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小林秀雄全集 (第6卷) 単行本 – 2001/7/1

4.6 5つ星のうち4.6 4個の評価

ドストエフスキイの生活
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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 新潮社 (2001/7/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2001/7/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 588ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4106435268
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4106435263
  • カスタマーレビュー:
    4.6 5つ星のうち4.6 4個の評価

著者について

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小林 秀雄
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1902‐1983。東京生れ。東京帝大仏文科卒。1929(昭和4)年、「様々なる意匠」が「改造」誌の懸賞評論二席入選。戦中は「無常という事」以 下、古典に関する随想を手がけ、終戦の翌年「モオツァルト」を発表。’67年、文化勲章受章。連載11年に及ぶ晩年の大作『本居宣長』(’77年刊)で日 本文学大賞受賞(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 人間の建設 (ISBN-13: 978-4101007083)』が刊行された当時に掲載されていたものです)

カスタマーレビュー

星5つ中4.6つ
5つのうち4.6つ
4グローバルレーティング

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上位レビュー、対象国: 日本

2024年2月3日に日本でレビュー済み
わたしは小林氏のラスコーリニコフ分析には興味が湧かない。そんなことより、彼が『罪と罰』を、ラスコーリニコフを、畳の上に、長屋の中にもたらしたこと、ラスコーリニコフの分析も、その線上で行われたことこそが、彼の成果であって、その畳の上での、長屋の中での、挟まれた路地の上にまでもたらした上でのラスコーリニコフの分析は、ああ、そんなことも考えているんだな、わたしと違うな、とか、よく観察しているなとか、よく読まれているなとか、考えられているなとか、あまりわたしを触発しない。つまり、あまりうまく読めていない者の感想になってしまう。でも、日本の、彼の生活圏の手触りの状況のようなところに、ラスコーリニコフを導き入れたことは、そんなことが彼に可能だったことは、彼の普段の思考が彼の生活圏の手触りをうまく巻き込むように考え抜かれており、その考え抜かれている巻き込みの中に、ラスコーリニコフも『罪と罰』も巻き込んで考えたということであり、しかしそれは彼に合わせて歪ませたという意味ではない。巻き込みの中に入れながら読んだということにすぎない。もちろん、こんなすぎないことは簡単ではないはずである。これには何か頑固なというか堅固な確固とした読みの手触りのようなものがなければならないだろうからである。氏がそれをどこで手に入れたかはわたしには考える準備が全くない。それはわたしは氏の作品をほとんど全く読んだことがないし、二、三読んだものもうまく読めなかったからである。少なくとも彼はラスコーリニコフを、『罪と罰』を日本に、彼の手触りで移植したのだ。

 小林氏のラスコーリニコフを約めて言えばこうなるだろう。最初から最後までふらふらして生きた。孤独と憂愁の中に生きただけ。最初のラスコーリニコフと最後のラスコーリニコフは変わらないと。ちょっと皮肉な言い方になってしまったが、わたしにはそう見える。小林氏はラスコーリニコフに反逆者を見ないと言っている。これは正しい、正しいという言葉が行き過ぎなら、適切なのだろうか、穏当なのだろうか。どんな惨めな姿であれ、彼を反逆者と言わないというのはないのではなかろうか。

 たしかに小林氏は生活圏の手触りを手放さず、それを巻き込むように考えたのだろう。しかし、これは、路地の幅や長屋の屋根の高さを決して越えないで感じ、思考したようなもので、だからこそ、ラスコーリニコフをここまでもたらすことはできたのだが、例えば、ラスコーリニコフの本当の狙いが、金貸しの老婆などでなく、皇帝暗殺のような、そしてそうであったって一向おかしくないはずである、社会を一新するような、その行為を境として社会が一新され、その一新された社会が今度は歴史の新たなページを開く、そんなふうに社会を暴力的にでも変えてしまう行為を是とする彼の洞察において、皇帝暗殺が頭に思い浮かばないはずがないからだ。当然、ここまで射程に入れるべきで、ただそう書かれていないというにすぎない。そうとすると、小林氏は長屋にとどまっている訳にはいかない、畳の上にとどまっている訳にはいかない。当然、自分の生活圏の屋根を越えて、日本なのだから、天皇制にまで、大日本帝国にまで考察を及ぼさないといけない。その上で、『罪と罰』に、ラスコーリニコフに向かう他なくなる。

 しかし、彼はそうしなかったと思う。それは彼のラスコーリニコフが長屋の、畳の、路地のラスコーリニコフだからである。わたしにはそう見えるからである。これは先にも言ったように成果なのだ。そして、これはまさしく彼が長屋の屋根を越えて、路地の幅を越えて思考しなかった証左のようにも思える。

 別に非難するつもりはない。氏がそういう人だったというにすぎない――誰だってそれぞれそういう人であるように。ただこれが彼のラスコーリニコフ分析に影響は与えているであろう。
2010年3月1日に日本でレビュー済み
戦時中に発表された『カラマーゾフの兄弟』に関する批評が面白かった。

この作品を、英訳で、次に、フランス語訳で読み、イワンに着目している点に興味を持った。

人物の性格付けから、『罪と罰』のラスコーリニコフの系列に属すると指摘している点では、違和感を感じた。

ラスコーリニコフの思考は、最終場面で大転換を行うための伏線として構成されているのに対して、イワンの論理は、否定しようがない問題を提起しているからだ。

その後のストーリー展開で、イワンの果たす役割はほとんどなく、この議論のためだけに構成されたかのようにさえ、思える。

このように、性格付けという点では、イワンは、あたかも、作者の分身であるかのように、正当な思想の持ち主なのであり、修正される余地を残していない。

いち早く、この小説を日本に紹介したという評価の確かさは、賞賛されるべきだが、もう少し、作家の小説中の人格の創造過程まで考察してほしかった。
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