私は歯に衣を着
せない筆者の文体にこれから未来を生き抜く為の切実な思いを発見
するのです。
何が悪くて何が良いなどと筆者は申していないと思われます。
あくまでも自然科学的客観的事実にもとづいて考察した結果を申し
述べているのであって、その事が結局のところ西欧文明への懐疑と
なったとしてもひとつの見識であると捕らえるべきでしょう。
私はこの本を読ませていただいて己が日本文明の担い手そのもので
あるという実感と使命感を得るに至りました。
我々日本人一般が現在まで抱かされてきた西欧文明的価値観がある
意味欺瞞に満ちたものであり、その事から覚醒し新たなる価値感・
行動原理を創造しなければならない時期に至っている事を率直に啓
蒙してくれる良書であると思われます。
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文明の環境史観 (中公叢書) 単行本 – 2004/5/8
安田 喜憲
(著)
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環境考古学の観点から、自然変動に起因する民族移動と文明史の関係、小氷期の気候悪化が西欧・日本の近世期に与えた影響など、環境と文明の密接な関係を、豊富な具体的事例をもとに論証する。
- 本の長さ347ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2004/5/8
- ISBN-104120035131
- ISBN-13978-4120035135
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
21世紀の地球環境と文明はどこへ向かおうとしているのか。環境考古学の観点から文明史を読み解き、環境と文明との密接な関係を豊富な具体的事例をもとに論証する。
登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2004/5/8)
- 発売日 : 2004/5/8
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 347ページ
- ISBN-10 : 4120035131
- ISBN-13 : 978-4120035135
- Amazon 売れ筋ランキング: - 834,166位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,402位環境・エコロジー (本)
- - 54,312位歴史・地理 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2004年11月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2004年8月6日に日本でレビュー済み
著者の学術的な成果は疑うべくもありません。「環境考古学」なるものを立ち上げ、年縞を利用した調査で大きく
考古学の分野に貢献しているようです。だから、研究の成果と、綿密に考察されているであろう持論、
はたまた大胆に組み立てられた推論を詳細に述べてくれれば非常に素晴らしい名著になったと思います。
しかし、この本では、全く生産性のない余計な記述、読者を逆なでするような記述が多く、また、その分重要な
論理の組立てや文章の推敲が甘く、せっかくの著者の偉大な研究が完全に分散されています。
まず、気になるのが第一章です。ここではほぼ100ページに渡って、これまでは環境史観があまりに希薄だった、
ヨーロッパで組み立てられた史観を崇拝しすぎていたが、これからはモンスーンアジアの史観のほうがいいのだ、
といろいろな研究者を断罪しながら進めていきます。文章力に欠けるため、トインビーであったり、梅棹氏その他の
大勢の人たちを妙に簡単に批判してしまっていて、共感できません。特に環境史観形成の歴史を語っているわけでもなく、
この人はこれがちがう、あの人はここが欠如している、という感じで進み、私はずーっと受け入れられず無視されてきた、
と、著者の苦労を押し付けられているような気がしてしまう。実際そういう部分もあるでしょうが、
そもそも「文明の環境史観」というテーマを語る際、一章を費やして語る必要のないことです。
さらに、「西洋史観>東洋史観」を「東洋史観>西洋史観」に完全に置き換えていて、西洋文明を完全に否定します。
確かに、自然を畏怖する日本や、東南アジアなどの史観は非常に優れていると思います。私もアジアが専門ですし、
いつも日本の農業史や過去の自然との関わりを調べながら感心しています。
しかし、キリスト教という一神教だと善悪を完全に決めなければいけない、また、自然は支配する対象に過ぎない、
と100%否定し、周りに「悪魔」だのなんだの、という言葉を使い、なぜかハルマゲドンの箇所だけ引用します。
おそらく、聖書をほとんど読んでいないだろうな、と思わせるほどに「悪魔」という言葉やキリスト教概念を悪いほうに
捉え、多神教のほうが優れているとするのは腑に落ちないし、そもそもここまでこだわって断罪する必要がありません。
別にキリスト教には人種に優劣をつける主義などないし、新約聖書の記述はその逆でしょう。著者の記述からすると、旧約聖書の
ユダヤ人選民の思想だけから判断してそういっているようです。
仏教・アミニズム(善)>キリスト教(悪)の構図が最後まで続きます。
東洋=「美と慈悲の文化」、西洋=「力と闘争の文化」とはっきり記述し、分布地図まで載せているのだから。
だから、途中、優れた分析がなされている箇所もあるのに埋没してしまい、考古学・歴史学分析をしている箇所でも
時折強引な論理があるため、完全に相殺されてしまいます。
オーソドックスに研究の対象を重点的に書いてほしかった。関係のない部分が邪魔をし、なんでも気候を原因とする
論理関係の説明のない強引な説明では何も得られません。また、用語の使い方が不明瞭で、例えば「縄文文明」
というとき、「文明」の概念がよくわかりません。確かに環境史観はこれまで無視されていましたが、研究成果を
強調するあまり誇大広告化していて結局どこまでが客観的な研究成果なのか、私には判断できず、何も得られませんでした。
考古学の分野に貢献しているようです。だから、研究の成果と、綿密に考察されているであろう持論、
はたまた大胆に組み立てられた推論を詳細に述べてくれれば非常に素晴らしい名著になったと思います。
しかし、この本では、全く生産性のない余計な記述、読者を逆なでするような記述が多く、また、その分重要な
論理の組立てや文章の推敲が甘く、せっかくの著者の偉大な研究が完全に分散されています。
まず、気になるのが第一章です。ここではほぼ100ページに渡って、これまでは環境史観があまりに希薄だった、
ヨーロッパで組み立てられた史観を崇拝しすぎていたが、これからはモンスーンアジアの史観のほうがいいのだ、
といろいろな研究者を断罪しながら進めていきます。文章力に欠けるため、トインビーであったり、梅棹氏その他の
大勢の人たちを妙に簡単に批判してしまっていて、共感できません。特に環境史観形成の歴史を語っているわけでもなく、
この人はこれがちがう、あの人はここが欠如している、という感じで進み、私はずーっと受け入れられず無視されてきた、
と、著者の苦労を押し付けられているような気がしてしまう。実際そういう部分もあるでしょうが、
そもそも「文明の環境史観」というテーマを語る際、一章を費やして語る必要のないことです。
さらに、「西洋史観>東洋史観」を「東洋史観>西洋史観」に完全に置き換えていて、西洋文明を完全に否定します。
確かに、自然を畏怖する日本や、東南アジアなどの史観は非常に優れていると思います。私もアジアが専門ですし、
いつも日本の農業史や過去の自然との関わりを調べながら感心しています。
しかし、キリスト教という一神教だと善悪を完全に決めなければいけない、また、自然は支配する対象に過ぎない、
と100%否定し、周りに「悪魔」だのなんだの、という言葉を使い、なぜかハルマゲドンの箇所だけ引用します。
おそらく、聖書をほとんど読んでいないだろうな、と思わせるほどに「悪魔」という言葉やキリスト教概念を悪いほうに
捉え、多神教のほうが優れているとするのは腑に落ちないし、そもそもここまでこだわって断罪する必要がありません。
別にキリスト教には人種に優劣をつける主義などないし、新約聖書の記述はその逆でしょう。著者の記述からすると、旧約聖書の
ユダヤ人選民の思想だけから判断してそういっているようです。
仏教・アミニズム(善)>キリスト教(悪)の構図が最後まで続きます。
東洋=「美と慈悲の文化」、西洋=「力と闘争の文化」とはっきり記述し、分布地図まで載せているのだから。
だから、途中、優れた分析がなされている箇所もあるのに埋没してしまい、考古学・歴史学分析をしている箇所でも
時折強引な論理があるため、完全に相殺されてしまいます。
オーソドックスに研究の対象を重点的に書いてほしかった。関係のない部分が邪魔をし、なんでも気候を原因とする
論理関係の説明のない強引な説明では何も得られません。また、用語の使い方が不明瞭で、例えば「縄文文明」
というとき、「文明」の概念がよくわかりません。確かに環境史観はこれまで無視されていましたが、研究成果を
強調するあまり誇大広告化していて結局どこまでが客観的な研究成果なのか、私には判断できず、何も得られませんでした。
2005年5月2日に日本でレビュー済み
著者は、従来の西洋中心史観、もっと言えばマルクス主義的な単一的歴史観に見切りをつけて、独自の視点から歴史観を構築しようとしている研究者の一人です。
最初に従来の歴史観に対する批判を縷々述べた部分に突き当たりますが、ここで星一個原点としました。これくらいのことは、梅棹氏の「文明の生態史観」、川勝氏の「文明の海洋史観」でも述べられています。
しかも、歴史を専門とする彼らのほうが、歴史観に関する分析も緻密で、批判も的確。文章も、それぞれの独特の調子で歯切れ良く、「すっ」と頭に入ってきます。その点では、明らかにこの本は劣勢に立っています。
しかし、この本の肝は何といっても、「年稿」研究を基礎とした、まさに環境の視点から捉えた歴史観です。その土地の生態に着目し、歴史は人間だけでなく、自然の生態から作られることを明らかにしたのが梅棹氏であり、それを海まで広げたのが川勝氏ですが、安田氏はそれに時間軸を加え、歴史の「なぜ」を鮮やかに解き明かして見せました。
この研究がさらに進めば、今まで見えなかった過去の歴史の実像が明らかになり、どこまでが人間の力によるもので、どこからが自然の必然によるものかが明らかになるでしょう。その成果は、過去の理解だけではなく、将来の予測にも役立つことは疑いがありません。
一つ思うのは、「文明の○○史観」と銘打った本は、著者の研究の「中間報告」のような色彩を帯びているのではないか、ということです。著者の研究の面白さは、むしろこの本の後に出てくる多くの著書、共著書で明らかになっています。
最初に従来の歴史観に対する批判を縷々述べた部分に突き当たりますが、ここで星一個原点としました。これくらいのことは、梅棹氏の「文明の生態史観」、川勝氏の「文明の海洋史観」でも述べられています。
しかも、歴史を専門とする彼らのほうが、歴史観に関する分析も緻密で、批判も的確。文章も、それぞれの独特の調子で歯切れ良く、「すっ」と頭に入ってきます。その点では、明らかにこの本は劣勢に立っています。
しかし、この本の肝は何といっても、「年稿」研究を基礎とした、まさに環境の視点から捉えた歴史観です。その土地の生態に着目し、歴史は人間だけでなく、自然の生態から作られることを明らかにしたのが梅棹氏であり、それを海まで広げたのが川勝氏ですが、安田氏はそれに時間軸を加え、歴史の「なぜ」を鮮やかに解き明かして見せました。
この研究がさらに進めば、今まで見えなかった過去の歴史の実像が明らかになり、どこまでが人間の力によるもので、どこからが自然の必然によるものかが明らかになるでしょう。その成果は、過去の理解だけではなく、将来の予測にも役立つことは疑いがありません。
一つ思うのは、「文明の○○史観」と銘打った本は、著者の研究の「中間報告」のような色彩を帯びているのではないか、ということです。著者の研究の面白さは、むしろこの本の後に出てくる多くの著書、共著書で明らかになっています。
2005年8月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
風土と気象が文明や思想・国民性を形成するという事実を指摘したのは、和辻哲郎『風土』だが、氏はこれに動態性を付加し、平板な史観から脱却した新しい視点を提示した。すなわち専門の花粉の化石分析と年縞という土質年代の構成などから当時の気候を類推していく手法で、歴史を環境という面で考えることでまったく新しい歴史観を提示している。
氏は、西洋史観の盲点を鋭く突いて、「今後地球文明の鍵はモンスーンアジアが握っている」という大胆な自説を展開する。 もちろんその中核をなすのは、縄文に発した日本文化であることはいうまでもない。
氏は、西洋史観の盲点を鋭く突いて、「今後地球文明の鍵はモンスーンアジアが握っている」という大胆な自説を展開する。 もちろんその中核をなすのは、縄文に発した日本文化であることはいうまでもない。