南直哉氏は茂木さんよりも4歳年上。どういう人生を歩んできたのか、詳細は私は知らないが、若い時代に結構のた打ち回ってこられた方だと思う。その結果、哲学志向となって、その南さんにピッタリきたのが仏教だったのだろう。
南さんは茂木さんに自分と非常に似た資質を見出す。南さんは茂木さんの「心身問題」に関し、「クオリア」という、ある質感の概念を持ち出したことで、通常の科学者の常軌を逸してしまったのではないかと思ったという。つまり、普通の科学者ならば身(脳)から意識(心)にいたるまでダイレクトな化学反応みたいなものを解明しようとするはずだが、茂木さんはその中間に「クオリア」という数値化できない質感を媒介させた。それはすなわち科学の否定であり、仏教の世界への歩み寄りのように見えたそうだ。更に茂木さんは、「仮想」「偶有性」という概念をもちだし、そこには何か戦略をもっているのではないかと南さんは勘ぐるが、対談の結果、茂木さんはある戦略に沿ってこれら概念を持ち出したのではなく、すべてこれらのキイワードを得たきっかけは現実からのリアルな働きかけがあったからだという。これはすなわち仏教の「悟り」のようなものだ。
茂木さんは世界を解明したいという野望を持っている。しかし人間には解明しきれないものがあるのであって、そもそも人間の中心には「不在」があるのだと、2回目の対談で南さんと茂木さんとは合意する。
であれば、茂木さんが科学的手法によって解明したいと思っているものは、実は「不在」であって、解明しきれないもの、すなわち釈迦が言った「無記」として片付けるべきものかもしれないのだ。茂木さんはまだ若いせいだろうか、或いは知的なことに関しては今まで負け知らずであり、自らの知力に頼むところが大きいからだろうか、未だに方法論も含めて世界解明のために模索を続けている。
南さんはそこに、いつか深甚なる絶望に陥るのではないかと察したのだろう、茂木さんに出家したらどうか、と迫る。茂木さんは肯じない。まだ科学者としてやりたいという。
三度目の対談の最後の二人の対話;
茂木 朝シャワーを浴びながら、「俺は孤独だな」と思ってたけど、今日はお会いできて本当に良かった。
南 お互いをどれだけ理解しているかわからないけど、ある程度通じているなという幻想はある。久しぶりに会うと、ちょっとだけホッとしますね。
茂木 ホッとすると同時に、何か・・・・、
南 嫌だなあと(笑)
茂木 そうそう(笑)。自分の鏡像を見せられているようでもいて。だから、ニーチェの「星の友情」ぐらいの距離がいい。「われわれは、それぞれその目的地と航路とをもっている二艘の船である」。
南 ちょっと格好つけ過ぎじゃないですか。
茂木 ニーチェは「また二人は会うことはない」と言っていますけど、我々は、またいつかお会いしましょう。どこまで続くかわからない、人生という泥沼の中で。
(それで、この後ニーチェの「星の友情」が引用されている)
--------------------------------------------------------------
この、南さんの、おそらく人生の先輩としての、茂木さんへの思いやり。そして茂木さんとして、まだ自分の思うようにやらせてもらう、という突っ張り。最後はニーチェを引用して、暫く二人は会わないほうがいい、という絶好宣言をやわらかに二人でしている。
これは本当にすごい。現代の、深く品格の高い哲学者同志の会話だと感じた。
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人は死ぬから生きられる: 脳科学者と禅僧の問答 (新潮新書 307) 新書 – 2009/4/1
我々はどこから来たのか、そしてどこへ行くのか----。人類誕生以来、問われ続けてきたアポリアに、脳科学者と禅僧が挑む。死はすべての者に平等に訪れる。けれど誰もが望んでこの世に生まれてくることはできない。つまり、「私」に根拠はないのだ。だからこその苦、だからこその人生。それでも、その苦しみを引き受け、より良く生きるための方法はある。無常の闇に射す一筋の光明を探すため----。科学と宗教を代表する二人の知の怪物が、存在を賭けて挑む、脳と仏教の真剣勝負!
- 本の長さ189ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2009/4/1
- ISBN-104106103079
- ISBN-13978-4106103070
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商品の説明
著者について
茂木健一郎(もぎ・けんいちろう):1962年東京生まれ。脳科学者。「クオリア」をキーワードとして、脳と心の関係を探求している。著書に『脳と仮想』『ひらめき脳』など。
南直哉(みなみ・じきさい):1958年長野生まれ。禅僧。福井県霊泉寺住職、青森県恐山の院代(山主代理)を務める。著書に『老師と少年』『正法眼蔵を読む』『なぜこんなに生きにくいのか』など。
南直哉(みなみ・じきさい):1958年長野生まれ。禅僧。福井県霊泉寺住職、青森県恐山の院代(山主代理)を務める。著書に『老師と少年』『正法眼蔵を読む』『なぜこんなに生きにくいのか』など。
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2009/4/1)
- 発売日 : 2009/4/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 189ページ
- ISBN-10 : 4106103079
- ISBN-13 : 978-4106103070
- Amazon 売れ筋ランキング: - 211,178位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1962年、東京生まれ。脳科学者。ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー、慶應義塾大学特別研究教授。東京大学理学部、法学部卒業後、 東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て現職。専門は脳科学、認知科学。2005年、『脳と仮 想』で、第4回小林秀雄賞を受賞。2009年、『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 15歳の寺子屋 ひとり遊びのススメ (ISBN-13: 978-4062162678 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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2016年6月3日に日本でレビュー済み
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生きることは死を忘れる営み、なのだが時々死から生きてることを考えるのも大切だと思う。
2009年9月23日に日本でレビュー済み
脳科学者と禅僧が人生について語り合った深みのある対談集。大きな意味の生命哲学について探求する手法として
それぞれ科学と宗教を選んだ両者が、今までのその過程とその成果を明かしながら関連づけながら読者を引き込んでいく。
対談集という形式がそれぞれの見識の深さを存分に発揮させなくすることは正直のところ否めない。
なのでこの本は両者ともの初心者で、仏教やクオリア、仮想、遇有性などの知識に明るくない人に最大の威力を発揮すると思う。
「答え」と「問い」への姿勢と“生きる”という事。
諸行無常、一切是苦、不立文字などの概念とその奥の意味。
行雲流水なる世界で、疑団を抱えて、無記なるものへ。
人生は無常である。
それぞれ科学と宗教を選んだ両者が、今までのその過程とその成果を明かしながら関連づけながら読者を引き込んでいく。
対談集という形式がそれぞれの見識の深さを存分に発揮させなくすることは正直のところ否めない。
なのでこの本は両者ともの初心者で、仏教やクオリア、仮想、遇有性などの知識に明るくない人に最大の威力を発揮すると思う。
「答え」と「問い」への姿勢と“生きる”という事。
諸行無常、一切是苦、不立文字などの概念とその奥の意味。
行雲流水なる世界で、疑団を抱えて、無記なるものへ。
人生は無常である。
2010年1月21日に日本でレビュー済み
『人はどこから来てどこへ行くのか。何故、何のために存在するのかー』
科学vs宗教、と言えば大袈裟かもしれないが、人間が有史以来問い続けてきたこの大命題に、有名な脳科学者の茂木健一郎氏と、曹洞宗の禅僧・南直哉氏が挑む。本書は、主にこの二人の対談形式で綴られている。
この書を面白くしている一番の要素は、茂木氏が 『科学者らしくない』 ことと、南氏が 『普通の禅僧の枠からはみ出ている』 こと。茂木氏は科学的なアプローチを限界のあるものと悟っており、南氏も禅僧なのに 『茂木さんの本は読ませていただきました』 (対談が決まったから読んだのではなく、そんなことのないうちから脳科学の本なんてものを本屋で見つけて読んだのである) という言葉の通り、仏教だけでなく世の中のものも広く吸収しようとしている人だ。端的に言えば二人とも、『らしくない』 のである。これがガチガチの科学者とガチガチの宗教者の対談だったら、ここまで面白くはなかっただろう。(ケンカバトルを見たい人にはいいかもしれないが)
特に、ハッとさせられた内容がある。
仏教では(特に禅宗では)、『常に問い続ける』 という姿勢が大事だと言っている。人間が 『ああ、これはこうなんだ』 と何かをひとつの真理として理解した(正確には理解したつもりになった)瞬間、そこでもうその人の世界は終わってしまうと。悟っても、悟りの上にさらに悟りを開けということ。平たくは、『同じところにとどまっているな』 ということであろう。
人間弱いもので、特に自分なりの哲学や信仰を確立している人にありがちなのだが、『自分が正しくて、他は間違っている』という状態に陥りやすい。
また、一度何かを信じたら、その教えなり考え方に安心してしまって、自らの成長をストップさせてしまうということが起こり得る。南氏は、その状態を『人生を質入れする』 という面白い表現で言い表している。これは、肝に銘じたいことである。
私は、ある特定の信仰をもっているが(残念ながら仏教ではない)、でもこの南氏は尊敬に値する。世のために宗教の違いを超えて協力していくとするなら、このような人物とぜひ取り組みたいものだ。
あ、茂木氏ももちろんステキw
科学vs宗教、と言えば大袈裟かもしれないが、人間が有史以来問い続けてきたこの大命題に、有名な脳科学者の茂木健一郎氏と、曹洞宗の禅僧・南直哉氏が挑む。本書は、主にこの二人の対談形式で綴られている。
この書を面白くしている一番の要素は、茂木氏が 『科学者らしくない』 ことと、南氏が 『普通の禅僧の枠からはみ出ている』 こと。茂木氏は科学的なアプローチを限界のあるものと悟っており、南氏も禅僧なのに 『茂木さんの本は読ませていただきました』 (対談が決まったから読んだのではなく、そんなことのないうちから脳科学の本なんてものを本屋で見つけて読んだのである) という言葉の通り、仏教だけでなく世の中のものも広く吸収しようとしている人だ。端的に言えば二人とも、『らしくない』 のである。これがガチガチの科学者とガチガチの宗教者の対談だったら、ここまで面白くはなかっただろう。(ケンカバトルを見たい人にはいいかもしれないが)
特に、ハッとさせられた内容がある。
仏教では(特に禅宗では)、『常に問い続ける』 という姿勢が大事だと言っている。人間が 『ああ、これはこうなんだ』 と何かをひとつの真理として理解した(正確には理解したつもりになった)瞬間、そこでもうその人の世界は終わってしまうと。悟っても、悟りの上にさらに悟りを開けということ。平たくは、『同じところにとどまっているな』 ということであろう。
人間弱いもので、特に自分なりの哲学や信仰を確立している人にありがちなのだが、『自分が正しくて、他は間違っている』という状態に陥りやすい。
また、一度何かを信じたら、その教えなり考え方に安心してしまって、自らの成長をストップさせてしまうということが起こり得る。南氏は、その状態を『人生を質入れする』 という面白い表現で言い表している。これは、肝に銘じたいことである。
私は、ある特定の信仰をもっているが(残念ながら仏教ではない)、でもこの南氏は尊敬に値する。世のために宗教の違いを超えて協力していくとするなら、このような人物とぜひ取り組みたいものだ。
あ、茂木氏ももちろんステキw
2009年4月17日に日本でレビュー済み
読後感想第一声:わーい。気持ちよかった。
良い頭=良い心から出てきた良いことばのオンパレード。
どのような職種においても、仕事の質を追求していくと、こういうところに行き着くかなという対談。気持ちがいいです。知性とはこういうふうに使うものだとすなおに拍手。ちょっとシニカルに聞こえる表現も知的な笑いとユーモアがお好きな人にはお勧め。追記:まじめなトピックです。死生感とか。ただ、視点が面白かった。かなり見切ってる。
実のところかなりピンポイントかも。
あとがき。「この透明な孤独こそ、生を快楽する知の代償である。」
こんなことがさらりと言えてしまうところに日ごろ、感じていながら、ことばで表現できなかったことを代弁してもらったようで、読んでいて楽しかったです。リアリティについてや、ことばのトリックで生じるファンタジー。どこを基調として生きていくか。どのレベルでの理解を自分にゆるしていくか、等々。わたしにとっては、ニューエイジのふわふわや、小難しくてわけのわからない宗教書よりも、より現実的に人生や社会に応用できる智慧のつまったお話に思えました。
良い頭=良い心から出てきた良いことばのオンパレード。
どのような職種においても、仕事の質を追求していくと、こういうところに行き着くかなという対談。気持ちがいいです。知性とはこういうふうに使うものだとすなおに拍手。ちょっとシニカルに聞こえる表現も知的な笑いとユーモアがお好きな人にはお勧め。追記:まじめなトピックです。死生感とか。ただ、視点が面白かった。かなり見切ってる。
実のところかなりピンポイントかも。
あとがき。「この透明な孤独こそ、生を快楽する知の代償である。」
こんなことがさらりと言えてしまうところに日ごろ、感じていながら、ことばで表現できなかったことを代弁してもらったようで、読んでいて楽しかったです。リアリティについてや、ことばのトリックで生じるファンタジー。どこを基調として生きていくか。どのレベルでの理解を自分にゆるしていくか、等々。わたしにとっては、ニューエイジのふわふわや、小難しくてわけのわからない宗教書よりも、より現実的に人生や社会に応用できる智慧のつまったお話に思えました。
2009年7月29日に日本でレビュー済み
帯を読んでみると,一見「脳科学者と禅僧を対談させたら面白いんじゃないかな」みたいな安直な企画に見えます.そう思いつつ茂木さんの本ということで「ヒマ潰し」のために買って読んだのですが,仏教に対する考え方を改められてしまいました.
南直哉氏については本書で初めて知りましたが,以下の二点において他の禅僧と一線を画していると思います.
1. 仏教における大前提であり決して疑われることのない仏典を疑う
2. 寺に籠もらず世間にも目を向け仏典以外の本(脳科学等)も読む
また,茂木健一郎氏については最近賛否両論ありますけど,異なる分野でこれだけ渡り合え,かつ,クオリアの提唱により何かを一つ成し遂げたにも関わらず謙虚な態度を崩さないことから,今回の対談に最適な人物だと思います.
対談を通して,「人は死ぬから生きられる」,では,「どう生きるか」,ということについて真剣な議論が交わされます.対談の中では,「どう生きるか」の結論は出ませんでしたが,自分の人生を「どう生きるか」について自分で考えるためのヒントが対談の隅々に得ることができました.
南直哉氏については本書で初めて知りましたが,以下の二点において他の禅僧と一線を画していると思います.
1. 仏教における大前提であり決して疑われることのない仏典を疑う
2. 寺に籠もらず世間にも目を向け仏典以外の本(脳科学等)も読む
また,茂木健一郎氏については最近賛否両論ありますけど,異なる分野でこれだけ渡り合え,かつ,クオリアの提唱により何かを一つ成し遂げたにも関わらず謙虚な態度を崩さないことから,今回の対談に最適な人物だと思います.
対談を通して,「人は死ぬから生きられる」,では,「どう生きるか」,ということについて真剣な議論が交わされます.対談の中では,「どう生きるか」の結論は出ませんでしたが,自分の人生を「どう生きるか」について自分で考えるためのヒントが対談の隅々に得ることができました.
2010年2月23日に日本でレビュー済み
最初は、茂木さん、南さんに押されているなーという印象。どちらかというと、茂木さんのふんわりとした問題提起に対して、南さんが鋭ーく切り返す。その問題の定義自体から。
それが3部構成の最終章ぐらいから、茂木さん、やや形勢有利になってくる。この対談は2004年から2008年にかけて足がけ5年かかっているが、その間に、茂木さんが色々な刺激を受けて、軸足となるコンセプトに一貫性が出てきて、若干自信がついていたということもあったのかもしれない。
星3つなのは、「生」を問うのに、二人の男性方はもう一つの「性」に深く触れなかったから。最後の方になるにつれ、あのー、「生」は女性抜きでは存在しえないのですけど・・・と何度呟いたことか。まさに片手落ちな感じ。結果的に、「生」を繋いで行くことについてもあまり触れられず・・・これって女性的な発想?
後から知ったのだが、禅僧というのは、結婚は出来るが、子孫は残さないのだそう(現に南さんは、恐山に婿入りしている)。一方、茂木さんは、結婚して中学生の息子さんがいる。
ひょっとすると、茂木さんは、禅僧のシキタリを知っていて、敢えて繋いで行く「生」のことは出さなかったのかもしれない。。。と考えると、茂木さんの方が度量が広いということなのか?? この本で茂木さんを見直しました。。(笑)
それが3部構成の最終章ぐらいから、茂木さん、やや形勢有利になってくる。この対談は2004年から2008年にかけて足がけ5年かかっているが、その間に、茂木さんが色々な刺激を受けて、軸足となるコンセプトに一貫性が出てきて、若干自信がついていたということもあったのかもしれない。
星3つなのは、「生」を問うのに、二人の男性方はもう一つの「性」に深く触れなかったから。最後の方になるにつれ、あのー、「生」は女性抜きでは存在しえないのですけど・・・と何度呟いたことか。まさに片手落ちな感じ。結果的に、「生」を繋いで行くことについてもあまり触れられず・・・これって女性的な発想?
後から知ったのだが、禅僧というのは、結婚は出来るが、子孫は残さないのだそう(現に南さんは、恐山に婿入りしている)。一方、茂木さんは、結婚して中学生の息子さんがいる。
ひょっとすると、茂木さんは、禅僧のシキタリを知っていて、敢えて繋いで行く「生」のことは出さなかったのかもしれない。。。と考えると、茂木さんの方が度量が広いということなのか?? この本で茂木さんを見直しました。。(笑)
2013年1月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
難しい学術的な表現の対話で 全く内容が理解できなかったです。
選ぶ私がレベルを間違いました。
選ぶ私がレベルを間違いました。