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オルテガ: 現代文明論の先駆者 (中公新書 894) 新書 – 1988/9/1
色摩 力夫
(著)
- 本の長さ253ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日1988/9/1
- ISBN-104121008944
- ISBN-13978-4121008947
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (1988/9/1)
- 発売日 : 1988/9/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 253ページ
- ISBN-10 : 4121008944
- ISBN-13 : 978-4121008947
- Amazon 売れ筋ランキング: - 351,280位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 10位スペイン・ポルトガルの思想
- - 631位西洋哲学入門
- - 1,605位中公新書
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2010年1月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ルネッサンスと古代と現代の様相変化よりも、昨日と今日の違いの方が遥かに大きな意味を持つ。
2021年4月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
賛否両論あるとは思いますが、読んでいて逆に戦後上手く行き過ぎているから
現状のような社会になったという戯言が去来しました。模範を示す少数の
エリートと従順なる大衆人が何だかんだで機能していると感じました。
個人個人が専門性の袋小路に迷い込んでしまっているのは同感です。
自分も坊っちゃんの数のうちで読んでいて情けなくなりました。
学歴や各種の生活水準が相対的に全体的に上昇するにつれて術中に嵌まる気もします。
デフレでお金持ちとの格差が進んでいるとは思いますが、しかし相対的に
大衆側が強く貴族趣味は流行せずにハイファッションなどは
廃れてファストファッションが市場を占めているなどの現状です。
まだ稀少性より物量の時代な気がします。まだ出版されて1世紀も経っていないのは驚きです。
現状のような社会になったという戯言が去来しました。模範を示す少数の
エリートと従順なる大衆人が何だかんだで機能していると感じました。
個人個人が専門性の袋小路に迷い込んでしまっているのは同感です。
自分も坊っちゃんの数のうちで読んでいて情けなくなりました。
学歴や各種の生活水準が相対的に全体的に上昇するにつれて術中に嵌まる気もします。
デフレでお金持ちとの格差が進んでいるとは思いますが、しかし相対的に
大衆側が強く貴族趣味は流行せずにハイファッションなどは
廃れてファストファッションが市場を占めているなどの現状です。
まだ稀少性より物量の時代な気がします。まだ出版されて1世紀も経っていないのは驚きです。
2020年10月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本でオルテガの世界に触れることになった思い出の一冊です。懐かしく新しい。ただしカントを超えたとかは少々疑問符が。
2013年7月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
オルテガの多面的な仕事のうち、文明論を中心に据えて解説される入門書。そのため、その哲学については深い部分まで立ち入りません。しかし、その分だけ文明論には詳しく、古代の危機・ルネッサンスの危機・現代の危機を各々解説しており、ある種のストーリー性があり非常に理解しやすいと感じました。
科学技術や文明、さらには国家さえも、ただ自然にそこにあるものではなく、あくまで人工物であるという、ある意味自明な事柄についても我々は当たり前すぎて忘れてしまいがちです。それらは自然物ではないので、放っておけば後退あるいは崩壊を免れないという事実にも目が覚まされた気分です。しかし、大衆人はそれらを自然物と見做し、自明のものとして消費してしまうことの恐怖はあります。ただいまある体制、現状を維持するだけで、どれだけの努力が永続的になされていることに気が付くべきであろうと思います。
昨今の政治に対する無関心は、現状の政治に対する諦念や絶望を言い分としていたりしますが、その実それらは単に面倒くさいだけで考えることを放棄しているだけに思えます。また、政治には政策なりを知らせる努力、伝える努力が必要であり、それらが現状において足りていないとも言われます。しかし、本来的に政治とは参加するものであって、自主的に積極的に関わるものです。強制されたり、言われたからやるものではありません。つまり、それらはただあるもので、何もしなくても変わらずに享受できるものであるという勘違いがあるのではないでしょうか。まさに、オルテガの言うところの「大衆人」そのものです。もし、自身の行動により何も変わらないだろうと思う方もいるでしょう。しかしそれは、何が変わるかではなく、私自身が何を考えたのか、どう判断したのか、どうしたいと思ったのかが重要なことではないのでしょうか。それらを考えることは決して無駄ではないし、それこそがオルテガの言う慣習=国家を変える唯一の契機となるはずです。
科学技術や文明、さらには国家さえも、ただ自然にそこにあるものではなく、あくまで人工物であるという、ある意味自明な事柄についても我々は当たり前すぎて忘れてしまいがちです。それらは自然物ではないので、放っておけば後退あるいは崩壊を免れないという事実にも目が覚まされた気分です。しかし、大衆人はそれらを自然物と見做し、自明のものとして消費してしまうことの恐怖はあります。ただいまある体制、現状を維持するだけで、どれだけの努力が永続的になされていることに気が付くべきであろうと思います。
昨今の政治に対する無関心は、現状の政治に対する諦念や絶望を言い分としていたりしますが、その実それらは単に面倒くさいだけで考えることを放棄しているだけに思えます。また、政治には政策なりを知らせる努力、伝える努力が必要であり、それらが現状において足りていないとも言われます。しかし、本来的に政治とは参加するものであって、自主的に積極的に関わるものです。強制されたり、言われたからやるものではありません。つまり、それらはただあるもので、何もしなくても変わらずに享受できるものであるという勘違いがあるのではないでしょうか。まさに、オルテガの言うところの「大衆人」そのものです。もし、自身の行動により何も変わらないだろうと思う方もいるでしょう。しかしそれは、何が変わるかではなく、私自身が何を考えたのか、どう判断したのか、どうしたいと思ったのかが重要なことではないのでしょうか。それらを考えることは決して無駄ではないし、それこそがオルテガの言う慣習=国家を変える唯一の契機となるはずです。