「見仏記」シリーズ大好きです。
私自身がお参りしたことがあるお寺さんが、たくさん出てくるからだと思います。いつの間にか、私自身も一緒に見仏させていただいております。
白洲正子さんや梅原健さんとは違ったお寺さんへのアプローチを知りました。二人でお参りするのもいいですね。
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秘見仏記 単行本 – 1995/4/1
- 本の長さ315ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日1995/4/1
- ISBN-104120024229
- ISBN-13978-4120024221
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
あの「見仏」コンビが帰って来た。怪しい二人組が、今回も1年に及ぶ仏像の旅に出発。いい仏像をたくさん持っている「仏像のデパート」東寺。密教ギッシリ、仏像もカッコイイ長谷寺。仏像の基礎知識も加えています。
登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (1995/4/1)
- 発売日 : 1995/4/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 315ページ
- ISBN-10 : 4120024229
- ISBN-13 : 978-4120024221
- Amazon 売れ筋ランキング: - 331,096位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 742位日本文学(日記・書簡)
- - 5,783位近現代日本のエッセー・随筆
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年11月9日に日本でレビュー済み
1995年に出た単行本の文庫化。新たに「新宿篇」が加えられている。
滋賀、京都、四国、東京、鎌倉、新潟と各地を回っている。寺としては、渡岸寺、東寺、極楽寺、中島観音堂、目黒不動尊、東慶寺、長安寺、太宗寺など。
前巻と同様、ふざけたり茶化したりしながらも、仏像への愛と情熱が伝わってくる楽しい本だ。
まったく新しい鑑賞法を教えられたような気になる。
滋賀、京都、四国、東京、鎌倉、新潟と各地を回っている。寺としては、渡岸寺、東寺、極楽寺、中島観音堂、目黒不動尊、東慶寺、長安寺、太宗寺など。
前巻と同様、ふざけたり茶化したりしながらも、仏像への愛と情熱が伝わってくる楽しい本だ。
まったく新しい鑑賞法を教えられたような気になる。
2021年9月26日に日本でレビュー済み
また33年後…っと言って別れたいとう氏とみうら氏は、その後1年も経たずに見仏旅を再開します。その時点で出オチなのですが、その個人的な旅だったはずの見仏旅はあっという間に見仏旅第二段という見仏企画に早変わりします。まず、33年後の約束について初っぱなから仏と関連付けて二人は妄想を語りだします。
今回の主たるテーマは「男の二人旅」なので差別と言わないまでも現代ではスレスレのホモネタが多く出てくるためそういうのが苦手な人は読まないほうがいいと思います。
そもそもまともな信仰心がある人は読まないほうがいいです。第二のテーマは「文化財指定されたら本堂からコンクリ収蔵庫行きになる問題」です。
この巻では滋賀県湖北、京都、四国、東京、鎌倉、北越、佐渡、新宿の寺を旅します。
まずは滋賀県湖北。
赤後寺の手首から先のない千手観音を見て、みうら氏の頭の中ではもう特撮が始まっています。
男二人旅で食堂でのやり取りなど、ホモに見られるのではないかと心配する様は前読んだ時も笑いましたが数十年ぶりに読み返して再度笑えました。三十代にもなってまるで修学旅行みたいなことをしているのが本当に羨ましく感じます。昭和でも何のタメにもならない人生談義哲学談義をするのは大学生くらいまでだと思います。今じゃ高校生にすら中二病などと揶揄されるでしょう。みうら氏の言う「人間は自分の中から顔を彫っている」という発想はとても面白いです。お堅い芸術家肌の作家ならここで哲学論に発展しそうなものですが、そこはあくまでも「見仏記」なので難しい方向へは話は発展しません。ただ、この人は自らを仏像そのものだと思っているのだと思いました。そして、温泉で蛙が死んでようと何だろうと仏像を流行りにしたい。運転手さんの十一面観音への素朴な告白で、誰もが仏像を見守っている感覚は、私も滋賀で感じました。
長浜の駅のホームで今にも発車しそうな電車に飛び乗る場面を青春っぽいと表現していますが、一昨年にネットで知り合った友達と京都へ行ったことを思い出しました。私の場合は逆に話が盛り上がって下りる駅を乗り過ごしてしまって笑いあったのですが、歳のせいかコロナのせいかやっぱり一人旅だけではなく友達との旅行もいいものだなぁ、と思いました。
京都では、みうら氏の家に泊まって親公認みたいになっているのが微笑ましいです。親孝行編はこの巻だと思っていたのですが、この後の見仏記海外編3巻の後の4巻でした。法金剛寺では蓮を見る姿勢に植物男子の萌芽を感じます。
みうら氏が少女気分で仏像を拝むおばさんはどこにでもいるということを指摘していますが、美術館、宝物館、吉野の山の金峰山寺の特別拝観、これらの観光を人知れず脈々と引き継いできたのは二人でも団体でも自社を訪れる女性たちなのだと思いました。
冒頭にも書きましたが、「男二人旅が同性愛者に見られがち問題」の他にこの巻では「文化財指定されたら本堂からコンクリ収蔵庫行きになる問題」を掲げています。文化財指定されたら収蔵庫造るか美術館に連れていかれる、彼らが言うところの「ヤクザの因縁問題」は私も滋賀湖北でお堂の管理人の方に聞きました。仏像税などというものをみうら氏は想像しますが、私も、文化財保存税があったら払ってもいいと思いました。
井戸寺行きのタクシーでいとう氏が極楽寺で買ったお遍路ポーチを喜んで装着しみうら氏に呆れられている姿が可笑しいです。
いとう氏のお遍路っぷりに呆れていたみうら氏でしたが、イラストを見る限りなんだかんだで「オヘンローラー」を気に入っているようです。
みうら氏が仏師はエロも知り尽くして魂の模型を造ったと言うのはなんとなく理解できます。
当時の仏師は僧籍に入っているとは思いますが、どう真面目に信仰対象として拝観しようとも仏像から色気のようなものを感じないのは不可能だと感じます。女性的なものに限らず男性的なものも含め色気がなければ呪力も感じられません。模型会社海洋堂の原型師ボーメ氏のことを思い出します。彼は女性っ気が全くないのに何とも言えないエロティックな女性フィギュアを造ります。それはある種の神格化なのかもしれないと思いました。
観光寺院から離れると蓮華寺の若くてセンスある坊さんとか豊楽寺の可愛らしいおばさんとか魅力的な登場人物も増えます。
雪蹊寺のおじさんは少し怖く、頑固親父のような人です。私の好きな寺院にもこの人とはまた違う冷たい雰囲気の女性がいて、その人に話しかけないと仏像を拝ませてもらえないので、この人に話しかけるのが苦手な私はこの寺を訪れるたびに冷や汗をかいています。修行ですね。
また、北寺までのバスの停留所で迷い家的異世界体験、或いはタイムスリップのような不思議体験をしていて興味深かったです。
鎌倉円応寺でいとう氏が閻魔に対して真剣に思想を爆発させている様が見ていて少し滑稽で可笑しかったです。閻魔を権力側と位置付けて反抗しているのです。この人たちの主張はあくまでも「アンチ権力」なのでしょう。円応寺で閻魔に反抗し覚園寺で坊さんの説法にまで反抗する二人はもはや修学旅行の田舎のヤンキーのようです。
佐渡でタクシーの運転手の漫談に付き合いながら絶滅寸前のトキを「諸行無常の体現者」と表現していてなんだか悲しい気持ちになりました。そして、最後にはB級スポットとでも言うべき昭和殿に行き仏像見本市を見てなぜありがたく感じないのか考察し、慶宮寺の八祖堂では、朽ち果てそうな仏像についに手を合わせます。
最終的に彼らは佐渡に渡り見仏をします。
それは佐渡に良い仏像がいたからですが、佐渡は古からの流罪の地であり、彼らは佐渡に渡ることを流罪に例えて「(仏像に対する)悪口の斗(とが)」と称します。
私は彼らと違い既に思うままにやった後のトガをあまり感じていない反面、思うままにできていないので思うままにしたいという欲が激しいので、それが科学的に証明されていないものだと知りながらも少しでも現世利益をと願い事をしてしまうし、仏像が歴史的に信仰の対象であるという認識と信仰心はあります。それでも、考え方は違えど仏像を拝観して多少の妄想にふけることもあります。かつて日向薬師を訪ねた際、十二神将を見てまるでダンスフロアだと思いましたが、ここでさらに一歩、夜には秘仏の薬師如来の厨子が開いてDJブースになりエロティックな日光月光も踊り出すところまで妄想できないと「楽しく」はなれない気がします。何番煎じだろうがオリジナリティがなかろうが楽しくないよりも楽しいほうがいいに決まっています。けれど、結局いろいろ妄想してもノッてくれる友人がいなければ虚しいだけなのだと思うと、あらためて仏友が欲しいと思いました。
今回の主たるテーマは「男の二人旅」なので差別と言わないまでも現代ではスレスレのホモネタが多く出てくるためそういうのが苦手な人は読まないほうがいいと思います。
そもそもまともな信仰心がある人は読まないほうがいいです。第二のテーマは「文化財指定されたら本堂からコンクリ収蔵庫行きになる問題」です。
この巻では滋賀県湖北、京都、四国、東京、鎌倉、北越、佐渡、新宿の寺を旅します。
まずは滋賀県湖北。
赤後寺の手首から先のない千手観音を見て、みうら氏の頭の中ではもう特撮が始まっています。
男二人旅で食堂でのやり取りなど、ホモに見られるのではないかと心配する様は前読んだ時も笑いましたが数十年ぶりに読み返して再度笑えました。三十代にもなってまるで修学旅行みたいなことをしているのが本当に羨ましく感じます。昭和でも何のタメにもならない人生談義哲学談義をするのは大学生くらいまでだと思います。今じゃ高校生にすら中二病などと揶揄されるでしょう。みうら氏の言う「人間は自分の中から顔を彫っている」という発想はとても面白いです。お堅い芸術家肌の作家ならここで哲学論に発展しそうなものですが、そこはあくまでも「見仏記」なので難しい方向へは話は発展しません。ただ、この人は自らを仏像そのものだと思っているのだと思いました。そして、温泉で蛙が死んでようと何だろうと仏像を流行りにしたい。運転手さんの十一面観音への素朴な告白で、誰もが仏像を見守っている感覚は、私も滋賀で感じました。
長浜の駅のホームで今にも発車しそうな電車に飛び乗る場面を青春っぽいと表現していますが、一昨年にネットで知り合った友達と京都へ行ったことを思い出しました。私の場合は逆に話が盛り上がって下りる駅を乗り過ごしてしまって笑いあったのですが、歳のせいかコロナのせいかやっぱり一人旅だけではなく友達との旅行もいいものだなぁ、と思いました。
京都では、みうら氏の家に泊まって親公認みたいになっているのが微笑ましいです。親孝行編はこの巻だと思っていたのですが、この後の見仏記海外編3巻の後の4巻でした。法金剛寺では蓮を見る姿勢に植物男子の萌芽を感じます。
みうら氏が少女気分で仏像を拝むおばさんはどこにでもいるということを指摘していますが、美術館、宝物館、吉野の山の金峰山寺の特別拝観、これらの観光を人知れず脈々と引き継いできたのは二人でも団体でも自社を訪れる女性たちなのだと思いました。
冒頭にも書きましたが、「男二人旅が同性愛者に見られがち問題」の他にこの巻では「文化財指定されたら本堂からコンクリ収蔵庫行きになる問題」を掲げています。文化財指定されたら収蔵庫造るか美術館に連れていかれる、彼らが言うところの「ヤクザの因縁問題」は私も滋賀湖北でお堂の管理人の方に聞きました。仏像税などというものをみうら氏は想像しますが、私も、文化財保存税があったら払ってもいいと思いました。
井戸寺行きのタクシーでいとう氏が極楽寺で買ったお遍路ポーチを喜んで装着しみうら氏に呆れられている姿が可笑しいです。
いとう氏のお遍路っぷりに呆れていたみうら氏でしたが、イラストを見る限りなんだかんだで「オヘンローラー」を気に入っているようです。
みうら氏が仏師はエロも知り尽くして魂の模型を造ったと言うのはなんとなく理解できます。
当時の仏師は僧籍に入っているとは思いますが、どう真面目に信仰対象として拝観しようとも仏像から色気のようなものを感じないのは不可能だと感じます。女性的なものに限らず男性的なものも含め色気がなければ呪力も感じられません。模型会社海洋堂の原型師ボーメ氏のことを思い出します。彼は女性っ気が全くないのに何とも言えないエロティックな女性フィギュアを造ります。それはある種の神格化なのかもしれないと思いました。
観光寺院から離れると蓮華寺の若くてセンスある坊さんとか豊楽寺の可愛らしいおばさんとか魅力的な登場人物も増えます。
雪蹊寺のおじさんは少し怖く、頑固親父のような人です。私の好きな寺院にもこの人とはまた違う冷たい雰囲気の女性がいて、その人に話しかけないと仏像を拝ませてもらえないので、この人に話しかけるのが苦手な私はこの寺を訪れるたびに冷や汗をかいています。修行ですね。
また、北寺までのバスの停留所で迷い家的異世界体験、或いはタイムスリップのような不思議体験をしていて興味深かったです。
鎌倉円応寺でいとう氏が閻魔に対して真剣に思想を爆発させている様が見ていて少し滑稽で可笑しかったです。閻魔を権力側と位置付けて反抗しているのです。この人たちの主張はあくまでも「アンチ権力」なのでしょう。円応寺で閻魔に反抗し覚園寺で坊さんの説法にまで反抗する二人はもはや修学旅行の田舎のヤンキーのようです。
佐渡でタクシーの運転手の漫談に付き合いながら絶滅寸前のトキを「諸行無常の体現者」と表現していてなんだか悲しい気持ちになりました。そして、最後にはB級スポットとでも言うべき昭和殿に行き仏像見本市を見てなぜありがたく感じないのか考察し、慶宮寺の八祖堂では、朽ち果てそうな仏像についに手を合わせます。
最終的に彼らは佐渡に渡り見仏をします。
それは佐渡に良い仏像がいたからですが、佐渡は古からの流罪の地であり、彼らは佐渡に渡ることを流罪に例えて「(仏像に対する)悪口の斗(とが)」と称します。
私は彼らと違い既に思うままにやった後のトガをあまり感じていない反面、思うままにできていないので思うままにしたいという欲が激しいので、それが科学的に証明されていないものだと知りながらも少しでも現世利益をと願い事をしてしまうし、仏像が歴史的に信仰の対象であるという認識と信仰心はあります。それでも、考え方は違えど仏像を拝観して多少の妄想にふけることもあります。かつて日向薬師を訪ねた際、十二神将を見てまるでダンスフロアだと思いましたが、ここでさらに一歩、夜には秘仏の薬師如来の厨子が開いてDJブースになりエロティックな日光月光も踊り出すところまで妄想できないと「楽しく」はなれない気がします。何番煎じだろうがオリジナリティがなかろうが楽しくないよりも楽しいほうがいいに決まっています。けれど、結局いろいろ妄想してもノッてくれる友人がいなければ虚しいだけなのだと思うと、あらためて仏友が欲しいと思いました。
2014年2月14日に日本でレビュー済み
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これを事前に読んで、仏像めぐりの旅に出かけています。
みうらさんといとうさんの見方が違うことが参考になります。
みうらさんといとうさんの見方が違うことが参考になります。
2007年4月20日に日本でレビュー済み
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ホモ疑惑に関してハラハラしている、いとうさん。
その様子が浮かんできます^^
2人の仏友関係が、本当に良い感じで、羨ましいですね。
お互いがよくわかってて、尊重し合いながら、大好きな’仏’を、
それぞれの視点で見る。
こんな関係良いですね。
勿論、仏像のことも勉強になるし、楽しいです。
永遠に続いて欲しいですね。
その様子が浮かんできます^^
2人の仏友関係が、本当に良い感じで、羨ましいですね。
お互いがよくわかってて、尊重し合いながら、大好きな’仏’を、
それぞれの視点で見る。
こんな関係良いですね。
勿論、仏像のことも勉強になるし、楽しいです。
永遠に続いて欲しいですね。
2016年6月19日に日本でレビュー済み
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いとうさんの文章が大すきなので歴史に疎い私でも・・と思ったけど絵があってもその情景の想像がふわっとしかできないので、おもしろさが半減している気がする。
余すとこなく楽しみたいのに歴史も仏像も詳しくない(むしろ嫌い)のでなかなか読み進まない
けど、ほかの人なら楽しく読めるはず
余すとこなく楽しみたいのに歴史も仏像も詳しくない(むしろ嫌い)のでなかなか読み進まない
けど、ほかの人なら楽しく読めるはず
2011年1月20日に日本でレビュー済み
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角川文庫の見仏記のシリーズを昔から読んでいたので、知らない見仏記があったと思い購入しました。
読んでみると、角川文庫の見仏記2と同じ内容でした。
出版社も違うし、題名も違ったので同じ物と思わなかったのでショックでした。
ほぼ同じ物だったので、同じ物とわかるようにして欲しかったです。
読んでみると、角川文庫の見仏記2と同じ内容でした。
出版社も違うし、題名も違ったので同じ物と思わなかったのでショックでした。
ほぼ同じ物だったので、同じ物とわかるようにして欲しかったです。
2014年3月13日に日本でレビュー済み
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見仏記の他の分も、見仏記(2)を見てから買おうと思っていたのですが…。