とはずがたり・・・我国古典文学における精華であり、資料としての価値も非常に高く 観点を変え 私小説として読んでも、近代を含め 数多の国内私小説の水準を遥かに凌駕している。作品の中に横溢する、著者 後深草院二条の魅力は、拝読する者のこころを永く惹きつけてやまない。
著者・二条の執筆後 七世紀あまりの星霜を経て、英訳出版され、アメリカにおいて「1974年 全米図書賞(翻訳部門)」を受賞している。
御所生活を綴った作品としては、清少納言や紫式部による枕草子、紫式部日記があるが、それらは天皇(上皇)本人ではなく「天皇の中宮(夫人)」付き女官の御所生活であり、天皇(上皇)に直接仕え、起居を共にした著者による御所生活の記述は、例えようもなく生き生きとしている(健御前による回想録「たまきはる」も建春門院へ仕えた回想録という意味で、清少納言・紫式部と同列)。
また、「上」すなわち、お仕えする相手から「寵(ちょう)を得る」ことの意味は、著者・二条の場合は「己の人生」と「家門の名誉」を賭け、体を張った「男と女の一対一の勝負」であって、中宮付の女官のそれとは、全く迫力が違う。
本書は数世紀にわたり存在が知られていなかったが、1938年(昭和13年)に現在の宮内庁書陵部で、著名な国文学者であった山岸徳平が”発見”し(御所内の詳細な叙述であることから時勢を考慮して一般向けの出版は戦後になった)、その2年後に ”『増鏡』にも影響を与えた、『蜻蛉日記』や『更級日記』に匹敵する作品である” と発表している。
山岸教授は 単なる日記文学を超えて「人間を描く作品」として源氏物語・枕草子にも並びうる 最高峰の古典であると その炯眼を以て即時に評価したのである。
厳しく、激しい御所の生存競争の中にあって著者は天賦のうつくしさ、「歌よみ」としての卓越した能力、しして機転の利いた賢さを以て、我国の歴史上で朝廷を「南北朝」を分けた二人の天皇である後深草上皇(第89代天皇)、亀山上皇(第90代天皇)の二人、そして上皇の同母弟にあたる仁和寺法親王、若き西園寺実兼(のちの関白太政大臣)などの心を、強く捉えたのである。就中、後深草上皇からは「中宮以上」の寵愛を受け、序列No.1の女官として女御の窺う勢いがあり、まさに「時めいて」いる存在であった・・・正妻である中宮から、再三の悋気の訴えが上皇に寄せられていることは、後深草上皇の寵愛ぶりを裏書きしているとみてよいだろう)。
しかし、その愛の在り方は昨今の私利私欲に満ちた下衆な恋愛とは画然たる相違があり、実に奥ゆかしく自然で流麗であり、いわゆる彼女の作品にこと掛けて、自らの野合・交合に流された人生の自己弁護を取り繕う昨今の多くの追随者たちの「私利私欲の厭わしさ」が全く感じられない。
その生き方の潔さ、そして行間にあふれる二条の可愛いらしさ、頭脳の明晰さ、文章の燦爛たる美しさは、日本古典文学を代表する作品 として未来永劫 読み継がれるものと強く感じる。
なお、昭和13年に「発見」された、宮内庁書陵部の「とはずがたり」桂宮本5冊(天皇宸筆本、現在唯一残されている孤本)については、近時、影本(=写真版)も出版されている。

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とはずがたり 新潮日本古典集成 第20回 単行本 – 1978/9/1
福田 秀一
(著)
とはずがたり
- ISBN-104106203200
- ISBN-13978-4106203206
- 出版社新潮社
- 発売日1978/9/1
- 言語日本語
- 本の長さ424ページ
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (1978/9/1)
- 発売日 : 1978/9/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 424ページ
- ISBN-10 : 4106203200
- ISBN-13 : 978-4106203206
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,011,439位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2022年9月29日に日本でレビュー済み
2021年8月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
原文と注釈が上下二段に組まれ、原文すぐ横に現代語訳が添えられている。二色刷りである。図版入りである。――こういう工夫で確かに読みやすい。が、福田秀一氏の解釈に首肯できるかというと……??? 信頼度に疑問符を付けざるを得ない。
まず、作者「(後深草院)二条」が院から「あがこ(吾が子)」とか「あこ」と呼ばれていたのか否か。無知な一般読者は、この新潮版しか知らなければ、「吾が子」と呼ばれていたのか、そうか、と信じてしまう。だが、原典(孤本)を研究しつくしたと思われる次田香澄氏(講談社学術文庫)は、「作者(二条)の名前(呼び名)は『あかこ』(幼名)であって、院から『あがこ』とか『あこ』と呼ばれてはいない」と明言している。無知な一般読者の一人である私も、後深草院が母である大宮院との会話のなかで二条に言及したとき、「あの吾が子」などと言うはずがない、と納得できる。
また、雪の曙が二条の出産に立ち会う場面で二条にかけた言葉の解釈も、福田氏は、原文を注釈欄に提示して、別解釈の可能性を示してはいるものの、自身による現代語訳はなんとも奇妙なものになっている。雪の曙(西園寺実兼)がどれほど二条に心をくだいて接していたか、出産に至るまでの経緯(贈り物や歌や逢瀬のタイミングのはかりかた、など)があるので、出産シーンで、ただ「(苦しくても)耐えろ」なんて言うはずがない、と疑問に感じる。やはり、次田氏の解釈のとおり、「(座産を背後から支えるために)どのように腰を抱いたものか」と献身的であったはずなのだ。
ただ、次田氏による講談社学術文庫版では、現代語訳がところどころ不親切(辞書でさらに調べないと、一般読者はまだよく理解できない部分が残る)なのだが、そこをこの新潮社版で確かめられる、という利点がある。
くりかえすが、この新潮社版は、信頼度という点で疑問符が付くように感じる。
次田香澄氏の研究成果と、何かしら差異をつけなくては、というスタンスでこの新潮社版が作られたように感じてしまう。一般読者が古典に触れようとしても、どの登山口から入山すべきか、手引きが必要なのだなと、ちょっと複雑な思いがした。
まず、作者「(後深草院)二条」が院から「あがこ(吾が子)」とか「あこ」と呼ばれていたのか否か。無知な一般読者は、この新潮版しか知らなければ、「吾が子」と呼ばれていたのか、そうか、と信じてしまう。だが、原典(孤本)を研究しつくしたと思われる次田香澄氏(講談社学術文庫)は、「作者(二条)の名前(呼び名)は『あかこ』(幼名)であって、院から『あがこ』とか『あこ』と呼ばれてはいない」と明言している。無知な一般読者の一人である私も、後深草院が母である大宮院との会話のなかで二条に言及したとき、「あの吾が子」などと言うはずがない、と納得できる。
また、雪の曙が二条の出産に立ち会う場面で二条にかけた言葉の解釈も、福田氏は、原文を注釈欄に提示して、別解釈の可能性を示してはいるものの、自身による現代語訳はなんとも奇妙なものになっている。雪の曙(西園寺実兼)がどれほど二条に心をくだいて接していたか、出産に至るまでの経緯(贈り物や歌や逢瀬のタイミングのはかりかた、など)があるので、出産シーンで、ただ「(苦しくても)耐えろ」なんて言うはずがない、と疑問に感じる。やはり、次田氏の解釈のとおり、「(座産を背後から支えるために)どのように腰を抱いたものか」と献身的であったはずなのだ。
ただ、次田氏による講談社学術文庫版では、現代語訳がところどころ不親切(辞書でさらに調べないと、一般読者はまだよく理解できない部分が残る)なのだが、そこをこの新潮社版で確かめられる、という利点がある。
くりかえすが、この新潮社版は、信頼度という点で疑問符が付くように感じる。
次田香澄氏の研究成果と、何かしら差異をつけなくては、というスタンスでこの新潮社版が作られたように感じてしまう。一般読者が古典に触れようとしても、どの登山口から入山すべきか、手引きが必要なのだなと、ちょっと複雑な思いがした。
2014年5月4日に日本でレビュー済み
現代のベートーベンと言われながら、嘘だった佐村河内守、研究発表の真偽が言われている小守方さん、電車に乗っていたら女学生が「スタフッフ細胞は有ります」とか言ってたぜとか兄が言っていました。佐村だって、あんな人だと思わなかったという話を聞くのがしきり、でもこれは有名人ばかりではなく、音楽の世界だって キダー製作家を名乗って実は人にヤクザまがいの脅してギター製作させ 自身ブランドで売っていた。カサデムシカの庄司、私だって 飯村が谷崎さんの学位論文をパックリしちゃやったのを聞いてびっくりしました。さらに芸能人でも 水沢アキ、石原真理子が森本レオに てごめにされたと告白した話は有名 さらに 若い時、芸能人衝撃の告白とか言って かなり有名な人が 過去のそれもいままでばれていない 過去の色恋沙汰を告白すると 売れるらしい 物見高いは人の常 最後にゃ 確か週刊女性かなんかで匿名で手紙なんか手書きの写真つけちゃって ポルノまがいの不倫体験とか それ夫婦交換※これについてはどういう世界高は私には解りませんパートナーを交換しちゃうらしいんです。この専門の文庫本まであって こうなると 私はほとんど演出、世間で言う ヤラセだと思っています。 しかし 恐らく本当でそれも 王朝の衝撃の告白版であるのがこの本の最も大きな魅力しかし私は虚構も結構あるのではないかと思ってるのですが何と言っても 宮廷の人なので やはり はっきり言うとエロ本と言うような告白でも深みと気品が有るのが最大の売り ろくでなしが※原田俊介が書いた告白ポイ恋愛小説、桜の神話と違うわいと皆様言うこと請け合いです。ただ新潮社の本は学術的で難しいことは事実です。でも基本はこれです。
2020年10月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
娘の学校の教科書で依頼されて注文、取り寄せであったが助かりました。