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絶海にあらず 上 単行本 – 2005/6/1
北方 謙三
(著)
勧学院別曹の主、藤原純友。京から坂東への旅、将門との邂逅、空也との出会い……そして伊予へ。大海原を舞台に展開する歴史小説!
- 本の長さ405ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2005/6/1
- ISBN-104120036499
- ISBN-13978-4120036491
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2005/6/1)
- 発売日 : 2005/6/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 405ページ
- ISBN-10 : 4120036499
- ISBN-13 : 978-4120036491
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,290,015位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 334,888位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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昭和22(1947)年、佐賀県唐津市生れ。47年中央大学法学部卒。58年「眠りなき夜」で第1回日本冒険小説協会大賞、第4回吉川英治文学新人賞、平 成3年「破軍の星」で第4回柴田錬三郎賞、16年「楊家将」で第38回吉川英治文学賞、18年「水滸伝」で第9回司馬遼太郎賞、19年「独り群せず」で第 1回舟橋聖一文学賞、22年第13回日本ミステリー文学大賞を受賞(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 独り群せず (ISBN-13: 978-4167419110 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年2月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
一気読み!下巻も同時購入。寝不足になります。
2021年3月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
海は自由であるべきだという信念を貫き通した純友の生き方は潔良い。
純友の生き方にどんどん引き込まれていきます。
純友の生き方にどんどん引き込まれていきます。
2017年2月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
未読ですが、問題なく当方に届いております。読むのを楽しみにしております。
2017年8月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
藤原純友を主人公に据え、
爽快な生き様をハードボイルドに描く浪漫作品です。
前半の京都時代~坂東漫遊はどんどん読めたのですが、
後半、伊予に渡ってからは丁寧に描こうとするあまり、
人間関係が複雑になり過ぎていました。
下巻の伏線と思い、辛抱して読みました。
純友のある女性との邂逅のシーンは
もう少し情緒たっぷりにじっくりと書き込んで欲しくもありましたが、
このあっさりさがハードボイルドなのでしょう。
爽快な生き様をハードボイルドに描く浪漫作品です。
前半の京都時代~坂東漫遊はどんどん読めたのですが、
後半、伊予に渡ってからは丁寧に描こうとするあまり、
人間関係が複雑になり過ぎていました。
下巻の伏線と思い、辛抱して読みました。
純友のある女性との邂逅のシーンは
もう少し情緒たっぷりにじっくりと書き込んで欲しくもありましたが、
このあっさりさがハードボイルドなのでしょう。
2015年11月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
平安時代を誤解している人が多いと認識させられます。自分自身もそうでした。
平安時代は想像以上に発達した時代です。
瀬戸内海の海路も整備されており、商取引もさかんであったことが理解できます。
そして、利害を絡めた人間関係と利害を超えて繋がっている人間関係、そのせめぎ合いが面白い。
いずこでも時代を超えても、人と人の関係のあり方は変わらないようです。
平安時代は想像以上に発達した時代です。
瀬戸内海の海路も整備されており、商取引もさかんであったことが理解できます。
そして、利害を絡めた人間関係と利害を超えて繋がっている人間関係、そのせめぎ合いが面白い。
いずこでも時代を超えても、人と人の関係のあり方は変わらないようです。
2008年8月21日に日本でレビュー済み
平安の世に瀬戸内海で乱を起こした藤原純友が主人公です。
栄華を誇る藤原北家の傍流の出身である純友が伊予掾として赴任したことで海に接し、そこで海は誰のものでもないとの信念を培い、思うがままに生きていく姿を描いています。
正直なところ守備範囲外の時代ではあったのですが、平将門と同時期に京に対して乱を起こした藤原純友に興味があったのと、北方謙三の時代小説が意外と味があることを知っていたため、かなりの興味をもって読み進めていきました。
その期待に違わず、純友の枠にはまらない生き様を見事に表現しています。
それなりの地位を望める公家でありながらも、民を虐げた中で繁栄している自らの一族に疑問を呈し、その行動力が伊予や九州の水師たちの支持を受けて力を蓄えていく、上巻ではそんな純友の前半生が語られていきます。
後半生に絡んでくるであろう小野好古の屈折した心理描写や、関東で奔放な生き様を見せる平将門、つかず離れずで微妙な動きを見せる伊予の郡司である越智一族、そして純友の手足となる魅力ある水師たちの思いが、純友の進む道を彩っていきます。
主人公は藤原純友という名の知れた人物ではありますが、作者が本当に描きたかったのはこれら脇役とされている登場人物たちの、素朴な、しかし切実な思いではないか、そう思えるぐらいに全てにおいて丁寧な描写がされています。
歴史的な史実を知っているだけに下巻でどういった展開になるのかが重苦しく感じられるのですが、単に海賊としての純友ではなく、海の男である純友を描ききってくれるのではないか、その期待感を持って上巻を読み終えることができました。
栄華を誇る藤原北家の傍流の出身である純友が伊予掾として赴任したことで海に接し、そこで海は誰のものでもないとの信念を培い、思うがままに生きていく姿を描いています。
正直なところ守備範囲外の時代ではあったのですが、平将門と同時期に京に対して乱を起こした藤原純友に興味があったのと、北方謙三の時代小説が意外と味があることを知っていたため、かなりの興味をもって読み進めていきました。
その期待に違わず、純友の枠にはまらない生き様を見事に表現しています。
それなりの地位を望める公家でありながらも、民を虐げた中で繁栄している自らの一族に疑問を呈し、その行動力が伊予や九州の水師たちの支持を受けて力を蓄えていく、上巻ではそんな純友の前半生が語られていきます。
後半生に絡んでくるであろう小野好古の屈折した心理描写や、関東で奔放な生き様を見せる平将門、つかず離れずで微妙な動きを見せる伊予の郡司である越智一族、そして純友の手足となる魅力ある水師たちの思いが、純友の進む道を彩っていきます。
主人公は藤原純友という名の知れた人物ではありますが、作者が本当に描きたかったのはこれら脇役とされている登場人物たちの、素朴な、しかし切実な思いではないか、そう思えるぐらいに全てにおいて丁寧な描写がされています。
歴史的な史実を知っているだけに下巻でどういった展開になるのかが重苦しく感じられるのですが、単に海賊としての純友ではなく、海の男である純友を描ききってくれるのではないか、その期待感を持って上巻を読み終えることができました。
2019年4月21日に日本でレビュー済み
藤原純友は所謂「藤原純友の乱」を939年に起こした首謀者であるが、彼のような権力者側の人間がわざわざ背いたのは何故なのか。それに応えるのが本書である。
平安中期に藤原氏の傍流の家系として生まれたのが純友だった。彼は出世に興味が無く、京都の学舎で学問と武芸に打ち込んでいた。しかし、あることがきっかけとなり、権力者側の人間の一人に目をかけられ、地方長官の副官として伊予(現在の愛媛県)に派遣されることになった。純友が伊予で見たものは、豊かな自然の恵みであった。一方で、その恵みを存分に流通させることによって国全体を富ませることを阻む政治体制が存在した。
海の通路を活かして存分に交易を行わせることによって国全体を富ませることを望まない勢力がある。それが藤原氏であった。彼らが日本を支配しており、ゆえに地方の豪族も彼らには逆らえない。
藤原氏は外国(チャイナ)との貿易の利益を一手に引き受けており、それ以外の勢力が利益を得ることを排除している。流通を統制することによって商業の利益を藤原氏が最も得られるようにしている。その仕組みのおかげで、伊予の自然の恵みが海の道を通って日本国全体へと行き渡ることはなくなっていた。せっかく伊予という国を支配している豪族であっても藤原氏には逆らえない。ゆえに伊予で交易および関連の商いをして生きている人々の生活も苦しいままである。
純友はこの支配体制を敏感に察知した。実際に伊予の国を自らの足で山から海へと渡り歩き、そこで生きる様々な人々と交流を重ねていった。伊予の海を気に入った純友は、己の本分が海にあることを知り、海で自由に生きることを望むようになる。そして自由に生きることを阻んでいるものに対して戦いを挑むことになった。ただし明確に藤原氏に逆らうことを宣言したのではなく、徐々に今の体制を突き崩していくことを選んだのだった。それは成功し、人々の暮らしが豊かになり始めた――以上が上巻までのあらすじである。
私が特に面白いと思ったのは、伊予で一番の権力者である豪族の描かれ方である。彼らは自然に恵まれた伊予を支配しているが、常に藤原氏のご機嫌を伺いながら生きていかなくてはならない。また、その豪族の当主は名目上はナンバーワンの地位であり、偉いはずなのだが、隠居しつつ院政を敷きながら息子への影響力を保持している父親という存在がある。父親には息子が跡を継ぐまでに築いてきた実績があり、それは隠居しても消えるものではない。その象徴として、当主のそばにいて、家の世話をする係りの者がいる。この世話係は当主が任命したものではない。父親が当主のために用意したものであり、子供の頃からそばにいるのだ。子供の頃からそばにいて、自身の過去の様々な弱みなども握っているであろう者が身近にいる。彼は父親が任命した者である。だから彼を解任することはできない。煩わしくても簡単には首にできないのである。こうして、地方一の豪族といえども、常に上の者を意識しながら生活しなくてはならない。実に陰湿な管理体制である。
そして、彼らの上には藤原氏がいて、彼らの自然の恵みを存分に活かすことを許さない。恵みが日本国全体に存分に行き渡ることもない。一部の人間の利益のために管理統制されている社会である。
このような世界にやってきたのが藤原純友が手始めにやったこと。それは、海の道を自由にし、経済を活発にすることであった。これを察知した藤原氏はどう動くのか。藤原純友の戦いが始まる。
ちなみに、次に引用する文章(小林宏という経営コンサルタントによる講義録)が、この小説について面白く意味づけているので紹介したい。
(「20世紀研究会」講義ノート 2005年8月26日
http://jomako.la.coocan.jp/industrialism/works/20seiki/20050826.html
から転載開始)
「絶海にあらず」は藤原純友を題材としている。平安朝初期に藤原氏は中国と貿易して儲けた。唐物(からもの)貿易と言う。儲けた金で藤原氏は権力を得た。さらに庶民の必要物資の全国への流通を禁止した。品物を少なくしておいた方が商人が儲かるからである。これに対して純友は怒り、庶民のための流通を盛んにさせようとした。唐物を運ぶ船をどんどん襲ったのである。彼は単なる海賊ではなかったのだ。同じく庶民の為を思い、同じ唐物貿易でも平清盛と藤原純友ではその行動は全く違っていたのである。
唐物貿易とは今の自由貿易である。本来なら自由貿易を行えば国内流通が活発になり庶民が楽になる。しかし、グローバリズムに乗った自由貿易では権力者のみが富む。庶民は年金すら危うくなる。どこかで自由貿易の主旨と反したことをやっているのである。
(転載終了)
平安中期に藤原氏の傍流の家系として生まれたのが純友だった。彼は出世に興味が無く、京都の学舎で学問と武芸に打ち込んでいた。しかし、あることがきっかけとなり、権力者側の人間の一人に目をかけられ、地方長官の副官として伊予(現在の愛媛県)に派遣されることになった。純友が伊予で見たものは、豊かな自然の恵みであった。一方で、その恵みを存分に流通させることによって国全体を富ませることを阻む政治体制が存在した。
海の通路を活かして存分に交易を行わせることによって国全体を富ませることを望まない勢力がある。それが藤原氏であった。彼らが日本を支配しており、ゆえに地方の豪族も彼らには逆らえない。
藤原氏は外国(チャイナ)との貿易の利益を一手に引き受けており、それ以外の勢力が利益を得ることを排除している。流通を統制することによって商業の利益を藤原氏が最も得られるようにしている。その仕組みのおかげで、伊予の自然の恵みが海の道を通って日本国全体へと行き渡ることはなくなっていた。せっかく伊予という国を支配している豪族であっても藤原氏には逆らえない。ゆえに伊予で交易および関連の商いをして生きている人々の生活も苦しいままである。
純友はこの支配体制を敏感に察知した。実際に伊予の国を自らの足で山から海へと渡り歩き、そこで生きる様々な人々と交流を重ねていった。伊予の海を気に入った純友は、己の本分が海にあることを知り、海で自由に生きることを望むようになる。そして自由に生きることを阻んでいるものに対して戦いを挑むことになった。ただし明確に藤原氏に逆らうことを宣言したのではなく、徐々に今の体制を突き崩していくことを選んだのだった。それは成功し、人々の暮らしが豊かになり始めた――以上が上巻までのあらすじである。
私が特に面白いと思ったのは、伊予で一番の権力者である豪族の描かれ方である。彼らは自然に恵まれた伊予を支配しているが、常に藤原氏のご機嫌を伺いながら生きていかなくてはならない。また、その豪族の当主は名目上はナンバーワンの地位であり、偉いはずなのだが、隠居しつつ院政を敷きながら息子への影響力を保持している父親という存在がある。父親には息子が跡を継ぐまでに築いてきた実績があり、それは隠居しても消えるものではない。その象徴として、当主のそばにいて、家の世話をする係りの者がいる。この世話係は当主が任命したものではない。父親が当主のために用意したものであり、子供の頃からそばにいるのだ。子供の頃からそばにいて、自身の過去の様々な弱みなども握っているであろう者が身近にいる。彼は父親が任命した者である。だから彼を解任することはできない。煩わしくても簡単には首にできないのである。こうして、地方一の豪族といえども、常に上の者を意識しながら生活しなくてはならない。実に陰湿な管理体制である。
そして、彼らの上には藤原氏がいて、彼らの自然の恵みを存分に活かすことを許さない。恵みが日本国全体に存分に行き渡ることもない。一部の人間の利益のために管理統制されている社会である。
このような世界にやってきたのが藤原純友が手始めにやったこと。それは、海の道を自由にし、経済を活発にすることであった。これを察知した藤原氏はどう動くのか。藤原純友の戦いが始まる。
ちなみに、次に引用する文章(小林宏という経営コンサルタントによる講義録)が、この小説について面白く意味づけているので紹介したい。
(「20世紀研究会」講義ノート 2005年8月26日
http://jomako.la.coocan.jp/industrialism/works/20seiki/20050826.html
から転載開始)
「絶海にあらず」は藤原純友を題材としている。平安朝初期に藤原氏は中国と貿易して儲けた。唐物(からもの)貿易と言う。儲けた金で藤原氏は権力を得た。さらに庶民の必要物資の全国への流通を禁止した。品物を少なくしておいた方が商人が儲かるからである。これに対して純友は怒り、庶民のための流通を盛んにさせようとした。唐物を運ぶ船をどんどん襲ったのである。彼は単なる海賊ではなかったのだ。同じく庶民の為を思い、同じ唐物貿易でも平清盛と藤原純友ではその行動は全く違っていたのである。
唐物貿易とは今の自由貿易である。本来なら自由貿易を行えば国内流通が活発になり庶民が楽になる。しかし、グローバリズムに乗った自由貿易では権力者のみが富む。庶民は年金すら危うくなる。どこかで自由貿易の主旨と反したことをやっているのである。
(転載終了)
2011年9月10日に日本でレビュー済み
京都・勧学院で放埓な日々を過ごす藤原北家の傍流、純友。
公家に似合わぬ生活力と物見高さで、諸国を旅する日々を送っていましたが
ひょんなことから北家の領袖、忠平の知己を得て、伊予に任官することになります。
伊予赴任の途上や、赴任後に会った越智一族を始めとする様々な豪族、水師、人物・・・。
彼らとの邂逅を通じて、京に居た時とは違う角度から見た藤原北家の姿を知り、同時に
「海を取り戻す」という自身の生きるべき道も見つける事になります。
(「武王の門」を読まれた方は、征西将軍宮とオーバーラップする部分が多分にあると思います。)
内海をとりまく利害が次第に明らかになる中、海の民たちの便宜を図り、海賊討伐に功を上げ、
追捕海賊使となることで自身の勢力を拡大する・・・そんな面従腹背の日々が、大宰府の企みを
暴くことで、終りを告げようとしています。
平将門の乱とも相まって、どこで叛乱に踏み切るのか?下巻も楽しみです。
公家に似合わぬ生活力と物見高さで、諸国を旅する日々を送っていましたが
ひょんなことから北家の領袖、忠平の知己を得て、伊予に任官することになります。
伊予赴任の途上や、赴任後に会った越智一族を始めとする様々な豪族、水師、人物・・・。
彼らとの邂逅を通じて、京に居た時とは違う角度から見た藤原北家の姿を知り、同時に
「海を取り戻す」という自身の生きるべき道も見つける事になります。
(「武王の門」を読まれた方は、征西将軍宮とオーバーラップする部分が多分にあると思います。)
内海をとりまく利害が次第に明らかになる中、海の民たちの便宜を図り、海賊討伐に功を上げ、
追捕海賊使となることで自身の勢力を拡大する・・・そんな面従腹背の日々が、大宰府の企みを
暴くことで、終りを告げようとしています。
平将門の乱とも相まって、どこで叛乱に踏み切るのか?下巻も楽しみです。