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マホメット: ユダヤ人との抗争 (中公新書 254) 新書 – 1971/6/1
藤本 勝次
(著)
アラブ・イスラエルの対立はイスラム教徒ユダヤ教の違いにあるとする宗教問題を、本書は取り上げている。両者の違いは何か。対立は何によって起こるのか。
- 本の長さ190ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日1971/6/1
- ISBN-104121002547
- ISBN-13978-4121002549
登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (1971/6/1)
- 発売日 : 1971/6/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 190ページ
- ISBN-10 : 4121002547
- ISBN-13 : 978-4121002549
- Amazon 売れ筋ランキング: - 834,992位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2010年10月8日に日本でレビュー済み
イスラーム教の創始者、ムハンマド(かつてはマホメットと呼ばれるのが一般的であったが、現在はムハンマドと呼ばれることが多い)について書かれた本。40年前の本であるが、歴史書ということもあり、あまり古さを感じなかった。
本書は、他の研究(イギリスのイスラム学者モンゴメリ・ワットなど)の紹介が中心であるが、自分が知らない情報が多かったので、目新しく感じた。例えば、布教当初にムハンマドがユダヤ教についての知識が不正確であったという話である。本書によると、「マホメットはイエスの母マリヤを「アロンの姉」と呼んでいるが、これは、マリヤを預言者モーセの兄アロンの姉ミリヤムと混同している」(p.24)そうだ。
イスラーム初期のアラブとユダヤの関係、紛争が中心的な題材である。イスラーム教の教義の発展とそれへのユダヤ教の影響を、ムハンマドとユダヤ教徒の接触によって説明をしている。教義という
、宗教的文脈で語られてきたものを、政治や経済の視点に立脚し、分析がなされている。例えば、布教初期のメッカでのクライシュ族からのムハンマドへの迫害は政治的対立が原因であったが、それに対抗するためにユダヤ教、キリスト教に思想的淵源をもつ、唯一絶対の神を強調するように変化していったと説明されている。また、ユダヤ教徒との論争の中から、イスラーム教を権威づけるために「アブラハムの宗教」という論理を見出したことも、今日のイスラーム教の立場にも大きな影響を与えている。
一つの教典内から、ムハンマドの思想の変遷を見るという視点が実に興味深かった。
本書は、他の研究(イギリスのイスラム学者モンゴメリ・ワットなど)の紹介が中心であるが、自分が知らない情報が多かったので、目新しく感じた。例えば、布教当初にムハンマドがユダヤ教についての知識が不正確であったという話である。本書によると、「マホメットはイエスの母マリヤを「アロンの姉」と呼んでいるが、これは、マリヤを預言者モーセの兄アロンの姉ミリヤムと混同している」(p.24)そうだ。
イスラーム初期のアラブとユダヤの関係、紛争が中心的な題材である。イスラーム教の教義の発展とそれへのユダヤ教の影響を、ムハンマドとユダヤ教徒の接触によって説明をしている。教義という
、宗教的文脈で語られてきたものを、政治や経済の視点に立脚し、分析がなされている。例えば、布教初期のメッカでのクライシュ族からのムハンマドへの迫害は政治的対立が原因であったが、それに対抗するためにユダヤ教、キリスト教に思想的淵源をもつ、唯一絶対の神を強調するように変化していったと説明されている。また、ユダヤ教徒との論争の中から、イスラーム教を権威づけるために「アブラハムの宗教」という論理を見出したことも、今日のイスラーム教の立場にも大きな影響を与えている。
一つの教典内から、ムハンマドの思想の変遷を見るという視点が実に興味深かった。
2020年1月4日に日本でレビュー済み
イスラム教が生まれた時代背景やユダヤ教との関係の中で確立されていく様を解説。
基礎知識がない私でも流れを理解できる。
政治・経済・文化・軍事における宗教の重要性・一体性や、マホメットがリーダーとなり得た時代背景が興味深い。
基礎知識がない私でも流れを理解できる。
政治・経済・文化・軍事における宗教の重要性・一体性や、マホメットがリーダーとなり得た時代背景が興味深い。
2016年8月1日に日本でレビュー済み
副題の「ユダヤ人との抗争」の名の通り、原始イスラム教の発展史を、ユダヤ教との関係を軸に概説する。非常に論旨が明確であり、是非とも読まねばならない。井筒俊彦の『マホメット』よりも先に手に取るべきだろう。というか、どうして皆さん、読まないのだろうか。
マホメットの属するクライシュ部族は、偶像崇拝の多神教を信仰していたが、メッカ周辺のユダヤ教徒、キリスト教徒、または「ばくぜんたる一神教」を信仰するアラブ人とも交流していた(P.15-16, 26, 28)。まさかマホメットが『聖書』を持っていたはずもなく、読んだわけでもないだろうから、耳学問で断片的に一神教について学んでゆき、信者を募った。そしてマホメットは、クライシュ部族の道徳的退廃に対して神の裁きが下る事を説いて回った(P.32, 33)。この頃マホメットが信仰していたのは、厳密な意味での一神教ではなく、「ばくぜんたる一神教」であった(P.34)。
しかし、逆にクライシュ部族から迫害されてしまい、自分の考えの良き理解者として、ユダヤ教徒に親近感を抱くようになった(P.64, 72)。つまり、メッカ時代のマホメットは、ユダヤ教徒もキリスト教徒も「啓典の民」として仲間意識を持っており(P.127)、断食、エルサレムに向けての礼拝などの親ユダヤ教政策を取った。その上で、『聖書』の端々に書かれている未来の預言者について、それは自分の事であると信じ、ユダヤ教徒も説得しようとした。
しかし、当のユダヤ教徒は、一向に、マホメットを預言者として認めようとせず、むしろユダヤ教への改宗を迫った(P.94, 95, 104)。ここにいたってマホメットは、イエスもモーセも預言者に過ぎず(P.135-136)、ユダヤ教徒やキリスト教徒は『聖書』を歪曲していると言って批判した(P.136)。また、自分の宗教が、イエスの説いたキリスト教よりも、モーセの説いたユダヤ教よりも古く、アブラハムの宗教を復元するものであると再反論した(P.109)。そして、ヒジュラ二年目からは、キブラをメッカに変更して反ユダヤ政策へと転向し(P.90)、メディナのユダヤ教徒であるカイヌカー部族、ナディール部族、クライザ部族を追い出していった(P.171)。
マホメットは、アブラハムの宗教を創始して、ユダヤ教やキリスト教の母屋を乗っ取ったのである。しかし、マホメットがアブラハムまで遡ったのは、純粋な教義上の発展ではなく、ユダヤ教徒やキリスト教徒との論争に勝つための作戦だったんでしょ?
マホメットの属するクライシュ部族は、偶像崇拝の多神教を信仰していたが、メッカ周辺のユダヤ教徒、キリスト教徒、または「ばくぜんたる一神教」を信仰するアラブ人とも交流していた(P.15-16, 26, 28)。まさかマホメットが『聖書』を持っていたはずもなく、読んだわけでもないだろうから、耳学問で断片的に一神教について学んでゆき、信者を募った。そしてマホメットは、クライシュ部族の道徳的退廃に対して神の裁きが下る事を説いて回った(P.32, 33)。この頃マホメットが信仰していたのは、厳密な意味での一神教ではなく、「ばくぜんたる一神教」であった(P.34)。
しかし、逆にクライシュ部族から迫害されてしまい、自分の考えの良き理解者として、ユダヤ教徒に親近感を抱くようになった(P.64, 72)。つまり、メッカ時代のマホメットは、ユダヤ教徒もキリスト教徒も「啓典の民」として仲間意識を持っており(P.127)、断食、エルサレムに向けての礼拝などの親ユダヤ教政策を取った。その上で、『聖書』の端々に書かれている未来の預言者について、それは自分の事であると信じ、ユダヤ教徒も説得しようとした。
しかし、当のユダヤ教徒は、一向に、マホメットを預言者として認めようとせず、むしろユダヤ教への改宗を迫った(P.94, 95, 104)。ここにいたってマホメットは、イエスもモーセも預言者に過ぎず(P.135-136)、ユダヤ教徒やキリスト教徒は『聖書』を歪曲していると言って批判した(P.136)。また、自分の宗教が、イエスの説いたキリスト教よりも、モーセの説いたユダヤ教よりも古く、アブラハムの宗教を復元するものであると再反論した(P.109)。そして、ヒジュラ二年目からは、キブラをメッカに変更して反ユダヤ政策へと転向し(P.90)、メディナのユダヤ教徒であるカイヌカー部族、ナディール部族、クライザ部族を追い出していった(P.171)。
マホメットは、アブラハムの宗教を創始して、ユダヤ教やキリスト教の母屋を乗っ取ったのである。しかし、マホメットがアブラハムまで遡ったのは、純粋な教義上の発展ではなく、ユダヤ教徒やキリスト教徒との論争に勝つための作戦だったんでしょ?
2015年6月29日に日本でレビュー済み
7世紀初めにイスラム教が生まれた時代のイスラム教徒とユダヤ教徒との間の
関わりについて記述したもの。
関わりについて記述したもの。
2003年7月30日に日本でレビュー済み
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