どこかに出かけた帰りの電車で70歳は過ぎていると思われる学校の先生風の方が熱心に鉛筆で線を引きながらこの本を読んでおられるのを目撃し,大いに興味を持ってしまいました。“人生の大先輩がこれだけ熱心に読む本なのかあ〜”ということで。
『古くさいぞ私は』と同じように坪内氏の自分史と重ね合わせながら,いろいろな本が紹介されています。同世代の坪内氏の書かれる自分史の部分は私にはわかりやすい。けれども坪内氏が紹介された本は,ほとんど読んでおりませんでした。10冊ぐらいですね。重なっていたのは…。はは。
坪内氏は,ご自身を「文化史家」といわれ,ただ「そういう肩書きは一般に流通していな」いので,普通は「評論家」ということにしているそうです(197ページ)。
私が面白いなと思うのは,この「文化史家」と英米文学・英米文化研究者(?)としての坪内氏が興味を持たれること。それらについてどうこう言う力はありませんが,新書の世界に相当数の興味深いものがあるということはわかりました。この本は坪内氏が読んでこられた新書を中心とした本の紹介なわけですが,もちろん新書だけにとどまらず,その他の書籍についても,(抑え気味なのでしょうが)多数出てきます。坪内氏の読書量はかなりのものだとわかります。それをベースにして,本や文化に関する知識,それらの味わいについて書かれたことが面白い。特に近代日本や英米文学・文化について書かれる文章は生き生きしています。
自分史のところはなくてもよかったかもしれません(面白く読ませていただきましたが)。自分史の部分がなければもっと“シブい本”になった気がします。まあ,わざとエラそうな本にしなかったということなのかもしれませんが…。
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新書百冊 (新潮新書) 新書 – 2003/4/10
坪内 祐三
(著)
- 本の長さ252ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2003/4/10
- ISBN-10410610010X
- ISBN-13978-4106100109
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2003/4/10)
- 発売日 : 2003/4/10
- 言語 : 日本語
- 新書 : 252ページ
- ISBN-10 : 410610010X
- ISBN-13 : 978-4106100109
- Amazon 売れ筋ランキング: - 601,387位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2013年5月14日に日本でレビュー済み
2015年12月20日に日本でレビュー済み
本・古本・神保町好きで有名な評論家・エッセイストの坪内祐三が、自らの半生とそのときどきに読んできた新書百冊を重ねて振り返った“読書半生記”である。
本書では、吉川幸次郎/三好達治『新唐詩選』、渡部昇一『知的生活の方法』、丸山真男『日本の思想』、E.H.カー『歴史とは何か』、加藤周一『羊の歌』のようなロングセラーも紹介されてはいるが、絶版となっているもの、当時でこそ読む価値の大きかった(であろう)ものも少なくなく、間違っても新書本のブックガイドとしてではなく、坪内氏がこれらの新書にどのように出会い、どのように読んだのかを、当時の世相とともに振り返るものとして読まれ得るものである。
私は坪内氏より少々若い世代ながら、同じように御茶ノ水で浪人生活を送ったが、「私が通っていた御茶ノ水の駿台予備校は、当時、単なる受験合格のテクニックではなく、もっと本質的な「学問」を教えてくれた。特に英文解釈の奥井潔先生の授業はいつも心待ちにした。教壇で奥井先生は例えばT.S.エリオットやポール・ヴァレリーの文学的意味について語ってくれた」というくだりは、なんとも懐かく読んだ。(今にして思えば、当時の私が、奥井先生の意図するところがどこまで理解できていたのかわからないのだが、学生時代のテキストの中で唯一、奥井先生の授業で使った「CHOICE EXERCISES」だけは30年以上経った今も手元に残っている)
また、山口昌男と中村雄二郎の共著の『知の旅への誘い』に関する、「私がもっとも繰り返し読んだ新書本の一つである。といっても、共著者の中村雄二郎には申しわけないのだが、私が繰り返し読んだのは、二部構成のこの新書本の、山口昌男が執筆している第Ⅱ部「知の冒険」である」という部分なども、同書を読んだ、その“ぞくぞくするような感覚”には大いに共感するのである。
坪内氏と同様、神保町すずらん通り(特に東京堂書店)を訪れるのが習慣となっている私としては、こうした本・書籍の文化が変わらずに続いていくことを願うのである。
(2005年9月了)
本書では、吉川幸次郎/三好達治『新唐詩選』、渡部昇一『知的生活の方法』、丸山真男『日本の思想』、E.H.カー『歴史とは何か』、加藤周一『羊の歌』のようなロングセラーも紹介されてはいるが、絶版となっているもの、当時でこそ読む価値の大きかった(であろう)ものも少なくなく、間違っても新書本のブックガイドとしてではなく、坪内氏がこれらの新書にどのように出会い、どのように読んだのかを、当時の世相とともに振り返るものとして読まれ得るものである。
私は坪内氏より少々若い世代ながら、同じように御茶ノ水で浪人生活を送ったが、「私が通っていた御茶ノ水の駿台予備校は、当時、単なる受験合格のテクニックではなく、もっと本質的な「学問」を教えてくれた。特に英文解釈の奥井潔先生の授業はいつも心待ちにした。教壇で奥井先生は例えばT.S.エリオットやポール・ヴァレリーの文学的意味について語ってくれた」というくだりは、なんとも懐かく読んだ。(今にして思えば、当時の私が、奥井先生の意図するところがどこまで理解できていたのかわからないのだが、学生時代のテキストの中で唯一、奥井先生の授業で使った「CHOICE EXERCISES」だけは30年以上経った今も手元に残っている)
また、山口昌男と中村雄二郎の共著の『知の旅への誘い』に関する、「私がもっとも繰り返し読んだ新書本の一つである。といっても、共著者の中村雄二郎には申しわけないのだが、私が繰り返し読んだのは、二部構成のこの新書本の、山口昌男が執筆している第Ⅱ部「知の冒険」である」という部分なども、同書を読んだ、その“ぞくぞくするような感覚”には大いに共感するのである。
坪内氏と同様、神保町すずらん通り(特に東京堂書店)を訪れるのが習慣となっている私としては、こうした本・書籍の文化が変わらずに続いていくことを願うのである。
(2005年9月了)
2004年1月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
新書を軸とした坪内氏の回想記である。ここで紹介されているものは、「古き良き時代」の新書である。今では「名著」と呼ばれるものも数多く含まれている。あの頃の新書はよかったな、それに引き換え今の新書ときたら・・という思いに駆られる。そんな本である。そんな本を新書の中でも新参者である新潮新書から出してもいいのか、と思ってしまった。皮肉な結果である。
本好き、神保町好きの向きにはお勧めできるかもしれないが。
本好き、神保町好きの向きにはお勧めできるかもしれないが。
2005年5月20日に日本でレビュー済み
本好きの私は,読書ガイド的な本にもついつい手が出てしまう。
とくに,新書好きと聞けば,読まないわけにいかなかった。
私の読書傾向と本著者の読んだ本とは2割くらいしかダブらないと思う。
しかし,読書本の魅力は,
①自分の読んだ本を著者がどう感じたかを知る楽しみ
だけでなく,
②自分の守備範囲外にどんな面白本があるのかを知る喜び
にもある。
その意味では,同好の士として,大変楽しませてもらった一冊。
講談社現代新書のアメリカ本を分析する視覚や,作家による新書本を語る切り口は,十分に読むに値すると思う。
とくに,新書好きと聞けば,読まないわけにいかなかった。
私の読書傾向と本著者の読んだ本とは2割くらいしかダブらないと思う。
しかし,読書本の魅力は,
①自分の読んだ本を著者がどう感じたかを知る楽しみ
だけでなく,
②自分の守備範囲外にどんな面白本があるのかを知る喜び
にもある。
その意味では,同好の士として,大変楽しませてもらった一冊。
講談社現代新書のアメリカ本を分析する視覚や,作家による新書本を語る切り口は,十分に読むに値すると思う。
2015年5月26日に日本でレビュー済み
著者の坪内氏と小生はほぼ同年代です。
昭和47年に岩波新書が150円から180円になりました。昭和49年に230円になりました。
ハイライトが80円、喫茶店のコーヒーが120円と言う時代です。
岩波書店の雍正帝から始まって、知的生活の方法、歴史とは何か、彼の歩んだ道、羊の歌、日本の名著、本はどう読むか、など懐かしい思い出です。
岩波新書の字数が大体、朝日新聞朝刊と同じ、京都ー大阪間で親書を読み切るのが平均的なその当時の読書人の平均だとも教えられました。
本書は坪内祐三氏の日記と言うか、新書を軸にしての読書自伝です。
なかなか共感しました。
昭和47年に岩波新書が150円から180円になりました。昭和49年に230円になりました。
ハイライトが80円、喫茶店のコーヒーが120円と言う時代です。
岩波書店の雍正帝から始まって、知的生活の方法、歴史とは何か、彼の歩んだ道、羊の歌、日本の名著、本はどう読むか、など懐かしい思い出です。
岩波新書の字数が大体、朝日新聞朝刊と同じ、京都ー大阪間で親書を読み切るのが平均的なその当時の読書人の平均だとも教えられました。
本書は坪内祐三氏の日記と言うか、新書を軸にしての読書自伝です。
なかなか共感しました。
2009年4月3日に日本でレビュー済み
だいたい、今の世の中で、本が好きだとか言うのは、ジマンできることでもなんでもない。
「いつか読書する日」の田中裕子なんざ、ヒマつぶしにドストエフスキーを読むのである。
私、坪内が紹介してる本のうち、半分くらいは持ってるが、なんで若い時に、こんな本を名著だと思ったのか、所詮、若いと言うのはバカと同義だと言う構成にした方がよかったのではないかと思う。
お手軽すぎ。向井敏を思い出した。
「いつか読書する日」の田中裕子なんざ、ヒマつぶしにドストエフスキーを読むのである。
私、坪内が紹介してる本のうち、半分くらいは持ってるが、なんで若い時に、こんな本を名著だと思ったのか、所詮、若いと言うのはバカと同義だと言う構成にした方がよかったのではないかと思う。
お手軽すぎ。向井敏を思い出した。
2004年3月27日に日本でレビュー済み
古き良き時代、の雰囲気を感じることができます。
これ自体が読書ガイドにもなっていますが、同時に他の読書論などを引き、「本は買わねばならない」「量を読まねばならない」という。
教養主義的「あれも、これも」の態度に共感できる人や、読書好きであれば必ず「良い」と思えるでしょう。
これ自体が読書ガイドにもなっていますが、同時に他の読書論などを引き、「本は買わねばならない」「量を読まねばならない」という。
教養主義的「あれも、これも」の態度に共感できる人や、読書好きであれば必ず「良い」と思えるでしょう。
2013年3月31日に日本でレビュー済み
自伝であり、出版文化史であり、ブックガイドでもあるという内容。
つまりいつもの坪内節。
「当時赤線を引いた部分」としていろんな新書から引用がなされているのだが、
そのセンテンスがいかにも、というか、さすが坪内祐三、という目の付けどころ。
氏の頭の中が垣間見れる思いがして面白い。欲しい本もたくさん見つかった。
古本屋に行く楽しみが増えた。実はこれが最大の儲けものかもしれない。
それにしてもシブい本ばかり紹介してくれて嬉しくなる。
つまりいつもの坪内節。
「当時赤線を引いた部分」としていろんな新書から引用がなされているのだが、
そのセンテンスがいかにも、というか、さすが坪内祐三、という目の付けどころ。
氏の頭の中が垣間見れる思いがして面白い。欲しい本もたくさん見つかった。
古本屋に行く楽しみが増えた。実はこれが最大の儲けものかもしれない。
それにしてもシブい本ばかり紹介してくれて嬉しくなる。