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テレビの嘘を見破る (新潮新書 88) 新書 – 2004/10/20
初日に釣れたのに、最終日に釣れたとして盛り上げる釣り番組。新郎新婦はニセ物、村人が総出で演技する山あいの村の婚礼シーン。養蚕農家の生活苦を、擬似家族が訴えたドキュメンタリー番組──。
視聴者を引きつけようと作り手が繰り出す、見せるための演出、やむを得ない工夫。いったいどこまでが事実で、どこからが虚構なのか?
さまざまな嘘の実例を繙くことで明らかになる、テレビ的「事実」のつくられ方!
- ISBN-104106100886
- ISBN-13978-4106100888
- 出版社新潮社
- 発売日2004/10/20
- 言語日本語
- 本の長さ222ページ
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商品の説明
出版社からのコメント
感動しきりのハプニング映像ですが、実はこのCM、事実の映像は水に転落する子象のシーンのみ。その他は、別の象による演技だったのです。
こういった例は、なにもCMに限った話ではありません。本書では大手番組制作会社テレビユニオン副会長である著者が、身近なテレビ番組の中にひそむ数多くの作り手の「ウソ」を暴いていきます。メディアリテラシーを学ぶためにも格好の一冊。
さて、皆さんはどこまでなら許せますか?
抜粋
ある秘境もののテレビ・ドキュメンタリーの記者発表で、ディレクターが胸を張って言いました。
「うそをついていないのが誇りです」
それを聞いて違和感を感じたある記者がコラムに書きました。
〈苦難の日々を思い起こしての発言と推測するが、視聴者の立場で聞 けばずれている。ドキュメンタリーで、ありのままの映像を放送する のは当たり前のことではないか。テレビ現場の非常識が透けて見えて しまったことを残念に思う〉
(朝日新聞,02・11・29 「サブch.」)
たいていの読者(視聴者)は、この記者の言葉に共感を覚えるのではないでしょうか。ドキュメンタリーやニュースや情報番組など、事実を伝えようとするテレビ番組でありのままの映像を放送するのは、当然のことではないか、と。
この記者は、新聞社でも数十年前には、たとえば大雪の写真で雪がしっかり写っていない場合、ペンで書き加えたりしていた例をあげて、そうしたやらせ写真が新聞社の常識とされていたことを認めたうえで、こうつづけています。
〈極端な例ではあるが、「作っても許される」という感覚があったの だろう。
今はこんなことをする記者はいない。でもテレビ界では「良い映像 のためなら多少作っても」という感覚が残ってはいないだろうか〉
ディレクターの「うそをついていない」という発言は、日頃の秘境もののドキュメンタリー番組が、展開を盛りあげるために、撮影した映像を劇的に再構成し、物語化しているという風潮を意識してのものでしょう。
その意味で、たしかに「テレビ現場の非常識が透けて見えてしまっ」ています。
では、うそをついていないディレクターの番組は、記者のいうありのままの映像になっているでしょうか。
答えはノーです。
ドキュメンタリー番組やニュース情報番組など、事実を伝える番組といえども、映像というものには、その撮影の段階で、あるいは編集の段階で、さまざまな「工夫」が施されています。それは作り手側からいわせれば、諸事情からの「やむをえない工夫」であったり、「見せるための工夫」であったりします。
しかしそれは、視聴者側から見れば「作為」です。
こうした「作為=工夫」によって作られた映像は、テレビでは、実は、日常的なものなのです。視聴者の皆さんは、一日に何十回となくそうした映像を見ているはずです。
つまり多少なら作っても許されるという感覚は、テレビ界の常識になっているのです。
テレビ界の常識と視聴者の常識はたしかにずれています。
いったいどのような作為=工夫がなされているのか、思いつくままに、紹介してみようと思います。
視聴者の皆さんの中には、すでにそうした作為=工夫を見破っている人もおられるでしょう。見破ったうえで許している場合もあるでしょうし、許せないと怒っている人もいるでしょう。
あるいは、はじめて知って、許せないと怒りだす人がいるかもしれません。
いずれにせよ、次に紹介する作為=工夫の諸例を、視聴者の皆さんは見破っていますか(見破れますか)、そして許せますか。
著者について
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2004/10/20)
- 発売日 : 2004/10/20
- 言語 : 日本語
- 新書 : 222ページ
- ISBN-10 : 4106100886
- ISBN-13 : 978-4106100888
- Amazon 売れ筋ランキング: - 337,880位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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テレビというものが、映像というものに支えられていることと、その影響力の大きさゆえに、他のメディア以上に問題視される。
本書は、長年テレビの番組制作にかかわってきた著者が、ドキュメンタリーにおけるいわゆる「やらせ」とはなにかを苦悩しつつ、考え、視聴者であるわれわれにも考えることを求めている。
テレビ・表現といったものについて、考えさせられる非常におもしろい本でした。
まあ、それはよい。しかしこの問題はドキュメンタリーだけか? と思うと背筋が寒くなる思いがする。
過去にマスコミが指示する側の政治家は明るい表情、良く取れている映像を写し、批判している側の政治家は逆光とか苦虫をかみつぶしたような映像を映している。そして報道する自由とともに報道しない自由を謳歌しているのは周知の事実である。
最近でも集団自衛権反対デモの映像を映して報道し、賛成デモについてはまったく報道されていない。要するにマスコミ、報道機関はやらせだけでなく報道する権利、報道しない権利を最大限に使って政治的主張を主張し、国民に思い込ませるという全体主義的、独裁を行っているということだ。
この本を読んで、報道側の論理と具体的実施事項を知ることはそれこそ著者がいうテレビ番組を見るリテラシーなのだろう。テレビの嘘を見破らなければ生きていけない時代である。
こう問われ、間髪を入れずに回答できる人は少ないはずだ。線引きが曖昧なのに、「やらせ」は悪、「演出」は善というイメージを多くの人々は抱いているだろう。この本を読むまでは、私もそうだった。
このような固定観念を同書は激しく揺さぶる。例えば、インタビューで時折挿入されるインタビュアーの「うなずき」の映像は、多くがインタビューの後で撮影したショットを挟み込んだものだ。これは「やらせ」か「演出」か、「捏造」か「工夫」か。このような問いを、事例を変えては次々に繰り出し、「事実」と「再現された事実」の違い、報道とは何かという根本的な問いに迫っていく。
同じ報道機関でも、映像メディアであるテレビと活字メディアである新聞とでは「再現」に対する見解がまったく違うが、そうした点も含めて、事実とは何か、虚構とは何か、映像メディアの進むべき方向などを考えさせてくれる。
しかし,もうすこし説得的にするためのヒントはあるのではないかとおもう.そもそもテレビは現実をすべてつたえることはできない.現実の一部を画面にきりとってつたえることができるだけであり,その時点ですでに,著者がくりかえし書いている「ありのままの事実」をつたえることなど不可能である. 著者はこの点を指摘していない.
著者が指摘している重要な点のひとつは,取材することによって取材される側に影響をあたえてしまうこと,たとえばカメラでうつされたひとがいつのまにかカメラを意識して演技してしまうということである.著者はまた,映像をただしくうけとるためには受け手がリテラシーを身につけている必要があるが,現在の日本ではそれがカリキュラムにとりいれられていない点を指摘している.著者はほかにもさまざまな重要な指摘をしているが,惜しまれるのはそれが整理されていないため,おおくの読者にはみのがされてしまうだろうということである.
ュメンタリー以外の番組(ニュースやワイドショーなど)の検証は一切行われていない。本書の購入を検討されている方は、その点を十分踏ま
えて頂きたい。
本書の著者は、ドキュメンタリーを中心に番組制作を行うテレビマンユニオン社の番組制作者(取締役)だが、一般の視聴者と、ドキュメンタ
リー番組の制作者の間には、認識にも、意識にも、大きな隔たりがあるように感じられた。つまり、本書では、様々な"やらせ"や"演出"を取り
上げた上で、それらをドキュメンタリー番組に用いることの是非を議論しているのだが、本書の著者は、ほとんどの事項に関し、「ドキュメン
タリー番組としては許される範囲」と位置付けているのである。したがって、本書を読んでも、「どのような"やらせ"や"演出"が問題になるの
か」、「問題になる範囲と、ならない範囲の境界線はどこにあるのか」といったことを理解することはできない。
加えて、制作者側の一方的な論理に立っているため、視聴者にとってどのような番組が適切といえるのか、不明確極まりない。また、本書で取
り上げている事例の多くは、5年以上前に制作されたものであり、情報の古さを感じるものだった。
ドキュメンタリー番組は真実のみを映すべきなのか,再現はどこまで許されるのか,作り手と作品の関係性はどこまで開示しなければならないのかなど非常に難しい問題を含んでいます.
映像そのものは事実であったとしても,撮り方や話の進め方は作り手の意図にしたがって行われるわけですから,いずれにせよ作り手の主張を反映したものとなるでしょう.そもそも情報というのは,データをある意図にしたがって整理したものを言うわけですので,どこから見ても真実という情報は存在しないのかもしれません.
テレビが全て真実を伝えているとはさすがに思いませんが,ドキュメンタリーのあり方,見方を考えてみるのによいでしょう.