人に貸しては返って来ずこれで10冊目ですか…。
湯川博士の最後のお話、雨月物語の青頭巾は
50年経った今でも頭から離れません。
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人間にとって科学とはなにか (中公新書 132) 新書 – 1967/5/1
- 本の長さ177ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日1967/5/1
- ISBN-10412100132X
- ISBN-13978-4121001320
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (1967/5/1)
- 発売日 : 1967/5/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 177ページ
- ISBN-10 : 412100132X
- ISBN-13 : 978-4121001320
- Amazon 売れ筋ランキング: - 550,627位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 2,185位中公新書
- - 23,085位評論・文学研究 (本)
- - 81,650位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2004年4月29日に日本でレビュー済み
人間にとって科学とはなにか、というテーマで40年近くも前に行われた物理学者の白川氏と、人文科学者の梅棹氏との対談の記録。40年近く前と今とでは科学の現状もあらゆる面で違いますが、その根底にある、人は何故科学を探求するのかといったようなことはあんまり変わってないはずですから読んでみるのもありだと思います。
「はじめに」や「あとがき」にまとまりが悪い、打ちかけの碁のような対談と著者たち自身が語っているのですが、だからこそ読んでてめちゃくちゃ面白かったです。読む前はやはり科学とはこういうものだっ、ていうずばっとした答えを求めていたけど、そんなものはありはしないのですね。この本は知識的な科学概論ではなく、もっと根源的な科学の存在自体、あるいは未来への科学を読者に考えることを促すための科学概論だといえそうです。
制御科学やさまざまな見地からの情報科学など、いわゆる今の先端科学について、その存在や発展性を予期して議論していたり、電子計算機の発達に伴なう個人主義の肥大化という、現代社会がはらむ問題にもさらりと触れられたりしていてはっとしたりもします。荘子や老子の世界観と科学の存在理由との関連話も面白いです。
タイトルにもあるように「人間にとって」の部分がとても大事ですね。ヒューマニズムと科学の問題は現代において考えなければならない最も大きなことの一つ。知的好奇心に動かされ科学を探求しその先にあるものを人類みんなで導いていく。でも、いつか地球もなくなるというがそれなのになぜ生命が誕生し、進化し続けるのか。なんのためになのだろう。そんなことも読んでて考えました。ですから、「めちゃくちゃ」面白かったのです。
「はじめに」や「あとがき」にまとまりが悪い、打ちかけの碁のような対談と著者たち自身が語っているのですが、だからこそ読んでてめちゃくちゃ面白かったです。読む前はやはり科学とはこういうものだっ、ていうずばっとした答えを求めていたけど、そんなものはありはしないのですね。この本は知識的な科学概論ではなく、もっと根源的な科学の存在自体、あるいは未来への科学を読者に考えることを促すための科学概論だといえそうです。
制御科学やさまざまな見地からの情報科学など、いわゆる今の先端科学について、その存在や発展性を予期して議論していたり、電子計算機の発達に伴なう個人主義の肥大化という、現代社会がはらむ問題にもさらりと触れられたりしていてはっとしたりもします。荘子や老子の世界観と科学の存在理由との関連話も面白いです。
タイトルにもあるように「人間にとって」の部分がとても大事ですね。ヒューマニズムと科学の問題は現代において考えなければならない最も大きなことの一つ。知的好奇心に動かされ科学を探求しその先にあるものを人類みんなで導いていく。でも、いつか地球もなくなるというがそれなのになぜ生命が誕生し、進化し続けるのか。なんのためになのだろう。そんなことも読んでて考えました。ですから、「めちゃくちゃ」面白かったのです。
2003年1月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
現代のヨーロッパ的精神社会の基盤として存在する科学。
文明の基盤として”科学”が”宗教”に勝るであろうことは想像に難くはない。
ただ個人や民族、そして社会としての幸せを考えた場合はどうなのだろうか?
科学を信仰する人々にとっては疑う余地のないことだが、科学者も一面を取ってみれば”信じ続ける”点においては宗教者のそれに勝るとも劣らないのではないか?
”結局科学ってのも宗教のようなものなのかもしれない?”
そんな思いもポツンと浮かんでくる一冊。
文明の基盤として”科学”が”宗教”に勝るであろうことは想像に難くはない。
ただ個人や民族、そして社会としての幸せを考えた場合はどうなのだろうか?
科学を信仰する人々にとっては疑う余地のないことだが、科学者も一面を取ってみれば”信じ続ける”点においては宗教者のそれに勝るとも劣らないのではないか?
”結局科学ってのも宗教のようなものなのかもしれない?”
そんな思いもポツンと浮かんでくる一冊。
2008年10月15日に日本でレビュー済み
本書では、科学について、湯川氏と梅棹氏との対話が、書籍化されている。
「人間にとっての科学」を主旨としながらも、対話ならではの業か、
「人間にとって」から離れたところにも言及しているところが、むしろ、
「人間にとって」のベクトルをより鮮明にしている。
歴史的にも人間はなにかによりそってゆかねばならない弱い存在なのか。
いまはそれが科学という方法なのか。
おぼろげながら、そうしたイメージをふくらませつつ、
科学への理解を深められるであろう書物だ。
2008.10.15
「人間にとっての科学」を主旨としながらも、対話ならではの業か、
「人間にとって」から離れたところにも言及しているところが、むしろ、
「人間にとって」のベクトルをより鮮明にしている。
歴史的にも人間はなにかによりそってゆかねばならない弱い存在なのか。
いまはそれが科学という方法なのか。
おぼろげながら、そうしたイメージをふくらませつつ、
科学への理解を深められるであろう書物だ。
2008.10.15