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必要になったら電話をかけて 単行本 – 2000/9/1
- 本の長さ194ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2000/9/1
- ISBN-104120030504
- ISBN-13978-4120030505
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商品の説明
商品説明
「価値というものは総体からのみ生じるものではない。それは細かいものごとからも生じるのだ」。(テス・ギャラガーの序文)
カーヴァーが50歳で亡くなってから十余年、数編の遺稿が発見された。訳したのは、作家村上春樹。日本におけるカーヴァーの紹介者である。その作品世界を愛した彼自身こそ、誰よりも先に、それらの遺稿を手にとりたかったに違いない。
収録作品のうち、「薪割り」「夢」「破壊者たち」は、カーヴァーの生前に発表されたいくつかの作品と似通っている。たとえば、「舞台は小さな田舎町、アルコール中毒で中年の主人公、奥さんとはうまくいっていない」とくれば、いくつかの作品タイトルが頭に浮かぶだろう。まさに、これらは「いつものカーヴァーの物語」なのだ。
訳者あとがきでは、「以前暮らしていた部屋に久しぶりに入ったような気持ちになった」と、村上自身、懐かしさを吐露している。著者の妻であるテス・ギャラガーは、この短編集を「レイン・バレル(雨樽)に湛えられた水」と称した。レイン・バレルとは、戸外に出しておき、雨水を貯めておく樽のことである。いわば、天然貯水槽。「いつでも好きなときに、私たちはその水を柄杓でくんで、私たちをリフレッシュし、維持させてくれる何かをそこに見出すことができる」、とギャラガーは言う。貯えられた満々の水は、10年経っても変わることなく、われわれの前にある。(文月 達)
内容(「MARC」データベースより)
登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2000/9/1)
- 発売日 : 2000/9/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 194ページ
- ISBN-10 : 4120030504
- ISBN-13 : 978-4120030505
- Amazon 売れ筋ランキング: - 760,143位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について

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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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生前未発表の原稿を世に送り出すというのは、著者の妻テス・ギャラガーにとっても、訳者村上春樹にとっても、複雑な感情を呼び起こすものだっただろう。とくに二人とも自身が作家であるなら、なおのこと。カーヴァーの遺稿の発見から出版にいたるまでの経緯は、本書のなかで詳しく言及されているけれど、それらの記述にも手放しでは喜べない二人の難しい心情がうかがえる。
しかしながら、そうした事情と無関係の単なる一読者の目線で言えば、この出版は純粋に喜ばしいことだと思う。さほど熱心なカーヴァーの読者ではない自分であっても、本書におさめられた以下の短編はいずれも強く印象に残るものだった。
「薪割り(Kindling)」
「どれを見たい?(What Would You Like To See?)」
「夢(Dreams)」
「破壊者たち(Vandals)」
「必要になったら電話をかけて(Call If You Need Me)」
ほとんどが夫婦の問題をあつかった作品であるが、「夢」だけは少し変わった小品だ。語り手「私」の妻が自分が見た夢の解釈にこだわるのだけれど、それが物語にどうからんでいるのか不明瞭で、異物感を覚えてしまう。自分の持っていたカーヴァーのイメージとは一風変わっていた。
今回久しぶりにカーヴァーを読んで改めて思わされたのが、登場人物の心理描写のうまさ。どの作品も二組の男女のペアを対比させることで(離婚ないし別居で、あるいは背景情報だけで、ペアの片方が物語にからんでこなくても)、彼らの「差異」を際立たせることで、最小限の描写だけで人物たちの機微がリアルに伝わってくる。
今さらながら、本当に惜しい作家を亡くしたのだと実感した。
簡潔でシンプルな文体なのに、ありありと情景が浮かび、惹き込まれるところが村上さんに似ているように思いました。
一作一作とても短いのに、それぞれに違ったインパクトがあり、「これはイマイチ」と思う話がないところがまたすごいなと思いました。
私には全ての短編に登場する人物達が何らかの形で終末を迎え、悲哀の感情をもってそれを受け入れつつも、新たな一歩を踏み出そうとしているように見えました。
どの夫婦においても愛し合った幸せな時間の記憶は確かにあるのに、今はどうしてもそれが叶わない切なさ。
もうあの頃には戻れない、別離の道をゆくしかない、それでも、例えば一心に薪を割ることで、もしくは庭にやってきた美しい馬達をそっと撫でることで、深い悲しみに一筋の光を与えられるところに救いを感じました。
深い感動を与えるというよりは、すっと心に入り込み、しみじみと侘しい余韻を残す作品集でした。
全ては巻末の村上春樹の『あとがき』で余すところなく述べられている。この遺作5編はなんらかの理由でカヴァーが『お蔵入り』とした作品なので、カヴァーのAクラスの他の作品と同列には扱うことができない。
しかし、そこにはカヴァーの小説世界でなくては味わえない独特の深い滋養がある。抑制された不思議な静けさが漂っている。匂いがあり、温もりがあり、肌触りがあり、息づかいがある。
上質なものだけがもつ余韻が、いつまでも消えない。特に『蒔割り』と『必要になったら電話をかけて』の2作が良かった。
それぞれの作品ついては、翻訳された村上春樹氏によって“あとがき”で詳しく解説されているのでとても分かりやすくおもしろい。
多少のちがいはあっても、ぼくとしては抑制の効いたもの静かなトーンで淡々と語りかけるこの作家の独特の文体には、底知れない魅力とイマジネーションの広がりを感じるものがあって素晴らしいと思っている。
確かに作者の死後、机におさめられたままの遺稿を発表することについてその行為が正当なものであるかどうか、と作家でもある妻のテス・ギャラガーはためらい思い悩んだことだろう。おそらく、作家が生前自ら発表することをよしとしなかった草稿であるからだ。作家は何をもってその作品を完成とするのか。
この作家の全作品集の翻訳を完成させるという村上氏は、カーヴァーご夫妻に感謝と敬愛の念をこめて10年後に刊行されたことを称賛し、それを止めることは誰にもできないとしている。
それは、カーヴァー自身が決定稿になる以前の原稿の公表を望んでいなかったとしても、その遺族が望まなかったにしても、もしそれらが公正な目で見て、公にする価値を有している作品だとすれば(言うまでもなく今回の作品群はその価値を十分有している)、それらは歴史的な資産・資料として、なんらかのかたちで日の目を見るべきであるとしている。
どうぞ、ご一読ください。
そして死後10年の時を経て公表されたこれら5編の未発表作品はどれも夫婦の(壊れた・壊れゆく・揺れ動く)愛の姿が自身の経験のリアリティを持って描かれているように感じました。
村上さんはこの5編が公表に十分値する作品である一方、カーヴァーのA級の作品とは比肩できないと解題で具体的に批評しています。
ですが、村上さんがこれほど精神的に結びつきをもった作家は他にいないと言うカーヴァーの小説・言葉(以下参照)に本書で出会えたことに大きな意味があったと思います。
1.薪割り 「おそらくこれまでに書いた手紙の中で、もっとも重い意味のものだった」
2.どれを見たい? 「このことはいつまでも覚えておきたい。こういうささやかな時間が持てて良かった」
3.夢 「どうしてかしら。変な夢がだんだん多くなってくるみたい」
4.破壊者たち 「結局のところ、私が初めて愛したのは、あの人だから」
5.必要になったら電話をかけて 「さようなら、愛した人。神様がきみといるように」
個人的には最初も薪割りが一番ぐっときた。妻に別居された男が薪を割るだけの話なのになんでこんな面白いのでしょう。
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