサラナンガッチャーミ(ブッダ=仏)
・ダンマンサラナンガッチャーミ(ダンマ=法)
・サンガンサラナンガッチャーミ (サンガ=僧)
と唱えたことがある人も少なくはないと思います。それです!!
各章ではそれぞれ対談形式で深めていきます、
と、ミヤテツさんの本当の興味は仏教にあります。
『仏教教理問答』(サンガ)でもその仏教知識の広さ深さに感心させられました。
彼は中観派と言われる龍樹(ナーガルジュナ)を敬愛しているようです。
一方の佐々木閑さんは言わずと知れた仏教学者。
原始仏典から大乗経典まで網羅的に知識のある方です。
また、佐々木さんは「律」について研究されている研究者です、
(『「律」に学ぶ生き方の智慧』 (新潮選書)もオススメです)
このミヤテツさん&佐々木さんの議論はかなり専門的になるのですが、
特に日本でも最近流行り出したテーラワーダ仏教に対する見解、
テーラワーダ仏教の原理主義的傾向に対する批判に私は「我が意を得たり」と思いました。
そういった点からもスマナサーラ長老の本にハマっている人にも読んでほしい本でもあります。
また、原始仏典に対する位置づけから、その内容の吟味がかなり緻密になされています。
これは本書を読んでもらう他ここでは書きようがないのですが…。
この二人の対話は仏教もしくは仏教学の門外漢である橋爪大三郎さんと大澤真幸さんの
『ゆかいな仏教』 (サンガ新書)よりずっと専門的で面白いです。
(私には『ゆかいな仏教』がAmazonのレビューで高評価な理由がわかりません)
仏教の本はそこそこ読んだよ!という人は是非読んでみてください!
2017年12月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ご本人達は自らを仏教学者ではなく仏教実践者の立場と置いていますが、本書の議論内容は実践の要点から離れたところにあると感じました。
2018年2月2日に日本でレビュー済み
仏教なんて少しも学んだ事ない私だが、
私が好きな評論家:宮崎哲弥が書いたということだけで読んでみた。
タイトルが面白い。つまり仏教はこれまでかなり"ごまかされてきた"ということか。
読めばすぐ分かるがとにかく難解。内容もさることながら固有・専門用語ではない
通常の言葉ですら難しい(特に宮崎が使う言葉が憎らしいほど)。
ただ、所々で著者両氏が分かりやすく言い換えたり、例えたりして
きっちりと理解するのは困難なものの、部分的なり、ボンヤリとなり分かるし、
仏教の面白さが分かるから面白い。
私個人が面白いと思った話をいくつか書くと
・深い瞑想、苦行からは悟りは開けない(釈迦ですら失敗)
・釈迦は聖人君子でもなく、割と利己的、人間的(悟りを目指す出家者も)。
・仏説的話、~如来(大日如来)は創作。嘘というわけでなく理由・意図がある創作。
・出家がグループ作って修行=サンガ(仏教にとって重要)は日本では普及しなかったが、
一番サンガに近かったのは実はオウム真理教(あくまで近いというだけなら…の話)
など、他にも多数。
仏教は宗教の話だから神仏やら何かとんでもない力・法則とか出てくるかと思いきや
ほとんど出てこず(近年の仏教ではなく本来の、大元の釈迦の仏教だから?)。
どれもこれも論理的に説明・議論してるから面白い。
仏教とは決して「お経を毎日唱えれば極楽へ…」なんてものではなく、
瞑想して生・苦と向き合って、苦あるいは苦の元を断つことで悟りへ…と。
仏教学になるとこれをベースにさらに色々な考え方、理屈が付いた感じか。
仏教(仏教学)は宗教というより哲学に近いものを感じる。
ということで、きっちり理解しようとすると私のような仏教素人は全然手に負えないが
難解のところはスルー、拾える部分は拾って読むだけでも面白く
「仏教ってこんな宗教なのね。意外と面白いのね」と。
一見意見・理解が同じに見える著者両氏がたまに(第二章「法」とかで)
バトルするところも面白い(佐々木が結構ケンカ師、宮崎よく冷静でいられた)。
私が好きな評論家:宮崎哲弥が書いたということだけで読んでみた。
タイトルが面白い。つまり仏教はこれまでかなり"ごまかされてきた"ということか。
読めばすぐ分かるがとにかく難解。内容もさることながら固有・専門用語ではない
通常の言葉ですら難しい(特に宮崎が使う言葉が憎らしいほど)。
ただ、所々で著者両氏が分かりやすく言い換えたり、例えたりして
きっちりと理解するのは困難なものの、部分的なり、ボンヤリとなり分かるし、
仏教の面白さが分かるから面白い。
私個人が面白いと思った話をいくつか書くと
・深い瞑想、苦行からは悟りは開けない(釈迦ですら失敗)
・釈迦は聖人君子でもなく、割と利己的、人間的(悟りを目指す出家者も)。
・仏説的話、~如来(大日如来)は創作。嘘というわけでなく理由・意図がある創作。
・出家がグループ作って修行=サンガ(仏教にとって重要)は日本では普及しなかったが、
一番サンガに近かったのは実はオウム真理教(あくまで近いというだけなら…の話)
など、他にも多数。
仏教は宗教の話だから神仏やら何かとんでもない力・法則とか出てくるかと思いきや
ほとんど出てこず(近年の仏教ではなく本来の、大元の釈迦の仏教だから?)。
どれもこれも論理的に説明・議論してるから面白い。
仏教とは決して「お経を毎日唱えれば極楽へ…」なんてものではなく、
瞑想して生・苦と向き合って、苦あるいは苦の元を断つことで悟りへ…と。
仏教学になるとこれをベースにさらに色々な考え方、理屈が付いた感じか。
仏教(仏教学)は宗教というより哲学に近いものを感じる。
ということで、きっちり理解しようとすると私のような仏教素人は全然手に負えないが
難解のところはスルー、拾える部分は拾って読むだけでも面白く
「仏教ってこんな宗教なのね。意外と面白いのね」と。
一見意見・理解が同じに見える著者両氏がたまに(第二章「法」とかで)
バトルするところも面白い(佐々木が結構ケンカ師、宮崎よく冷静でいられた)。