プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥3,500以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。
¥814¥814 税込
発送元: Amazon.co.jp 販売者: Amazon.co.jp
¥69¥69 税込
配送料 ¥281 5月26日-28日にお届け
発送元: ほんのあ堂 販売者: ほんのあ堂
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
死刑絶対肯定論: 無期懲役囚の主張 (新潮新書 373) 新書 – 2010/7/16
購入オプションとあわせ買い
- 本の長さ204ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2010/7/16
- 寸法10.8 x 1 x 17.3 cm
- ISBN-104106103737
- ISBN-13978-4106103735
よく一緒に購入されている商品
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
商品の説明
出版社からのコメント
著者の実感では、極悪人しか収容されない「LB級刑務所」で罪を反省する受刑者は、全体の1~2%程度。しかも、裁判で徹底的にウソをつき、本来なら死刑になってもおかしくない連中が有期刑を勝ち取り、受刑者処遇法の改正以後に圧倒的に「自由」になった刑務所で「犯罪知能指数」を挙げて意気揚々と出所していくという現実があります。そんな連中にも、ありがたいことに司法は「更生の可能性」を考えてくれる。現在のような加害者への過剰配慮は、被害者の応報感情が満たされない現状を考えれば、あってはならないことだ、と著者はいいます。本書では、こうした刑務所と犯罪者の実態を踏まえ、本当に有効な刑罰のあり方(例えば「不定期刑」や「執行猶予付き死刑」というアイデア)を提示し、死刑の有効性と終身刑の非現実性を訴えています。
著者の視点でさらに独特なのは、「死刑こそが人間的な刑罰である」と訴えていることです。死と向き合い、自分の罪に真剣に目を向けることは、加害者自身の「心の平安」につながる。これは、本人のその後の生死とは関係のない、加害者にしか訪れないギフトであり、死刑を廃止することは加害者にこうした「心の平安」を得る可能性を閉ざすことにもつながる、と言います。「近代国家が人命を暴力的に奪うのは非人間的」という、死刑反対論の立脚点とは全く逆の視点を提示しています。
現在も服役中の犯罪者が量刑のあり方を語ることに反発を感じる方もいらっしゃるかも知れませんが、本書で著者本人も記しているとおり、犯罪や刑務所に関しては、受刑者にしか気付かないことが少なくありません。実際、ここまでリアルな現実に基づいて書かれた量刑論は他にありませんので、まずはご一読いただければ幸いです。
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2010/7/16)
- 発売日 : 2010/7/16
- 言語 : 日本語
- 新書 : 204ページ
- ISBN-10 : 4106103737
- ISBN-13 : 978-4106103735
- 寸法 : 10.8 x 1 x 17.3 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 315,928位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 719位新潮新書
- カスタマーレビュー:
著者について
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
この本は実際に殺人を犯して無期懲役となった著者が、檻の中の実態と殺人者の本性を記した貴重な本と言えます。
死刑廃止に賛成する人も、反対する人も、どちらもまずはこの本を読んで、実態を知ったうえで議論するべきです。
薄っぺらく書く事は出来ても実際に獄中にいる人にしか書けない事があると思う。読んでいて気持ち悪くなったが、こういう世界の現実を知るいい機会になった。
「休暇」:死刑囚と、死刑執行人を描く映画
「ショージとタカオ」:冤罪で長期収監されていた2人を映すドキュメンタリー作品
上の3作品を見ていたからこそ、著書の想いに、
より深く入り込めたのではないかと思います。
『受刑者の人権のインフレ化』
今著に何度も出てくるフレーズですが、
それが犯罪者の増長を招いているのは皮肉なことです。
できることなら“誇張”だと願いたいのですが、
もし、そうでなければ、被害者も被害者家族もうかばれません。
『永山基準』の適用で、
1審の民間人裁判の「死刑判決」が、
2審、そして最高裁で「無期懲役」に、
軽減されてしまう判決が出たばかりですが、
杓子定規に決めてしまうのも、著者が書く通り違和感が残ります。
願わくば「死刑廃止論者」にも、読んでもらいたい一冊です。
メディアを通して聞き及ぶ死刑制度廃止の議論は、囚人の人権を前面に出し、死刑=殺人というイメージを一方的に植えつけてきた様に思う。 著者のようなビブロフィリア(本の虫)の囚人による、刑務所に収監されている囚人の内情は今まで語られたことが無かった。
現在の懲役制度は教育刑という前提で作り上げられているが、果たしてそれが教育刑としての意味を成しているのかは、検証されていない。
実際刑務所に収監されている犯罪者のほとんどは反省していないという。 裁判では頭を垂れ、反省のコメントを述べるが、刑務所の中ではそんなそぶりが無い。 その様な犯罪者に人生を奪われた被害者、ならびにその親族の無念さを天秤に計って、果たして死刑以外の判決は本当に妥当なのだろうかと思う。
服役を終えて一般社会に出ても、何らかの犯罪を犯して再び収監されるケースも多々あるという。 その様な犯罪者に対しても、重い刑罰が科せられない今の法制度は非常に疑問に感じる。 死刑という究極の刑罰を以て臨まないと、犯罪の抑止力にならないのではないかと思う。
著者は本書の中で死刑更正プログラムの充実や、執行猶予付き死刑など犯罪矯正の為の提案を数多くしている。 この様な現実に基づいた提案に国も耳を傾けるべきだと切に思う。
内容を一言でいうと,まるで小賢しい学生が書き上げたレポートみたいで,読んでいるうちに頭が痛くなってきた。どこかで聞いたような御託を並べたて,それらが矛盾していることにも気づかず,意味不明な文章を書き連ねる。例えば次のようなものである。
●「ある統計によれば,戦後の受刑者の七割弱は再犯者」だから,「その反面,三割強の者は,再び刑務所に入ることなく暮らしていることになる」(p.70)
→ありがちな勘違いではあるが,「再犯者率」と「再犯率」を混同している。
●日本の司法では「判例主義」の弊害が指摘されてきた(pp.71-)
→本書のいう「判例主義」とは,いわゆる「量刑相場」のことである。これが「半ば自動的な方法」(p.80)で量刑を定めているとして,本書は批判しているのである。しかし別の箇所では,「裁判官の自由心証主義の原則があり,このことが恣意的な判決が出されたり,同種事犯での均衡を失した判決になったりする原因」(p.88)である,と全く逆の方向からの批判を展開している。いったいどっちだと言いたいのか?(なお「自由心証主義」は,事実認定に関する用語なので,ここで用いるのは不適切)
●裁判で量刑を定めるに当たっては,将来するかどうかは分からない犯人の更生の可能性を考えるべきではない(p.90,p.185)
→「更生」というのは再犯をしないことであるが,その上で本書は「執行猶予付き死刑」の導入を提言する(pp.97-)。執行猶予といっても,社会内処遇ではなく,刑務所に閉じ込めて反省文などを書かせ,基準点に達すれば無期刑に減刑するというものである(p.104)。これには次のような疑問を指摘できる。(1)裁判所には判断できない「更生の可能性」が,刑務所には判断できるとする理由は何か。(2)反省文を書くのが得意な者が死刑を免れることにならないか。(3)これによれば,同様の殺人を犯した者であっても,その後反省をした者は死刑にならず,しなかった者には死刑が科されることになる。つまり死刑の有無は反省の有無によって決められることになるわけだ。そうすると,処刑されたのは「人を殺したから」ではなくて,「反省しなかったから」ということにならないか。
本書の中で著者は,犯罪者のほとんどは反省しないと繰り返し述べている。著者によるこの観察の妥当性は脇に置くとしても,根本的な問題は次の点にある。それが厳罰化とどう結びつくのか? あるいはこう言い換えてもよい。刑罰とは「過去」の違法行為に対する制裁である。動かすことのできない過去の事実に対する評価が,犯人が「将来」行うかもしれない反省の有無に左右されるのか?
反省させることが刑罰の目的だというのであれば,上記の問いにはイエスと答えることになるだろう。この場合,犯人が既に反省しているのであれば,目的は達成されている以上,刑罰を科す根拠が無くなる。いかにもおかしな話だが,執行猶予付き死刑などという珍妙なものは,こう考えないことには説明がつかないだろう。
ところが,別の箇所では著者は,反省することが「加害者としての責務」(p.195)であると述べている。「加害者」であるかどうかは,刑を科された否かや刑期を務め上げたか否かに関わらないので(「出所したからもう加害者ではない」とは言えないだろう),これは反省と刑罰は無関係であるという前提に立たなければ成り立たない発言である。さて,結局どっちだと言いたいのか。著者は「私は決めたこと,発言したことは,損得の影響を受けることなく貫徹することを信念としていました」(p.151)と述べているが,実はそれ以前の問題として,首尾一貫した主張の組み立てができていない。
刑を科す上で実際上問題となるのは,反省の有無それ自体ではなくて,「更生の可能性」つまりは再犯の危険性である。本書の混乱の元凶は,「反省」と「更生」を混同しているところにある。反省は個人の内面の問題でその有無を量ることは難しいが,更生は再犯の有無という客観的な数値で測ることができるのであるから,両者は似ていても別個の概念だ。本書は,犯罪者の多くは反省していないから,出所しても犯罪を繰り返すだろうと素朴に考えているようだが,具体的なデータを示しているわけではない。実際はどうなのか。法社会学者の河合幹雄によれば,
「日本では,強盗殺人で無期刑になったが,仮釈放されている人々が数百人おり,それが事件を起こしていないという,奇跡的な現象がある」(『 日本の殺人 』p.9。詳しい説明は同書pp.204-)
とのことである。したがって,この点に関する本書の主張も,その信憑性は疑わしい。
レビューの冒頭では本書を「学生の書き上げたレポート」と評したが,日本の刑罰についての意見表明としては,こう言われても仕方がないくらいの稚拙さである。専門家であれば誰もまともに取り上げないだろうし,普通の人が同じ本を書いても多分売れないだろう。表紙にわざわざ「無期懲役囚の主張」と記しているところを見ると,これが恐らくは本書のセールスポイントだと思われる。最近話題になった自称作曲家の佐村河内ナントカの件と同様に,本書もその中身ではなくて執筆者の属性で評価されているわけだ。読者が望む限り,こういう商売は続くだろう。