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コテコテ論序説: 「なんば」はニッポンの右脳である (新潮新書 216) 新書 – 2007/5/1
上田 賢一
(著)
コテコテを嘲う人もいる。猥雑さを嫌う人もいる。それでも大阪
「なんば」に惹きつけられる人は増殖する一方だ。なぜコテコテは日本中を覆い
始めたのか。なぜ私たちはその魅力に抗えないのか。それは日本にとって「なん
ば」は感情を司る右脳だからである。吉本興業の隆盛、南海ホークスの興亡、鴨
南蛮と「なんば」の関係等々、過去と現在を縦横無尽に飛び回りながら、「日本
の右脳」の磁力、魔力、魅力に迫る。
「なんば」に惹きつけられる人は増殖する一方だ。なぜコテコテは日本中を覆い
始めたのか。なぜ私たちはその魅力に抗えないのか。それは日本にとって「なん
ば」は感情を司る右脳だからである。吉本興業の隆盛、南海ホークスの興亡、鴨
南蛮と「なんば」の関係等々、過去と現在を縦横無尽に飛び回りながら、「日本
の右脳」の磁力、魔力、魅力に迫る。
- 本の長さ187ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2007/5/1
- ISBN-104106102161
- ISBN-13978-4106102165
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商品の説明
抜粋
序章「なんば」は日本の右脳である------感情を司る街
「なんば」は日本の右脳である。
これが本書の出発点であり、テーマであり、結論でもある。
とりあえず、大阪のことを知らない人には「何のことやら」であろう。いや、
大阪人ですら「何のこっちゃ」と言うだろう。
補足すれば、「なんば」は大阪のミナミの中心となる街のことである。だから
「ミナミは日本の右脳である」でもいいのだが、あえてここでは街の名前で書い
てみた。
さて、筆者が地元在住の人間であるための地元びいきを割り引いても、ミナミ
が日本の他の街では見られない魅力と活気を持ち続けていることは間違いない。
多くの人が「大阪」と聞いたときにイメージするものは何だろうか。
吉本興業、くいだおれ、道頓堀、そこに飛び込む阪神ファン、グリコのネオン
サイン......。
実はこうした「大阪の象徴」ともいえるもの、一言で言えば「コテコテ」と称
されるものは、ミナミに集中しているといっても過言ではない。なんば、ミナミ
は「コテコテ」の発祥の地、もしくは聖地であると言える。
きわめて大雑把に言ってしまえば、大阪の二大繁華街は「キタ」と「ミナミ」
だということになる。キタには大阪駅、梅田駅があり、ミナミには難波駅があ
る。大阪駅は大阪市内を走る大阪環状線の駅でもある。一方の難波駅は、環状線
には入っていない。環状線の輪の中にある。キタとミナミを結ぶ大きな通りが、
御堂筋。両者の距離は直線距離で四キロメートルほどに過ぎない。が、その差は
大きい。
ここで少々ややこしいのだが、「なんば」と「難波」の本書での表記について
触れておきたい。なんば界隈は地図上では「難波」と記されている。そして鉄
道は近鉄、JRはそれぞれ「難波」「JR難波」。しかし南海、大阪市営地下鉄
はともに「なんば」となっている。南海も地下鉄も実は正式な駅名は「難波」で
あるが、駅のサインはいつの頃からか「なんば」に変わった。そして人々も界隈
をイメージする時、今は「難波」よりも「なんば」が頭に浮かぶことが多い。そ
のため本書では界隈については「なんば」と書くこと
にする。
ミナミは猥雑、危険といわれながらも、今もたくさんの人が集まるエネルギッ
シュな街となっている。今日もなんば、千日前、道頓堀、心斎橋筋は大勢の観光
客であふれている。
なぜアップル・ストアはミナミにあるのか
「単に猥雑さ、エネルギッシュさを持つ繁華街ならば全国どこにでもある。い
や、むしろ繁華街の本質とはそういうものだろう」
ここでそんなツッコミが入りそうである。それはその通りだ。ところがミナミ
は、それらの「普通の繁華街」を超えた存在なのである。
象徴的なのは、ミナミにアップル・ストアがあるという事実である。アップ
ル・ストアは、iPodやMacで知られるアップル社の直営。流行の最先端に
あるショップの一つと言えるだろう。
ミナミにはこれ以外にもブランド・ショップが並んでいる。近年、シャネル、
ジャンニ・ヴェルサーチ、ルイ・ヴィトン、マックスマーラ、ジョルジオ・アル
マーニ、カルティエ、ディオール、オメガ等々が心斎橋界隈にいわゆる路面店を
オープンしている。
キタにもフェラガモ、ルイ・ヴィトン、ブルガリ、グッチがあるが、これらは
いずれもビルの中に入っている。
ミナミにブランド・ショップが数多くあることのどこにひっかかるのか。そこ
で冒頭に触れた「大阪のイメージ」を思い出していただきたい。猥雑で、エネル
ギッシュな街。これは東京でいえば新宿・歌舞伎町や渋谷、六本木にあたる。
一方でブランドの路面店が通りに並ぶ。こちらは銀座のイメージだろう。実際
に、ここで名前をあげたアップル・ストアをはじめとした多くのブランド・
ショップは東京では銀座に軒を連ねている。
つまり歌舞伎町と銀座が同居している。それがミナミの特異性なのである。
なぜ大阪のアップル・ストアがキタでなくミナミなのか。それについてのアッ
プル社からの正式なコメントはない。決め手になったのは「路面」に店を出せる
からだったと周辺からは漏れ聞こえてくる。
しかし、それだけの理由でアップル・ストアや多くのブランド・ショップがミ
ナミにオープンしたとは思いがたい。
キタは「上品」「気取った街」「フォーマルな街」「おしゃれして行く街」、
ミナミは「品がない」「ごちゃごちゃした街」「無秩序でこわい街」「普段着の
街」というイメージからすれば、ブランド・ショップもアップル・ストアも出店
にふさわしいのは当然、キタであると思える。
にもかかわらず、なぜか多くのブランド・ショップやアップル・ストアはキタ
よりもミナミを選んだ。
その理由はこの街が日本中のどこにもない強烈な個性を持った街であること、
この街がグローバルな視点から実に魅力的な存在の街であることが九〇年
代以降、再発見、再認識されたことにある。
東京ナイズされた美しい街キタと土着性の強い一向に洗練されない街ミナミ。
そして今、多くの人たちが魅力を感じるのはミナミだ。
キタの代表格の街が梅田で、ミナミのそれが「なんば」にあたる。今も何かに
つけて比較、対照される大阪のふたつの地域、全国的に知られる大阪のふたつの
顔だ。
キタとミナミ、梅田となんばは違った顔をし、街に漂う空気も違う。
ともに関西の文化、娯楽、経済をリードして来たが、ここに来てその性格はよ
り鮮明になってきた。アップタウン的エスタブリッシュメント層を集めようと都
市改造を急ぐ梅田。二一世紀型ではあるがあくまでもダウンタウン的大衆層をと
らえようとするなんば......。
両者の違いは、近代化の完成に向かって疾走したニッポンの姿が「左脳のニッ
ポン」であるとするなら、なんば、千日前はそれといっしょに並走した「右脳の
ニッポン」と読むことができるのではないか。
左脳は論理的思考、分析力、言語表現、じっくり記憶、メロディーやリズムよ
り歌詞、表示されている数字を見て時刻を知るデジタル時計。
一方、右脳は直感・ひらめき、想像力、空間認知、瞬間記憶、歌詞よりメロ
ディーやリズム、針の向きによって時刻を知るアナログ時計。
右脳と左脳のどちらかが、より重要というようなことはない。もちろん左脳が
理性、右脳が感情と単純に区別できるものでもないだろう。左脳と右脳はそれぞ
れ異なる働きをするが、中央の太い神経によって結ばれていて、たがいに補完し
合っている。だからこそ、人間は色々な能力を発揮できるのだといえる。
ただし、近代化の完成という状態をとっくに通り越してしまった日本におい
て、人々がより引きつけられているのは右脳的要素なのではないか。そう考える
と、近年のミナミの活気が「読めて」くるのではないか
「なんば」は日本の右脳である。
これが本書の出発点であり、テーマであり、結論でもある。
とりあえず、大阪のことを知らない人には「何のことやら」であろう。いや、
大阪人ですら「何のこっちゃ」と言うだろう。
補足すれば、「なんば」は大阪のミナミの中心となる街のことである。だから
「ミナミは日本の右脳である」でもいいのだが、あえてここでは街の名前で書い
てみた。
さて、筆者が地元在住の人間であるための地元びいきを割り引いても、ミナミ
が日本の他の街では見られない魅力と活気を持ち続けていることは間違いない。
多くの人が「大阪」と聞いたときにイメージするものは何だろうか。
吉本興業、くいだおれ、道頓堀、そこに飛び込む阪神ファン、グリコのネオン
サイン......。
実はこうした「大阪の象徴」ともいえるもの、一言で言えば「コテコテ」と称
されるものは、ミナミに集中しているといっても過言ではない。なんば、ミナミ
は「コテコテ」の発祥の地、もしくは聖地であると言える。
きわめて大雑把に言ってしまえば、大阪の二大繁華街は「キタ」と「ミナミ」
だということになる。キタには大阪駅、梅田駅があり、ミナミには難波駅があ
る。大阪駅は大阪市内を走る大阪環状線の駅でもある。一方の難波駅は、環状線
には入っていない。環状線の輪の中にある。キタとミナミを結ぶ大きな通りが、
御堂筋。両者の距離は直線距離で四キロメートルほどに過ぎない。が、その差は
大きい。
ここで少々ややこしいのだが、「なんば」と「難波」の本書での表記について
触れておきたい。なんば界隈は地図上では「難波」と記されている。そして鉄
道は近鉄、JRはそれぞれ「難波」「JR難波」。しかし南海、大阪市営地下鉄
はともに「なんば」となっている。南海も地下鉄も実は正式な駅名は「難波」で
あるが、駅のサインはいつの頃からか「なんば」に変わった。そして人々も界隈
をイメージする時、今は「難波」よりも「なんば」が頭に浮かぶことが多い。そ
のため本書では界隈については「なんば」と書くこと
にする。
ミナミは猥雑、危険といわれながらも、今もたくさんの人が集まるエネルギッ
シュな街となっている。今日もなんば、千日前、道頓堀、心斎橋筋は大勢の観光
客であふれている。
なぜアップル・ストアはミナミにあるのか
「単に猥雑さ、エネルギッシュさを持つ繁華街ならば全国どこにでもある。い
や、むしろ繁華街の本質とはそういうものだろう」
ここでそんなツッコミが入りそうである。それはその通りだ。ところがミナミ
は、それらの「普通の繁華街」を超えた存在なのである。
象徴的なのは、ミナミにアップル・ストアがあるという事実である。アップ
ル・ストアは、iPodやMacで知られるアップル社の直営。流行の最先端に
あるショップの一つと言えるだろう。
ミナミにはこれ以外にもブランド・ショップが並んでいる。近年、シャネル、
ジャンニ・ヴェルサーチ、ルイ・ヴィトン、マックスマーラ、ジョルジオ・アル
マーニ、カルティエ、ディオール、オメガ等々が心斎橋界隈にいわゆる路面店を
オープンしている。
キタにもフェラガモ、ルイ・ヴィトン、ブルガリ、グッチがあるが、これらは
いずれもビルの中に入っている。
ミナミにブランド・ショップが数多くあることのどこにひっかかるのか。そこ
で冒頭に触れた「大阪のイメージ」を思い出していただきたい。猥雑で、エネル
ギッシュな街。これは東京でいえば新宿・歌舞伎町や渋谷、六本木にあたる。
一方でブランドの路面店が通りに並ぶ。こちらは銀座のイメージだろう。実際
に、ここで名前をあげたアップル・ストアをはじめとした多くのブランド・
ショップは東京では銀座に軒を連ねている。
つまり歌舞伎町と銀座が同居している。それがミナミの特異性なのである。
なぜ大阪のアップル・ストアがキタでなくミナミなのか。それについてのアッ
プル社からの正式なコメントはない。決め手になったのは「路面」に店を出せる
からだったと周辺からは漏れ聞こえてくる。
しかし、それだけの理由でアップル・ストアや多くのブランド・ショップがミ
ナミにオープンしたとは思いがたい。
キタは「上品」「気取った街」「フォーマルな街」「おしゃれして行く街」、
ミナミは「品がない」「ごちゃごちゃした街」「無秩序でこわい街」「普段着の
街」というイメージからすれば、ブランド・ショップもアップル・ストアも出店
にふさわしいのは当然、キタであると思える。
にもかかわらず、なぜか多くのブランド・ショップやアップル・ストアはキタ
よりもミナミを選んだ。
その理由はこの街が日本中のどこにもない強烈な個性を持った街であること、
この街がグローバルな視点から実に魅力的な存在の街であることが九〇年
代以降、再発見、再認識されたことにある。
東京ナイズされた美しい街キタと土着性の強い一向に洗練されない街ミナミ。
そして今、多くの人たちが魅力を感じるのはミナミだ。
キタの代表格の街が梅田で、ミナミのそれが「なんば」にあたる。今も何かに
つけて比較、対照される大阪のふたつの地域、全国的に知られる大阪のふたつの
顔だ。
キタとミナミ、梅田となんばは違った顔をし、街に漂う空気も違う。
ともに関西の文化、娯楽、経済をリードして来たが、ここに来てその性格はよ
り鮮明になってきた。アップタウン的エスタブリッシュメント層を集めようと都
市改造を急ぐ梅田。二一世紀型ではあるがあくまでもダウンタウン的大衆層をと
らえようとするなんば......。
両者の違いは、近代化の完成に向かって疾走したニッポンの姿が「左脳のニッ
ポン」であるとするなら、なんば、千日前はそれといっしょに並走した「右脳の
ニッポン」と読むことができるのではないか。
左脳は論理的思考、分析力、言語表現、じっくり記憶、メロディーやリズムよ
り歌詞、表示されている数字を見て時刻を知るデジタル時計。
一方、右脳は直感・ひらめき、想像力、空間認知、瞬間記憶、歌詞よりメロ
ディーやリズム、針の向きによって時刻を知るアナログ時計。
右脳と左脳のどちらかが、より重要というようなことはない。もちろん左脳が
理性、右脳が感情と単純に区別できるものでもないだろう。左脳と右脳はそれぞ
れ異なる働きをするが、中央の太い神経によって結ばれていて、たがいに補完し
合っている。だからこそ、人間は色々な能力を発揮できるのだといえる。
ただし、近代化の完成という状態をとっくに通り越してしまった日本におい
て、人々がより引きつけられているのは右脳的要素なのではないか。そう考える
と、近年のミナミの活気が「読めて」くるのではないか
著者について
上田賢一 1949(昭和24)年和歌山県有田市生まれ。関西大学経済
学部中退。ノンフィクション作家。訳著に『悪魔と踊れ~ローリングストーンズ
物語』、著書に『猛虎伝説』『京の町家~次の千年続けます』『上海ブギウギ
1945~服部良一の冒険』など。
学部中退。ノンフィクション作家。訳著に『悪魔と踊れ~ローリングストーンズ
物語』、著書に『猛虎伝説』『京の町家~次の千年続けます』『上海ブギウギ
1945~服部良一の冒険』など。
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2007/5/1)
- 発売日 : 2007/5/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 187ページ
- ISBN-10 : 4106102161
- ISBN-13 : 978-4106102165
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,603,279位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2007年6月9日に日本でレビュー済み
関西に住んだことがない私にはミナミとキタの区別もつかず、この本を読むまで心斎橋はてっきりキタと思っていたほどでした。そんな無知な私でも、南海ホークスが輝いていた時代は今でもしっかり覚えています。そんなわけで手に取った作品ですが、正直なところ、必ずしも楽しめる作品ではなかったです。なんばの歴史から現在までの移り変わりが、さまざまな領域において時系列的にたどられていてそれはそれで参考になるのですが、結果的には焦点がぼけてしまったようです。類書との一番の違いは、大阪本にしては、どうも笑いに欠落してしまったという点です。この笑いがなければ、大阪も日本にあまたある多くの”地方”のひとつでしかないわけで、”外国人”にとっては、何か教科書を読んでいるかのようでした。
2007年5月27日に日本でレビュー済み
なんばが日本の右脳である、と言われても、そんなわけないとしか言いようがない。
しかし、読んでいくうちに「ひょっとしてそうなのかも」と思わされる。
そのくらい著者が説くなんばの魅力は奥深い。
墓場、大火事のあとからお笑いが出てきたというのも考えさせられるエピソードである。
また、大阪球場が先進的な娯楽施設だったというのも面白い。
なぜ大阪が元気があるのか、その魅力の一端がわかる。
読後、強引な仮説にもなんとなく納得してしまった。
しかし、読んでいくうちに「ひょっとしてそうなのかも」と思わされる。
そのくらい著者が説くなんばの魅力は奥深い。
墓場、大火事のあとからお笑いが出てきたというのも考えさせられるエピソードである。
また、大阪球場が先進的な娯楽施設だったというのも面白い。
なぜ大阪が元気があるのか、その魅力の一端がわかる。
読後、強引な仮説にもなんとなく納得してしまった。
2007年5月20日に日本でレビュー済み
おそらく、大半の日本人の中で大阪のイメージといえばミナミだ。だから、多くの観光客は、ミナミを訪れ、TVのロケーションなどもミナミで収録される。
「なんば」はその中心地。都会なのだけれど、ローカル(堺、和歌山、はたまた奈良)などとのつながりが深く、どこか人間味のあふれるところ。
この本は歴史、鉄道、グルメ、エンターテインメント、商業等を通して、「なんば」の魅力について教えてくれる。
まさに”「なんば」は一日にして成らず”、この本を読んで、また、「なんば」がいっそう魅力的な街に感じられた。
これからも「なんば」ぶらぶらしてみよう。
「なんば」はその中心地。都会なのだけれど、ローカル(堺、和歌山、はたまた奈良)などとのつながりが深く、どこか人間味のあふれるところ。
この本は歴史、鉄道、グルメ、エンターテインメント、商業等を通して、「なんば」の魅力について教えてくれる。
まさに”「なんば」は一日にして成らず”、この本を読んで、また、「なんば」がいっそう魅力的な街に感じられた。
これからも「なんば」ぶらぶらしてみよう。