我が国の医療の現場は崩壊の危機に瀕している。
医師、看護師が担当すべき患者の数、業務の量は増加の一途をたどり、長時間勤務が常態となっている。医療従事者の教育・評価・人事システムは歪んでいて能力ある者が伸びていけない。患者は「怪物化」し、医療従事者に暴力を振るって恥じるところがない。事故が起きれば、医師や看護師がマスメディアから人格攻撃を受け、賠償金請求の被告となり、犯罪者として逮捕されることさえある。そうした事態を生んだシステムの問題は放置され、誰もが不測の事態の当事者となる不安から免れえない。こうして、医療の現場で、志気を失い、病み、突如職を辞する者が後を絶たない。現役の臨床医である著者は、データを用いてこのような事態を明らかにする。
どうしてこんなことになってしまったのか。
死は確実であり、医療の結果は常に不確実だ。人がまずわきまえるべきことだが「消費者」の考えはちがう。同じ対価を支払って結果が異なるのは不当だ。治らないのも死んだのもサービスに問題があるからである。報道機関もこの考えに異を唱えない。司法は、科学的思考能力を欠いているのに、その自覚なく医療従事者を裁いている。筆者は実例を挙げつつ、医療行政、病院経営者、マスメディア、犯罪捜査機関、弁護士、裁判所、市場原理至上主義などを批判する。
では、どうすればいいのか。
問題は、我々の「豊かな」生活を支えるシステムに内在するものだ。すぐに効く処方薬があるはずもない。深刻な危機は歴史的転換点になりうることを信じ、リアリズムに立脚して思想の問題に取組み、我々がどこから来てどこへ行こうとしているのかという歴史の視点に立った根本的な改革案を組み立ててゆくほかないと、筆者は説く。
本書は肺腑を抉る慨世の書であるが、そこに留まってはいない。
筆者の議論は「医療の限界」を跳躍台として、死に関する思想と哲学、宗教、英米や開発途上国との比較、教育の本質、経済思想などにも及ぶ。
専門を持ちつつ開かれた精神を持つとはどういうことなのか、どのページを開いても、その実例に出会うことができる。
私は、新書版にして220頁のこの小さな本を、職業の檻から抜けだし、時代と国境を越えて、正しく生き、働き、発言するためのガイドとして読んだ。
弁護士、検察官、裁判官、教師、あるいはそれらを志している方々にも、ぜひ読んでほしい一冊である。
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医療の限界 (新潮新書 218) 新書 – 2007/6/20
小松秀樹
(著)
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日本人は死生観を失った。リスクのない治療はない。患者は消
費者ではない----。医療の現場を崩壊させる、際限のない社会の「安心・安
全」要求、科学を理解しない刑事司法のレトリック、コストとクオリティを無視
した建前ばかりの行政制度など、さまざまな要因を、具体例とともに思想的見
地まで掘り下げて論及する。いったい医療は誰のものか? 日本の医療が直面す
る重大な選択肢を鋭く問う。
費者ではない----。医療の現場を崩壊させる、際限のない社会の「安心・安
全」要求、科学を理解しない刑事司法のレトリック、コストとクオリティを無視
した建前ばかりの行政制度など、さまざまな要因を、具体例とともに思想的見
地まで掘り下げて論及する。いったい医療は誰のものか? 日本の医療が直面す
る重大な選択肢を鋭く問う。
- 本の長さ220ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2007/6/20
- 寸法10.8 x 1 x 17.3 cm
- ISBN-104106102188
- ISBN-13978-4106102189
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商品の説明
抜粋
はじめに
いま、日本の医療は崩壊の危機に瀕しています。
近年、医療をめぐる事故や紛争について多くの報道がなされるようになりまし
た。それを機に、社会の医療に対する態度が大きく変化しました。患者あるい
は家族の告発で医師が逮捕され、事件として立件されることが増えています。
一部に問題のある医師がいることを否定するものではありません。しかし、社会
の側にも問題がある。日本人を律してきた考え方の土台が崩れています。死生観
が失われました。生きるための覚悟がなくなり、不安が心を支配しています。不
確実なことをそのまま受け入れる大人の余裕と諦観が失われました。このため、
本邦では医療のみならず、専門家と非専門家の齟そ齬ごが、社会の正常で円滑な
運営の障害となっています。本書では、社会を支える基本的な考え方についての
齟齬を、可能な限り偏見から自由になる努力をしつつ、凝視したいと思います。
一部の方は不愉快に思われるかもしれませんが、その際には、不愉快の根源をど
うかお考えいただきたい。
二〇〇六年五月、私は『医療崩壊 「立ち去り型サボタージュ」とは何か』と
いう本を朝日新聞社から出版しました。現場の医師として検察に提出した意見書
を一般向けに書き直したものです。死生観、医療、法制度、社会について、
概念的なことと、現場での具体例を意識的に行ったり来たりしながら、日本の医
療が置かれた危機的状況の全体像を提示し、崩壊を防ぐための対策を提案しまし
た。〇四年に出版した『慈恵医大青戸病院事件 医療の構造と実践的倫理』
(日本経済評論社)の続編といってもよいものです。
〇二年十二月八日、慈恵医大青戸病院で一ヶ月前に前立腺がんに対する腹
腔鏡手術を受けた患者が、低酸素脳症のために死亡しました。翌年九月に同病院
の医師三名が逮捕されると、新聞、テレビはもちろん、週刊誌などでも事件とし
て大々的に取り上げられました。数日間つづいた嵐のようなバッシングで、彼ら
は極悪非道の医師として国民の脳裏に刻印されたのです。このとき私は、一連の
報道に含まれる悪意と理性的判断の欠如に大きな衝撃を受けました。
後日入手した慈恵医大の事故報告書を熟読検討したところでは、患者の死の
直接原因は、病院の輸血業務のミスが四件重なったためでした。輸血さえ適切に
実施されていれば、患者が死ななかったことは間違いありません。最終的な輸
血量も、それほど多くはなかったのです。
事件の背景に、「新しい医療」をやりたがる大学病院の体質があったのは事実
です。しかしそれは文部科学省、学会、大学の体質に深く根ざした構造的な問題
であって、決して逮捕された医師個人の犯罪として片づけられるものではない。
言い換えれば、これは、どこの大学でも起こり得たことなのです。
私は、このままではリスクの高い医療を引き受ける医師がいなくなるのではな
いか、と強い危機感を覚えました。日本の医療を守っていくためには、医
療提供者側の努力だけではなく、患者、司法、メディアなど、社会の側にも医療
に対する認識を変更してもらう必要があると感じました。
当時、私はこの事件の事実関係を知る立場にありませんでした。当然ですが、
第一線の泌尿器科医である私には、調査能力も権限も、またそのための時間もあ
りません。事件の報道に含まれる論理と、医療現場の実態とそれを支える論理に
ついて、論考を何本か書いて、いくつかの雑誌に持ち込みましたが、掲載しては
もらえませんでした。後から思えば、中途半端な文章の掲載を拒否した雑誌社に
感謝しなければなりません。拒否されたために『慈恵医大青戸病院事件』を書き
ました。この本は事件そのものを扱った本ではなく、事件の報道に含まれる
論理についての本です。いささか大げさかもしれませんが、迫害は人を強くす
る、ということを実感しました。あのとき断られなかったら、『慈恵医大青
戸病院事件』も『医療崩壊』も、さらに本書も書くことはなかったでしょうか
ら。
『慈恵医大青戸病院事件』を出版した当時、私の認識は社会に共有してもらえま
せんでした。十万部も売れることがあれば、日本の医療に影響を与えられるかも
しれないと期待しましたが、実際にはほとんど売れなかった。虎の門病院の同僚
に、「君の意見は社会の二歩先を行っている。半歩先なら社会は受け容れてくれ
るが、二歩先だと頭がおかしいと思われるだけだ」と忠告もされました。
しかし、『医療崩壊』を脱稿した後、福島県立大野病院事件が起きました。〇
四年十二月、福島県立大野病院で、帝王切開中の大量出血によって患者が死亡。
〇六年二月に、業務上過失致死罪で産婦人科医が逮捕されました。事件は大きく
報道されました。この事件自体、一般の方には、さほど注目されていないように
思いますが、医師の間で活発な議論がインターネット上で繰り広げられたので
す。紙面上では目立ちませんでしたが、メディアに対しても、医師側から大量の
意見が投げかけられました。
遅まきながら、ようやく私の意見に社会が追いついてきたように思いました。
本を出版した後、参議院の厚生労働委員会に参考人として呼ばれ、意見を述べま
した。また、三人の検察幹部が、それぞれ別々に訪ねてきました。検察首脳は、
刑事事件として医療を取り締まることの危険性を理解していました。東京地検に
出向いて議論もしたし、その後、検察官が医療現場の実情を現場で見学するよう
になりました。検察が医療の様々な分野の専門家や、ヒューマン・ファク
ター工学の専門家のレクチャーを聴くようになりました。これは、各専門分野と
検察の相互理解、ひいては、過失犯罪に対する検察の合理的な対応にむけての、
意味のある進展だと思います。
専門的知識を持つ第三者による医療事故調査機構を、〇八年度にも設立す
る動きも出てきました。また、医療事故が起きた場合に、医療従事者の過失の
有無にかかわらず、金銭で補償する無過失補償制度を産科領域でつくろうとい
う動きが、与党自民党の中でも出てきています。
日本人が、死を意識のかなたに追いやり、死生観といえるようなしっかりした
考えを持たなくなりました。安心・安全神話が社会を覆っています。メディアに
煽られ、司法に裏打ちされて、医療への理不尽な攻撃が頻発しています。このた
め、医療現場はとげとげしいものになりました。勤務医や看護師の激務は昔から
あったことです。私は医療崩壊の原因は患者との軋あつ轢れきだと思います。使
命感を抱く医師や看護師が現場を離れつつある。
このまま事態が進んでいくと、結果的に困るのは医療を必要とする患者とそ
の家族です。本書が、医療の置かれている危機的状況の理解をうながし、医療の
崩壊をふせぐ一助となることを願ってやみません。
いま、日本の医療は崩壊の危機に瀕しています。
近年、医療をめぐる事故や紛争について多くの報道がなされるようになりまし
た。それを機に、社会の医療に対する態度が大きく変化しました。患者あるい
は家族の告発で医師が逮捕され、事件として立件されることが増えています。
一部に問題のある医師がいることを否定するものではありません。しかし、社会
の側にも問題がある。日本人を律してきた考え方の土台が崩れています。死生観
が失われました。生きるための覚悟がなくなり、不安が心を支配しています。不
確実なことをそのまま受け入れる大人の余裕と諦観が失われました。このため、
本邦では医療のみならず、専門家と非専門家の齟そ齬ごが、社会の正常で円滑な
運営の障害となっています。本書では、社会を支える基本的な考え方についての
齟齬を、可能な限り偏見から自由になる努力をしつつ、凝視したいと思います。
一部の方は不愉快に思われるかもしれませんが、その際には、不愉快の根源をど
うかお考えいただきたい。
二〇〇六年五月、私は『医療崩壊 「立ち去り型サボタージュ」とは何か』と
いう本を朝日新聞社から出版しました。現場の医師として検察に提出した意見書
を一般向けに書き直したものです。死生観、医療、法制度、社会について、
概念的なことと、現場での具体例を意識的に行ったり来たりしながら、日本の医
療が置かれた危機的状況の全体像を提示し、崩壊を防ぐための対策を提案しまし
た。〇四年に出版した『慈恵医大青戸病院事件 医療の構造と実践的倫理』
(日本経済評論社)の続編といってもよいものです。
〇二年十二月八日、慈恵医大青戸病院で一ヶ月前に前立腺がんに対する腹
腔鏡手術を受けた患者が、低酸素脳症のために死亡しました。翌年九月に同病院
の医師三名が逮捕されると、新聞、テレビはもちろん、週刊誌などでも事件とし
て大々的に取り上げられました。数日間つづいた嵐のようなバッシングで、彼ら
は極悪非道の医師として国民の脳裏に刻印されたのです。このとき私は、一連の
報道に含まれる悪意と理性的判断の欠如に大きな衝撃を受けました。
後日入手した慈恵医大の事故報告書を熟読検討したところでは、患者の死の
直接原因は、病院の輸血業務のミスが四件重なったためでした。輸血さえ適切に
実施されていれば、患者が死ななかったことは間違いありません。最終的な輸
血量も、それほど多くはなかったのです。
事件の背景に、「新しい医療」をやりたがる大学病院の体質があったのは事実
です。しかしそれは文部科学省、学会、大学の体質に深く根ざした構造的な問題
であって、決して逮捕された医師個人の犯罪として片づけられるものではない。
言い換えれば、これは、どこの大学でも起こり得たことなのです。
私は、このままではリスクの高い医療を引き受ける医師がいなくなるのではな
いか、と強い危機感を覚えました。日本の医療を守っていくためには、医
療提供者側の努力だけではなく、患者、司法、メディアなど、社会の側にも医療
に対する認識を変更してもらう必要があると感じました。
当時、私はこの事件の事実関係を知る立場にありませんでした。当然ですが、
第一線の泌尿器科医である私には、調査能力も権限も、またそのための時間もあ
りません。事件の報道に含まれる論理と、医療現場の実態とそれを支える論理に
ついて、論考を何本か書いて、いくつかの雑誌に持ち込みましたが、掲載しては
もらえませんでした。後から思えば、中途半端な文章の掲載を拒否した雑誌社に
感謝しなければなりません。拒否されたために『慈恵医大青戸病院事件』を書き
ました。この本は事件そのものを扱った本ではなく、事件の報道に含まれる
論理についての本です。いささか大げさかもしれませんが、迫害は人を強くす
る、ということを実感しました。あのとき断られなかったら、『慈恵医大青
戸病院事件』も『医療崩壊』も、さらに本書も書くことはなかったでしょうか
ら。
『慈恵医大青戸病院事件』を出版した当時、私の認識は社会に共有してもらえま
せんでした。十万部も売れることがあれば、日本の医療に影響を与えられるかも
しれないと期待しましたが、実際にはほとんど売れなかった。虎の門病院の同僚
に、「君の意見は社会の二歩先を行っている。半歩先なら社会は受け容れてくれ
るが、二歩先だと頭がおかしいと思われるだけだ」と忠告もされました。
しかし、『医療崩壊』を脱稿した後、福島県立大野病院事件が起きました。〇
四年十二月、福島県立大野病院で、帝王切開中の大量出血によって患者が死亡。
〇六年二月に、業務上過失致死罪で産婦人科医が逮捕されました。事件は大きく
報道されました。この事件自体、一般の方には、さほど注目されていないように
思いますが、医師の間で活発な議論がインターネット上で繰り広げられたので
す。紙面上では目立ちませんでしたが、メディアに対しても、医師側から大量の
意見が投げかけられました。
遅まきながら、ようやく私の意見に社会が追いついてきたように思いました。
本を出版した後、参議院の厚生労働委員会に参考人として呼ばれ、意見を述べま
した。また、三人の検察幹部が、それぞれ別々に訪ねてきました。検察首脳は、
刑事事件として医療を取り締まることの危険性を理解していました。東京地検に
出向いて議論もしたし、その後、検察官が医療現場の実情を現場で見学するよう
になりました。検察が医療の様々な分野の専門家や、ヒューマン・ファク
ター工学の専門家のレクチャーを聴くようになりました。これは、各専門分野と
検察の相互理解、ひいては、過失犯罪に対する検察の合理的な対応にむけての、
意味のある進展だと思います。
専門的知識を持つ第三者による医療事故調査機構を、〇八年度にも設立す
る動きも出てきました。また、医療事故が起きた場合に、医療従事者の過失の
有無にかかわらず、金銭で補償する無過失補償制度を産科領域でつくろうとい
う動きが、与党自民党の中でも出てきています。
日本人が、死を意識のかなたに追いやり、死生観といえるようなしっかりした
考えを持たなくなりました。安心・安全神話が社会を覆っています。メディアに
煽られ、司法に裏打ちされて、医療への理不尽な攻撃が頻発しています。このた
め、医療現場はとげとげしいものになりました。勤務医や看護師の激務は昔から
あったことです。私は医療崩壊の原因は患者との軋あつ轢れきだと思います。使
命感を抱く医師や看護師が現場を離れつつある。
このまま事態が進んでいくと、結果的に困るのは医療を必要とする患者とそ
の家族です。本書が、医療の置かれている危機的状況の理解をうながし、医療の
崩壊をふせぐ一助となることを願ってやみません。
著者について
小松秀樹(こまつひでき)1949(昭和24)年香川県生まれ。東京
大学医学部卒業後、山梨医科大助教授などを経て、現在、虎の門病院泌尿器科部
長。2006年に『医療崩壊--「立ち去り型サボタージュ」とは何か--』で、病院医
療の危機を克明に描き、発言する第一線の臨床医として注目される。
大学医学部卒業後、山梨医科大助教授などを経て、現在、虎の門病院泌尿器科部
長。2006年に『医療崩壊--「立ち去り型サボタージュ」とは何か--』で、病院医
療の危機を克明に描き、発言する第一線の臨床医として注目される。
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2007/6/20)
- 発売日 : 2007/6/20
- 言語 : 日本語
- 新書 : 220ページ
- ISBN-10 : 4106102188
- ISBN-13 : 978-4106102189
- 寸法 : 10.8 x 1 x 17.3 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 191,019位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 427位新潮新書
- カスタマーレビュー:
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2018年1月17日に日本でレビュー済み
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著者の主張をまとめると
1 日本人の「死生観が失われ(p.3)」、医療に対してひたすら安心・安全を、100%の成果を求めるようになっているが、これは間違っている
2 医療事故や医療に関わる紛争を刑事事件化する司法や、それを煽っているマスコミは間違っている
3 「多くの医療事故は、過誤の有無を問わず、システムの問題(p97)」であり、医師個人の責任を問うのは間違っている
ということだろうか。
それらの主張には聞くべきところが多いように感じるが、著者の文章が攻撃的で、かつ、話が色々と飛んでしまい、「著者は怒っているな」ということは分かるが、その分説得力が弱い。
攻撃的な文章というのは、例えば
「裁判官やジャーナリストは往々にして、発言や行動を責任あるものにするのに必須の想像力を持っていません。(p.37)」
「……警察の破壊力を使って医療側の反論を抑えようとする。それとメディアの報道が一緒になると、医療側はもうまったく抵抗できない。法治国家として大丈夫なのかと思ってしまいます。(p.63)」
「法廷での人間のとらえ方が表層的で、人間の行動についての深い洞察に欠けている。(p.69)」
「科学者からみると、裁判官は『勘と気合』の世界の住人です。(p.94)」
等々。
もっとも著者の攻撃の矛先は、司法とメディアに限らず「(インフォームド・コンセントに関して)一時までは、大学病院は遅れていました。年齢が高い教授職にある医師がとくに問題でした。(p.49)」「退官するときに、インパクト・ファクターの数字が書き込まれた自分の論文目録を配布する教授がいて、啞然としたことがあります。(p.129)」「私立医科大学には共通の落とし穴があります。それは医師にまともな給与を払わないことです。(p.136)」等、医学・医療の世界にも向いているから、アグレッシブな表現をする人なのだろう。
医療と社会の関係を考えるうえで重要な提起をしているだけに、そこが残念である。
1 日本人の「死生観が失われ(p.3)」、医療に対してひたすら安心・安全を、100%の成果を求めるようになっているが、これは間違っている
2 医療事故や医療に関わる紛争を刑事事件化する司法や、それを煽っているマスコミは間違っている
3 「多くの医療事故は、過誤の有無を問わず、システムの問題(p97)」であり、医師個人の責任を問うのは間違っている
ということだろうか。
それらの主張には聞くべきところが多いように感じるが、著者の文章が攻撃的で、かつ、話が色々と飛んでしまい、「著者は怒っているな」ということは分かるが、その分説得力が弱い。
攻撃的な文章というのは、例えば
「裁判官やジャーナリストは往々にして、発言や行動を責任あるものにするのに必須の想像力を持っていません。(p.37)」
「……警察の破壊力を使って医療側の反論を抑えようとする。それとメディアの報道が一緒になると、医療側はもうまったく抵抗できない。法治国家として大丈夫なのかと思ってしまいます。(p.63)」
「法廷での人間のとらえ方が表層的で、人間の行動についての深い洞察に欠けている。(p.69)」
「科学者からみると、裁判官は『勘と気合』の世界の住人です。(p.94)」
等々。
もっとも著者の攻撃の矛先は、司法とメディアに限らず「(インフォームド・コンセントに関して)一時までは、大学病院は遅れていました。年齢が高い教授職にある医師がとくに問題でした。(p.49)」「退官するときに、インパクト・ファクターの数字が書き込まれた自分の論文目録を配布する教授がいて、啞然としたことがあります。(p.129)」「私立医科大学には共通の落とし穴があります。それは医師にまともな給与を払わないことです。(p.136)」等、医学・医療の世界にも向いているから、アグレッシブな表現をする人なのだろう。
医療と社会の関係を考えるうえで重要な提起をしているだけに、そこが残念である。
2016年6月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
こんにちは、古舘健です。
医療の現場の実情を医療者側の視点から代弁した本です。
医療者側と患者側の認識のギャップを少しでも埋めようとする著者の努力が随所に見受けられます。
しかし、極端な意見もあり、うーん?と首をかしげるところもありました。
著者は日本の歴史や法律学、経済学、社会学にも精通していると思われ、知らないことがたくさんありました。
個人的に心に響いたのは、『武士道に学ぶ』の以下の部分です。
「今日の人は『覚悟』というと、何か特別な危機に見舞われたときに心を決めることのように考えております。しかし、『覚悟』が特別なことのように思えるというのは、むしろ我々の覚悟のなさを証し立てているのです
医療に対する認識のギャップを埋めるために一読をオススメいたします!
以下はメモのために抜粋します。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
P19
「・・・多くの子どもが生まれ、その多くが成人することなく死亡しました。死と隣り合わせの日常で、幕末の革命家は何もしないうちに死んでしまうことを恐れたに違いありません。・・・日本人の少なからざる部分が、生命は何よりも尊いものであり、死や障害はあってはならないことだと信じています。・・・そのために死や障害が不可避なものであっても、自分で引き受けられず、誰かのせいにしたがる。私は、あえてそれを「甘え」と呼びます。しかし、メディアや司法はそれを正統なるものとみなし、ときに十分な責任を果たしている医師を攻撃するのです。」
P22
「医療行為は不確実です。医療の言語は統計学であり、同じ条件の患者に同じ医療を行っても、結果は単一にならず、分散するというのが医師の常識です。」
P25
「では、安全とはどういうものか。人は必ず死にます。しかもいつ死ぬかわかりません。医師の医療上の予想はあくまで過去の統計に基づくもので、確率で表現されます。・・・死を受け入れない限り安心は得られません。安心というのは、病院が提供できるものではなく、個人の心の問題でしかありません。」
P60
「日本の医療は、皆保険制度で運営されています。国民全員に医療を提供するために、費用がギリギリまで低く抑えられている。」
P98
「人間は環境の影響を受けやすい。そのためしばしば間違えます。・・・人間の過失の多くは原因ではなく、誘発された結果と理解される。人間は間違えることを前提として、安全対策を何重にも構築していくのです。」
P115
「別の医師の見解を聞くことで、相対化の比較検討もできる。セカンド・オピニオンを求めることに対して不快感を表す医師は、むしろ信頼できません。」
P147
「一国の医療ではアクセス、コスト、クオリティ、これらをすべて満足させることはできないとされています。・・・
わが国ではこれまでアクセスを保証し、コストを抑制してきました。つまり、誰もが、いつでもどこの病院でも受診できるということです。しかし、そうなると待ち時間は長くなり、診療時間は短くなる。必然的にクオリティ(安全はその一部である)は下がらざるを得ない。今まで何とか医療従事者の献身的努力でクオリティを維持してきましたが、限界を超えました。
さいごまで読んでくださり、ありがとうございます!
医療の現場の実情を医療者側の視点から代弁した本です。
医療者側と患者側の認識のギャップを少しでも埋めようとする著者の努力が随所に見受けられます。
しかし、極端な意見もあり、うーん?と首をかしげるところもありました。
著者は日本の歴史や法律学、経済学、社会学にも精通していると思われ、知らないことがたくさんありました。
個人的に心に響いたのは、『武士道に学ぶ』の以下の部分です。
「今日の人は『覚悟』というと、何か特別な危機に見舞われたときに心を決めることのように考えております。しかし、『覚悟』が特別なことのように思えるというのは、むしろ我々の覚悟のなさを証し立てているのです
医療に対する認識のギャップを埋めるために一読をオススメいたします!
以下はメモのために抜粋します。
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P19
「・・・多くの子どもが生まれ、その多くが成人することなく死亡しました。死と隣り合わせの日常で、幕末の革命家は何もしないうちに死んでしまうことを恐れたに違いありません。・・・日本人の少なからざる部分が、生命は何よりも尊いものであり、死や障害はあってはならないことだと信じています。・・・そのために死や障害が不可避なものであっても、自分で引き受けられず、誰かのせいにしたがる。私は、あえてそれを「甘え」と呼びます。しかし、メディアや司法はそれを正統なるものとみなし、ときに十分な責任を果たしている医師を攻撃するのです。」
P22
「医療行為は不確実です。医療の言語は統計学であり、同じ条件の患者に同じ医療を行っても、結果は単一にならず、分散するというのが医師の常識です。」
P25
「では、安全とはどういうものか。人は必ず死にます。しかもいつ死ぬかわかりません。医師の医療上の予想はあくまで過去の統計に基づくもので、確率で表現されます。・・・死を受け入れない限り安心は得られません。安心というのは、病院が提供できるものではなく、個人の心の問題でしかありません。」
P60
「日本の医療は、皆保険制度で運営されています。国民全員に医療を提供するために、費用がギリギリまで低く抑えられている。」
P98
「人間は環境の影響を受けやすい。そのためしばしば間違えます。・・・人間の過失の多くは原因ではなく、誘発された結果と理解される。人間は間違えることを前提として、安全対策を何重にも構築していくのです。」
P115
「別の医師の見解を聞くことで、相対化の比較検討もできる。セカンド・オピニオンを求めることに対して不快感を表す医師は、むしろ信頼できません。」
P147
「一国の医療ではアクセス、コスト、クオリティ、これらをすべて満足させることはできないとされています。・・・
わが国ではこれまでアクセスを保証し、コストを抑制してきました。つまり、誰もが、いつでもどこの病院でも受診できるということです。しかし、そうなると待ち時間は長くなり、診療時間は短くなる。必然的にクオリティ(安全はその一部である)は下がらざるを得ない。今まで何とか医療従事者の献身的努力でクオリティを維持してきましたが、限界を超えました。
さいごまで読んでくださり、ありがとうございます!
2007年8月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
医療事故は起きるものと著者はいいます。
東武鉄道の竹の塚駅で発生した踏切事故の
ようにシステム的に無理な仕事を作業者に与え
て、結果として事故が起きてしまえば、作業者を
懲戒解雇にしてしまうことが、踏切事故をなくする
ことに何もつながらないと説いています。
事故のあった踏切はいまだに立体交差などの
本質的な対応はとられていません。
踏切事故と同じように日本の研修医は閉鎖的な
社会で、医学を勉強する時間が絶対的に不足し、
特に他の大学などと交流がないことを問題に挙げ
ています。医療事故の本質に迫る本だと思います。
東武鉄道の竹の塚駅で発生した踏切事故の
ようにシステム的に無理な仕事を作業者に与え
て、結果として事故が起きてしまえば、作業者を
懲戒解雇にしてしまうことが、踏切事故をなくする
ことに何もつながらないと説いています。
事故のあった踏切はいまだに立体交差などの
本質的な対応はとられていません。
踏切事故と同じように日本の研修医は閉鎖的な
社会で、医学を勉強する時間が絶対的に不足し、
特に他の大学などと交流がないことを問題に挙げ
ています。医療事故の本質に迫る本だと思います。
2012年8月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者のスタイルかも知れませんし、新書という形式に長さを合わせるためかもしれませんが、
どうも、ほとんど冗長と思えるほど、(他分野の、たとえば江戸時代の)逸話や引用をつづけるきらいがあり、それがむしろ本書の価値を低くしているような気がします。
内容をとりあえず知りたいという方は、ここに書かれたレビューを読めば充分かも知れません。
どうも、ほとんど冗長と思えるほど、(他分野の、たとえば江戸時代の)逸話や引用をつづけるきらいがあり、それがむしろ本書の価値を低くしているような気がします。
内容をとりあえず知りたいという方は、ここに書かれたレビューを読めば充分かも知れません。
2007年8月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
と思います。文化的歴史的背景、市場原理主義によるアメリカやイギリスの医療崩壊の実例などが明晰に語られ、それに対する緊急の処方箋も示されています。筆者が、表現を抑えめにしようと努力をしていることがひしひしと伝わり、反って危機感の深さが伝わります。わが国自体のメンタリティの変化に対する憂慮も共感しました。内容の非常に濃い新書だと思います。
2013年12月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
受験で小論文対策に読んでみた。限界・・・という言葉が衝撃的だ。未来の医学もよい方向に行くように期待します。
2007年8月2日に日本でレビュー済み
前著「医療崩壊」は本を置くことがためらわれるくらいに
一気に読み,バランス感覚を失わない冷静な筆致に感銘を受けました.
それに比べると本書では,やや断定的で感情的な感を受けたのですが
それは紙数の問題なのでしょうか,それとも一向に改善しないどころか
悪化をたどるように思われる状況に対する苛立ちや焦りがそうさせたのでしょうか.
前著に比べ,一般の方が手に取られることが多いと思われる本著なだけに,
若干残念に思いました.
一気に読み,バランス感覚を失わない冷静な筆致に感銘を受けました.
それに比べると本書では,やや断定的で感情的な感を受けたのですが
それは紙数の問題なのでしょうか,それとも一向に改善しないどころか
悪化をたどるように思われる状況に対する苛立ちや焦りがそうさせたのでしょうか.
前著に比べ,一般の方が手に取られることが多いと思われる本著なだけに,
若干残念に思いました.