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「心の傷」は言ったもん勝ち (新潮新書 270) 新書 – 2008/6/1
中嶋 聡
(著)
- 本の長さ189ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2008/6/1
- ISBN-104106102706
- ISBN-13978-4106102707
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商品の説明
出版社からのコメント
「心の病」を理由にして会社を休んでいるのに、どうやら遊び呆けているらしい同僚。ちょっとした注意を「パワハラだ」と騒ぐ若僧。どんな行為でも「セクハラ」と主張する女性......。「心に傷を受けた」と宣言したら、あとはやりたい放題。詳しい検証もなく、一方的に相手を加害者と断罪する。そんな「エセ被害者」とでも言うべき人たちが、現代日本にのさばっています。
現役の精神科医で、沖縄でクリニックを開業している著者は、こうした風潮を「被害者帝国主義の時代」と断じ、強い精神力を回復させるための処方箋を示します。なぜ日本人はここ二十年で、かくも「ひ弱」になったのでしょうか。
過剰な被害者意識を振り回し、周囲に迷惑をかける「エセ被害者」。彼らに少しでも悩まされた経験のある人には、必読の書と言えるでしょう。
著者について
1955年、京都府生まれ。東京大学医学部医学科卒業。医学博士。精神科医。1996年、那覇市に「なかまクリニック」を開業、現在に至る。著書に『分裂病の実践知と治療』、『ブルマーはなぜ消えたのか』。
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2008/6/1)
- 発売日 : 2008/6/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 189ページ
- ISBN-10 : 4106102706
- ISBN-13 : 978-4106102707
- Amazon 売れ筋ランキング: - 444,452位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2024年2月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
多くの人が内心思っていることを精神科医でありながら、よく言ってくれたと思う。というか、精神科医も多くの人が感じているように思っているのだな、と安心した。著者の発言は一見すると過激に思えるが、要するに世の中の風潮に流されず、患者の状況に応じて適切に診断すべきと述べているだけで極めて真っ当な話だと思う。本当に苦しんでいる患者と、単にズルをしようとしているだけの患者を見分けて診断することは医師として大切なことだと思った。
2023年1月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「『自称弱者』が最強」じゃないかと常々思っています。私は弱く振る舞えないので、ちょっとした事ですぐハラスメントだの適応障害だのと主張する人はずるいなぁと思ってしまいます。そして、そういう人を過剰に庇護する人は偽善者だと思ってしまいます。でもそんな事口にしたら、とんでもなく非常識で時代錯誤な考え方と評される世の中。正直うんざりです。
しかし、精神科医にも同じような考えの先生がいらして、ちょっとホッとしました。分かってくれる人もいるのだと勇気づけられました。
私のモヤモヤした気分を専門的な知見から論理的に打破してもらえた気がして嬉しかったです。
「被害者が訴えたらハラスメント確定」と安易に片付ける、会社の上層部の方々に読んでもらいたいものです。
しかし、精神科医にも同じような考えの先生がいらして、ちょっとホッとしました。分かってくれる人もいるのだと勇気づけられました。
私のモヤモヤした気分を専門的な知見から論理的に打破してもらえた気がして嬉しかったです。
「被害者が訴えたらハラスメント確定」と安易に片付ける、会社の上層部の方々に読んでもらいたいものです。
2012年4月27日に日本でレビュー済み
本書は、精神科医でいらっしゃる著者が、被害者救済のための
論理が必要以上に拡大されて適用されている現状を憂えた本で
ある。
本書は7章構成になっていて、内容的には、主に第5章までの
前半と、第6章、第7章の後半に分かれている。
第1章では、朝青龍の休養期間中にサッカーをしていたことを
糾弾されたことにより心の病になったという問題についてふれ、
現在では「心の病」が大きな力を持っていることを提示している。
これを導入として、第2章では依存症や適応障害などについて、
第3章ではセクハラについて、第4章では理不尽な医療訴訟に
ついてまとめられている。そして第5章では、これらを「被害者
帝国主義」とまとめている。
後半の第6章、第7章では、こういった時代に対して、あいまい
さや裁量を許す、もっとゆとりのある社会の必要性や、精神力
そのものを鍛えるための7つのポイントなどが示されている。
確かに、近年過熱する感のある「〜ハラスメント」や「〜障害」に
よって、冤罪などのマイナス面も出ているだけに、現在の潮流
に逆行して専門家の立場から一石を投じてる本書の意義は大きい。
ただ、著者が被害者帝国主義として提示する第2章〜第4章の
内容は、同列に扱えるものなのだろうか。すなわち、ただ休職し
たいがための証言を求めている感のある患者に対しての著者の
姿勢には同意できるが、他のレビューにもあるのだが、本書で
紹介されている強姦被害女性に対しての著者の姿勢には、強い
疑問を呈せざるを得ない。
総じて見れば、現在の過熱した被害者帝国主義に一石を投じた
点では意義深い本であるが、著者が例示する個々の症例について
は吟味しながら読み説く必要があるかもしれない。
論理が必要以上に拡大されて適用されている現状を憂えた本で
ある。
本書は7章構成になっていて、内容的には、主に第5章までの
前半と、第6章、第7章の後半に分かれている。
第1章では、朝青龍の休養期間中にサッカーをしていたことを
糾弾されたことにより心の病になったという問題についてふれ、
現在では「心の病」が大きな力を持っていることを提示している。
これを導入として、第2章では依存症や適応障害などについて、
第3章ではセクハラについて、第4章では理不尽な医療訴訟に
ついてまとめられている。そして第5章では、これらを「被害者
帝国主義」とまとめている。
後半の第6章、第7章では、こういった時代に対して、あいまい
さや裁量を許す、もっとゆとりのある社会の必要性や、精神力
そのものを鍛えるための7つのポイントなどが示されている。
確かに、近年過熱する感のある「〜ハラスメント」や「〜障害」に
よって、冤罪などのマイナス面も出ているだけに、現在の潮流
に逆行して専門家の立場から一石を投じてる本書の意義は大きい。
ただ、著者が被害者帝国主義として提示する第2章〜第4章の
内容は、同列に扱えるものなのだろうか。すなわち、ただ休職し
たいがための証言を求めている感のある患者に対しての著者の
姿勢には同意できるが、他のレビューにもあるのだが、本書で
紹介されている強姦被害女性に対しての著者の姿勢には、強い
疑問を呈せざるを得ない。
総じて見れば、現在の過熱した被害者帝国主義に一石を投じた
点では意義深い本であるが、著者が例示する個々の症例について
は吟味しながら読み説く必要があるかもしれない。
2008年7月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
疾患の名称などを除けば、(恐らく意図的に)医学的な専門用語などの難解な
語句や表現を用いる場面が少なく、平易でこなれた、判りやすい文章と論調なので
あくまでも一般の読者に向けられた書だろう。
専門家が読み込めばまた異なる意見もあろうが、少なくとも私にとっては
漠然と感じていた「どうも納得いかない・・・」という疑問や不満を
すっきりと言葉に現してもらえて、大変に共感しまた満足した。
筆者は患者(に限らず「心の傷」を自称するひとたち)の弱さを非難したり
断罪しようというのではない。
例えば「苦痛を訴える。すなわち救済の対象」であったり
「悪いのは個人でなく社会。きみは悪くないよ」であったりというような、現在の社会で
一般に通用している、事態を必要以上に単純化したり事態の本質を
摩り替えたりするような風潮を良しとしないということなのではないか。
よく読みこめば、筆者は臨床にあたっては医師として・専門家としての信条・信念に
反する部分をぐっと飲み込んで、患者の意向にあえて従う場面が多々あるようだということが
伺え、そこからしても弱者を見捨てるような厳しい対応をしているとは到底思えない。
むしろ、社会情勢や時代の変化から、苦痛の自己申告レベルやそれに対する周囲の反応が
極端なものになってきていて、それが事態の本質を見失わせつつあることに対して
問題提起をしているように受け取れた。
それはすなわち、個人の内面をより深く理解しようという姿勢の、あらわれではなかろうか。
帯の惹句や、筆者が読者にわかりやすく提供する「○○主義」などの語句が少々センセーショナルで
ショッキングなようなので、読み手によっては弱者を退けるかのような印象を持つかも知れない
(実際、そのように読んだ方もいるようだ)。だがそのように感じて頁を閉じてしまうのはもったいない。
ぜひ最後までよく読んでもらいたい。
私は、もし心に病を感じたら、このような医師に診てもらいたいと強く思った。
語句や表現を用いる場面が少なく、平易でこなれた、判りやすい文章と論調なので
あくまでも一般の読者に向けられた書だろう。
専門家が読み込めばまた異なる意見もあろうが、少なくとも私にとっては
漠然と感じていた「どうも納得いかない・・・」という疑問や不満を
すっきりと言葉に現してもらえて、大変に共感しまた満足した。
筆者は患者(に限らず「心の傷」を自称するひとたち)の弱さを非難したり
断罪しようというのではない。
例えば「苦痛を訴える。すなわち救済の対象」であったり
「悪いのは個人でなく社会。きみは悪くないよ」であったりというような、現在の社会で
一般に通用している、事態を必要以上に単純化したり事態の本質を
摩り替えたりするような風潮を良しとしないということなのではないか。
よく読みこめば、筆者は臨床にあたっては医師として・専門家としての信条・信念に
反する部分をぐっと飲み込んで、患者の意向にあえて従う場面が多々あるようだということが
伺え、そこからしても弱者を見捨てるような厳しい対応をしているとは到底思えない。
むしろ、社会情勢や時代の変化から、苦痛の自己申告レベルやそれに対する周囲の反応が
極端なものになってきていて、それが事態の本質を見失わせつつあることに対して
問題提起をしているように受け取れた。
それはすなわち、個人の内面をより深く理解しようという姿勢の、あらわれではなかろうか。
帯の惹句や、筆者が読者にわかりやすく提供する「○○主義」などの語句が少々センセーショナルで
ショッキングなようなので、読み手によっては弱者を退けるかのような印象を持つかも知れない
(実際、そのように読んだ方もいるようだ)。だがそのように感じて頁を閉じてしまうのはもったいない。
ぜひ最後までよく読んでもらいたい。
私は、もし心に病を感じたら、このような医師に診てもらいたいと強く思った。
2012年11月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「もっと、しっかりしてくれ」と言いたい。
この本読んで、やたら感情的になって怒りをぶちまけたレビューを書いてしまったんだけど。本当に申し訳ない。
他のレビューアで、第7章で、著者が、●●された女性に「忘れるしかないよ」と言った件で、精神科医としてそれはどうか?という疑問が出されてるけど。そんな難しい話かなあ。
職業と関係なく、「人として絶対言ってはならないこと」を言ったのだから、グレーゾーンなどには当てはまらず、アウト!というだけじゃん。
この状況で患者が甘えていると考えるのはおかしい。
もちろん、それで患者が「忘れればいいんだ!」と心の整理がついた、という話なら問題ないよ。「医者は患者を治したもの勝ち」だから。しかし、そう書いてなければ、PTSD患者がサディスティックな医者にかかって悪化し、ヒステリー性混迷を併発したとしか読めない。
例えば、電車内で身に覚えがないのに痴漢呼ばわりされて、人生が滅亡してしまう、という話とはまったく別の話だし。違う話を混ぜないでよ。
飲食店で、たまたま同じ店の女性客に「デブ」と言ったなんて話も(「デブ」などと言ってない場合は冤罪だけど、言ったなら冤罪でも何でもない。で。言ったようだ)、普通は傷ついて怒るのが正常(弱さを武器にしてるわけじゃなし)なんだから、普通は言わないようにするでしょ?そのときその旦那さんも怒ったけど、それは怒らなかったらそれこそ男じゃなく、離婚されて慰謝料払われても文句は言えない。著者が「『デブ』と言うぐらい」云々言うのは理解できないけど、あえて言えばそう考える男の甘えじゃない?というか、この場合は、「冤罪だ!俺は被害者だ!」と弱者の立場を取らずに、その場で謝れば、それこそ辺境の話で、大したことにはならなかったと思うけど。
同じ第7章の後半で。
西本育夫氏が、アメリカに渡ったとき、1日に17時間研究して後世に残る偉大な研究業績をあげたそうで。
一方で、著者がアメリカに渡ったとき、「成績が著しく悪い」という理由で半年でクビになり、2度目のチャンスはなかった、ってことだね。
いやあ、とてもためになるなあ。それに、非常に分かりやすい話だよ。
分からないのは、そこで、著者が自慢げに得々と、若い人に「チャンスは、身近にあるときは、ごく当たり前にあるように思うものです(しかし、時が過ぎればそのようなチャンスはめったにない)」云々お説教してるのだが。
ここって、自慢するところなのぉ? ?
もしかして著者は「何故、自分に2度目のチャンスが来なかったのか?」を本当に理解していないの?何で「この程度のオファーなどいつでも来るんだ」とか楽観できるの?
もちろん、西本氏のような真似はなかなかできないから、真似しろというつもりはないけどさあ。著者が日本で成績優秀なのにアメリカではほとんど落ちこぼれ的評価を受けたってことは、著者の専門でもアメリカの研究者は1日14時間研究は珍しいことではなさそうだね。(つうことは、やはり、日本は遅れてる、ってこと?)それならば、精神科医というものは、17時間は無理でも、14時間やるぐらいの覚悟で研究する仕事であって、それが無理なら他の仕事を探す、とか考えないのかなあ?子供じゃないんでしょ?
そこまで想像力がない人間がこの世にいるとは考えてもみなかったよ。それで、どうやって診断や治療ができるのかなあ?
pp54-55で、職場の辛さを訴えててる患者に心の中で「なさけない」などと呑気なことを考えているが。医者なら「診察」に集中するところでしょ?もしかしたら、状況をすべて考慮に入れて「通常の人間が感じる不安だ」と判断したのかもしれないけど、この様子では「このお医者さんは『診察をしていない』んだ。それなのに、診断とか治療とか言っている」と思われちゃうよ?というか、この想像力のなさから考えて、結局何も考えてないんだ、って思っちゃうよ。
いくら落ちぶれたとはいっても、「ナースキャップがなくなって、寂しい」などと言ってる人には同情されたくないよ。
てっきり「ナースキャップは、実際はとても清潔であって、大事な機能があったのだ」という議論をするものと思ってたのに。
患者はそれこそ、生きるか死ぬか、の苦痛の毎日なんだよ?
いろいろ理屈こねてるけれど、本音は個人的趣味として「寂しい」というだけの話に理屈を付け加えただけじゃない?それなら、本書くより「ナースキャップ同好会」とかがあるんだったら、入って楽しもうよ。
何か、著者は「あえて、『現代の潮流』に従ってます」なんて、世論に振り回されてるような感じもして、ちょっと頼りないなあ。もっと信念をもって頑張ってくださいよ。
まあ、このレビューがこの本のテーマは違うことも分かるんだけど。ただ、本当に中嶋先生が本当に軽度の障害と重度の障害をきちんと区別して診断できているのか?が、いまいち信用できないんだよね。そこが信用出来なければこの本のテーマは無意味じゃん。弱者帝国主義も問題だけど、社会に与える害悪に関しては、万が一、心が弱い(想像力がないのも弱さのうちだよ?)精神科医という強い立場の人がいたらとんでもないことになるよ?本来治る患者まで症状を酷くして、社会に害を広げてしまうでしょ?まあそれでも、医者は責任をとられないだろうから、医者には実害ないだろうけど。治療が不適格だったかどうかなど、まず立証不可能だから。
追記: レビューを何度も書き直してばかりで、本当に、アマゾンの方々やレビューを読んでくださる方々には本当にご迷惑をおかけしてます。すみません。「世の中には、こんな人もいるの?」「この人は何を考えてこの本を書いたのか?」というのが、なかなか把握できないので(何か、宇宙人の書いた本?という感じ)こちらも混乱してしまって。
書いてあることはいいことだよ。特に私にとっては、1日17時間研究ってのが人間に可能なのだ、というところで明るい希望が沸いてきた。精神科医なら14時間でいいかもしれないが、医者に頼らず不安を克服するには17時間の覚悟ってのはうまくいくかもしれない。
この本読んで、やたら感情的になって怒りをぶちまけたレビューを書いてしまったんだけど。本当に申し訳ない。
他のレビューアで、第7章で、著者が、●●された女性に「忘れるしかないよ」と言った件で、精神科医としてそれはどうか?という疑問が出されてるけど。そんな難しい話かなあ。
職業と関係なく、「人として絶対言ってはならないこと」を言ったのだから、グレーゾーンなどには当てはまらず、アウト!というだけじゃん。
この状況で患者が甘えていると考えるのはおかしい。
もちろん、それで患者が「忘れればいいんだ!」と心の整理がついた、という話なら問題ないよ。「医者は患者を治したもの勝ち」だから。しかし、そう書いてなければ、PTSD患者がサディスティックな医者にかかって悪化し、ヒステリー性混迷を併発したとしか読めない。
例えば、電車内で身に覚えがないのに痴漢呼ばわりされて、人生が滅亡してしまう、という話とはまったく別の話だし。違う話を混ぜないでよ。
飲食店で、たまたま同じ店の女性客に「デブ」と言ったなんて話も(「デブ」などと言ってない場合は冤罪だけど、言ったなら冤罪でも何でもない。で。言ったようだ)、普通は傷ついて怒るのが正常(弱さを武器にしてるわけじゃなし)なんだから、普通は言わないようにするでしょ?そのときその旦那さんも怒ったけど、それは怒らなかったらそれこそ男じゃなく、離婚されて慰謝料払われても文句は言えない。著者が「『デブ』と言うぐらい」云々言うのは理解できないけど、あえて言えばそう考える男の甘えじゃない?というか、この場合は、「冤罪だ!俺は被害者だ!」と弱者の立場を取らずに、その場で謝れば、それこそ辺境の話で、大したことにはならなかったと思うけど。
同じ第7章の後半で。
西本育夫氏が、アメリカに渡ったとき、1日に17時間研究して後世に残る偉大な研究業績をあげたそうで。
一方で、著者がアメリカに渡ったとき、「成績が著しく悪い」という理由で半年でクビになり、2度目のチャンスはなかった、ってことだね。
いやあ、とてもためになるなあ。それに、非常に分かりやすい話だよ。
分からないのは、そこで、著者が自慢げに得々と、若い人に「チャンスは、身近にあるときは、ごく当たり前にあるように思うものです(しかし、時が過ぎればそのようなチャンスはめったにない)」云々お説教してるのだが。
ここって、自慢するところなのぉ? ?
もしかして著者は「何故、自分に2度目のチャンスが来なかったのか?」を本当に理解していないの?何で「この程度のオファーなどいつでも来るんだ」とか楽観できるの?
もちろん、西本氏のような真似はなかなかできないから、真似しろというつもりはないけどさあ。著者が日本で成績優秀なのにアメリカではほとんど落ちこぼれ的評価を受けたってことは、著者の専門でもアメリカの研究者は1日14時間研究は珍しいことではなさそうだね。(つうことは、やはり、日本は遅れてる、ってこと?)それならば、精神科医というものは、17時間は無理でも、14時間やるぐらいの覚悟で研究する仕事であって、それが無理なら他の仕事を探す、とか考えないのかなあ?子供じゃないんでしょ?
そこまで想像力がない人間がこの世にいるとは考えてもみなかったよ。それで、どうやって診断や治療ができるのかなあ?
pp54-55で、職場の辛さを訴えててる患者に心の中で「なさけない」などと呑気なことを考えているが。医者なら「診察」に集中するところでしょ?もしかしたら、状況をすべて考慮に入れて「通常の人間が感じる不安だ」と判断したのかもしれないけど、この様子では「このお医者さんは『診察をしていない』んだ。それなのに、診断とか治療とか言っている」と思われちゃうよ?というか、この想像力のなさから考えて、結局何も考えてないんだ、って思っちゃうよ。
いくら落ちぶれたとはいっても、「ナースキャップがなくなって、寂しい」などと言ってる人には同情されたくないよ。
てっきり「ナースキャップは、実際はとても清潔であって、大事な機能があったのだ」という議論をするものと思ってたのに。
患者はそれこそ、生きるか死ぬか、の苦痛の毎日なんだよ?
いろいろ理屈こねてるけれど、本音は個人的趣味として「寂しい」というだけの話に理屈を付け加えただけじゃない?それなら、本書くより「ナースキャップ同好会」とかがあるんだったら、入って楽しもうよ。
何か、著者は「あえて、『現代の潮流』に従ってます」なんて、世論に振り回されてるような感じもして、ちょっと頼りないなあ。もっと信念をもって頑張ってくださいよ。
まあ、このレビューがこの本のテーマは違うことも分かるんだけど。ただ、本当に中嶋先生が本当に軽度の障害と重度の障害をきちんと区別して診断できているのか?が、いまいち信用できないんだよね。そこが信用出来なければこの本のテーマは無意味じゃん。弱者帝国主義も問題だけど、社会に与える害悪に関しては、万が一、心が弱い(想像力がないのも弱さのうちだよ?)精神科医という強い立場の人がいたらとんでもないことになるよ?本来治る患者まで症状を酷くして、社会に害を広げてしまうでしょ?まあそれでも、医者は責任をとられないだろうから、医者には実害ないだろうけど。治療が不適格だったかどうかなど、まず立証不可能だから。
追記: レビューを何度も書き直してばかりで、本当に、アマゾンの方々やレビューを読んでくださる方々には本当にご迷惑をおかけしてます。すみません。「世の中には、こんな人もいるの?」「この人は何を考えてこの本を書いたのか?」というのが、なかなか把握できないので(何か、宇宙人の書いた本?という感じ)こちらも混乱してしまって。
書いてあることはいいことだよ。特に私にとっては、1日17時間研究ってのが人間に可能なのだ、というところで明るい希望が沸いてきた。精神科医なら14時間でいいかもしれないが、医者に頼らず不安を克服するには17時間の覚悟ってのはうまくいくかもしれない。
2012年9月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
自分を被害者だと主張し、他人に責任を押付け、
自分の決断に責任一つもとうとしない風潮を一刀両断してくれる本。
著者の主張としては、真の被害者が正当な権利を主張でき、救われることは大事だが、
それに便乗して、自己責任を放棄する人はいかがなものか?ということを問うたものです。
極めて常識的感覚の主張であり、企業幹部、医療福祉関係者など
多くの方にとって必読書です。
自分の決断に責任一つもとうとしない風潮を一刀両断してくれる本。
著者の主張としては、真の被害者が正当な権利を主張でき、救われることは大事だが、
それに便乗して、自己責任を放棄する人はいかがなものか?ということを問うたものです。
極めて常識的感覚の主張であり、企業幹部、医療福祉関係者など
多くの方にとって必読書です。
2010年4月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「病人の気持を理解していない」という批評が多くてびっくり。うつ病を患った個人的な体験から言うと、「心の病」について、現代の医療は様々な治療を施してくれるけれども、医師にすべて丸投げで、「こうなったのは周りのせい」と患者が思った状態のままでは、病気は絶対よくなりません。著者は至極まっとうな主張を述べていると思います。