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文章讀本 ペーパーバック – 1960/1/1
谷崎 潤一郎
(著)
- 本の長さ250ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日1960/1/1
- ISBN-104120003760
- ISBN-13978-4120003769
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (1960/1/1)
- 発売日 : 1960/1/1
- 言語 : 日本語
- ペーパーバック : 250ページ
- ISBN-10 : 4120003760
- ISBN-13 : 978-4120003769
- Amazon 売れ筋ランキング: - 994,431位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,246位論文作法・文章技術
- - 46,583位語学・辞事典・年鑑 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年7月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
すごく勉強になりました、いい本です
2016年7月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
こんにちは、古舘健です。
言葉に興味があり、文章の書き方の本を探していたところ、先日、読んだ 5年後、メディアは稼げるか――Monetize or Die? の中で本書を見つけました。
本書はためになる部分がたくさんあります。例えば、以下の2つに注意したいです。
・「いやしくも在る言葉を使う以上は、それを丁寧な、形式で使うべきであります。
(中略)平素自分たちがしゃべっているぞんざいな発音をそのまま文字に移すことが珍しくありません。(P209)」
・「(中略)あらゆる点で云い過ぎ、書き過ぎ、しゃべり過ぎていることを痛切に感じるのでありますが、取り分け眼につくのは無駄な形容詞や副詞が多いことであります。(P223-224)」
「○○すればいい」というような法則本ではなく、文を生かす原理原則を教えてくれています。
本書を読んだ後に文字を打つのが急に怖くなりました。もう少し言葉と向き合ってみよう。
以下はメモために抜粋します。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
P33
「(中略)、表現法の自由に釣られて長たらしくなり、放漫に陥り易いことでありまして、(中略)、この口語体の放漫を引き締め、出来るだけ単純化することにあるのでありますが、それは結局古典文の精神に復れと云うことに外ならないのであります。
文章のコツ、即ち人に『分からせる』ように書く秘訣は、言葉や文字で表現できることとできないこととの限界を知り、その限界内に止まることが第一でありまして、(中略)」
P44
「さすれば皆さんは、文章を綴る場合に、まずその文句を実際に声を出して暗誦し、それがすらすらと云えるかどうかを試してみることが必要でありまして、もしすらすらと云えないようなら、読者の頭に這入りにくい悪文であると極めてしまっても間違いありません。」
P83
「仮りに私が、名文とはいかなるものぞの質問に強いて答えるとしましたら、長く記憶に留まるような深い印象を与えるもの
何度も繰り返して読めば読むほど渋みの出るもの
と、まずそう申すでありましょうが、(中略)」
P104
「たしか仏蘭西の在る文豪が云ったことに、『一つの場所に当て嵌まる最も適した言葉は、ただ一つしかない』と云う意味の言がありますが、この、最適な言葉はただ一つしかないと云うことを、よくよく皆さんは味わうべきでありまして、数箇の似た言葉がある場合に、孰でも同じだとお思いになるのは、考え方が緻密でないのであります。」
P128
「(中略)次のセンテンスへ移るにも、境界をぼやかすようにして、どこで前のセンテンスが終り、どこで後のが始まるのか、けじめをわからくするのであります。(中略)どうしてもセンテンスが短くなりがちでありますが、それを強いて『て』だの『が』だのが頻出して耳障りになりますので、昔から『て』の字の多い文章は悪文だと言われておりますのは、まことにその通りであります。」
P132
「そこで、繋ぎ目をぼやかすためには、なるべく無用な『のである』や『のであった』を附け加えないようにする。また、動詞で終る時は現在止めを用いて、『た』止めを避けるようにする。」
P132-133
「元来日本文においては、無用な主格は省くものであり、英文法で云う意味の主格と云うものは存在しないのでありまして、しかもこの主格を省くと云う手段が、繋ぎ目をぼかすのに最も有効であることは、(中略)」
P192
「品格と申しますのは、云い換えれば礼儀作法のことでありまして、(中略)文章は公衆に向かって話しかけるものでありますから、一定の品位を保ち、礼儀を守るべきであることは、申しまでもありません。
然らば、文章の上で礼儀を保つにはいかにしたらよいかと云いますと、
一 饒舌を慎むこと
二 言葉使いを粗略にせぬこと
三 敬語や尊称を疎かにせぬこと
等であります。」
P193
「ですから右に述べました条件は枝葉末節でありまして、品格ある文章を作りますにはまず何よりもそれにふさわしい精神を涵養することが第一でありますが、その精神とは何かと申しますと、優雅の心を体得することに帰着するのであります。
(中略)私の云う優雅な精神とは、このわれわれの内気な性質、東洋人の謙譲の得と云うものと、何かしら深い繋がりがあるところのものを指すのであります。」
P197
「われわれの国語には一つ見逃すことの出来ない特色があります。それは何かと申しますと、日本語は言葉の数が少く、語彙が貧弱であるという缺点を有するにも拘らず、己を卑下し、人を敬う云い方だけは、実に驚くほど種類が豊富でありまして、どこの国の国語に比べましても、遥かに複雑な発展を遂げております。」
P200
「一体、われわれは、生な現実をそのまま語ることを卑しむ風があり、言語とそれが上限する事柄との間に薄紙一と重の隔たりがあるのを、品がよいと感ずる国民なのであります。」
P208
「彼等は文法的な構造や論理の整頓と云うことに囚われ、叙述を理詰めに運ぼうとする結果、句と句との間、センテンスとセンテンスとの間が意味の上で繋がっていないと承知できない。(中略)ですから、『しかし』とか、『けれども』とか、『だが』とか、『そうして』とか、『にも拘らず』とか、『そのために』とか、『そう云うわけで』とか云うような無駄な穴塡めの言葉が多くなり、それだけ重厚味が滅殺されるのであります。現代の文章の書き方は、あまり読者に親切すぎるようであります。」
さいごまで読んでくださり、ありがとうございます!
言葉に興味があり、文章の書き方の本を探していたところ、先日、読んだ 5年後、メディアは稼げるか――Monetize or Die? の中で本書を見つけました。
本書はためになる部分がたくさんあります。例えば、以下の2つに注意したいです。
・「いやしくも在る言葉を使う以上は、それを丁寧な、形式で使うべきであります。
(中略)平素自分たちがしゃべっているぞんざいな発音をそのまま文字に移すことが珍しくありません。(P209)」
・「(中略)あらゆる点で云い過ぎ、書き過ぎ、しゃべり過ぎていることを痛切に感じるのでありますが、取り分け眼につくのは無駄な形容詞や副詞が多いことであります。(P223-224)」
「○○すればいい」というような法則本ではなく、文を生かす原理原則を教えてくれています。
本書を読んだ後に文字を打つのが急に怖くなりました。もう少し言葉と向き合ってみよう。
以下はメモために抜粋します。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
P33
「(中略)、表現法の自由に釣られて長たらしくなり、放漫に陥り易いことでありまして、(中略)、この口語体の放漫を引き締め、出来るだけ単純化することにあるのでありますが、それは結局古典文の精神に復れと云うことに外ならないのであります。
文章のコツ、即ち人に『分からせる』ように書く秘訣は、言葉や文字で表現できることとできないこととの限界を知り、その限界内に止まることが第一でありまして、(中略)」
P44
「さすれば皆さんは、文章を綴る場合に、まずその文句を実際に声を出して暗誦し、それがすらすらと云えるかどうかを試してみることが必要でありまして、もしすらすらと云えないようなら、読者の頭に這入りにくい悪文であると極めてしまっても間違いありません。」
P83
「仮りに私が、名文とはいかなるものぞの質問に強いて答えるとしましたら、長く記憶に留まるような深い印象を与えるもの
何度も繰り返して読めば読むほど渋みの出るもの
と、まずそう申すでありましょうが、(中略)」
P104
「たしか仏蘭西の在る文豪が云ったことに、『一つの場所に当て嵌まる最も適した言葉は、ただ一つしかない』と云う意味の言がありますが、この、最適な言葉はただ一つしかないと云うことを、よくよく皆さんは味わうべきでありまして、数箇の似た言葉がある場合に、孰でも同じだとお思いになるのは、考え方が緻密でないのであります。」
P128
「(中略)次のセンテンスへ移るにも、境界をぼやかすようにして、どこで前のセンテンスが終り、どこで後のが始まるのか、けじめをわからくするのであります。(中略)どうしてもセンテンスが短くなりがちでありますが、それを強いて『て』だの『が』だのが頻出して耳障りになりますので、昔から『て』の字の多い文章は悪文だと言われておりますのは、まことにその通りであります。」
P132
「そこで、繋ぎ目をぼやかすためには、なるべく無用な『のである』や『のであった』を附け加えないようにする。また、動詞で終る時は現在止めを用いて、『た』止めを避けるようにする。」
P132-133
「元来日本文においては、無用な主格は省くものであり、英文法で云う意味の主格と云うものは存在しないのでありまして、しかもこの主格を省くと云う手段が、繋ぎ目をぼかすのに最も有効であることは、(中略)」
P192
「品格と申しますのは、云い換えれば礼儀作法のことでありまして、(中略)文章は公衆に向かって話しかけるものでありますから、一定の品位を保ち、礼儀を守るべきであることは、申しまでもありません。
然らば、文章の上で礼儀を保つにはいかにしたらよいかと云いますと、
一 饒舌を慎むこと
二 言葉使いを粗略にせぬこと
三 敬語や尊称を疎かにせぬこと
等であります。」
P193
「ですから右に述べました条件は枝葉末節でありまして、品格ある文章を作りますにはまず何よりもそれにふさわしい精神を涵養することが第一でありますが、その精神とは何かと申しますと、優雅の心を体得することに帰着するのであります。
(中略)私の云う優雅な精神とは、このわれわれの内気な性質、東洋人の謙譲の得と云うものと、何かしら深い繋がりがあるところのものを指すのであります。」
P197
「われわれの国語には一つ見逃すことの出来ない特色があります。それは何かと申しますと、日本語は言葉の数が少く、語彙が貧弱であるという缺点を有するにも拘らず、己を卑下し、人を敬う云い方だけは、実に驚くほど種類が豊富でありまして、どこの国の国語に比べましても、遥かに複雑な発展を遂げております。」
P200
「一体、われわれは、生な現実をそのまま語ることを卑しむ風があり、言語とそれが上限する事柄との間に薄紙一と重の隔たりがあるのを、品がよいと感ずる国民なのであります。」
P208
「彼等は文法的な構造や論理の整頓と云うことに囚われ、叙述を理詰めに運ぼうとする結果、句と句との間、センテンスとセンテンスとの間が意味の上で繋がっていないと承知できない。(中略)ですから、『しかし』とか、『けれども』とか、『だが』とか、『そうして』とか、『にも拘らず』とか、『そのために』とか、『そう云うわけで』とか云うような無駄な穴塡めの言葉が多くなり、それだけ重厚味が滅殺されるのであります。現代の文章の書き方は、あまり読者に親切すぎるようであります。」
さいごまで読んでくださり、ありがとうございます!
2014年2月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
小説家志望の人を狙って書いているわけでなく、一般人向けの文章作法と思われるのですが、ところどころ小説家志望者向け?と思わせるところがあります。
2018年10月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
非常に簡明な表現で書かれています。まるで谷崎氏が講演会で喋って録音したものを
文字起こししたような読書ができます。
難しい言葉を使わず高度なことが述べられています。
いわゆるネット世代スマホ世代ゆとり世代といわれる人が
カフェとかファミレスで気軽に読んでいたら
明るい日本の未来が見えてきそうな気がする。
ふだん読書しない人でも安心して読めると思います。
文字起こししたような読書ができます。
難しい言葉を使わず高度なことが述べられています。
いわゆるネット世代スマホ世代ゆとり世代といわれる人が
カフェとかファミレスで気軽に読んでいたら
明るい日本の未来が見えてきそうな気がする。
ふだん読書しない人でも安心して読めると思います。
2017年7月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
めんめんと、ゆっくり読むのに向いてます。文章には答えがないので、如何ようにも読めるのです
2013年10月12日に日本でレビュー済み
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谷崎の本はほとんど読んだことがない。知人に薦めれてこの本を読んだ。わかりやすい文章を書けとか、明解な文を書くようにという文章読本は多いがこの本は美しい文を書くことの大切さを諄々と説いている。漢字、カタカナ、ひらがなの三種類の文字、漢字にはいくつかの読み方があること…このような日本語の特徴を谷崎は日本語の長所というよりは むしろ愛すべき点として大切にすべきだと思っているようだ。
いわば 情緒の大切さを日本語のありようを語りながら説いている。
いわば 情緒の大切さを日本語のありようを語りながら説いている。
2014年8月28日に日本でレビュー済み
「われわれ日本人が日本語の文章を書く心得」を記したこの書は、谷崎潤一郎の「前書き」によれば昭和9年9月に脱稿したものらしい。その前年の12月そして9年1月に、かの「 陰翳禮讚 」を公表しており、この時期、言語も含む、谷崎の日本の伝統に根差した「美」への考察が集中的に表白されている。これらのエッセー類は、あまり谷崎の文学に馴染みを持てない方でも、一度は味到すべきであろうと思われる。私自身は「物書き」を業としているわけではないけれども、本書に述べられている事柄は、時代的な制約があるにせよ、一定程度は理解できるし、お手本ともなるべきサジェスチョンも見出すことが出来る。
例えば、今日では、職場でも家庭でもPCが定着し、手書きで文章を作成する機会が殆どなくなり、一応表面的には見栄えのよい文章が出来上がる仕掛けとなっている。だが結構、漢字の変換ミスやら、漢字や言葉遣いの誤用も少なくない。そして、何より留意すべきは、文章を“目で追う”ばかりで、“耳で聞く”という感覚がなくなってきていることだ。本書でも、「文章は「眼で理解する」ばかりでなく、「耳で理解する」もの」(p.43)と述べ、「音読の習慣」の重要性を指摘している箇所があるけれど、全くその通りであろう。声に出して読むと、文章の繋がりや相手への伝わり方などが具体的に捉えられるのは確かだ。
「眼と耳とが共同してものを読む」(pp.43‾44)…この考え方は非常に大切であり、「文章を綴る場合に、まずその文句を実際に声を出して暗誦し、それがすらすらと云えるかどうかを試してみること」(p.44)などは、十分価値ある行為と思われる。その他、当書では最早、時代的に如何なものか、という考え方(「候文」のコツを学ぶ等)も樓述されているが、「国民性を変えないで、国語だけを改良しようとしても無理」(p.58)ということは、今もって正解だ。ただ、日本語を「語彙が貧弱で構造が不完全な国語」(p.72)とする見方には、私は同調しかねる(※)。凡そ完璧な言語など、この地球上には存在しないと思うからである。
※ 日本は中国を中心とする「漢字文化圏」に一応属するが、感情の自由な表現には向かない「表意文字(漢字)」に対する「表音文字」も採用し、日本語には「情緒をきめこまかく表現する大量の語彙(=情緒語彙)が存在する」と指摘する 研究者 もいる。
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「われわれ日本人が日本語の文章を書く心得」を記したこの書は、谷崎潤一郎の「前書き」によれば昭和9年9月に脱稿したものらしい。その前年の12月そして9年1月に、かの「 陰翳禮讚 」を公表しており、この時期、言語も含む、谷崎の日本の伝統に根差した「美」への考察が集中的に表白されている。これらのエッセー類は、あまり谷崎の文学に馴染みを持てない方でも、一度は味到すべきであろうと思われる。私自身は「物書き」を業としているわけではないけれども、本書に述べられている事柄は、時代的な制約があるにせよ、一定程度は理解できるし、お手本ともなるべきサジェスチョンも見出すことが出来る。
例えば、今日では、職場でも家庭でもPCが定着し、手書きで文章を作成する機会が殆どなくなり、一応表面的には見栄えのよい文章が出来上がる仕掛けとなっている。だが結構、漢字の変換ミスやら、漢字や言葉遣いの誤用も少なくない。そして、何より留意すべきは、文章を“目で追う”ばかりで、“耳で聞く”という感覚がなくなってきていることだ。本書でも、「文章は「眼で理解する」ばかりでなく、「耳で理解する」もの」(p.43)と述べ、「音読の習慣」の重要性を指摘している箇所があるけれど、全くその通りであろう。声に出して読むと、文章の繋がりや相手への伝わり方などが具体的に捉えられるのは確かだ。
「眼と耳とが共同してものを読む」(pp.43‾44)…この考え方は非常に大切であり、「文章を綴る場合に、まずその文句を実際に声を出して暗誦し、それがすらすらと云えるかどうかを試してみること」(p.44)などは、十分価値ある行為と思われる。その他、当書では最早、時代的に如何なものか、という考え方(「候文」のコツを学ぶ等)も樓述されているが、「国民性を変えないで、国語だけを改良しようとしても無理」(p.58)ということは、今もって正解だ。ただ、日本語を「語彙が貧弱で構造が不完全な国語」(p.72)とする見方には、私は同調しかねる(※)。凡そ完璧な言語など、この地球上には存在しないと思うからである。
※ 日本は中国を中心とする「漢字文化圏」に一応属するが、感情の自由な表現には向かない「表意文字(漢字)」に対する「表音文字」も採用し、日本語には「情緒をきめこまかく表現する大量の語彙(=情緒語彙)が存在する」と指摘する 研究者 もいる。