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日本人が知らない幸福 (新潮新書 328) 新書 – 2009/9/1

3.8 5つ星のうち3.8 8個の評価

わたしはボートピープルだった----。サイゴンに生まれ、七回の亡命失敗の後に合法難民として日本に移住。その後、言葉の壁や経済的苦境を乗り越えて医師となった著者の目に、日本はどう映っているのか。蛇口をひねれば水が出てくる、親子が一緒に暮らせる、健康保険が存在している......日本には私たちが気づいていない数多くの幸福がある。波乱に満ちた人生を送ってきた著者が日本を見つめる、優しくそして鋭い眼差し。

商品の説明

著者について

1965年ベトナム・サイゴン生まれ。ボートピープルとして亡命を企てるが失敗。82年に合法難民として日本移住。88年杏林大学医学部入学、94年医師国家試験に合格、帰化して日本名を取得。現在、都内のクリニックで院長を務める。著書に『それでも日本人になった理由』。

About this Title

 水の幸福

何年日本で暮らしても、夏の蒸し暑さには慣れない。
湿度が高い日には、できることなら一日中水の中で過ごせれば、どんなに幸せだろうと思う。 
梅雨明け前のある蒸し暑い休日の朝、出かける前についシャワーを浴びてしまった。じっとしていても汗が滝のように出るのだ。まして、動き回った後は気分が悪くなるくらい体中がベトベトになる。
その日は夕方別の待ち合わせがあったので、一旦帰宅して再度シャワーを浴びてから出直すことにした。
 浴室に入って、水栓を捻った。その瞬間から水が大量に流れ出る。
毎度のことで、非常に当たり前のことだが、そのことに私は幸福を感じずにいられないのだ。流れ出す上質な水を眺めて、自分と同じように幸福を感じ、感謝の意を抱く人がいるだろうか、とときどき思うことがある。
 わたしの幸福感をもう少し詳しく説明すれば、こういうことだ。そのまま飲めるくらいきれいな、むしろおいしいと思えるほどの上質な水を使いたいだけ使える環境に恵まれている。そのことを考えるだけでもわたしはうれしくなるのだ。
 一日に二回シャワーを浴びることは、今の日本ではそう珍しいことではないだろう。朝シャンプーをして、帰宅後また風呂に入るのは女性に限らないようだ。
その日、わたしも二回シャワーを浴びたわけだが、こういうときになんとなく「ちょっと悪いなあ」と思ってしまう。誰に対して(?)と言われたら困るのだが......。
たとえて言えば、あまり使い道が少ないのに欲に負けてちょっとした贅沢品を買ったときとよく似た気持ちである。
「ま、今年は雨量も十分あるし、たまにはこのくらいの贅沢をしても罰が当たらないだろう」
そんな自己弁護をしながら二回目のシャワーを楽しんだ。
              
水のありがたさを感じるようになったのはいつからだっただろうか。
わたしが子供のころ、母親は食べ物や着る服に関してあまりうるさくなかった。わたしは自分の食べたい分(ただし一人で食べ切れる量まで)だけ食事は与えられていた。贅沢品は許されないにしても、好きな服を買う自由も与えられていた。それなのに、母は水と電気だけに関しては非常に厳しくしつけした。
 母は、わたしたち子供が人が残っていない部屋から出るときに明かりを消さなかったり、観ていないのにテレビをつけっぱなしにしておいたりすると、よく怒っていたものだ。耳にタコができるくらい、よく「電気を消しなさい」と言われたものである。
 水に関しても、手を洗う際に無意味に水を勢いよくジャージャー出すと、やはり注意されたものだ。
 その母のしつけの結果、いまでも水への感謝の気持ちがあるのか。
そうではない。ある経験をするまでは、水はわたしにとってそれほど大きな意味がなかったように思える。
               
 わたしはサイゴン生まれの正真正銘のベトナム人である。いや、正確にいうと、ベトナム人"だった"。
 一九七五年四月三十日にサイゴン市が陥落した。南ベトナム政権が共産主義の北ベトナム軍に敗北して、ベトナム内戦は終結。そしてベトナム社会主義共和国が誕生したのである。そのときわたしは九歳だった。
 この日以降、わたしたち南ベトナムの国民たちはそれまで享受していた自由や人権がどれほど貴重なものだったかを思い知らされることになる。そして多くの南ベトナム人が祖国から脱出することになる。こうして大量のベトナム難民(後になってボートピープルと名付けられた)が生まれた。ボートピープルの脱出は一九九〇年代まで続く。
 難しいことはさておき、歴史上、どの敗戦の後も、どのクーデターの後も大概の場合は難民が発生するものだ。しかしほとんどの場合は陸続きで越境するというパターンで、船を使って脱出するケースは、その時まで、少なかったようだ。
 わたしもボートピープルだった。一九七八年から一九八一年まで、つまり十三歳から十六歳までの間、わたしは家族と一緒に七回ほどボートピープルとしてベトナムから逃げ出そうとしたことがある。七回も挑戦した、ということは六回は当然失敗したことになる。実を言えば七回目も失敗に終わっている。すべての脱出の試みは空しく失敗したのだ。
しかし、感受性が最も強い時期に命の保証のないまま、七回も自国から逃げ出しそうとした経験は、わたしに非常に大きな影響を与えている。これらの出来事すべてがわたしのヒストリーであり、人生そのものである。そのせいか、一つ一つの脱出の細部まで、三十年経ったにもかかわらず、未だに鮮明に覚えている。
 わたしが"水"のほんとうのありがたさを感じたのも、このときに経験したある出来事がきっかけだった。
 十五歳になる直前だった。父とすぐ上の六番目の姉(当時十七歳)と一緒に脱出を試みるために、生まれ育ったサイゴン市から約二百キロメートル離れた、メコン川の河口付近の田舎町に行ったときのことである。
脱出は、文字通り生死に関わることである。自分達が脱出しようとしていることを周りの人に気づかれないために、細心の注意が必要である。そのため、出発できるときまで父親は一人である民家(いわゆるアジト)に身を潜め、わたしと姉は別の民家に待機することになった。
 今はその町がどうなっているのか知らないが、当時は絵に描いたようなベトナムの田舎町だった。町にはメインの通りがあり、幅四、五メートルの家がその通りに面して並んでいた。家の奥行きは約十メートルほどで、裏から出れば川の上に落ちてしまう。つまり家の一部は川の上に建てられている格好だった。
 わたしが泊まった家はメインの通りに接した部分が居間と寝室で、川の上にせり出した部に分は台所と、浴室とトイレがあった。浴室とトイレは台所との間は、片隅に木材の板で仕切られていた。
トイレといっても、ただ木材でできた床に小さな穴を開けただけのものである。用を足すとその下に絶えずに流れている河が勝手に流してくれる。自然の水洗便所である。
 その家以外の周囲の民家に入ることはなかった。ただし数日間河の流れを眺めていて目にした流れて行ったものから考えると、おそらくわたしが泊まった家と構造はあまり変わらないように思えた。
 前述の通り、当時のベトナムは共産主義路線に走っていた。そのため、アメリカをはじめとした先進国との関係は悪化してしまい、経済制裁を受けていた。食糧をはじめ、エネルギーもまったく足りない状態であった。わたしが泊まったその地域は、週に三、四日は停電するという有様であった。
それでも電気は一応あった。が、生活に必要なもう一方のラインである水がなかった。飲んだり料理に使ったりするための水のことである。
 わたしがいた時期は運悪くちょうど水がない乾季だった。もちろん川の水は潤沢にあった。当然、生活に使う水は、一部を除いて、すべて川から汲んできた水ということになる。
自分や他人の排泄物が流れた河から水を汲んで洗濯したり、米や野菜や果物を洗ったり、顔と体を洗ったりすることには、やはり強い抵抗感があった。せめてもの救いは川が海に出る直前の支流なので、流れのスピードがわりと速いかったことだった。また乾季にもかかわらず、水量も多いので嫌な臭いはなかった。
 そもそもわたしは物事に対して無頓着で大雑把な性格のおかげですぐ環境に慣れた。到着して二日間と経たぬうちに、その民家の十歳と十二歳の子供たちと平気にその川に飛び込んで泳ぐようになった。
 一方、サイゴンという都会での生活が身にしみついてしまっている姉にはかなりきつかったようだ。彼女はどうしても川の水を自分の体に使うことができなかった。
 その民家は、雨季の間に雨水をタンクに溜めて、飲水と炊事に使っていた。米、野菜、果物などを洗う際はやむをえず川の水を使っていたが、料理で使う水としては雨水を使用していたのだ。
その雨水のタンクは浴室の隣に置いてあった。
 あるとき、そのタンクの傍らに姉がいるのを見た。彼女はその民家の主人がいないときを狙って、入浴する前にその貴重な水の少しだけ取って浴室に入ったのだ。
それを目撃したわたしは、底なしの深い悲しみを感じた。その家の貴重な水を贅沢に使うのは決していいことではない。
だからこそ罪の意識もあってか、彼女の体はいつもよりも一回り小さく見えた。遠くから彼女のその姿を見たわたしは何も言えなかった。
 そのときに、そのときまで自分がいかに恵まれた環境にいたのか気づいたのだ。確かに水と電気に関して、母に日頃はよく怒られていたものの、不自由を感じたり、不憫に思ったりした記憶がなかった。
当時、わたしが住んでいたサイゴン市にも週に二、三回の断水があった。が、小さい家とはいえ水を貯める池が三個もあったので、無駄使いしない限り、生活に不自由はしなかった。
そういう環境に慣れていたからこそ、姉はその田舎町でいけない行為に及んだわけだ。
 話はこれで終わらない。
 姉がその行為を及んだ翌日、季節はずれの恵みの雨が降った。大量の夕立だった。
 前日のこともあったのだろう、姉は洋服を着たまま、その民家の二人の少年と一緒になって雨の中、はしゃぎながら、水を溜める仕事を始めた。姉の笑顔が雨の中にまぶしかった。彼女のこころの曇りを夕立が洗い流したように見えた。
 自分も大声で笑いながら、唇で少しばっかりの涙のしょっぱさを味わった。天に感謝!水に感謝!と思った瞬間だった。
 水の幸福が、わたしを包んだ。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 新潮社 (2009/9/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2009/9/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 新書 ‏ : ‎ 190ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4106103281
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4106103285
  • カスタマーレビュー:
    3.8 5つ星のうち3.8 8個の評価

著者について

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武永 賢
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上位レビュー、対象国: 日本

2020年8月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
当たり前に感じていた水の大切さを再認識し、親が当たり前のように習い事や塾、自分のやりたいことを支援し続けてくれていたこと、何でも当たり前と感じ、そこに感謝をしていないことに気づきました。
また、息子への接し方についても思い直すことができました。
普段、先生の病院に通っているので興味があり読んでみました。予想以上に素晴らしい本でした
2009年10月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ベトナムから帰化した医師というところに興味を覚えました。
生い立ちや日本での生活、医学部への進学、医師として思うことなど、あれこれ書かれています。ただ、散文調というか近況報告というか極私的な内容なのでそれほど深みはありません。どれもふ〜んという感じです。
読者がもっとも知りたいのは、著者がなぜ祖国を捨てたのか?どういう葛藤があったのか?ということだと思いますが、その辺はサラリと流しています。ちと肩透かしといった感想です。
中国から帰化した石平氏や韓国から帰化した呉善花氏の本とはそこが違います。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2009年9月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
通常の日本人には希有な経験を重ねた後、日本の社会制度の隙間に生きる人々に寄り添う道を選んだ筆者。それは彼の精神的支柱である信仰ゆえの行動かも知れないが、誰よりも他人の痛みを見過ごせない。そんな筆者の眼に映る日本という国の当たり前の生活の中にある幸福。乾いた地に徐々に染み込む水の恵みに似たしみじみとした読後感がある。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2009年10月31日に日本でレビュー済み
ベトナムと日本での生活について日常生活の中から観察しています。私が気付かなかったり、知らなかった日本の良さを発見できたような気がしました。ベトナム難民からどうして日本人になるという選択肢を選んだのか。いろいろ葛藤があったのかもしれません。日本語を学び、医大を卒業し、医師になるまでは大変な苦労があったのでしょう。でもそういう経験に感謝している様子がよくわかります。また家庭の中の風景や家族を見守る暖かい眼差しが読んでいるそばから伝わってきます。著者の感じる幸福感に共感し、私の子供時代を懐かしい感じもしました。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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