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松山収容所: 捕虜と日本人 (中公新書 195) 新書 – 1969/7/1

4.0 5つ星のうち4.0 2個の評価

「俘虜のおかげをもって日本が欧米列国に紹介」される好機と考え、まるで観光客のように遇した明治より、捕虜のドイツ将兵からまで技術導入を図った第一次大戦期を経て太平洋戦争末期まで、日本人は敵国の捕虜といかに触れあい、反応しあってきたか。著者自らの捕虜体験にもとづき、「正面きって史書に記載されず、個人の思い出として残り個人とともに消え去ろうとしている」諸史料を、苦心のすえ収集し、ここにまとめた。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 中央公論新社 (1969/7/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1969/7/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 新書 ‏ : ‎ 186ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4121001958
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121001955
  • カスタマーレビュー:
    4.0 5つ星のうち4.0 2個の評価

カスタマーレビュー

星5つ中4つ
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上位レビュー、対象国: 日本

2013年2月24日に日本でレビュー済み
捕虜という言葉からは明るい印象は受けない。
多くの場合は収容所は国と国との対立をはらみがちである。
そもそも、収容所は軍事基地の一種であり、捕虜は武装解除された敵軍である。
つまり、戦争状態が国際法的に凍結された状態なのだ。
しかし例外もある。
松山収容所のロシア軍捕虜とドイツ軍捕虜のエピソードはその例外だ。
ロシアであれ、ドイツであれ日本での扱いが過酷なものになるのではと不安に思うのは無理ない。
ちょんまげを頭に載せて腹切りで責任を取るような蛮族の軍門に下るなど、怖気が走って当然だ。
しかし、彼らはじきにそれが杞憂であることを知る。
日本軍は国際法に則って対応し、適切な対応をとった。
そこには日本人的な一つ屋根の下に起居し同じ釜の飯を食う仲間という感覚が垣間見える。
市民の対応も暖かなもので、どこか、ペリーやハリスが日本人と交流した際に感じた物見高さと二重写しになる。
もちろん、先進国からの「華客」ということもあった。
また、軍としても初めての収容だからきちんとした先例を作らなくてはならなかった。
その背景には戦争に勝つには国際法上の手落ちがあってはならないという政府の見識があった。
本書はエピソードが中心で、そこまでは書かれていないのが瑕瑾である。
しかし、昭和44年という一次資料を収集できる時代にまとめられたことは重要である。
今のところ、古本でしか入手できないが、復刊かオンデマンドでの復活が望まれる。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2003年2月10日に日本でレビュー済み
 日露戦争の戦争捕虜と松山の地元民との不思議な交流が大変興味深かった。そこには太平洋戦争のような悲惨さは感じられず、どこかおかしさをたたえてのどかな印象を与える。
 特異な文化交流の一旦が垣間見える歴史書だ。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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